よあけ。

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1年間を振り返る

お気に入りの作品ができた。8つも。嬉しい。
珈琲の匂いと焼いた食パンに溶かしたバターと苺ジャムを塗った味がする。作品の傾向。



:夢見る心 2024/04/17

懐かしい、似ている。美しいあの人の子守唄に。

美味しそうなソーダを目から溢れさせ、美味しそうなパン生地のゲロを吐く。苦しそうにえずいて吐瀉物を滝のように吐き出す様はそれはもう……なんと言い表せばいいのか。愛おしいよ。可哀想って愛着が湧くじゃないか。

人魚の涙は色々な逸話があるそうだね。宝石になるとか、幸福を呼ぶとか。じゃあ、あの人の涙だってきっと何かある。コップに溜めて口にしてみたい。何もなくたっていい。味を知って喉に通せたらそれでいいんだ。わんわん泣いているから空気を含んでパチパチしていそうだろう?きっと塩ソーダ味だ。まずはぬるいままいただいて、次に冷蔵庫で冷やして飲もう。

「運動しないと、最近太ってきちゃった」と言っていた腹の肉はちょうど食べ頃で、脂があって焼けばジューシー、美味しそうだ。腹もいい、けどそれよりもっと腕か手を食してみたい。よく使っている右腕が良い。肘の関節を外して、前腕と手を皿の上に乗せるのだ。フラットウェアを用意して、椅子に座ってさあいただきます。

あの人が作ってくれたフレンチトーストの味が忘れられない。あのフレンチトーストはあの人の右腕から作られている。ならばその右腕だって美味しいはずだ。不味いわけがない。焼いて煮て、そのまま味わってもいい。

あの人はスラリと伸びた美しい指でハンドクリームを塗っていた。その美しい指先を胃袋に入れたかった。腕は咀嚼してみたい、しかし指は丸呑みがいい。小指の先だけでもいいんだ、丸呑みしたい。

全身食べたいとは言わない。死なれたら困る。二度と優しい声が聞けなくなって、柔らかい体も温もりも感じられなくなって、美味しいフレンチトーストも食べられなくなる。それは嫌だ。だから腕だけでいい。利き手を奪ってしまうのは忍びないが、左手で頑張っておくれ。どうしても右腕が食べたいんだ。

まあ、もうあの人は殺してしまったがな。

美しいあの人が歌ってくれた子守唄に似ている。

お前の利き手は右か?左か?フレンチトーストはお好き?良ければ作ってほしい、食べてみたいんだ。探している味があってね。そっくりなら、有難く頂戴しよう。



:初恋の日 2024/05/08

しらないせかい、つれていってくれた。

ずっとあたまがいたくて、ずっとめをつむってばかりで、くらくておもいせかいから、まぶしいみちなるくうかんへつれていってくれた。

ふわふわまほうのじゅうたんにのって、みつのようなあまいけむりがじゅうまんして、ぎらぎらかがやくうちゅうへとんで、まーぶる、まーぶる、せかいがはでにいろづいて、うえへしたへみぎへひだりへぜんしんがみょんみょんのびてゆがんでいって、いろんなほうへはじけてひろがる、あたまがじゆうになっていく。

ときのながれがおそくって、べつのくうかんにいるみたい、とけいのはりがぼやけてて、すすまない。ああ! えいえんがここにある! ずっとこのままみをまかせ、いろんなせかいへ、ずっと、ずっと、とばしとばされ。

ほしのなかへとびこんで、カンカンカン、へいこうかんかくなくなって、このさきつづくどこまでも、あるいてあるいてヒュウヒュウヒュウ。からだのかんかくなくなって、うまくうごかなくなって、それがなんだかへんてこで、ここちいい。

あおいつららがつらぬいた。ちかちかひかってしろとんで、すっぱいにおい。しろくなって、ちゃいろくなって、くろくなって、黒くなって、黒く、重く、臭く、頭がかち割れる、胃が回る、喉が熱い、痛い、気持ち悪い。どこか、どこか、どこかへはやく。

