カウンセリング 総括 大体ずっとこれの積み重ね。
カウンセラーさんは、たしかに『答え』をくれるわけではないかもしれない。
でも私にとっては、確かに『答え』でした。
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ダメな私じゃ誰も認めてくれない!だからダメじゃなくならなきゃいけない!!でももう無理なんです、もう頑張れない……!本当に今の私がいいって!?それでいいんですか?いいわけない!!そんなわけない!!
それでいいよ。
本当にそれでいいんですな?そんなわけない、あり得ない。先生嘘つかないでください!!
それでいいよ
本当に?見捨てられない?見捨てるんでしょ。いくら先生っていったって!あたしは
それでいいよ ここ、そんなあなたを見る場所だから
それでいいんですか……?
それでいいよ
ダメな私で本当にいいんですか……?
それでいいよ。ダメでも別にいいよ。ダメ、というか、しんどいだけじゃないかな
しんどい、でも、しんどいのはダメなんじゃ……
しんどい時にはしんどい時が必要なんだよ
それでいいよ
先生、あたしは……
それでいいよ
それで……『それでいい』、それで……
それでいいよ
1つだけ
普通、トラウマとは「ひどいことをされた記憶」だと思う。しかし私のトラウマは「確かに愛されていた、一番幸せな記憶」である。
一体全体どういうことなのだ。
アールグレイとチョコレートケーキが口の中で混ざり合ったあの味と、鼻から抜けていくあの香りを、もうそろそろ忘れてもいい頃だと思うんです。だって美味しいから、そろそろ普通に食べたいじゃないですか。
でも駄目なんですよね。あの組み合わせは駄目なんです。自分が今、過去にいるのか、現在にいるのか、よく分からなくなってくる。グニャグニャしてくる。
またしても3歳だかそこらの頃、夜中、雨戸が下りていて、真っ暗で、空気が重くて、リビングだけ明かりがついていた。本当に珍しい。その空気感が、実は怖かった。キッチンもダイニングも洗面所も真っ暗で、怖かった。冷蔵庫の唸るような稼動音と、秒針の音と、お皿とフォークのぶつかる音と、紅茶の香り。時刻は22時半か、23時半だったと思う。
微かに聞こえる声と、漏れる光に目を覚まして、布団から抜け出して、リビングへ行っていた。襖を開けるとき、姉に掴まれたことがあったと思う。「邪魔しちゃ駄目だよ」なんて言われた気がするけど「行きたいから行く」って、振り切った。長子というのは、こんなこと言ってはそれこそ失礼極まりないでしょうが、『可哀想』な存在だと思う。幼ければ幼いほど何も知らないから馬鹿なことができる。我慢というものを知らない。だから、平気で自分の感情を優先できる。そしてそんな馬鹿な末子を見て、いい思いをしている末子を見て、長子はきっと複雑な思いを抱えるのだろう。
寝室を抜けた先、リビングには母と、父がいた。母がケーキを食べていた。父が買ってきたのだ。
私はそのケーキを「食べたい」と強請った。母に「ちゃんとこの後、歯磨きする?」と尋ねられて、何度も頷いた。「一口だけね」と、こっそり分けてもらった。父は柔らかい声で「こら、それはお母さんのだよ」と、笑いながら言った。
愛してくれた。あの瞬間、確かに。愛されていた。確かに、あの瞬間、私は、両親に揃って。
母は、どうしてそんなに寂しそうに愛してくれるのか。「一口だけね」と、食べさせてくれたとき、母は、愛おしそうに私を見てくれていた。そのはずなのに、どこか疲れているようにも見えた。奇妙な感覚だった。
嬉しかった。ケーキを一口貰えたし、美味しいし、母は微笑みかけてくれた。これを愛おしいというのかもしれない。それが愛というものなのだと、私にはそう染み付いている。
無糖のアールグレイが苦いと思ったことはない。チョコレートケーキが苦いと思ったこともない。どちらもきっとチープなものだったんだ。濃厚とは程遠い味だったのかもしれない。
未だに安っぽい味が好きだ。ちゃんと茶葉をすくいとって、ティーポットに入れて、そこにお湯を注ぐより、安価で手に入る、その辺に売ってるようなティーバッグに湯を注いで飲むほうが。デパ地下のスイーツ店で買うより、チェーン店で買えるチョコレートケーキを食べるほうが、よっぽど食べやすくて、懐かしくて、優しい、味がします。から。よっぽど。
