今日もテーマから逸れた話をします。
全く「ラララ」してません。
真面目なお話です。
「終わらない物語」(再投稿・途中書き)
毎日の繰り返しに少し疲れちゃう時がある
未来が見えなくて希望が持てない時がある
自分を貫けなくて流されてしまう時がある
この世界に私は必要ないんじゃないかって
むしろ邪魔な私はいない方がいいのかって
ぜんぶ私のせいだって責めるのは楽だから
叫び続けている声に気づかないふりをして
強引に私の心に鍵を掛けて自分を卑下する
だれかが私に同情して救ってくれることを
この状況をおかしいと言ってくれることを
ほんの少しだけ心のどこかで期待しながら
そんなことは起こらないんだと気付かされ
絶望する毎日をただただ繰り返し生きてる
……………………………………………………
「終わらない物語」みたいにつらい思いを抱えながら生きている方がいらっしゃるかもしれません。
私は昔、生きるのがつらくて消えちゃいたいと思う日がありました。
心に余裕がなくて大切な人を傷つけてしまったり、周囲の人を困らせたりしました。
でも、たくさん傷つけてしまったのに周りの親切な人たちは私の心に寄り添って共感してくれました。
生きていてほしいと泣きながら伝えてくれる人もいました。
相談窓口やカウンセラーの存在を教えてくれたり、自分では対処することが難しいからと周囲の信頼できる大人に相談してくれる人もいました。
貴方にも必ず貴方のことを大切だと思っている方がいるはずです。
私はこのアプリでしか皆さんのことを知ることはできませんが、皆さんの文章をいつも楽しみに読ませてもらっていますし、皆さんが幸せに生きられたらいいなと願っています。
もし、今貴方が深刻な問題を抱えて心が折れてしまいそうなら、ひとりで悩みを抱えず周りの人に助けを求めてみてください。
人生の様々な場面で深刻な悩みを抱えたときに人を頼ったり相談が出来ることはとても大切で、人に助けを求めることは「援助希求能力」といって積極的なストレス対処法の1つだそうです。
このアプリに助けてほしい、毎日がつらいと訴えている人は皆、ちゃんとその才能を持っていてその能力を発揮できているんです。
すごいことだと思います。
助けを求めることは決して恥ずかしいことでも情けないことでもありません。
昔の私のように誰かを傷つけてしまう方が恥ずかしいし情けないです。
人に迷惑を掛けたくないという気持ちが強い優しい人ほど悩みをひとりで抱えてしまいがちだけど、貴方を大切に思っている人はきっと嬉しい気持ちも悲しい気持ちも一緒に分かち合いたいと思っているし、助け合える仲でありたいと思っていて、決して迷惑だなんて考えてないと思います。
もしも周りの親しい人に話しづらい場合は相談窓口を利用するのもおすすめです。
私は電話が怖いので、LINEでの相談をよく利用していました。
一緒に解決に向けて建設的な話をできたので利用してよかったです。
他にも学校のカウンセラーさんにも相談してみたことがあります。
学校にもよるかもしれないけど、学校のカウンセラーさんは問題を解決するよりは悩みを聞いてもらって寄り添ってもらう感じでした。
また人によってはちょっとハードルが高いかもしれないけど、精神科もおすすめです。
私は悩み事とは関係なく、軽度のADHDで精神科に通っていて、そこでのカウンセラーさんとは感情のコントロールや相手に自分の言いたいことをうまく伝える練習をして、より生活しやすいように努力しています。
精神科は偏見が多そうだけど、病気や怪我をしたら病気を受診するように、心も風邪を引いたら病院に行くのは当たり前だと思うし、精神科は普通の病院と特に雰囲気は変わらないな、と思いました。
(恥ずかしながら、精神科は少し怖いところだと思っていました。ごめんなさい)
ここまで私の経験談・主観的発言を読んでくださりありがとうございます。
もし参考になれば幸いです。
(余計なお節介だったり、不快にさせてしまったらすみません)
私は皆さんのことを直接励ますことはできないけど、皆さんのことを応援しているし、あまり助けにはなれないかもしれないけれど、なるべく皆さんの力になりたいです。
だから、もう十分すぎるくらい闘ってきたと思うけれど、あと少しだけ、頑張らなくてもいいから生きてほしいです。
私の心からのお願い。
また明日。
「ラララ」
今度しっかりオリジナルで書くけど、今日は私の好きな本から引用させていただきました。
「うたをうたうといいよ。かなしいときはね、すきなうたをうたうと、じかんがたつよ。」
市川朔久子『小やぎのかんむり』
講談社.2016
テーマから逸れまくっていて、風さん全く仕事してないけど許してください。
風が運ぶもの→風の噂→風評被害→批評→区別・差別
と連想ゲームして到達してしまった。
ちゃんと「風が運ぶもの」という鍵で私の頭の中の引き出しを開いたから全然関係ないはずは…
(本当に関係ないです、すみません)
風が運んできたのがこのお話ということで!