てさぐりでさがすはつこいのひ、またしらないせかいへつれていって。



:透明 2024/05/22

ぷかぷか、ぷかぷか、海に浮かんでる。
波の赴くまま、流されるまま。
ぷかぷか、ぷかぷか、月を見上げる。
ぼんやり宇宙に浮かんでる、月。
ぼくとおそろい。
ぷかぷか、ぷかぷか
くふふ、くふふ
ぼくたち、いっしょ
ざざーん、くふふ
ぼくたち、とうめい
誰かが照らし出すから見えちゃうんだ。
ぼくたち、静かに浮かんだるだけ。
静かに、ぷかぷか、くふふ、くふふ



:降り止まない雨 2024/05/26


――雨だ。雨が降っている。


朝のコーヒーを飲みながらリモコンをテレビへ向ける。数回押しても中々反応しないことに若干苛立ちながらボタンを連打した。リモコンを投げかけたころで漸く点いた画面で夕方から雨だと知る。

――奇妙だ。

瞬間、手を滑らせてコーヒーを胸元にぶち撒けてしまった。白いシャツに茶色がどんどん伸びていく。取り敢えずシャツのボタンを外し内外両方からティッシュで吸わせようとしてみたが正直もう面倒くさい。これは諦めてさっさと洗面所へ行って身支度を整えることにしよう。

雨の日は奇妙な心地になる。頭の中がぼやぼやして重く、思考が纏まらないし、不注意も増える。しかし不思議と安心感もあるような、そんな心地だ。

湿気が多いからか毛先が勝手に遊んでいる。アイロンで形を整えようとすればするほど崩れワックスをつけても思うようにならず可笑しな髪型になってしまった。大きく溜息をついて鏡に映る自分を見つめる。さっきこぼしたコーヒーがよれよれのシャツに染みを作って、これはもう駄目だなと思ってしゃがみ込んだ。今日は低気圧の影響もあるのか気分が悪いし体がダルい。何もかもが上手くいっていないような気がしてくる。

気が付いたら洗面所に横たわっていた。全身の筋肉が固まって痛む中、手をついて上半身を持ち上げる。小さな窓から見える色は随分暗くなっていて、外は雨が降っているようだ。慌てて時刻を確認するともう夕方になっており、朝からそのまま眠りこけていたらしい。いつの間にか一日が終わろうとしている。寝起きの回らない頭で虚無感に苛まれながら、ああどうしようかと暫く考えあぐねていた。

仕方がないのでまったり一日の終わりを味わうことにする。カフェへ行って美味しいコーヒーと何かを食べながら、溜まっている本でも読もう。

寝癖でより酷くなった髪をなんとなく整え、どれにしようかと悩んだ挙句その辺に放置していたシャツに着替え、適当な鞄を引っ掴み本と財布と鍵を突っ込んで傘を持って家を出る。もうすっかり夜の帳が下りていた。

カランカランとベルの音を鳴らしながら扉を開けると「空いているお席へどうぞ」と言われたので二人がけのテーブルへ向かう。ソファにそっと腰を下ろすとふかふかで優しい感触がした。

右側に窓があり雨が降る様子が良く見える。オレンジの街頭に照らされ落ちる雨が好ましい。外の様子を見るのもほどほどにメニューを開く。ホットコーヒーとミニシフォンを注文し、鞄から本を取り出した。

本は好きでも嫌いでもない。なんとなくダラっと読むのが心地よくて読んでいる。読んで、読んで、読み進めるうちにどんどん脳みそがきゅうと本に引っ張られていくような感覚がしてくる。コーヒーを口に含んで、読んで、苦味を味わって、読んで、鼻から抜けていく香りを楽しんで、読んで、読んで、そして、そして、こうやって、現実と文章の境目が埋められて……。

視界の端、オレンジに照らされた雨がきらりと光った。

――あ。

――雨だ。雨が降っている。

雨が。

「雨が、降っていますね」

咄嗟に隠すように本を下げて顔を上げた。誰かが向かい側のソファに座っている。緊張の所為で声が詰まってなかなか第一声が出ない。

「……うですね、雨が、降っています」
「雨は好きですか?」
「いえ……特には」
「……そうか」

そう言って微笑む……中性的な見た目に加え、女とも男ともとれる声色なことも相まって、彼というべきか彼女というべきか。

「気にせず呼べばいい。呼び方も名前もなんでも構わない。呼称なんぞあったところで無意味なのだから」

――奇妙な人だ。

人の向かい側に許可もなく座り堂々と話しかけてくる神経はなかなか理解に苦しむ。しかし不思議とこの人からは嫌な感じがしなかった。寧ろ馴染みがあるような気さえしてくる。