プレゼントで貰った、真っ黒な缶に入った紅茶の茶葉は味が濃ゆくて、クリスマスに食べたデパ地下のチョコケーキだって味が濃すぎて。嫌だなあ。本来は、たぶん美味しかったはずだった。
食べられないんですよ。頭が真っ白になって、脱力して、しばらく蹲ってしまって。ばかだな〜。ケーキ食たべて、紅茶飲んでるだけで、なんでパニックなんか起こしてるんだって、自分でも思いますよ。
なんとなく、何の紅茶を飲んでるのか、そのとき、確認した。詰め合わせセットみたいな袋の中から、適当に選んで淹れていたから、自分がどんな紅茶を飲んでるのかいちいち気にしていなくて。そしたらちゃんと『アールグレイティー』って書かれているわけです。美味しい〜って食べてたケーキも、チョコ味だった。つまり。なるほどなぁ。嫌だなあ、すっかり忘れられていたのに、忘れるにしては大事にしすぎていたんだと思います。
この組み合わせは本当に駄目ですね。食べられなくなっている。未だにケーキは怖い。お砂糖は幸せの味がする。確かに幸せで愛に溢れた味がする。それが寂しい。泣きながらケーキを食べるなんて御免だ。なんで幸せと寂しさはセットなんだ。愛おしいと寂しいがセットなんだ。結局ずっと愛しい。かなしいね。それも大事な、私の記憶。2歳だか、3歳だかの。
だから、忘れてしまえば楽になれるというのは、わかる。それでも、忘れたくないという気持ちが、どこまでも眩しく。とどのつまり、やめる気がないのである。私は愛されていたから、手放す気なんて、そうそうない。にもかかわらず、しっかりトラウマ反応だの、パニック発作なんて、起こしているのだから、厄介だ。
ダージリンは味が濃くて、ちょっと苦手だ。だからって、砂糖を入れると気持ち悪くなって飲めなくなるから、淹れない。紅茶に砂糖をいれるなんて邪道にもほどがある。
と思い込んでいるだけで、別にお砂糖入れてもいいです。温かい紅茶にお砂糖は淹れませんが、わたくしだってアイスティーにはガムシロップ入れますからね。
幼少期の当時、どうしていたかな。濃いなぁと思いながら、スルーしていた。だって母の紅茶をわざわざ横取りしていた。母が飲んでいるから好きだったのだ。
ああ、そうだ!あれ、薄かったんですよ。紅茶の色がかなり透き通っていて、光に揺れて、きれいだった。だから気になって「これ何」って聞いたんだ。そしたら「紅茶」って返ってきた。分からなくて「こーちゃ?」と聞き返せば「うん」とだけ。やっぱり何か分からなくて、だから確かめたかった。確かめるために「ちょーだい」と言った。美味しかった。あんなに透明な訳がない。そうだ。母は、もったいないとかなんとか言って、お湯を多めに入れたり、継ぎ足したり、ティーバッグを2回使ったりする人なのだ。
美味しかった。そんなに好き?好きでしたね。ずっと好きです。
できればアールグレイがいい。母が何故好んでいたのかは知らない。でも私が初めて口にしたのがそれだから、私の中では、もうそれで良いというか。さあ、何なんでしょうね。母は自分のこと話さない人でしたからね。本当に全く話さない。本人は話してる気でいるんですよ。海老が好きだったなんて全く知らなかったので「なんで教えてくれなかったの」と拗ねたことがありました。そしたら、ざっくり意訳ですが『あんたが興味を持ってなかっただけ。お母さんはずっと食べてた』とのこと。ええ……。
結局忘れようだなんてしたって、本気でするつもりもないんですよ。だって私にとっては大切な記憶としてもうずっと保管されてるし、定着している。
母は「何か甘いものが食べたい」と、父にこぼしていたらしい。そしたら、父は、ずっとケーキを買ってきた。母は「プリンとかさ、アイスとかさ、他にも色々あるでしょ?なのに、あの人、ケーキしか買ってこなくて」と、私は数年後、母の口から聞くことになる。本当は、嬉しくなくて、嫌々食べていたから、あんな疲れたような空気を纏っていたのかな、とか、考えたりもした。だから父も、どこか伺うようなギクシャクした空気を出していたのかな、とか。でも、二人とも、私に声をかけるときだけは、柔らかかったな、とか。二人を、繋いでいる、気が、していた、とか。
