1年間を振り返る
お気に入りの作品ができた。8つも。嬉しい。
珈琲の匂いと焼いた食パンに溶かしたバターと苺ジャムを塗った味がする。作品の傾向。
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:夢見る心 2024/04/17
懐かしい、似ている。美しいあの人の子守唄に。
美味しそうなソーダを目から溢れさせ、美味しそうなパン生地のゲロを吐く。苦しそうにえずいて吐瀉物を滝のように吐き出す様はそれはもう……なんと言い表せばいいのか。愛おしいよ。可哀想って愛着が湧くじゃないか。
人魚の涙は色々な逸話があるそうだね。宝石になるとか、幸福を呼ぶとか。じゃあ、あの人の涙だってきっと何かある。コップに溜めて口にしてみたい。何もなくたっていい。味を知って喉に通せたらそれでいいんだ。わんわん泣いているから空気を含んでパチパチしていそうだろう?きっと塩ソーダ味だ。まずはぬるいままいただいて、次に冷蔵庫で冷やして飲もう。
「運動しないと、最近太ってきちゃった」と言っていた腹の肉はちょうど食べ頃で、脂があって焼けばジューシー、美味しそうだ。腹もいい、けどそれよりもっと腕か手を食してみたい。よく使っている右腕が良い。肘の関節を外して、前腕と手を皿の上に乗せるのだ。フラットウェアを用意して、椅子に座ってさあいただきます。
あの人が作ってくれたフレンチトーストの味が忘れられない。あのフレンチトーストはあの人の右腕から作られている。ならばその右腕だって美味しいはずだ。不味いわけがない。焼いて煮て、そのまま味わってもいい。
あの人はスラリと伸びた美しい指でハンドクリームを塗っていた。その美しい指先を胃袋に入れたかった。腕は咀嚼してみたい、しかし指は丸呑みがいい。小指の先だけでもいいんだ、丸呑みしたい。
全身食べたいとは言わない。死なれたら困る。二度と優しい声が聞けなくなって、柔らかい体も温もりも感じられなくなって、美味しいフレンチトーストも食べられなくなる。それは嫌だ。だから腕だけでいい。利き手を奪ってしまうのは忍びないが、左手で頑張っておくれ。どうしても右腕が食べたいんだ。
まあ、もうあの人は殺してしまったがな。
美しいあの人が歌ってくれた子守唄に似ている。
お前の利き手は右か?左か?フレンチトーストはお好き?良ければ作ってほしい、食べてみたいんだ。探している味があってね。そっくりなら、有難く頂戴しよう。
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:初恋の日 2024/05/08
しらないせかい、つれていってくれた。
ずっとあたまがいたくて、ずっとめをつむってばかりで、くらくておもいせかいから、まぶしいみちなるくうかんへつれていってくれた。
ふわふわまほうのじゅうたんにのって、みつのようなあまいけむりがじゅうまんして、ぎらぎらかがやくうちゅうへとんで、まーぶる、まーぶる、せかいがはでにいろづいて、うえへしたへみぎへひだりへぜんしんがみょんみょんのびてゆがんでいって、いろんなほうへはじけてひろがる、あたまがじゆうになっていく。
ときのながれがおそくって、べつのくうかんにいるみたい、とけいのはりがぼやけてて、すすまない。ああ! えいえんがここにある! ずっとこのままみをまかせ、いろんなせかいへ、ずっと、ずっと、とばしとばされ。
ほしのなかへとびこんで、カンカンカン、へいこうかんかくなくなって、このさきつづくどこまでも、あるいてあるいてヒュウヒュウヒュウ。からだのかんかくなくなって、うまくうごかなくなって、それがなんだかへんてこで、ここちいい。
あおいつららがつらぬいた。ちかちかひかってしろとんで、すっぱいにおい。しろくなって、ちゃいろくなって、くろくなって、黒くなって、黒く、重く、臭く、頭がかち割れる、胃が回る、喉が熱い、痛い、気持ち悪い。どこか、どこか、どこかへはやく。
てさぐりでさがすはつこいのひ、またしらないせかいへつれていって。
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:透明 2024/05/22
ぷかぷか、ぷかぷか、海に浮かんでる。
波の赴くまま、流されるまま。
ぷかぷか、ぷかぷか、月を見上げる。
ぼんやり宇宙に浮かんでる、月。
ぼくとおそろい。
ぷかぷか、ぷかぷか
くふふ、くふふ
ぼくたち、いっしょ
ざざーん、くふふ
ぼくたち、とうめい
誰かが照らし出すから見えちゃうんだ。
ぼくたち、静かに浮かんだるだけ。
静かに、ぷかぷか、くふふ、くふふ
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:降り止まない雨 2024/05/26
――雨だ。雨が降っている。
朝のコーヒーを飲みながらリモコンをテレビへ向ける。数回押しても中々反応しないことに若干苛立ちながらボタンを連打した。リモコンを投げかけたころで漸く点いた画面で夕方から雨だと知る。
――奇妙だ。
瞬間、手を滑らせてコーヒーを胸元にぶち撒けてしまった。白いシャツに茶色がどんどん伸びていく。取り敢えずシャツのボタンを外し内外両方からティッシュで吸わせようとしてみたが正直もう面倒くさい。これは諦めてさっさと洗面所へ行って身支度を整えることにしよう。
雨の日は奇妙な心地になる。頭の中がぼやぼやして重く、思考が纏まらないし、不注意も増える。しかし不思議と安心感もあるような、そんな心地だ。
湿気が多いからか毛先が勝手に遊んでいる。アイロンで形を整えようとすればするほど崩れワックスをつけても思うようにならず可笑しな髪型になってしまった。大きく溜息をついて鏡に映る自分を見つめる。さっきこぼしたコーヒーがよれよれのシャツに染みを作って、これはもう駄目だなと思ってしゃがみ込んだ。今日は低気圧の影響もあるのか気分が悪いし体がダルい。何もかもが上手くいっていないような気がしてくる。
気が付いたら洗面所に横たわっていた。全身の筋肉が固まって痛む中、手をついて上半身を持ち上げる。小さな窓から見える色は随分暗くなっていて、外は雨が降っているようだ。慌てて時刻を確認するともう夕方になっており、朝からそのまま眠りこけていたらしい。いつの間にか一日が終わろうとしている。寝起きの回らない頭で虚無感に苛まれながら、ああどうしようかと暫く考えあぐねていた。
仕方がないのでまったり一日の終わりを味わうことにする。カフェへ行って美味しいコーヒーと何かを食べながら、溜まっている本でも読もう。
寝癖でより酷くなった髪をなんとなく整え、どれにしようかと悩んだ挙句その辺に放置していたシャツに着替え、適当な鞄を引っ掴み本と財布と鍵を突っ込んで傘を持って家を出る。もうすっかり夜の帳が下りていた。
カランカランとベルの音を鳴らしながら扉を開けると「空いているお席へどうぞ」と言われたので二人がけのテーブルへ向かう。ソファにそっと腰を下ろすとふかふかで優しい感触がした。
右側に窓があり雨が降る様子が良く見える。オレンジの街頭に照らされ落ちる雨が好ましい。外の様子を見るのもほどほどにメニューを開く。ホットコーヒーとミニシフォンを注文し、鞄から本を取り出した。
本は好きでも嫌いでもない。なんとなくダラっと読むのが心地よくて読んでいる。読んで、読んで、読み進めるうちにどんどん脳みそがきゅうと本に引っ張られていくような感覚がしてくる。コーヒーを口に含んで、読んで、苦味を味わって、読んで、鼻から抜けていく香りを楽しんで、読んで、読んで、そして、そして、こうやって、現実と文章の境目が埋められて……。
視界の端、オレンジに照らされた雨がきらりと光った。
――あ。
――雨だ。雨が降っている。
雨が。
「雨が、降っていますね」
咄嗟に隠すように本を下げて顔を上げた。誰かが向かい側のソファに座っている。緊張の所為で声が詰まってなかなか第一声が出ない。
「……うですね、雨が、降っています」
「雨は好きですか?」
「いえ……特には」
「……そうか」
そう言って微笑む……中性的な見た目に加え、女とも男ともとれる声色なことも相まって、彼というべきか彼女というべきか。
「気にせず呼べばいい。呼び方も名前もなんでも構わない。呼称なんぞあったところで無意味なのだから」
――奇妙な人だ。
人の向かい側に許可もなく座り堂々と話しかけてくる神経はなかなか理解に苦しむ。しかし不思議とこの人からは嫌な感じがしなかった。寧ろ馴染みがあるような気さえしてくる。
それにしても呼びかけるものがないというのは困った。なんと呼べば良いものか。
「…………お困りならば『隣人』とでも」
頭を垂れてまた柔らかく微笑み、続けて言う。
「せっかく出会ってくれたんです。珈琲の一杯ご馳走させてもらうよ」
“隣人”は置いてあった空のコーヒーカップを並々注がれたコーヒーカップと取り替えた。その態度は実に恭しい。状況に困惑しながらも新しいコーヒーカップを摘み
「ありがとう、有難く頂戴するよ」
と一言添えて啜った。さっきまで飲んでいたものよりどこか味が薄いような気がする。というより感覚自体があまり働いていない。鼻から抜ける香りもあまりせず、喉の通りもただの液体を流し込んでいるようだった。
「少し話をしよう。なに、君の本と同じ、ただの時間つぶしさ。難しいことは何もない」
――――あれ。
――――――奇妙だ。頭が。
例えば記憶を消せる薬があったとしよう。その薬を飲んで記憶を消したその人のことを、どこまで“その人”だと言えると思う?