それにしても呼びかけるものがないというのは困った。なんと呼べば良いものか。

「…………お困りならば『隣人』とでも」

頭を垂れてまた柔らかく微笑み、続けて言う。

「せっかく出会ってくれたんです。珈琲の一杯ご馳走させてもらうよ」

“隣人”は置いてあった空のコーヒーカップを並々注がれたコーヒーカップと取り替えた。その態度は実に恭しい。状況に困惑しながらも新しいコーヒーカップを摘み

「ありがとう、有難く頂戴するよ」

と一言添えて啜った。さっきまで飲んでいたものよりどこか味が薄いような気がする。というより感覚自体があまり働いていない。鼻から抜ける香りもあまりせず、喉の通りもただの液体を流し込んでいるようだった。

「少し話をしよう。なに、君の本と同じ、ただの時間つぶしさ。難しいことは何もない」

――――あれ。

――――――奇妙だ。頭が。

例えば記憶を消せる薬があったとしよう。その薬を飲んで記憶を消したその人のことを、どこまで“その人”だと言えると思う?

誰かに成り代わり誰かの心情を書いてみたとして、それは“理解”と言えるだろうか?

所詮作り物だ。想像できる範囲でしかないのだから。ならば私も……。

最低、大嫌いと捨て台詞を吐いてしまうのは寂しいから……というより、酷いことを言うことで記憶に残そうとしている、というのはどうかな。自分を見てほしい、覚えていてほしいが為に。

相手を肯定し慈しむことで結果的に自分を愛することに繋がっているんだ。

……

…………

………………

「私はね、貴方に……私に、見てほしいが為に傷つけて、そして自分を愛したいが為に気まぐれに慈しむのだ。実に自分勝手だろう? 幻滅するかい? ひどい、酷いことは…………。すまない、愛している、大事にすべきなのに」

――冷たい肌の感触が私の頬を覆っている……雨の音が聞こえる……そうだ、雨が降っていた。雨が…………。

息を吸った。顔を上げる。頭の中がぼやぼやする。しかし不思議と心地よい安心感もある。先程まで誰かがいた気がするが、目の前には誰も座っていない。飲みかけのコーヒーと手を付けていないミニシフォンが机の上で静かに佇んでいる。コーヒーを啜ってみたがすっかり冷めきっており、少し酸味が強くなっていた。

視界の端でオレンジに照らされた雨がきらりと光った。

――隣人。

とは、なんのことだろうか。

静寂の中、雨だけが降っている。



:「ごめんね」 2024/05/30


首と胴を自力でくっつけるのには苦労したよ!
あと四肢もばらばらで大変だった。
でもなかなか楽しい作業だったよ!
頑張ったおかげですっかり元通りだし。

体の調子はどう?悪くなってないといいな。

血液より愛を込めて。


今観ている君は模倣品だ/君の思考に触れ形をなぞり噛み締め味わったとて、それは既に偽物なのだ/本物の味が知りたい/君だって同じ気持ちを抱えている/それだけが救いだ/

食人、とは何とも魅惑的だ/僕のこれは食してしまいたい衝動に駆られるほどその人を味わい尽くしたいという現れだろう/その人を理解したくなったとき僕は無性にその人を食してしまいたくなる/クールー病になり死に至る点を考慮すると互いに切り落として互いに食べてしまうのが良いかもしれない/そしてできれば一緒に味の感想を言い合いながら死んでしまおう/

二人歩いた水辺をやたら低い目線でもう一度歩く/歩いた跡は波と砂にゆっくりと呑まれてゆく/歩いた跡は消え、忘れられ、最初から無かったかのようだ/記憶も平らになり色褪せ、追体験しながら重ねて観たものは既に創作となる/

君はどこへ行ってしまったのだろう/君からの「ごめんね」の手紙を何度も読み返してもうクシャクシャだ/逃げてしまったのだろうか/死んでしまったのだろうか/どこを探しても見つからない/

あの日は月がきれいで「月を見よう」なんて名目で海辺まで連れられて月を見に行った/月明かりできらきら輝く水面と、染みのついた砂浜/潮の匂いと鉄の匂いが強かったのを覚えている/手を繋いで家に帰った/君の手のひらは冷たいのに生温かくてやけに温度差があった/

