巡り会えたら
ずっと飼い主が欲しかった。養ってほしいとか面倒を見てほしいとか、そういうわけではない。警察犬とトレーナーのような信頼できるパートナーが欲しかった。自分は犬側であると早い段階で自覚していた。周囲からは「猫気質じゃない?」と言われたが、数人ばかりの友人達は一様に「日本犬」だと言う。曰く、認めた人間の言う事しか聞かないが、一度認めた人間の言う事はよく聞くのだと。時折見せる悪戯心が猫っぽく見えることもあるが、決して逆らうことはないと。
「何処かに飼い主落ちてませんかねー!」
もう何度目か分からなくなった本心をぶちまける。アレルギーで酒は飲めないのでもちろんソフトドリンクの入ったグラスを持って。
「落ちてないよ。落ちてたとしてもあんたは飼い主側だって」
「なぜ!こんなにも犬なのに……」
「この数年であんたの飼い主になれそうな人いた?」
「いなかったからまだこんなこと言ってるんじゃないですか。犬は増えましたけど」
「そうでしょ?あんた完全に飼い主側だから」
通って数年、いい意味で気を使うことをしなくなったキャストの内の一人と、これまた何度目か分からない会話をする。話の流れは毎回一緒で、一つのネタとして定着している部分もある。常連さん達はまたかと笑い、初めて会うお客さんは「え、危ない人ですか」と引いたり好奇の目で見てきたり。別に変な意味で言っているつもりはないけれど、どうも言葉が悪いらしい。だが恋人が欲しいわけではないし、友人は友人であって飼い主とは思えない。パートナーと言ってしまうと語弊が出るから、やっぱり飼い主が一番しっくり来るのである。
それなのにこの数年、増えるのは犬ばっかりで自分が飼い主をする始末。しかも複数人。なんで。
「恋人の方がすぐ出来るんじゃないの?」
「求めてないんですよね、モテないし」
「モテないやつは犬が増えたりしないのよ」
この人は分かって言ってくるからいいものの、自分が言う恋人と飼い主(=パートナー)の違いを理解出来ない人がほとんどだ。恋をしないという言葉の意味がうまく伝わらず、恋愛はするものだという前提で話が進む。それはそうなんだけど。そっちが多数派なんだけど。
「愛情はありますけど恋心はないですからね、求めてるのは飼い主なんですー」
「それ何回も聞いた。だから恋人を飼い主にすれば?」
「え、嫌だ。自分に恋愛感情抱かない人がいい」
「あーそうだった、めんどくさい奴」
別に蛙化現象ではない。単に自分にとって恋愛感情を抱かれることは裏切られたのと同義なだけだ。初対面の時から「付き合ってください」ならばまだいいが、ある程度仲良くなってからの告白は裏切りなのだ。こっちはそういうつもりじゃなかったのに、と。
「まぁそのうち見つかるでしょ」
「見つかるかなぁ」
「もし飼い主見つかってもウチには来てよ」
「そりゃ連れてきますよ!自慢しに!」
巡り会えた今だから笑って話せる過去のお話。
ちゃんと今も通ってます。
奇跡をもう一度
初めて会った時の記憶なんて正直に言ってない。何度か会う内に(いつもいるなぁ)と思うぐらいの客同士。向こうもそんな感じの印象だったらしい。直接絡んだ記憶もあまりなくて、だいたい恋人に振り回されている現場しか見たことがないような、そんな気すらする。あと酒飲み。ザルを通り越してワク。そんな人。
「飼い主が欲しいんですよ!あ、変な意味じゃなくて、警察犬とトレーナーみたいなパートナーの意味合いですからね」
確かバーに通い始めて数ヶ月でそんなことを口走った気がする。言葉に嘘は無かったからか、それともこのバーが色々おかしいのか「分かる!」と言われたのは一人や二人じゃない。キャスト側も「そう、恋人じゃないんだよねぇ」とかそんなことを言っていた。