誰かに成り代わり誰かの心情を書いてみたとして、それは“理解”と言えるだろうか?
所詮作り物だ。想像できる範囲でしかないのだから。ならば私も……。
最低、大嫌いと捨て台詞を吐いてしまうのは寂しいから……というより、酷いことを言うことで記憶に残そうとしている、というのはどうかな。自分を見てほしい、覚えていてほしいが為に。
相手を肯定し慈しむことで結果的に自分を愛することに繋がっているんだ。
……
…………
………………
「私はね、貴方に……私に、見てほしいが為に傷つけて、そして自分を愛したいが為に気まぐれに慈しむのだ。実に自分勝手だろう? 幻滅するかい? ひどい、酷いことは…………。すまない、愛している、大事にすべきなのに」
――冷たい肌の感触が私の頬を覆っている……雨の音が聞こえる……そうだ、雨が降っていた。雨が…………。
息を吸った。顔を上げる。頭の中がぼやぼやする。しかし不思議と心地よい安心感もある。先程まで誰かがいた気がするが、目の前には誰も座っていない。飲みかけのコーヒーと手を付けていないミニシフォンが机の上で静かに佇んでいる。コーヒーを啜ってみたがすっかり冷めきっており、少し酸味が強くなっていた。
視界の端でオレンジに照らされた雨がきらりと光った。
――隣人。
とは、なんのことだろうか。
静寂の中、雨だけが降っている。
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:「ごめんね」 2024/05/30
首と胴を自力でくっつけるのには苦労したよ!
あと四肢もばらばらで大変だった。
でもなかなか楽しい作業だったよ!
頑張ったおかげですっかり元通りだし。
体の調子はどう?悪くなってないといいな。
血液より愛を込めて。
今観ている君は模倣品だ/君の思考に触れ形をなぞり噛み締め味わったとて、それは既に偽物なのだ/本物の味が知りたい/君だって同じ気持ちを抱えている/それだけが救いだ/
食人、とは何とも魅惑的だ/僕のこれは食してしまいたい衝動に駆られるほどその人を味わい尽くしたいという現れだろう/その人を理解したくなったとき僕は無性にその人を食してしまいたくなる/クールー病になり死に至る点を考慮すると互いに切り落として互いに食べてしまうのが良いかもしれない/そしてできれば一緒に味の感想を言い合いながら死んでしまおう/
二人歩いた水辺をやたら低い目線でもう一度歩く/歩いた跡は波と砂にゆっくりと呑まれてゆく/歩いた跡は消え、忘れられ、最初から無かったかのようだ/記憶も平らになり色褪せ、追体験しながら重ねて観たものは既に創作となる/
君はどこへ行ってしまったのだろう/君からの「ごめんね」の手紙を何度も読み返してもうクシャクシャだ/逃げてしまったのだろうか/死んでしまったのだろうか/どこを探しても見つからない/
あの日は月がきれいで「月を見よう」なんて名目で海辺まで連れられて月を見に行った/月明かりできらきら輝く水面と、染みのついた砂浜/潮の匂いと鉄の匂いが強かったのを覚えている/手を繋いで家に帰った/君の手のひらは冷たいのに生温かくてやけに温度差があった/
砂浜に座り込んで、こうやって月を眺めていた/こうやって/
あ/
嗚呼、なんだ、死んでしまったのは僕だったようだ/
僕は家に帰ることなく、あの場所で掻っ切られた/君は海で処理をした後、家に持ち帰って僕を食べてしまったのだろう/「ごめん、ごめんね」と言いながらバクバク食すのだ/手紙の「ごめんね」はそういうことだろう?/嗚呼、ごめんね、こんなことで僕は怒ったりしないのに/本当のところ、やはりお互いの気持ちなんて通じていなかったのかもしれない/
それでも、君の血となれることがこんなにも嬉しい/
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:街の明かり 2024/07/08
嬉しそうに「好きな人ができた」なんて言うから、なんかムカついた。は?なんで?自分がいるのに?って言葉が喉までせり上がってきたけど、やっぱり続けて嬉しそうに「好きな人がいるって幸せなんだな」なんて言うから、急にどうでも良くなった。こいつは今までこっちのこと好きじゃなかったんだなって。いや自分もだけど。こっちだって別にお前のこと恋愛的に好きとかじゃないよ。でもムカついた。恋人なんかいらないじゃん、面倒くさいだけだよ。なのにさ、お前、そんな幸せそうに話しちゃって。勝手にしろよ。お前の惚気とか今後ぜっっってえ聞いてやんねえ。
全ての荷解きを終えてベッドに飛び込む。窓の外を見やると青紫の空が赤色を覆い隠そうとしていた。ふと気になって体を起こし、側にある窓を覗き込む。
六階からはいろんな景色が見えた。少し遠くの方にはオレンジ色やレンガ色の細長い建物がギュウギュウに建ち並び、もう少し視線を落とせば広めの公園があって、黄色い葉をつけた木がずらりと並んでいる。オレンジ色の街頭が石畳をぼんやり照らし出しているのが物珍しい。このオレンジの光も、石畳を歩き慣れるのにも、しばらくかかりそうだ。
見知らぬ街で一人、ここで生きていくのだ。あいつから逃げるように飛び出してきた、あの街へはしばらく帰らない。帰りたくない。お前の顔なんか見たくない。
道行く人々を眺めながら、そのコートあいつが着てたやつに似てるなとか、そのスニーカーあいつが好きそうだなとか、数年経って容姿も趣味も変わってるだろうに昔のお前のことばかり考えている。だって今のお前のことなんて何一つ知らない。
メッセージを未だに送ってくれてるみたいだけど、通知だけ見て返信はしてない。そのくせ今頃あいつは何をやってるだろうなんて思ってる。
誰かと揉めて怪我でもしてんだろ。だってあいつ、喧嘩っ早いし。相変わらず鈍くさくて、不器用で、要領悪くて、色んなことに苦戦してるに違いない。最近ひとり暮らしを始めたってメッセージが届いてたっけ。あいつ家事とかできてんのかな。レンジでさつまいもを炭に変えたことまだ覚えてるかんな。それからタルトを床にぶちまけたことも。人の誕生日覚えるのが苦手なのにせっかく覚えてやって、しかもお前が好きなベリーのタルトまで選んで買ってきてやったってのにさ。鼻歌混じりに冷蔵庫から持って来るほど上機嫌だった奴が、一瞬でやっちまったって顔で青ざめるもんだから、なんかもういっそ面白くて。
勝手に裏切られたみたいな気持ちになって飛び出してきて、一人で生きていくなんて豪語してたくせに、数年経ってもお前の事ばっかり思い出して考えてる。
忘れられない日々を作ってしまったからこの気持ちを飲み込むことができない。でもやっぱりもうそろそろお前に会いたい。だから、窓から見えるあの木の赤い葉が全部茶色くなって落ち葉になったら、最後の一つがひらひら落ちてしまったら、いよいよお前への気持ちを打ち消して、何食わぬ顔でお前の部屋の扉をノックする。久しぶりだなって。そしたらきっと「今までどこで何してたんだ!?」とか「返事くらいよこせよ!」とか言ってくるんだ。まあまあって誤魔化して、手土産に持ってきたベリータルト渡しながら「落としたりすんなよ」って揶揄ってやる。それでどつかれたら、すぐキレんじゃんやっぱお前相変わらずだわって笑って言ってやる。もし別人みたいに変わってたってそれはそれで構わない。だってお前のことなんて好きじゃないから、どんなお前でも別にいいよ。