砂浜に座り込んで、こうやって月を眺めていた/こうやって/

あ/

嗚呼、なんだ、死んでしまったのは僕だったようだ/

僕は家に帰ることなく、あの場所で掻っ切られた/君は海で処理をした後、家に持ち帰って僕を食べてしまったのだろう/「ごめん、ごめんね」と言いながらバクバク食すのだ/手紙の「ごめんね」はそういうことだろう?/嗚呼、ごめんね、こんなことで僕は怒ったりしないのに/本当のところ、やはりお互いの気持ちなんて通じていなかったのかもしれない/

それでも、君の血となれることがこんなにも嬉しい/



:街の明かり 2024/07/08

 嬉しそうに「好きな人ができた」なんて言うから、なんかムカついた。は?なんで?自分がいるのに?って言葉が喉までせり上がってきたけど、やっぱり続けて嬉しそうに「好きな人がいるって幸せなんだな」なんて言うから、急にどうでも良くなった。こいつは今までこっちのこと好きじゃなかったんだなって。いや自分もだけど。こっちだって別にお前のこと恋愛的に好きとかじゃないよ。でもムカついた。恋人なんかいらないじゃん、面倒くさいだけだよ。なのにさ、お前、そんな幸せそうに話しちゃって。勝手にしろよ。お前の惚気とか今後ぜっっってえ聞いてやんねえ。

 全ての荷解きを終えてベッドに飛び込む。窓の外を見やると青紫の空が赤色を覆い隠そうとしていた。ふと気になって体を起こし、側にある窓を覗き込む。
 六階からはいろんな景色が見えた。少し遠くの方にはオレンジ色やレンガ色の細長い建物がギュウギュウに建ち並び、もう少し視線を落とせば広めの公園があって、黄色い葉をつけた木がずらりと並んでいる。オレンジ色の街頭が石畳をぼんやり照らし出しているのが物珍しい。このオレンジの光も、石畳を歩き慣れるのにも、しばらくかかりそうだ。
 見知らぬ街で一人、ここで生きていくのだ。あいつから逃げるように飛び出してきた、あの街へはしばらく帰らない。帰りたくない。お前の顔なんか見たくない。

 道行く人々を眺めながら、そのコートあいつが着てたやつに似てるなとか、そのスニーカーあいつが好きそうだなとか、数年経って容姿も趣味も変わってるだろうに昔のお前のことばかり考えている。だって今のお前のことなんて何一つ知らない。
 メッセージを未だに送ってくれてるみたいだけど、通知だけ見て返信はしてない。そのくせ今頃あいつは何をやってるだろうなんて思ってる。
 誰かと揉めて怪我でもしてんだろ。だってあいつ、喧嘩っ早いし。相変わらず鈍くさくて、不器用で、要領悪くて、色んなことに苦戦してるに違いない。最近ひとり暮らしを始めたってメッセージが届いてたっけ。あいつ家事とかできてんのかな。レンジでさつまいもを炭に変えたことまだ覚えてるかんな。それからタルトを床にぶちまけたことも。人の誕生日覚えるのが苦手なのにせっかく覚えてやって、しかもお前が好きなベリーのタルトまで選んで買ってきてやったってのにさ。鼻歌混じりに冷蔵庫から持って来るほど上機嫌だった奴が、一瞬でやっちまったって顔で青ざめるもんだから、なんかもういっそ面白くて。

 勝手に裏切られたみたいな気持ちになって飛び出してきて、一人で生きていくなんて豪語してたくせに、数年経ってもお前の事ばっかり思い出して考えてる。

 忘れられない日々を作ってしまったからこの気持ちを飲み込むことができない。でもやっぱりもうそろそろお前に会いたい。だから、窓から見えるあの木の赤い葉が全部茶色くなって落ち葉になったら、最後の一つがひらひら落ちてしまったら、いよいよお前への気持ちを打ち消して、何食わぬ顔でお前の部屋の扉をノックする。久しぶりだなって。そしたらきっと「今までどこで何してたんだ!?」とか「返事くらいよこせよ!」とか言ってくるんだ。まあまあって誤魔化して、手土産に持ってきたベリータルト渡しながら「落としたりすんなよ」って揶揄ってやる。それでどつかれたら、すぐキレんじゃんやっぱお前相変わらずだわって笑って言ってやる。もし別人みたいに変わってたってそれはそれで構わない。だってお前のことなんて好きじゃないから、どんなお前でも別にいいよ。