今までの自分の人生において”恋人”という肩書きの人は何人か居たが、向こうから近寄って来て、向こうが去っていくのを繰り返した。最初に説明しても受け入れてはくれるが、実感してくれる人は居なかった。。
「あなたが思う恋人の関係は築けない」
そう伝えたところで「分かった」とは返ってくるものの、毎回最後は「思ってたのと違う」だの「本当に好きなの?」だの言って去っていく。だから説明したんだよ。自分には”恋愛感情が無いし性欲も無いんだ”って。それなのに根拠の無い自信で「大丈夫」とか言っておいて結局ただただ穏やかな関係性に耐えられなくなるんでしょう?好きなものを嫌いと言ってしまう程子供ではないけれど、好きではないものを好きと言える程大人ではない自分も悪いのかもしれないけれど。
「どうもフラれたんだよ」
「あぁ、通りであの荒れ具合」
「ヤケ酒にも程があるけどね」
「今までになく大荒れでは?」
話は現在に戻って、1年と少しぐらい前。その時点で君とはバーで会えば声を掛けて隣に座る程度の仲にはなっていた。でも人が多ければその時空いてる席に座る程度の、ご飯に行こうって言い合っているのに全然連絡先を交換しない程度の関係性。その頃君には恋人がいたけれど、何やらフラれて荒れに荒れているというのを人伝いに聞いたし、実際目撃もした。でもそんな失恋をイジれはしない、そういう関係性。
ともかく、君がフリーになったのだと知ったのはそこで、その時点で自分は君と一緒になる算段をつけて行動を始めたのだけれど、今思えばなんでそんな考えに至ったのか自分でも分からない。タイプでもないのに。
奇跡は偶然の頂点とも言うけれど。君にとっては不運が重なった頂点があの頃で、自分にとっては幸運が重なった頂点があの時だったんだと思っている。確かに自分も努力はしたけれど、君がその間に新しい恋人を作らなかったのは奇跡なんじゃないかって。だからもう奇跡は起きないかもしれないし、今この瞬間も君と過ごせているのは奇跡の連続なのかもしれない。どっちにしたって、奇跡をもう一度なんて他人事にするつもりはないけどね。
たそがれ
たそがれ、ねぇ。黄昏、黄昏時、黄昏れる。言い換えて誰そ彼時とか逢魔が時、古風な感じで暮れ六つとか。風景的な意味で使うか、本来の意味で使うか。いっそのことテーマの文言を使わずにテーマを表現するとか。
「見たことないぐらい難しい顔してる」
今日のテーマを見て、ぶつぶつと独り言を言っていたようで。そういえば君のリクエストで近所のファミレスに来ていたなと現実に意識を戻す。君は別に怒った風もなく「そんな難しい顔出来たんだね」と何やら失礼な評価をくれていた。
「そんなことある?難しい顔してることあるでしょ」
「ないよ、いっつもぽや〜ってのほほ~んってしてる」
「そうなのか……」
言われて少し考えてみたけれど、そもそも好意を持っている相手と一緒にいて、そんなに気難しい顔をする人も珍しいのでは。きっとその人はとんでもなく照れ屋さんで表情筋を一所懸命引き締めてるだけの人だったりしない?しないか。でもそう言われると何だか自分が締まりのない顔をしていると言われているみたいで不服です。
「締まりはないんじゃない?幸せそうな顔しやがってとか最近よく言われてるし」
「言われるけどしょうがないね、幸せだもん」
「そういうとこじゃない?」
元々飲み屋というか、君とはバーで知り合った。自分はアレルギーがあってお酒は飲めないけれど、キャストの人達が面白くてお客さん達がいい人達で、気付いたら通い始めて数年は経っている。知り合ったのは4年ぐらい前だけど連絡先を交換したのは今年の4月だと言うのは掴みとして最高で、その間に3回フラれたけど結婚予定です付き合ってはないですけどねという鉄板ネタが完成して今に至る。変なの。
「今日のテーマが『たそがれ』なんだよねぇ」
「書けないなら書かなきゃよくない?」