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この作品には以下のような内容が含まれています。
・暴力的な描写や身体的な苦痛
・精神的な苦痛やトラウマに関する内容
:つまらないことでも 2024/08/05
青い色した丸型のデカいゴミ箱の蓋を開けると獣臭がした。ゴミ箱の中にいるお前をただ見詰めるしかできなかった。
――あ……はは、きっと近いうちに捨てられるんだと思う。僕どうなっちゃうんだろ……。
――どうもしねぇ、さっさとソイツから離れりゃいいんだよ。捨てられる前に逃げろ、そしたら匿ってやれる。
そんな会話をした翌日から音信不通になった。こんなゴミ溜めで異臭が漂う中、ゴミ箱ん中詰められて、何やってんだ。胎児のように丸まっているが足が見えない。膝から下はどこに行ったんだ。右腕も無い。どこだ、どこに、そもそもお前、生きてるのか。なんで逃げなかったんだ、なんでこっちに来なかったんだ。ヤベェ奴から逃げて隠れて安静にしてりゃ傷も癒えて元気になって、したらそのうち堂々と外出れるようになるはずだったろ。捨てられるって比喩だろ、なんで本当にゴミ箱に詰め込まれてんだよ。なんでお前は、早く連れて帰んないと、なんで
「ねえってば!!」
「あ!?」
体が跳ねた。なんだここ、世界が横向き……いや違う、自分が寝転んでいるのだ。
「酷いうなされ方してたから起こしちゃった、ねえ、大丈夫? あ、お水持ってこればよかったね、すぐ取ってくる!」
肩に置かれた右手、歩いていく姿、手も足もちゃんとくっついてる。
「お前、生きてるよな、手足もちゃんとあるし……」
「手足? 幽霊じゃないし生きてるよ、大丈夫……もしかしてまたあの夢?」
水を受け取って落ち着かない呼吸ごと腹の中に流し込んだ。気持ちが悪い。部屋に臭いものなんてないのに、鼻の奥でゴミ溜めの臭いがする。夢の中で嗅いだ臭いってのを覚えてるのも奇妙なもんだ。
「なんでだろうな、ずっと見る」
「大丈夫、現実じゃないよ。だってほら見て、こんなに元気に生きてるし!」
「そうだな……夢だ。お前がゴミ箱に入ってるところなんて一度も見たことねぇのに、はは、ほんとなんでだろな。見たことあるような気すらしてくんだ」
「気のせいだよ、大丈夫、大丈夫……」
ゴミ箱に入っていたのは僕じゃなくて君だ。
君と僕はご近所さんだったから小さい頃から一緒に遊んでいた。その日はインターホンを押しても「今日は熱を出してるから遊べないの、ごめんなさいね」と言われたから一人で遊んでいた。晴れていた空が今にも雨が降り出しそうな黒い雲に覆われて家に帰ろうとしている途中、ゴミ箱の中に入ってる君を見つけた。偶然だった。ポツンと置かれた丸くて大きな青いゴミ箱の中身が気になって、いたずらに開けてみただけだった。引っ張っても開かず諦めかけたとき、その頃親に教えてもらったペットボトルのキャップの開け方を思い出した。大きな蓋を半回転するとロックが外れて蓋が空いた。ワクワクしながら中を覗いたら君が入っていて、幼い頃だったからてっきりかくれんぼでもしてるのかと思った。それにしては半袖半ズボンから除く皮膚は傷だらけでアザができているし、具合が悪そうで、というかさっき熱を出してるって聞いたのに変だと思って直ぐに家に帰って母に伝えた。母の顔色も悪くなってすぐに付いてきてくれた。当時は理解できなかったが、虐待だったらしい。
胎児のように丸まって暗いゴミ箱の中に閉じ込められていた。今思い出しても躾というにはあまりにも痛々しくて、暴力的で、ただただ辛かっただろうなと心を痛めることしかできない。
己の過去を僕に投影して夢を見ているらしかった。それに気づいたのは本当に最近だ。週末定期的に部屋に遊びに行って夜通しゲームをしたり映画を見たりするほど仲は良い。僕はよく寝落ちしてしまうが君が眠っているところを見たことがなくて、聞けば「ショートスリーパーなんだ」と言われて「そうなんだ」で済ませてしまった。最近は少し眠れるようになってきたと言われ、変だなと思って事情を聞いた。
「ゴミ箱の夢を見るんだ」「こんな経験したことないのに、やたらリアルで気味が悪いんだよ」「正直怖い。蓋を開けてお前が死んでたら、お前が死んだら、いよいよ孤独になっちまうって」「お前が『捨てられる』って言ったのが妙に印象的だったんだ。それで夢に出てんじゃねぇかな。でもお前のせいじゃないんだ」
確かに前ちょっと厄介な恋人がいて、捨てられるだなんだと傷心したことはあった。僕がDVされてたから当時の僕は気が狂ってたんだ、捨てられるも何も僕が依存してただけで……とりあえず結果的に円満……でもないけど別れられたし、それはちゃんと伝えた。君に匿ってくれるって言われて僕も僕で甘えてしまっていたんだと思う。見捨てられたくないとか、でも怖いとか、嫌いじゃないけど離れたいとか、やっぱり嫌いかもしれないとか、さんざん吐露した。そんな僕の言葉と君の記憶が紐付いてより夢を複雑化させてしまった。
君は虐待の記憶がすっぽり抜け落ちている。だから夢を見ても自分のこととは思わないが、体験したことを体が覚えていてパニックを起こす。自分の脳と体が繋がっていない感覚は恐ろしいと思う。どうするのが正解なのか僕には分からない。無理に辛い記憶を思い出す必要はないんじゃないかとか、思い出してしっかり治療したほうがいいんじゃないかとか、しかしどれを選んでも君は傷つくだろう。ならばこのまま夢の話にしてしまって、僕を被害者だと思ってもらって、僕に投影することで巡り巡って自分自身を癒やすことに繋がれば、まだマシなんじゃないか。
一緒に過ごして楽しいことや面白いことを沢山すれば傷を癒すことができるんじゃないか。派手なことじゃなくてもいい。些細でつまらないことでも一緒にいれば孤独感だって少しはマシになるんじゃないか。恐怖や痛みより多く幸せを積み重ねれば、君だっていつかぐっすり眠れるようになったり、したら、いいな……。難しくても、少しでも楽に。
「気のせいだよ、大丈夫」
この言葉がもし呪いになっていたら……のろいでもまじないでもどちらでも良い。君が眠れるようになれるならどちらでも。
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︰夜景 2024/09/19
ハッピー・インスタント・アンハッピー
なんでもいい、どうでもいい、インスタントな不幸が欲しい。それっぽいなにかに当てられて気怠く物憂げにしていたい。
夜景なんてもってこいだ。ベランダに出て遠くに見える街の灯をぼうっと見つめて物思いに耽っていれば“それっぽい”とやらだろう。「綺麗」と囁いたのを聞いた記憶がある。酒と煙草があればあの人みたいになれたんかな。俗に言うエモいってやつだ。……エモいのか?