この作品には以下のような内容が含まれています。
・暴力的な描写や身体的な苦痛
・精神的な苦痛やトラウマに関する内容

:つまらないことでも 2024/08/05

青い色した丸型のデカいゴミ箱の蓋を開けると獣臭がした。ゴミ箱の中にいるお前をただ見詰めるしかできなかった。

――あ……はは、きっと近いうちに捨てられるんだと思う。僕どうなっちゃうんだろ……。

――どうもしねぇ、さっさとソイツから離れりゃいいんだよ。捨てられる前に逃げろ、そしたら匿ってやれる。

そんな会話をした翌日から音信不通になった。こんなゴミ溜めで異臭が漂う中、ゴミ箱ん中詰められて、何やってんだ。胎児のように丸まっているが足が見えない。膝から下はどこに行ったんだ。右腕も無い。どこだ、どこに、そもそもお前、生きてるのか。なんで逃げなかったんだ、なんでこっちに来なかったんだ。ヤベェ奴から逃げて隠れて安静にしてりゃ傷も癒えて元気になって、したらそのうち堂々と外出れるようになるはずだったろ。捨てられるって比喩だろ、なんで本当にゴミ箱に詰め込まれてんだよ。なんでお前は、早く連れて帰んないと、なんで

「ねえってば!!」

「あ!?」

体が跳ねた。なんだここ、世界が横向き……いや違う、自分が寝転んでいるのだ。

「酷いうなされ方してたから起こしちゃった、ねえ、大丈夫? あ、お水持ってこればよかったね、すぐ取ってくる!」

肩に置かれた右手、歩いていく姿、手も足もちゃんとくっついてる。

「お前、生きてるよな、手足もちゃんとあるし……」

「手足? 幽霊じゃないし生きてるよ、大丈夫……もしかしてまたあの夢?」

水を受け取って落ち着かない呼吸ごと腹の中に流し込んだ。気持ちが悪い。部屋に臭いものなんてないのに、鼻の奥でゴミ溜めの臭いがする。夢の中で嗅いだ臭いってのを覚えてるのも奇妙なもんだ。

「なんでだろうな、ずっと見る」

「大丈夫、現実じゃないよ。だってほら見て、こんなに元気に生きてるし!」

「そうだな……夢だ。お前がゴミ箱に入ってるところなんて一度も見たことねぇのに、はは、ほんとなんでだろな。見たことあるような気すらしてくんだ」

「気のせいだよ、大丈夫、大丈夫……」


ゴミ箱に入っていたのは僕じゃなくて君だ。

君と僕はご近所さんだったから小さい頃から一緒に遊んでいた。その日はインターホンを押しても「今日は熱を出してるから遊べないの、ごめんなさいね」と言われたから一人で遊んでいた。晴れていた空が今にも雨が降り出しそうな黒い雲に覆われて家に帰ろうとしている途中、ゴミ箱の中に入ってる君を見つけた。偶然だった。ポツンと置かれた丸くて大きな青いゴミ箱の中身が気になって、いたずらに開けてみただけだった。引っ張っても開かず諦めかけたとき、その頃親に教えてもらったペットボトルのキャップの開け方を思い出した。大きな蓋を半回転するとロックが外れて蓋が空いた。ワクワクしながら中を覗いたら君が入っていて、幼い頃だったからてっきりかくれんぼでもしてるのかと思った。それにしては半袖半ズボンから除く皮膚は傷だらけでアザができているし、具合が悪そうで、というかさっき熱を出してるって聞いたのに変だと思って直ぐに家に帰って母に伝えた。母の顔色も悪くなってすぐに付いてきてくれた。当時は理解できなかったが、虐待だったらしい。

胎児のように丸まって暗いゴミ箱の中に閉じ込められていた。今思い出しても躾というにはあまりにも痛々しくて、暴力的で、ただただ辛かっただろうなと心を痛めることしかできない。

己の過去を僕に投影して夢を見ているらしかった。それに気づいたのは本当に最近だ。週末定期的に部屋に遊びに行って夜通しゲームをしたり映画を見たりするほど仲は良い。僕はよく寝落ちしてしまうが君が眠っているところを見たことがなくて、聞けば「ショートスリーパーなんだ」と言われて「そうなんだ」で済ませてしまった。最近は少し眠れるようになってきたと言われ、変だなと思って事情を聞いた。