「風が運ぶもの」
小学生の時、図画工作の授業で作品鑑賞をする時間があって、私は皆の作品を見て真似したいところをメモしていました。
でも、気に入った作品の感想欄には3つしか枠がなくて。
どれも素敵な作品だったので、選ぶのがとても難しかったけど、良いところの多いと思った作品を書こうと決め、再度見てまわりました。
感想を書く時間も考えると、時間があまりなかったので、クラスメイトの名前の隣に正の字を書いていっていると、「最低!人の作品を評価するなんて。神様にでもなったつもりなの」とクラスのある人から言われました。
人の作品を評価することが神様のすることだって知らなかったので、そんなつもりはなかったと言って、気に入った作品の感想欄に大きく「神様じゃないので書けません」と書いて提出しました。
提出された用紙を見た先生は真ん中にちゃんと真面目に作品鑑賞をやりなさい、と赤ペンで書いて私に提出した用紙を返却しました。
至って真面目に作品鑑賞をやっていた私は納得がいかず、あの教えてくれたクラスメイトがどう書いているか気になって見に行くと、気に入った作品の感想欄にはその人とよく一緒にいる3人の友達の名前が書いてありました。
その後、どうしたのか覚えてなくてなんとも後味の悪い話になってしまってすみません。
ただ私がこの話でよく思うのが区別と差別はどう違うのか、ということです。
調べてみると大体どの辞書にも次のような意味が載っていると思います。
区別…物事の客観的な違いを認識すること。
差別…合理性のない価値観を持ち込み不当に扱うこと。
一般的に差別は良くないこととされているけれど、そもそも今回の話のような作品どうしを比較し批評することは区別なのか差別なのか。
他にも身近に物事を分け隔てて考えることってありますよね。
問題はそこに差があるかどうかです。
例えば、好き嫌い。
好きな人・嫌いな人は区別なのか差別なのか。
友達・親友は区別なのか差別なのか。
(こんなことを考えてるから恋愛ができないんだよ、と言われたら本当にその通りだと思う…降参)
ここまでつらつらと述べてきたけど、区別なのか差別なのか、答えはいまだによくわかりません。
女性専用車両や優先席は基準に沿って分け隔てているけど、それは区別なのか差別なのか、もし差別であったとしてその差を埋めるために必要な配慮であるのかないのか、とか考えると、差別も必ずしも悪なのかどうか分からなくなってきます。
ただ、わからなくても区別なのか差別なのか考えることって大事で、私の区別が相手にとって差別だと感じさせてしまったらそれは差別なので、私の発言が相手を不快にさせていないか考えられる人でいたいです。
途中書きです。すみません。
常々、私が本当に賢いと思う人には3つの特徴があると思っていて。
(ここでの賢い人は勉強ができるとか、頭の回転が早いとかの意味に近いです)
①とことん調べる。
気になったことは何でもすぐに調べて、疑問から答えを見出すまで調べ尽くす。
→小さい頃からその癖のある人は図鑑の何ページに何が載ってるって言える人が多い気がする。
②例え話が上手い。
説明するときに話題に沿いつつ、相手の興味を引き出す例え話をする。
→身近なところだと、学校や塾の先生かな。友達の中にも教え上手な人がいるよね。
頭の中で順序立てて例え話も組み込むのは結構難しいことだと思う。
③物事をシンプルに捉える。
複雑な物事から法則や規則を見出して単純化する。
→教科書に載ってる偉人が主に当てはまるかな。
数学の公式を美しいと思っている人もシンプルに捉えるのが好きで上手な人たちだと思う。
以上、私の偏見でした。
(偉そうに見えたり、不快に思わせたらごめんなさい)
私は勉強が好きだったからある程度はできたけど、すごく賢い人たちがたくさん周りにいて、この人たちに追いつくのは無理だとある時思いました。
(無理だと思うから無理なんだ、って言われたら何も言う言葉がない…降参)
それで、
Q.なぜこの人たちがあんなにも賢いのか?