浅ましいの間違いじゃないか。記憶は美化されがちだからな、酒も煙草も本質的にはエモくないだろう。ただ少し、星空の下、遠くに見えるビル群の夜景をバックに涙を流して、妖しく煌めいていたのが印象に残っているだけ。ああやっぱりあれはエモかったのかもしれない。
「煙草吸って黄昏れてそ〜」と友人に笑われたことがある。なんとも言えない気持ちになったのと少し嬉しいと思っていた気がする。たかが煙草で厨ニ病心を擽られただけだろと言われたらそうな気もする。酒とか煙草とか中毒になってんのいいなあって確かに思った。気を飛ばして忘れられて逃げ道があるって羨ましい。暴れて狂っても「依存症になってるんだもん仕方がないよね」って言えて他人にも思わせられるなんて最高の逃げ道じゃないか。そんな美味しそうなもの手を付けたいに決まってる。
中毒っていいよな、惨めでお手軽に不幸に触れられて。酒や煙草はインスタントな不幸だ。明確に何かに陶酔したいときに使えるもの。不幸と安堵を得られる優れ物。
「嗜好品だから嗜むのがいいんだよ」と多量の酒を摂取してスパスパ煙草吸ってるアンタに言われた時のおかしさときたら。ありゃもう傑作だった。
中毒人間なんて随分変なことばかり言う頭のネジが数カ所ぶっ飛んでる精神的にヤバい人という認識が強い。アンタがそうだっただけかもしれないから過度な一般化はよろしくないだろうけど。
どっちなんだ? 頭のネジが外れたから嗜好品に溺れるようになったんか、嗜好品に溺れたから頭のネジぶっ飛んだんか。卵が先か鶏が先か問題みたいだ。
「卵も鶏も食ったら全部胃に入ってクソになるからどっちでも一緒だ」
問題の本質をぶっ壊すあの人の理屈なら「結局どっちも自分で自分をダメにしてんだ。嗜好品が先だろうが頭のネジぶっ飛んだのが先だろうが一緒だ」と笑うんだろうか。
アンタの不幸を食って雰囲気に浸ってる。アンタを使用してる。なんでもいいから早く不幸に浸りたい。いつかのアンタと同様「心を埋められるのがジュースで口が寂しいからって飴を口にしてるみたいだって思ったら可愛いだろ?」って、幼児退行気分にでもなりたい。あーあ、夜景が綺麗なんて誰が言い出したんだよ。街の灯も星空もクソだ。何が綺麗なんじゃ。
「よくちっちぇ頃泣いたら親がオレンジジュースくれたんだよ。大泣きしてんのに差し出されたコップ見たら素直に両手で受け取ってごくごく飲んでた。そしたら大抵泣き止んでたんだよ。今もそれと同じようなことしてんだ。嫌なことあったら酒飲んでご機嫌になる。ガキの頃と変わらない。大人になると誰もあやしてくれないからな、自分で選んで飲むんだよ。それが酒に変わっただけさ。言ってもジュースも嗜好品らしいけどな。はは! じゃあ昔から変わってねぇなあ」
そう言って缶を傾けてグビッと喉を鳴らしてた。「やっぱビールだよなぁ、発泡酒とかアレとかあんま美味しいって思えなくてさぁ」とボヤいてたのは聞き流して。アレってなんだよ、発泡酒以外になんかあんのか? 尋ねようとしたけどやめた。酒について一尋ねると十返ってくるからダルくてなるべく話したくなかった。その前も焼酎買うときはラベル見ろよとか本格焼酎がウマいからなとか甲を買えよとかそれ以外は体に悪いからなとかあれこれ語ってきた。酒も煙草も体に良くねぇんだからもうあんま関係なくね? とは言わなかったが。
アレって第三のビールのこと話してたんかなあ。
「車酔いするからよく飴ちゃんとか舐めてた。つか車とか懐かしーな。別に飲酒運転なんてしてないのに何回も事故って免停してよぉ、さっぱり運転してねぇや。そうそう、あと起きてる間はなんか口が落ち着かなくてずっとなんか噛んでたよ。それが煙草に変わっただけ。あ〜でも電子煙草は変な臭いするしマズいし吸った気になれんくて好きじゃない。シガーが一番ウマいんだけど、切ったり手間かかるしたけぇから辞めた。ああでもふかしてんのが一番好みなんだよなぁ、やっぱ買おうかな……でも結局どこにでも売ってる紙煙草に落ち着くんだよ」
あちこち飛ぶよく分からない話をゲホゲホ咳き込みながら隣で聞いてた。酒と煙草の話をする時だけやたら饒舌になるのはなんなのだろう。普段はめっきり口を開かずボーっとどこかを眺めているだけなのに。ボーっと酒飲んで辛うじて袋ん中に嘔吐してまた酒で洗い流して、空っぽの胃に酒入れるからまたゲロって。煙草も吸うから酔いが回りやすいのか気分が悪くなりやすいのか悪酔いしてうなって。全く換気しないから空気が濁りまくってて死ぬぞって言えば「あー」だか「んー」だか返事とも言えぬ返事して。
「とりあえずさあ、ジュースとか飴がちょおっと変化しただけなんだよ。だから別に変なことでもないでしょ。美味しいよ」
美味しいから何だと言うのか。言い訳しているみたいに聞こえたのは自分がそんなの言い訳だと感じたからか。
羨ましかったな、お前そのままぶっ壊れちまって。心を蝕み体を蝕み、不幸を摂取して。アンタは幸せだったか。
ああいいな、カッコつけて酒や煙草やってギャハハハ騒いでる奴らより、そんなの体に悪いし臭いし良いことないよと言ってるまともな人間より、ああいいな、アンタってホントいいな、酒と煙草の中毒者。妬ましいとかの意味じゃない、イイなってヤツ。好ましいの「いいな」だよ。
友人に煙草吸って黄昏れてそうと揶揄われた時少し悲しいとも思った。自分は煙草が吸えないから。小さい頃から気管支が弱かったし、副流煙ですらゲホゲホ咳き込んでしまう。吸えない。吸いたくないだけかもしれない。酒も飲めない。アルコールの臭いでベランダに出たことを鮮明に思い出して吐きそうになるから無理だ。結局どこまでいっても変なところでクソ真面目なまま。
ああいいな中毒者。人を夢中にさせる、本人がアディクトにさせてるみたいだ。
まてよ「夜景が綺麗」なんて聞いたことないぞ。アンタが眺めてたのは夜景じゃなかったんか。じゃあなんだったんだろう。あの人は何が「綺麗」だと言っていたんだろう。てっきり夜景だと思っていたからふ〜んだかへぇだかそうだなとか答えた気するけど、なんだったんだろう。夜景を「綺麗」なんて形容する感性があること自体が妙だと思っていたが、やはり夜景ではなかったのだ。夜景じゃなかったんだとしたら何が見えていたんだ。
夜景を見て「わーきれい」なんて言うはずがないと思っていたさ。夜風に当たれば少しはスッキリするんじゃないかって少ない知識でベランダまで引きずった。自分らにそんな感受性があるとも思ってなかったさ、ろくでなし。最初からろくでなしなのかろくでなしになっちまったのか、そんなのも腹の中に入れりゃ一緒だろ。
アンタなんで泣いてたんだっけ。知らないな。
ほんとはアンタのこと知ろうともしてないことがバレたからか? 泣いてる理由も知ろうとしないほど関心が薄いってのがバレたからか? それとも「いいな」って思われるのが嫌だった? バレても別に良かったけど、アンタは知りたくなかったんかな。そんな弱ってたか? どうでも良かったろ。ただ何かを見て素直に綺麗だと呟いた声にしか…………。
何かを感じた? 何を。夜景、キラキラ、夜風、涙、悲しい、懐かしい、喜び? 酒、手から滑り落ちてた、カツンカランカランカラン、見向きもしてなかったはずだ、じゃあどこを見てた? 頭の位置は変わってなかった、顔の向きも、遠くを見つめていた? 遠くを見て「綺麗」と。綺麗、感情、感覚、内面的な何か、心象風景。嗜好品、中毒、溺れる、崩壊、精神的な崩壊、現実逃避、苦痛から逃れられた一瞬。周りから見ればただ痛々しく、醜く、あれは薄ら笑いするような状態で……いいやあれは純粋な陶酔の声だった。アンタもしかして、自らぶっ壊れていくのが美しいものにでも映ってたのか?