「ゴミ箱の夢を見るんだ」「こんな経験したことないのに、やたらリアルで気味が悪いんだよ」「正直怖い。蓋を開けてお前が死んでたら、お前が死んだら、いよいよ孤独になっちまうって」「お前が『捨てられる』って言ったのが妙に印象的だったんだ。それで夢に出てんじゃねぇかな。でもお前のせいじゃないんだ」

確かに前ちょっと厄介な恋人がいて、捨てられるだなんだと傷心したことはあった。僕がDVされてたから当時の僕は気が狂ってたんだ、捨てられるも何も僕が依存してただけで……とりあえず結果的に円満……でもないけど別れられたし、それはちゃんと伝えた。君に匿ってくれるって言われて僕も僕で甘えてしまっていたんだと思う。見捨てられたくないとか、でも怖いとか、嫌いじゃないけど離れたいとか、やっぱり嫌いかもしれないとか、さんざん吐露した。そんな僕の言葉と君の記憶が紐付いてより夢を複雑化させてしまった。

君は虐待の記憶がすっぽり抜け落ちている。だから夢を見ても自分のこととは思わないが、体験したことを体が覚えていてパニックを起こす。自分の脳と体が繋がっていない感覚は恐ろしいと思う。どうするのが正解なのか僕には分からない。無理に辛い記憶を思い出す必要はないんじゃないかとか、思い出してしっかり治療したほうがいいんじゃないかとか、しかしどれを選んでも君は傷つくだろう。ならばこのまま夢の話にしてしまって、僕を被害者だと思ってもらって、僕に投影することで巡り巡って自分自身を癒やすことに繋がれば、まだマシなんじゃないか。

一緒に過ごして楽しいことや面白いことを沢山すれば傷を癒すことができるんじゃないか。派手なことじゃなくてもいい。些細でつまらないことでも一緒にいれば孤独感だって少しはマシになるんじゃないか。恐怖や痛みより多く幸せを積み重ねれば、君だっていつかぐっすり眠れるようになったり、したら、いいな……。難しくても、少しでも楽に。

「気のせいだよ、大丈夫」

この言葉がもし呪いになっていたら……のろいでもまじないでもどちらでも良い。君が眠れるようになれるならどちらでも。



︰夜景 2024/09/19


ハッピー・インスタント・アンハッピー


なんでもいい、どうでもいい、インスタントな不幸が欲しい。それっぽいなにかに当てられて気怠く物憂げにしていたい。

夜景なんてもってこいだ。ベランダに出て遠くに見える街の灯をぼうっと見つめて物思いに耽っていれば“それっぽい”とやらだろう。「綺麗」と囁いたのを聞いた記憶がある。酒と煙草があればあの人みたいになれたんかな。俗に言うエモいってやつだ。……エモいのか?

浅ましいの間違いじゃないか。記憶は美化されがちだからな、酒も煙草も本質的にはエモくないだろう。ただ少し、星空の下、遠くに見えるビル群の夜景をバックに涙を流して、妖しく煌めいていたのが印象に残っているだけ。ああやっぱりあれはエモかったのかもしれない。

「煙草吸って黄昏れてそ〜」と友人に笑われたことがある。なんとも言えない気持ちになったのと少し嬉しいと思っていた気がする。たかが煙草で厨ニ病心を擽られただけだろと言われたらそうな気もする。酒とか煙草とか中毒になってんのいいなあって確かに思った。気を飛ばして忘れられて逃げ道があるって羨ましい。暴れて狂っても「依存症になってるんだもん仕方がないよね」って言えて他人にも思わせられるなんて最高の逃げ道じゃないか。そんな美味しそうなもの手を付けたいに決まってる。

中毒っていいよな、惨めでお手軽に不幸に触れられて。酒や煙草はインスタントな不幸だ。明確に何かに陶酔したいときに使えるもの。不幸と安堵を得られる優れ物。

「嗜好品だから嗜むのがいいんだよ」と多量の酒を摂取してスパスパ煙草吸ってるアンタに言われた時のおかしさときたら。ありゃもう傑作だった。

中毒人間なんて随分変なことばかり言う頭のネジが数カ所ぶっ飛んでる精神的にヤバい人という認識が強い。アンタがそうだっただけかもしれないから過度な一般化はよろしくないだろうけど。