「書きたいじゃん、自分じゃ考えないテーマだし」
君は創作を生業にしていて、この手の話には理解が深い。自分はただの趣味でやっているだけだから、そうなるのは必然なんだけど。結局ファミレスでは『たそがれ』というテーマで筆が乗ることはなかった。
きっと明日も
「働きすぎだ」と叱られて調整したシフトは、それでも休日を多くは取れない。片や週6日、片や週5日。流動的なシフトと固定シフト。よほど運がいいか、意図的に休みを取らなければ2つのバイト先の休みが被ることはほぼない。これでもバイトを1つ減らしたから、労働時間で換算すればかなり楽になっているのだ。「そういうことじゃない」と君は眉間に皺を寄せるけれど。
得てして会える時間は限られる。どちらかのバイト先が休みでなければ、家に帰って寝て起きたらバイトに行く時間になってしまう。君はいつでも家に来ていいと言うけれど、行ったところで睡眠時間に大半を取られて君と言葉を交わす時間もない。かと言って、睡眠時間を犠牲にすると君は怒ってくれるから。
「今日家に行っていい?」
『今日はいないよ、日付が変わるぐらいに帰る』
「そっか、しょうがないね」
『遅くていいならおいで』
少しだけ体調が悪くて、なんとなく疲れが溜まってる感じがして。こういう時に顔が見たいと思うぐらいには君を大事に思っているらしい自分に呆れながらメッセージを送ったら、すぐに返信が来た。フリーランスで仕事をしているけれど一旦事業を畳むのだと教えてくれた君は、ここのところ夜は出掛けていることが多い。クライアントの希望で直接会って会議をするらしい。自分にはそれが普通なのかそうでないのか分からなくて、いつも「お疲れ様」と言うしかない。
『帰る前に連絡するからね、それまで寝れる?』
「寝れるかな、分からない」
『大丈夫だよ、もし寝れなかったらうちで寝たらいいから』
「ごめんね」
『いいよ、家にいなくてごめんね』
君は君自身のことを”クズ”だと呼ぶ。普段なら否定するのに、こういう場合に関してはその通りだと思う。優しいクズだ。こちらを肯定しておきながら、要求を完全に飲むことはしないのに拒否を示すこともない。代替案を出しているように見せて、その実、君の都合の通りに展開を運ぶ。元より反抗する気はないけれど、きっと一生君には勝てないのだろう。
だから、きっと明日も聞いてしまう。「家に行っていい?」って
静寂に包まれた部屋
パシャパシャと音がする。音の主は未だに名前を覚えられない種類の亀で、調べたところ原産国はアメリカらしい。当初の予定より大きく育ったのだと君が嬉しそうに話すから、亀のことはよく分からないけれど愛されて育ってるんだねと話し掛けることから始めた。
人間のことが大好きらしいこの亀は、人間が動くと一緒になって動くから。寝ている君を起こさないようにとせっかく静かに起きたのにパシャパシャと音がする。
「ね、シオちゃん、しーだよ」
小声で話し掛けてみてもパシャパシャと水をかくだけで一向に大人しくはなってくれない。しょうがないか、亀だもんね。
独りごちて、薄暗い部屋の中をそっと移動して仕事着に着替える。昨日は遅くまでゲームをしていたから、きっと朝のお見送りはない。起こしたいわけでも起きてほしいわけでもないから、どうかそのまま眠っていてと心の中で話し掛ける。
玄関まで来ればさすがに亀だって大人しくなって、部屋は静寂に包まれる。ワンルームのアパートだから玄関からでも亀の水槽は見えるのだけれど、亀からは見えていないらしい。かわいいね。
ここは君の部屋で、自分は今のところただの訪問者だから。教えてもらった場所から鍵を取って、外から鍵を掛けたらドアの郵便受けにそっと落とす。カランという音が響いて少しだけ心がざわつく。
起きないでね、君の邪魔にはなりたくないから。