……やめよう。こんなパラグラフを展開しても意味がない。あの人は幻覚とか幻聴とかの域に達してたんだ。ベランダの床にビールぶちまけて空気中に喋りかけてフラフラ踊ってたのがいい例だ。どうせなんか違うもんでも見てたんだろ…………あーーーーーーー………………。
――――――――どうでもいい。
煙草を消費して酒を消費して心を消費して人を消費して不幸を消費して、ただただ表面的に消費して。ああハッピーインスタントアンハッピー。お手軽な不幸に導いてくれるならなんだっていい。エモいなんて自分にとってはどれもこれも使い勝手のいい逃避の道具で虚飾でしかない。感情の麻痺、空虚への恐怖? 自暴自棄とかそんなんじゃないよ。そんなんなんか? そういう濃度にいるのがただ心地良くて、ただ重苦しくて、ただ慣れ親しんでいて、ただ安心できるだけ。導いてくれるなら別にチープな夜景でもいい。誰かが残業しているただの電気の光で構わない。うす雲に霞まされている名前の認知すらされていないようなちっちぇ星屑でも構わない。夜景を綺麗だと思うことは今後しばらくないだろうし、こんなに夜景は遠いのだから、ああそうだよ、アンビバレント、自分も十分中毒者、だからこの際なんだっていい。インスタントなアンハッピーを三分で作れるのならハッピーだからどうだって。
自分で書いた文章を時折読み返したりする。自画自賛であり、自分で書いた文章だから当たり前といえば当たり前だろうが、好みにピッタリで、いつもじっくり読み返してしまう。中には「なんか違うな」というものもあるが、なんだかんだ好みだ。
心に空いた形にすんなりはまって、じんわり馴染んでいく感覚がする。時々過去の自分に衝撃を受けたりもする。
好ましい文体でいつも書いているし、己の感性も好ましいので、読み返して「この文章いいな」と思うのも自分の場合当然だと思う。しっくりくる、何より好きだ。
その都度修正したくなったり付け加えたくなったりもする。もっとこう表現にしたほうが心地よいだとか、もっとこういう言葉を使ったほうが綺麗だとか、リズムがどうとか、ざらざらするから滑らかにしたいとか、そういうもの。
「変わらないものはない」というものの一つに「自分」を挙げられると思う。変わっていないように感じても1年前の文章は今とは違う感覚で書かれているなと思うし、数ヶ月前のものでも今の自分とは違った感性をしていると感じることも多々ある。
変わっていくことは嬉しいことだと私は思う。違った自分でいられるから過去の自分を他人みたいに思えるし扱える。自己を他者として扱い時間を超えた会話をしているなんて、究極の対話だと思わないか?その瞬間が好きだ。自分と語り合えるような感覚がするあの瞬間が好きだ。
断りを入れておくが、私は自己肯定感が低く自信もない。己の感性が多くの人に通用するとも思っていないし、熱弁する気もない。自分のことが好きかと問われると「いいえ」であり自分のことが嫌いかと問われると「いいえ」だ。自分に対して好き嫌いという概念がそもそもない。どれだけ頑張ったつもりでも人の役に立てず、見捨てられ、理解を得られることはなく、孤独であるのには違いない。そんなところも含めて自分が好きだとは口が滑ったとしても言えない。偏屈でいつもおかしな妄想ばかりしている己が素敵だとは思えない。
それが、文字にした途端強烈に面白く感じるのだ。「こいつの感性は心底面白いな!」と他人事のように笑える。もちろん純粋に素敵な話を書くなと思うこともある。
本当に自己肯定感が低くて自信が無いのか?そんなに自分の文章が好きなのに?嘘ついてるんじゃないか?と自分でも疑問に思うし不思議だ。因みに自分のコピーを作れると言われたら速攻で作るだろう。己はとても面白い感性を持っているから是非会話してみたい。きっと話が弾むぞとそんな自信はある。だが社会的な自己肯定感や自尊心や自信は皆無だ。これっぽっちもない。嘘だったらきっと今頃こんなことになっていないと思う。
とはいえ結局己の文章と感性を好きだとはっきり言えるのだから「好き」なのだろう。……恐らく。いや、書いているときは好きではないし面白いとも思ってないな。書き終えて数日後に見返すと好きだとか面白いだとか思えるだけで、今この瞬間は別にそんなに好きでもなく、どちらかといえば面倒臭くて鬱陶しくてダルいと思っている。それでも書いてるけど。あまり枠組みに当てはめるものでもないのかもしれない。これもきっとそのうち受け止め方が変わってまた違った思考を近い将来しているだろう。きっと変わるものだ。
閑話休題。文章にして3日くらい経つと他人事のように切り離して扱えるから楽しいのだ。脳内で別の自分と楽しく会話ができているときのような感覚。己が書いた文章は己の究極の理解者となってくれるし、究極の理解者となれる。これ程素晴らしいものが魅力的でないわけがない。
「時間を超えた対話」というのは本が証明していると思う。今よりうんと昔に執筆されたものが今も尚読み続けられていて人々の中で生きているなんて、考えただけでも夢がいっぱい詰め込まれている。時間というより「時代を超えた対話」だろうか。
私が時代を超えることはないだろう。しかし数年単位の時間旅行ができるというなら、こうして書き留めておきたいものだ。
今とは変わっているいつかの自分と対話をしたい。
バスに揺られ診断書を見ながら「メリークリスマスもメリークリスマウスもどっちもかわいいなぁ」なんて全く関係のないことをふと思った。
Xmas Xmouse うん、可愛い。
車窓を過ぎっていく木に括り付けられたストリングライトを見ながら今日の出来事を反芻した。クリスマスイブに病院へGoという人生はなかなか愉快だと思う。己の人生を謳歌している感じがする、これぞ我が人生、記念すべきクリスマスイブの夜。
笑えない、いっそ面白い。
早速貰って飲んだ薬の副作用でほぼ意識は後ろに引っ張られていた。コンタクトを付けているからうたた寝したくなかったが、ほとんどこの抵抗は無意味だっただろう。バスの中でぐらぐら頭と視界が揺れていた。
人並みに生きて、人並みに生活して、人並みに会話して、人並みに、どうしてできないんだろう。人並みに、というと「人並みって誰基準?普通って何?」と詰られる。人並みは人並みだよ。学校に行って、勉強して、部活とかサークルとかバイトやって、課題をして、人と関わって喋って、卒業して、就職して、社会の中で生きていく。人並みに、人並みに、人並みに。そうだ、人の波に今日は酔ったんだった。都市部の方まで行ってきたから、右も左もいろんな人でいっぱいだった。喋り声とどこからか流れてくるクリスマスソングが入り混じって、ゴチャゴチャざわざわからモコモコ聞こえだして水中にいるみたいだった。人が生きてる、と思った。
電車の中が暑く感じて、酔ったのもあるのか気持ち悪くなってきたからマフラーを外した。首が詰まるマフラーは苦手だ。緩く巻いても、首に布が触れるだけで苦しくなってしまう。嫌ならつけなければいいが寒さには勝てない。普段感触が気持ち悪くて痒くなるから手袋をしておらず、常に体が冷えしまうから、まだ我慢できるマフラーを身に着けている。それに、クリスマスプレゼントで貰ったふかふかのマフラーだから、ぞんざいに扱ったり破り捨てたくなるような衝動も少ない。大事にしようと思ってる。このマフラーは特別なんだ。きっとこういうマフラーのことを愛情って言うんだと思うから、愛情は、ぞんざいにしない。その方がきっといい。マフラーを大事にしたら愛情のことも大事にできる気がする。