どっちなんだ? 頭のネジが外れたから嗜好品に溺れるようになったんか、嗜好品に溺れたから頭のネジぶっ飛んだんか。卵が先か鶏が先か問題みたいだ。

「卵も鶏も食ったら全部胃に入ってクソになるからどっちでも一緒だ」

問題の本質をぶっ壊すあの人の理屈なら「結局どっちも自分で自分をダメにしてんだ。嗜好品が先だろうが頭のネジぶっ飛んだのが先だろうが一緒だ」と笑うんだろうか。

アンタの不幸を食って雰囲気に浸ってる。アンタを使用してる。なんでもいいから早く不幸に浸りたい。いつかのアンタと同様「心を埋められるのがジュースで口が寂しいからって飴を口にしてるみたいだって思ったら可愛いだろ?」って、幼児退行気分にでもなりたい。あーあ、夜景が綺麗なんて誰が言い出したんだよ。街の灯も星空もクソだ。何が綺麗なんじゃ。

「よくちっちぇ頃泣いたら親がオレンジジュースくれたんだよ。大泣きしてんのに差し出されたコップ見たら素直に両手で受け取ってごくごく飲んでた。そしたら大抵泣き止んでたんだよ。今もそれと同じようなことしてんだ。嫌なことあったら酒飲んでご機嫌になる。ガキの頃と変わらない。大人になると誰もあやしてくれないからな、自分で選んで飲むんだよ。それが酒に変わっただけさ。言ってもジュースも嗜好品らしいけどな。はは! じゃあ昔から変わってねぇなあ」

そう言って缶を傾けてグビッと喉を鳴らしてた。「やっぱビールだよなぁ、発泡酒とかアレとかあんま美味しいって思えなくてさぁ」とボヤいてたのは聞き流して。アレってなんだよ、発泡酒以外になんかあんのか? 尋ねようとしたけどやめた。酒について一尋ねると十返ってくるからダルくてなるべく話したくなかった。その前も焼酎買うときはラベル見ろよとか本格焼酎がウマいからなとか甲を買えよとかそれ以外は体に悪いからなとかあれこれ語ってきた。酒も煙草も体に良くねぇんだからもうあんま関係なくね? とは言わなかったが。

アレって第三のビールのこと話してたんかなあ。

「車酔いするからよく飴ちゃんとか舐めてた。つか車とか懐かしーな。別に飲酒運転なんてしてないのに何回も事故って免停してよぉ、さっぱり運転してねぇや。そうそう、あと起きてる間はなんか口が落ち着かなくてずっとなんか噛んでたよ。それが煙草に変わっただけ。あ〜でも電子煙草は変な臭いするしマズいし吸った気になれんくて好きじゃない。シガーが一番ウマいんだけど、切ったり手間かかるしたけぇから辞めた。ああでもふかしてんのが一番好みなんだよなぁ、やっぱ買おうかな……でも結局どこにでも売ってる紙煙草に落ち着くんだよ」

あちこち飛ぶよく分からない話をゲホゲホ咳き込みながら隣で聞いてた。酒と煙草の話をする時だけやたら饒舌になるのはなんなのだろう。普段はめっきり口を開かずボーっとどこかを眺めているだけなのに。ボーっと酒飲んで辛うじて袋ん中に嘔吐してまた酒で洗い流して、空っぽの胃に酒入れるからまたゲロって。煙草も吸うから酔いが回りやすいのか気分が悪くなりやすいのか悪酔いしてうなって。全く換気しないから空気が濁りまくってて死ぬぞって言えば「あー」だか「んー」だか返事とも言えぬ返事して。

「とりあえずさあ、ジュースとか飴がちょおっと変化しただけなんだよ。だから別に変なことでもないでしょ。美味しいよ」

美味しいから何だと言うのか。言い訳しているみたいに聞こえたのは自分がそんなの言い訳だと感じたからか。

羨ましかったな、お前そのままぶっ壊れちまって。心を蝕み体を蝕み、不幸を摂取して。アンタは幸せだったか。

ああいいな、カッコつけて酒や煙草やってギャハハハ騒いでる奴らより、そんなの体に悪いし臭いし良いことないよと言ってるまともな人間より、ああいいな、アンタってホントいいな、酒と煙草の中毒者。妬ましいとかの意味じゃない、イイなってヤツ。好ましいの「いいな」だよ。

