【誰もいない教室】
司書さんに下校を促されて、集中を切った。時計を見ると現在十七時五十分。読んでいた本の貸出手続きをして、帰り支度を済ませる。
「あれ、」
ペンケースが見当たらない。祖父が入学祝いにと贈ってくれた、細身で革づくりのお気に入り。
「どうしました?」
司書のミヨさんが声をかけてくれる。急かそうとか、そういう思いは感じられない声だった。
「いえ、忘れ物を。教室に寄ってから帰ります」
「あら。それってペンケース? お気に入りだったわよね」
「そうですが」
なぜ知っている?
「ふふ、わかるわよ〜、誰だって。あんなに大切にしているもの」
「まあ、大切なので」
ざっくばらんと言い切った彼女に、ミヨは「まあ!」と照れた。なぜ照れるんだ、とは思ったが、彼女はポジティブ天使なのでなにかが琴線に触れたのだろう。
「気をつけて帰るのよ」
「ええ。ミヨさんもお気をつけて。最近は日が短いから」
「かっこいいわ〜、あの人(夫)に出会ってなければ惚れてたわ!」
「残念です」
◇
教室には誰もいなかった。チラと時計を確認して、少し焦りつつ自分の机の中に置き忘れたペンケースを手に取った。
「あった」
リュックに入れて背負い直したところで、教室が明るくなる。西日が差したのだ。夕に焼けた空は澄んでいて、秋の訪れを感じる。
見惚れていると、最終下校を促す放送がかかった。
「帰るか」
なんとなく、良い気分だった。
9/6/2025, 9:46:23 PM