駅地下の売店にクリスマスケーキが陳列されていた。ワンホール、4号くらいだっただろうか、真っ白なクリームにいちごが乗っているものと、チョコレートクリームにいちごが乗っているものが1500円くらいで売られていて、美味しそうだと思った。そう、美味しそうだって、思った。
病院で、やっぱり人が怖かった。性別関係なく、語尾に力が入っているような喋り方をする人がどうも恐ろしく苦手なんだと改めて思った。すぐに「怒られてる、責められてる、きっと嫌われた」と思ってしまうのは長年刷り込んできた癖なんだと思う。きっとそうだ。相手の人は何もこちらを責め立てたりしていないのだから、自分の受け取り方がおかしいのだ。分かっている。つもりでしかない。
人を前にすると固まってしまって、なかなか言葉が出てこず、喉がどんどんしまっていく。どう答えていいかわからない、何をどう言えばいいのかわからない、自分が何を思ってるのか感じてるかも分からなくなっていく。そういえばしばらく忘れていたが、自分という生き物はこんな感じだった。
お薬手帳を忘れた。バインダーに挟まれた紙を渡されて氏名や住所やその他諸々記入していたが、どう書けばよいのか何を訊かれているのか理解できずしばらくにらめっこしていたところ「何かお困りですか」と声を掛けてもらってしまった。一人でできるようにならないといけないのに、相変わらずだと呆れた。あきれた?言葉があっているだろうか。違う気がする。泣きたくなった、不甲斐なく感じた?
暗い話はやめよう。せっかくクリスマスなんだ。幸せな話をしよう。幸せを素直に感じるためにこうやって負の感情を先に敷いているのも、面倒くさいと思う話だが、癖であり、心を守るための防衛策なのだ。幸せを感じると相対的に不幸になるのだから、ならば先に不幸を摂取し、最後に幸せを味わえるようにしよう、という、意味不明と言われれば意味不明で、理屈が通っていると言い張れば通っているようなものだ。先に不幸を摂取。幸せを感じると相対的に不幸になるなら、不幸を感じると相対的に幸せになる生き物だと言えるはずだ。
感情とは「差」「落差」といったもので生まれるのだと思う。人間は差を感知することでしか感情を生み出せない。日常が失われたとき初めてその日常と呼んでいたものが幸せだったと気づく、或いは不幸だったと気づく。またそうでなければ人は気づけない、自覚できないものなのだと思う。縛られる日々を送っているから休日がとびきり有難く思える。ずっと生きてきた環境を当たり前だと認識するから、別の環境に身を置くとストレスが溜まる、或いは逆に開放感を味わえる。こういう「差」があるから人間は快、不快や喜怒哀楽といったものを認識できる。もし全てが均一でなんの変化もない世界に生きていたら、人は何も感じないだろう。
幸せな話をしよう。
幸せな話。
幸せ。
楽しかった話、嬉しかった話、心が温まるような。
なるほど、きっと幸せな話のやり方が分からないんだ。どんな口調で、どんな言葉を使って、どんな風に説明すれば……ではなく、説明ではなく、思いの丈を綴ればいいだけなんだろう。けれど、それが分からないから、できない。嬉しかったことをありのまま嬉しい、というだけでいい、と、思っても、その感覚が分からないからできない。
ゲームでフレンドにプレゼントを送った、とか、フレンドからプレゼントを貰った、とか。写真撮影、スクショ、した、とか。着せ替えをしてとても満足できた、とか。クリスマスツリーを飾ってみて、カラフルなライトを飾って、イルミネーションを作って、雪を降らせて、キラキラピカピカ、クリスマスを感じる素敵なBGMを設定して、とても、好みに、えっと、可愛く、デコレーションできた、と、思う。じゃなくて、可愛くできたから、嬉しい。そう、嬉しかった、画面の中で、可愛いアバターが可愛い世界で生きていて、可愛くて、嬉しくて、幸せそうで、じゃなくて、幸せだと、思った。そう、幸せだって思った。素敵なクリスマスだなって。
あの小さなホールケーキが頭にこびりついて剥がれない。
ケーキ、買いたかったんだな。イルミネーション、ぴかぴか、現実世界のキラキラも、素敵だって、感じたかったんだろうな。そっか、本当はクリスマスツリーを飾りたいと思ってるんだ。できればマフラーをして、手袋をつけて、寒い中もこもこになって、暖かい家に帰ってきて、みんなでお肉を食べて、ケーキを食べて、クリスマスを味わいたかったんだろうな。そうなんだ、きっとこんな偏屈な思考せず、普通みたいに、プレゼント交換とか、やりたかったんだろうな。
誰かと身を寄せ合っていたかったのかな。それは嫌だな。普通の、そうだ、あれは、いつかの暖かな記憶だ。クリスマスツリーを飾って、イブの夜に美味しいご飯を食べて、ケーキを食べて、プレゼント交換をして、眠って、25日の朝、プレゼントを見つけて喜んだ。そうだった、普通のクリスマスを過ごした。贅沢で幸せに溢れた、それを普通だと思い、当たり前のように享受していたクリスマス。そっか。幸せだったんだね。夢なら醒めないでほしい、だから眠ってしまいたかったんだ。ずっと、この時期。あの頃に帰りたいんだ。
どうしようか。この診断書くちゃくちゃに丸めて捨ててしまえば無かったことになるか。全てを否定すれば無かったことにならないだろうか。全部。脳も体も。
クリスマウスは可愛いけれど、マウスな自分は可愛くない。できればマウスよりラットになりたい。クリスマウスじゃなくて、クスリラット。語呂悪いなぁ。
根本的に「人との心の繋がり」というものが分からないんだと思う。そしてまた、私が理解されることも少ないのだろうと思った。
友達の誕生日プレゼントを選ぶというのが苦行に感じた。頭を抱えストレスを感じながら一生懸命プレゼントを探す。友達は何が好きとか、どんなものに興味があるとか、分からないから、何を選べばいいのかさっぱり。知ろうともしてなかったというより、別に知る気もなかった。
友達のフルネームも覚えてない、誕生日はカレンダーにメモしてるけど覚えてない、どこに住んでるかも曖昧だし、その子が何色が好きでどんなものが好みだとか別にそもそも興味ないし、深堀しないし聞かないし知らないし……知る気もない。から、わからない。どうでもいいと思ってるわけでもない、でも、何か気持ちがあるのかと問われると、答えられない。本当に無、といえばいいんだろうか。何も。「はあ」とか「別に……」とか、そんなスカスカなものしか出てこない。これがスカスカという感覚もない。ある人からすれば、私のこの感覚はスカスカらしいから、そう形容している。