友人に煙草吸って黄昏れてそうと揶揄われた時少し悲しいとも思った。自分は煙草が吸えないから。小さい頃から気管支が弱かったし、副流煙ですらゲホゲホ咳き込んでしまう。吸えない。吸いたくないだけかもしれない。酒も飲めない。アルコールの臭いでベランダに出たことを鮮明に思い出して吐きそうになるから無理だ。結局どこまでいっても変なところでクソ真面目なまま。

ああいいな中毒者。人を夢中にさせる、本人がアディクトにさせてるみたいだ。

まてよ「夜景が綺麗」なんて聞いたことないぞ。アンタが眺めてたのは夜景じゃなかったんか。じゃあなんだったんだろう。あの人は何が「綺麗」だと言っていたんだろう。てっきり夜景だと思っていたからふ〜んだかへぇだかそうだなとか答えた気するけど、なんだったんだろう。夜景を「綺麗」なんて形容する感性があること自体が妙だと思っていたが、やはり夜景ではなかったのだ。夜景じゃなかったんだとしたら何が見えていたんだ。

夜景を見て「わーきれい」なんて言うはずがないと思っていたさ。夜風に当たれば少しはスッキリするんじゃないかって少ない知識でベランダまで引きずった。自分らにそんな感受性があるとも思ってなかったさ、ろくでなし。最初からろくでなしなのかろくでなしになっちまったのか、そんなのも腹の中に入れりゃ一緒だろ。

アンタなんで泣いてたんだっけ。知らないな。

ほんとはアンタのこと知ろうともしてないことがバレたからか? 泣いてる理由も知ろうとしないほど関心が薄いってのがバレたからか? それとも「いいな」って思われるのが嫌だった? バレても別に良かったけど、アンタは知りたくなかったんかな。そんな弱ってたか? どうでも良かったろ。ただ何かを見て素直に綺麗だと呟いた声にしか…………。

何かを感じた? 何を。夜景、キラキラ、夜風、涙、悲しい、懐かしい、喜び? 酒、手から滑り落ちてた、カツンカランカランカラン、見向きもしてなかったはずだ、じゃあどこを見てた? 頭の位置は変わってなかった、顔の向きも、遠くを見つめていた? 遠くを見て「綺麗」と。綺麗、感情、感覚、内面的な何か、心象風景。嗜好品、中毒、溺れる、崩壊、精神的な崩壊、現実逃避、苦痛から逃れられた一瞬。周りから見ればただ痛々しく、醜く、あれは薄ら笑いするような状態で……いいやあれは純粋な陶酔の声だった。アンタもしかして、自らぶっ壊れていくのが美しいものにでも映ってたのか?

……やめよう。こんなパラグラフを展開しても意味がない。あの人は幻覚とか幻聴とかの域に達してたんだ。ベランダの床にビールぶちまけて空気中に喋りかけてフラフラ踊ってたのがいい例だ。どうせなんか違うもんでも見てたんだろ…………あーーーーーーー………………。

――――――――どうでもいい。

煙草を消費して酒を消費して心を消費して人を消費して不幸を消費して、ただただ表面的に消費して。ああハッピーインスタントアンハッピー。お手軽な不幸に導いてくれるならなんだっていい。エモいなんて自分にとってはどれもこれも使い勝手のいい逃避の道具で虚飾でしかない。感情の麻痺、空虚への恐怖? 自暴自棄とかそんなんじゃないよ。そんなんなんか? そういう濃度にいるのがただ心地良くて、ただ重苦しくて、ただ慣れ親しんでいて、ただ安心できるだけ。導いてくれるなら別にチープな夜景でもいい。誰かが残業しているただの電気の光で構わない。うす雲に霞まされている名前の認知すらされていないようなちっちぇ星屑でも構わない。夜景を綺麗だと思うことは今後しばらくないだろうし、こんなに夜景は遠いのだから、ああそうだよ、アンビバレント、自分も十分中毒者、だからこの際なんだっていい。インスタントなアンハッピーを三分で作れるのならハッピーだからどうだって。

12/30/2024, 5:51:35 PM