と考えた結果、
昔はA.勉強しているから、だと思っていてもちろんそれも正解だと思うけど、
今→A.①〜③のどれか1つでも当てはまっているから、が一番近いんじゃないかなって思いました。
また異なった意見があったら機会のある時に教えてくれると嬉しいです。
皆さんの文章を楽しみに、忙しくない時はなるべく読んでいるので。
…ここまでの文章で私の学の無さが露呈しそう。ま、いっか。
今回の前書きが「question」に関係するので、長くなったけど書きました。
読んでくれた方々ありがとうございます。
また今度「question」を書きます。
なかなか書けずすみません。
「question」
高度な次元で3人寄れば文殊の知恵を実現する話。
(↑読んでも意味のわからない文章でごめんなさい。でもこれ以上うまく説明できない…)
途中書きです。すみません。
「約束」
約束を守らなかった君をもう許そうと思っていた。
永遠に怒るのも失望するのも疲れる。
それに君は反省して私との信頼関係を取り戻そうと努力しているように見えたから。
でも、私の勘違いだったみたい。
少しずつ心を開いていたけど、完全に心から許すことがどうしてもできなかったあの頃。
「もう少し信頼してくれてもいいじゃん」
ある時君は私にそう言った。
思わぬ発言に声が出ないでいると周囲にいた君の友達から「えぇ〜、信用してあげてないの?あぁ、例のあれのこと?まだ根に持ってたわけ、ありえなーい。かわいそぉ〜」と言って睨まれた。
困ったように眉を下げる君、君を憐れみつつ私を責める君の友達、その騒ぎを聞きつけ何があったのかを囁くクラスメイト達。
君を信頼していない私がわがままで悪役で。
君はまるで許されて当然のような。
そんな空気に心が押しつぶされそうになって喉がかすれる。
「…っ、あんたが約束破ったからでしょ!?」
勇気を出して言えたのはそれだけ。
その場に立っていられなくて急いで教室を出て、一刻も早く誰もいないところへ、と廊下を走る。
お気に入りの空き教室にたどり着いたとき、
突然痛みを感じて無意識に強く握っていた手のひらをゆっくりと開くと深い爪痕が残っていた。
堪えていた涙が溢れて止まらなくなる。
私が心から受け入れていればよかったのか。
それが友達を大切にするということなのか。
でも私は完全に心を開くことはできなかった。
楽しく君と過ごせていても、約束を守れずに周囲を困らせている君を見るたびにあの嫌な出来事を思い出し、無意識に君を警戒する。
以前のような関係にはとてもなれなかった。
「間違ってねぇよ」
突然後ろから声が聞こえて振り向くと、聞くつもりはなかったんだけど、と頭をかきながら教室のドアに先生がもたれて立っていた。
知らない先生だったけど、ジャージ姿だったから体育の先生かな、と思った。
約束を破られたら誰だって不信感が募るもんだ、何も間違ってないと何度も言われて私は少し落ち着き涙を拭う。
どうしたら良かったんだろう、といつの間にか呟いていたみたいだ。
「信頼を築くには行動しかない」
その友達に言ってやれ、と去り際そう言われた。
あの時の「もう少し信頼してくれてもいいじゃん」という言葉の違和感。
君は信頼してほしいと言ったけど、信頼って相手に直接求めるものじゃなくて、自分から得にいくものであって、自分の今までの行動の積み重ねで変わることなんだって。
信頼は、君次第だ。
途中書きです。すみません。
「ひらり」
そう言えば僕が先輩と出会ったのはちょうど桜が満開の頃だった。
高校入学式に欠席してしまって、もうクラス内で輪ができていたらどうしようと、なんとなく新しい教室に入りづらくなってしまった僕がやっと勇気を出して学校に来たその日、
突然上から降ってきたのが先輩だった。
ちなみに先輩は降ってきたではなく、ひらりと地上に舞い降りた、だと頑なに言い張っているが。
ひらりと地上に舞い降りた、もあながち間違いではない。
その表現にしっくり来てしまうくらい先輩はどこか掴めない人だった。