誰かから何かを貰っても、嬉しい嬉しくないとかどうとか、あまり思った記憶がない。どう思うかと聞かれても「どう」とかない。貰って嬉しい気持ちと、物自体への感想や興味は湧いてこない気持ちと別々にあるような感覚。何を貰って嬉しいとかも特にないし、何を貰っても使うけど、別にいらない。物自体はどうでもいい。気持ちは嬉しいと思ってる。その「何かあげよう」と私に思ってくれた気持ちは嬉しい。から、別にいらない。何を貰っても、物自体に、強いて言えば「ああ、そう」という感想は湧いてくるが、それ以外は分からない。あるのかないのかすら不明。
ジレンマというやつだろうか。だからきっと、なにかあげたい!って言ってもらって、一緒にアイスクリームでも食べに行って、奢ってもらうくらいが丁度いいのかもしれない。いや……それもいらない……誕生日という概念がなくなればいいのに。
多くの人は物を渡すことで気持ちが伝わるらしい。だから、気持ちが伴ってなくても取り敢えず物さえ渡せば「あなたに関心がありますよ。あなたの事を考えてますよ。忘れていませんよ」という証明になると思って、プレゼントを渡した。それ以外、自分の気持ちを伝える方法が分からないから。それに本当に、相手のことを、他の人らよりは好感を抱いているのは事実だし、それを伝えたほうがいいということも分かっている。けど、私なりの伝え方じゃ相手には伝わりにくいし理解を得られたこともないから、わかりやすい方法を試すしかない。
プレゼントを渡して喜んでくれることは嬉しい、覚えててくれたんだと喜んでくれることは嬉しい、使ってくれたらなお嬉しい、けど、根本的にそこじゃない気もしている。私は、もっと根っこの部分で、他人と繋がることはできないんだろうなと思った。
他人に「優しい」と思われた方が良いと感じるのは、私が思う「正解」に近しいからかもしれない。
私が相手の話に耳を傾け相槌をしできる限り寄り添っている姿勢を見せるのは、相手のことを助けたいという善意ではなく「このパターンではこんな反応をしてこういう受け答えをしつつ適度に笑ってからトーンを落として真面目風にして」の様なことを考え、結果相手の態度や表情から良い感触が得られたと思えたら「ゲームクリア!」=正解という感じで一安心できるからだ。どうでもいい人に対しては自分が安心するだけ。相手の話は興味ないし相手の心理状態に干渉したいとも思わない。勝手にしてりゃいい、なぜなら私には関係ないのだから。
他人の心理状態や感情に深く干渉したくない、無理に共感することで自分が消耗するのを避けたい。そんな心理が働いているのかもしれない。
仲良くしたい友達とも、相手の反応を見て自分の感じと相手の隙間を埋めていくイメージで少しずつ自分を変形させていく。声のトーン、喋り方、口調、テンポ、笑い方、その他諸々。相手に嫌な印象さえ与えなければクリア。相手にさっさと帰りたいと思わせたり、もう今後貴方と関わりたくない喋りたくないと思われなければクリア。一安心。ああ、これでまた友達を続けられる、セーブデータがとれた、そんな気持ち。それと少なくとも少しは友達を元気づけることに貢献できたかな、という気持ちと。友達が落ち込んでたら、少しは励ましたいと思う。元気出してくれたり何か悩みが少しでも軽くなったら嬉しいなとは思うよ。少しは助けになれたんだって私自身も一安心する。他の人みたいにどうでもいいとは……いやどうでもいいなぁ……友達の話も私に関係ないことだったどうでもいいし、何を思えばいいのか分からないし、どうでもいいし、知らないし……だって私に関係ないじゃないか、とかしか。
慰めてと言われたら慰めるし、共感してと言われたら共感できる。そう振る舞えと言われたらその場限りではできるよ。指示をくれればその通りにする。けど、何も言われなかったらなんにも分からない。何をしたらいいのか分からない。相談なのかただ話を聞いてほしいのか共感してほしいだけなのかアドバイスがほしいのか、事前に言ってくれないと分からない。
だからいつもソワソワイライラしながら話を聞いて相槌打って相手の反応を伺ってる。いい感じの反応が返ってきたら「正解だったんだ」とホッとする。
「ただ話聞いてほしいだけなんだけど」とか「これは自慢なんだけどさ!聞いて!」とか「貴方だったらどう考える?」とか、前置きしてくれると助かる。じゃなきゃ、何を感じ取ればいいのか分からない。
人と話すということが分からない。イライラする。友達と話してても実は常にストレスが溜まっていた。相槌と共感としなければならないのか、今は不要なのか、見極めが難しい。ほんとはぜんぶ「ふ〜ん、そうなんだ」で終わらせたい。でもそうすると人は私を冷たい人だと感じるらしい、そういうつもりじゃないし、落ち込んでほしいわけでもないからニコニコして話を聞いていますよアピールをするのに必死だ。LINEの文章もなんかいい感じにしてる。語尾をかえたり、絵文字を使ったり。
そうしたらやっぱり人は混乱する。時々素で反応して「え、別になんとも思ってないけど」とか「どうって言われても、どう、とかない」というとびっくりされる。そらそうだよなと思う。「優しい人」だと思っていたのに、そんな回答だったら困るよな、と。人に優しくしてるのも、別に嘘ではないつもりだ。危害を加えられることがなければ基本的に人を攻撃したいとも思わないし、親切にしたいとも思うし、傷つけたいとも思わないし、穏やかに友好的にいこうね、と思っているから、私の優しさだって嘘ではない、と、思う。けど、きっと他人からしたらこれは「嘘」に分類されるだろうし。
友達に言ったことがある。「貴方にも私以外との交友関係くらいあって当たり前じゃないか。逆になかったら怖いよ。だから貴方が誰と仲良くしてようと誰と遊ぼうと誰からプレゼントを貰おうと、私には関係ないことだよ」って言った。私はたしかに、友達が私以外の人ととても親しそうだったら、少し寂しいと思ったりは、多分、普通にする。いや、どうかな……私以外にも交友関係くらいあるのだからそこにとやかく思っても無駄だと思うし、たとえ寂しくて落ち込んだりしたとしてもそれとこれとは別だと思っているから、そんな風に言った。そしたら、友達は私のことをドライな人間だと認識したみたいだ。表面上は、そりゃ、ドライ、だと思う。思考と感情は別。私以外と親しくしてて寂しいなと思ったとしてもそれは私の感情で私の勝手である。それに、私は普通の子みたいに頻繁にLINEもしないし遊びにも誘わないから、それができる子と私以上に仲良くなるのは当然だと思う。と思うから、思考を話した。だけ、だけど、こういうところから、きっといろんな人に勘違いされてるんだろうな、とか。
ドライ、冷たい、冷酷。そんなふうに思われてるんだろう。人と普通に話したいだけだし、できれば美味しいものを一緒に食べたりもしたいと思う。けど、それも、どんなふうに思われてるかも、別に、なんでもいい。
「コミュ障はこれをすれば治る」「コミュ力とは」みたいなやつを色々見て思った。今の自分は人と喋りたいわけじゃないなと。コミュ力つけたいわけでもないし、人と言葉のキャッチボールしたいとも思ってない。会話しなければならないからコミュ力をつけなければならないと思ってたけど、つけたいわけではない。今まで「私は人と喋りたいはずなんだ!」とか思ってきたけど、別にそういうわけでもない。テンポのいい会話とか、意思疎通とか、別にそういうのを望んでるわけじゃない。
