ラクガキ

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9/7/2025, 9:23:31 PM

【雨と君】


 母の葬儀の日。父は帰ってこなかった。
 わたしたちはバラバラに砕け散ってしまった。


 母が亡くなったのはわたしに責任がある。

 わたしは能力値が満遍なく高く、ビジュアルもすこぶる良い。猫を被っているのでクラスメイトはもちろん、保護者や先生からの〝ウケ〟もダントツ良かった。

 わたしたち、母子を襲った女が叫んだ要領を得ないとっ散らかった話を要約すると。
 わたしの母になりたかった。おまえのような女が母親なんて可哀想。おまえさえいなければ…。
 という具合。

 父がわたしを恨むのは当然だ。誰にでも良い顔をし、八方美人のツケを母に払わせたのだから、仕方ないこと。

 母は父を変えた人誑しだ。圧倒的光属性という感じ。でなければそれまで、ヒモとして女の元を転々としていた彼が家庭に属したり、子どもを持ったりなんてなかっただろう。
 父は不器用なりに真剣だった。

 わたしを恨んでいる。憎い…。けれど愛している。
 だから恨みをぶつけるなんて堪えられないし、愛を包むことに苛立ちと哀しみを覚える。
 わたしも、父に(当然と解っていても)恨まれるには覚悟を決めなければ耐えられない。

 だから丁度よかったのだ。父が家に寄り付かず、被った化けの皮が剥がれ落ち、独りぼっちになったとしても。
 自分を守って独りになるなら、誰かを守って独りがいい。優越と孤独に身を浸して生きるのだ。
 母が命懸けで守ったこの〝タスク〟を果たすまで。


 雨が降っている。あの日からずっと、途切れず止まず。

9/6/2025, 9:46:23 PM

【誰もいない教室】

 司書さんに下校を促されて、集中を切った。時計を見ると現在十七時五十分。読んでいた本の貸出手続きをして、帰り支度を済ませる。
「あれ、」
 ペンケースが見当たらない。祖父が入学祝いにと贈ってくれた、細身で革づくりのお気に入り。
「どうしました?」
 司書のミヨさんが声をかけてくれる。急かそうとか、そういう思いは感じられない声だった。
「いえ、忘れ物を。教室に寄ってから帰ります」
「あら。それってペンケース? お気に入りだったわよね」
「そうですが」
 なぜ知っている?
「ふふ、わかるわよ〜、誰だって。あんなに大切にしているもの」
「まあ、大切なので」
 ざっくばらんと言い切った彼女に、ミヨは「まあ!」と照れた。なぜ照れるんだ、とは思ったが、彼女はポジティブ天使なのでなにかが琴線に触れたのだろう。
「気をつけて帰るのよ」
「ええ。ミヨさんもお気をつけて。最近は日が短いから」
「かっこいいわ〜、あの人(夫)に出会ってなければ惚れてたわ!」
「残念です」



 教室には誰もいなかった。チラと時計を確認して、少し焦りつつ自分の机の中に置き忘れたペンケースを手に取った。
「あった」
 リュックに入れて背負い直したところで、教室が明るくなる。西日が差したのだ。夕に焼けた空は澄んでいて、秋の訪れを感じる。
 見惚れていると、最終下校を促す放送がかかった。
「帰るか」
 なんとなく、良い気分だった。

8/17/2025, 4:39:02 AM

【遠くの空へ】

 幼いころから、自発的に行動することができなかった。

 母は乙女チックで可愛い人だった。わたしにも、〝かわいい〟を求めるのは必然で、食べるもの、着るもの、交友関係。そのすべてに母の求めた答えがあって、その問いがわたしの人生の指針だった。

「アンタはどうしたいワケ」

 言われたとき、視界が開けるようだった。

 ずっとずっと、息苦しくて、居場所がなかった。
 肩身が狭かった。
 自分がそう感じていたことに、言われて初めて気がついた。

 明るい金髪、数え切れないピアス、無愛想な美形ゆえの圧、間延びした口調。
 手入れの行き届いた黒髪、着崩すことを知らない制服、美形の圧を柔らかくするための愛想、堅い敬語。
 何もかもが違うわたしたちは、パズルのピースが嵌るように仲良くなった。大抵はわたしが話す内容に彼が相槌を打つ、というかたちでコミュニケーションをとった。

 可愛がっていた娘が恋に現を抜かしているとあっては面白くない。母は当然、交際を反対した。
 従わなければ母に嫌われる。でも彼と出会えたこの幸運を手放したくない。手放すわけにはいかない。説得は困難を極め、結局、母を納得させることはできなかった。

 絶縁覚悟で自立したのは、大学入学を機に一人暮らしを始めたころだった。母は眉を下げるが、わたしにどうしても行きたい学校があったこと、彼とは遠距離恋愛になることから承諾を得ることができた。

 遥か遠くの地で、一人暮らし。羽ばたくきっかけをくれたのは間違いなく彼だ。母もきっとわたしに失敗してほしくないだけだ。わたしが、変わらなければならないのだ。

8/15/2025, 6:19:43 AM

【君が見た景色】


 濡羽色の髪。まっさらな肌。密度の高い睫毛。通った鼻筋と薄い唇がつくる優雅な横顔。

 君の瞳が輝くとき、君の見ている世界に羨望を抱いた。君の世界は僕やみんなの見ているそれとは「何か」が決定的に違って、「何か」が何なのか分からなくて、そのせいで君はいつも独りだった。
 でも、その「何か」が、君は大好きだった。
 だから君は僕を見ないし、見たとしても「何か」を通してしか見られない。
 それがさみしくて、かなしくて、羨ましかった。

8/13/2025, 5:14:43 AM

【真夏の記憶】

 夏になると思い出すことがある。俺が子どもだったころ、とある女の子と交わした会話だ。

 夏休み。小学校低学年だった俺は、祖父の通院に着いて病院にやって来ていた。祖父の診察の間、病院の裏手でトスの練習をして待っていると、ふと音が鳴っていることに気付く。その音は(おそらく)ピアノで、そしてすぐ近くで鳴っていた。何らかの引力によって吸い寄せられるように茂みをかき分ける。
 そこには白いレンガで出来た、大きな洋館があった。洋館はうつくしい庭に囲まれていて、その中心でピアノと少女がいた。
 パッ、と少女がこちらを見た。俺は今思うと、彼女に見惚れていたのだと思う。美的感覚なんてない庶民の俺の唇が、待ち望んでいたかのように動く。
「きれい」
 少女はぱちぱちと瞬いて、ふふっと吐息だけで笑った。
「ありがとうね」
 言って、もう一度ピアノを弾き始める。今度は俺も知っているポップスだ。夏祭りの曲。
「上手なのか?」
 聴き終わってから訊ねると、彼女は晴れやかな笑顔で「いやあ、まだまだだよ」と言った。
「でも、きれいだって思った」
「それはよかった。わたしはもーっとずうっと上手くなるから、きみも頑張んなよ」
 ちょんっとつつくように指さしたのは、俺が抱えるバレーボール。
「ん。そのつもりだ」
「んふ、その意気だ」
 楽しげに笑って、彼女とはそれっきり。
 しかしその数日後、フィギュアスケートの全日本大会で金を獲った天才少女としてニュースに取り上げられていたからだ。驚きが寂しさを塗り替えてしまった。

 俺の初恋の記憶。優しくて、熱くて、負けたくないと思わせてくれる。

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