人に何か褒められても「だから……?」という疑問が湧いてくる。服装がお洒落だとか、髪型が似合ってるだとか、鞄が素敵だとか、それがなんだというのだろう。もちろん貶されているわけではないから嫌な気持ちにはならないが、だからといってどう感じればいいのかもわからない。
社交辞令で言われようと本音で言われようと誰から言われようと、だからなんなのだろう、としかない。けれど「だからなんですか?」と言ったところでお互い困惑しかしないのだし、そんなんじゃ駄目だから「ありがとう、嬉しい」と言ってきたが、ずっと自分を欺いてきたように思う。相手を騙していたという認識ではなく。自分を騙してきた。
どんな反応すればいいのか分からずなんの感情も湧いてこないが「ありがとう」とにこやかに言ってる、そんな自分は正しい反応ができているはずだ、立派なはずだ、それに私は人から褒められて嬉しいと感じているはずだ、と思ってきた。正直ずっとしんどかった。いい子ちゃんな反応をするのがストレスだった。
人から褒められて「素直に受け取れない」ではなく「何をどう思えばいいのか分からない」というのは、人間として生きていく上で向いていない感覚なのだろうなと思う。人と繋がれないというのはこういうところから生まれているのかもしれない。
「今何してたの?」という質問がものすごくストレスだった。「YouTube見てたよ」と答えると「どんな動画見てるの?」と聞かれる。そしてここで「は?なんで聞いてくんの?」と言ったところでお互いしんどいだけだと思い、仕方なく「ゲーム実況とか見てたよ」と言ったら、次に「誰?」と聞かれるのだ。言いたくないから答えてねぇんだよボケが!!!!と思う気持ちをグッとこらえて、回避の方法も分からないから結局名前を教えてしまう。そしてもうその人のこと自体嫌になってその人から離れる。
「YouTube見てた」と言ったら「そうなんだ」でいいじゃないか。逸らせば逸らすだけ「なんで教えてくれないの?」だの言われる。というより教えたかったら最初から言っているはずだろう。言ってないってことは言いたくない教える気がないということだと分からないのか。そうか分からないか。きちんと説明すると次は「え、聞かれたくないってことは心開いてくれてないってこと?」とか言い出されるのだ。意味が分からないが、おそらく相手もこちらに対して意味がわからないと思っているだろう。
どれだけ仲が良くても教える気がないことがたくさんある。というこの感覚は珍しいのだろうか。珍しかろうと珍しくなかろうとどちらでもいい。踏み込んでこられることが私は嫌なんだ。
人と心理的な繋がりを築けない人間なんだと思う。誰のどんな話であっても私の中に出てくる感想は「ふ〜ん、そうなんだ」しかない。対人モードにスイッチを押して一生懸命相手に寄り添い私は相手に関心があるんだ!と思い込むことでなんとか「普通の人だったからこう思うだろう」と予想し「それは辛いね」だとか口にしているだけで、実際は何もない。虚無といえば虚無なんだろうか。それすら分からない。唯一出てくるのは怒りだ。怒り以外の感覚が少ないのだろうか。だからきっと、人からしたら私は変なやつに見えるんだと思う。そらそうだ。嫌なことを嫌とはいうが、じゃあ何が好きだとか何が嬉しいだとかは言わないような人間……いや、だから、好きなこととか嬉しいことをわざわざ言う必要性が分からない。不快なことは身を守るために伝える必要があるが、それ以外人に伝えて何になる?共感してもらえる?だから?別にいらない。
という気持ちを共感されたいなとは思う。踏み越えてこず、深く関わってこず、話を広げることもせず、ただただ「ふ〜んそうなんだね」と言われたいと思う。きっとこの気持ちを共感されたい、と形容するんだと思う、けど、多くの人がいう「共感」とニュアンスが違うのかもしれない。
そうはいっても他者が期待している行動や反応をしようと努めているんだと思う。そうしないと文句を言われるから、文句を言われたくないから人の期待通りに動きたいのだ。相手のためじゃない、自分が傷つきたくないだけだ。ありのままで生きていると「お前はなんて酷いやつだ」と言われるのだ。それは嫌だ。私は酷い人間になりたくはない。できれば人と手を取り合って笑いあって仲良く生きていきたい。人を攻撃したくはない、傷つけたくはない。できる限り寄り添いたい。だというのにそれができない。考え方の問題か?感性が悪いのか?歪んでいるのか?なぜ?
寄り添いたい??それはいらないな、別に寄り添いたくはないし寄り添われたくもない。違う、ニュアンスが違う。お互い「ふ〜んそうなんだ」程度の寄り添い。過度な干渉はせず、かといって否定はせず、かといって肯定もしない「ふ〜んそうなんだ」が一番理想的だ。そういうのがいい。私は、あくまでも、あくまで、私は。
考えたところできっと今の所私が心から人と繋がれることはないんだろうなと思う。耳障りのいい言葉を取り敢えず言ってみて、取り敢えず笑ってみることしかできず、挙句己の気持ちや感情をグイグイ押しつぶし、だから「なんでもいい」「どうでもいい」と切り捨てることしかできないのだろう。
相手との心の繋がりが掴めないために表面上の反応に頼るしかない。優しく振る舞うこと自体は「嘘」ではないが、相手がその表面だけを見てしまうことで「本心がない」と誤解されるジレンマにいる。そして人は表面上しか見れない生き物で、それが悪いわけではなく、普通なのだ。だからきっと「ドライな人」「無関心な人」とラベリングされてしまう。この繰り返しが他者との距離感をさらに難しくして、私自身も他者との距離感がどんどん分からなくなっていった。
「関係ない」「どうでもいい」と、関心を持つことで起こる混乱や消耗を避けたいという無意識の心理がきっとこの言葉の節々に隠れているのだ。そしてどれだけ努力しても他人を理解できないという諦めとコンプレックスが積み重なって「他人を知ろうとしない」に繋がり、余計他者との間に大きな溝ができていく。
どうでもいいわけではないのだ。どうでもいいとしか思えない。それを感じ取る方法がわからない。
私だって、貴方と心を通わせてみたい。
それすら面倒くさいから手っ取り早くさっさと突き放すのだ。きっと心を通わせられたら気持ち悪くて体調不良になるだろう。気持ち悪いのだ。人と心を通わすという言葉が、行為が、心底。コンプレックスからくる認知的不協和だ。
そのはずだ。私は人と心を通わせたいと思っているはずだ。人と心を通わせたいと思うべきだ。きっと、おそらく。などと思っている時点で「心を通わせたい」と思っているのは表面的なものかもしれないし、そもそも思ってすらいないかもしれない。
人と心を通わせたいと思っている方が、きっと人間的で、正解なんだと思う。
面倒くさいな。そのループだ。
私たち言い訳ばっかりだから溶けちゃおっか
冬は一緒にいっぱい言い訳を積もらせよう
言い訳の雪に埋もれて春がきたら一緒に溶けちゃおう
ゴミをいっぱい含んだ真っ白な雪になって
突き放すのが好きなら真っ赤に濡れて
朦朧としながら微笑み合って手首を絞めちゃおっか