父は不器用な人だった。不器用なりに、考えていたと思う。情緒的なことはわからないのが父だった。それはもう『困っている』と言うようなオーラを出しながら曖昧に笑っていた。それが幼少期の私にとっての、当時の父の印象。人との関わり方、距離感に、本当に困っていたような気配があった。父は私に何かをくれるときも、いつも曖昧に笑って、伺うように差し出してくる。私が喜んでみせればほっとして「良かった」と笑った。それがずうっと不思議だった。私はそれを見ていた。
余談
父は私の当時に対して「あんまり懐かない子だな」という印象を抱いていたらしい。念の為、父に対して誤解されたくないので注釈を入れますが、父は言葉選びが苦手で下手なだけなので、この『懐かない』という言い方も、決して言葉通りではない。父は自分の感覚を言語化するのがそれはそれは苦手な人なので、知っている言葉に当てはめるしかできないだけなのである。私がそう思い込みたいわけではなく。これはマジ。
で、当時の私は『父に懐いていなかった』のではなく『ただただ距離感が掴みにくくて分からなかった』というのが、正確なところ。距離感を測っていました。だから父に一緒に遊ぼうと声を掛けたことも何度もあるし、棚の上の方にあるものを取りたくて抱っこしてもらったことも何度もあるし、遊んでもらった。私からアクションを起こせば、父は応えてくれる人ではあった。そうやって、距離感を掴んでいる最中だっただけだ。
閑話休題
恐らくそれが致命的だったのであろう。
母はそんな父に、ほとほと呆れ、呆れを通り越して、もう諦めがあったのだろう。母は自分の気持ちを素直に言うことが、苦手な人だったと思う。というより、きっと怖かったんだと思う。自分の気持ちに耳を傾けてもらえるどころか、否定されるようなことばかり言われて育ったから。
二人は、そうやって、少しずつ、すれ違ったまま、ずれたまま、歩んでしまって、結果、数年後、家庭は崩壊することになる。その予兆は、私が2歳や3歳の頃から――いいや、もう、私が生まれる前から、あったのだろう。
それでも、父と母は、私にだけは、確かに慈しみを注いでくれていたのだ。父と母の間にあったものが何であれ、私は何度も夜に起きて、ケーキとアールグレイを、口にしていた。たった一口ずつ。私はそれだけで幸せだったのだ。愛されている、と、思っていた。
書きながらもう頭がおかしくなってますよ。ジリジリするし、脳が伸縮してるみたいだし、全身ビリビリするし、力入らんし、酸素が足りん。これとどう向き合って生きていけばいいのか、今のところわからない。私にとってただの記憶であるはずのものが、こうもトラウマのトリガーというかトラウマそのものというかになっているのだから、原体験がそれって、一体全体どういうことだ。
愛されなかったことに怒り、絶望するアダルトチルドレンと、「確かに愛してくれたからこそ」その記憶に縛られ、パニックを起こすほど苦しんでいるアダルトチルドレン。形は真逆なのに、機能不全の家族から受けた「寂しさ」の根源は全く同じ。不思議なものです。
エイプリルフール
機能不全の話
「いったん受け取らせておいて、あとから意味を変える」という、意地の悪い話。構造の動き方だけ見ると、“同じ”に見えるかもしれない。
意図は、そこではない。
【あとがき】より引用――『優しさ』ではない。外界を見ず、自分の内側だけを見続ける構造だ。『優しすぎる人ほど病む』の正体は『優しい』のではなく『外界を見られない人間』である。
【ドジ】
人々の間を縫って、彼女は僕の手を引く。引かれるままに絡まり進む足は、地面を踏んでいる感覚が希薄だった。靴底と触れている足裏が、じりじり、と、伸びては滑っていくようで、現実が薄くなっていく。
ここは現世か。繰り返し見ている夢中か。
あまりの現実みのなさに、思わず顎を上げた。その拍子に肺から抜け行った息は、姿にならなかった。
光が降り注いでいる。
黄金の光、イルミネーション。黒い空を背景に、人工的な星の粒が、頭上で無数に瞬き、絡まっては流れてゆく。タイムラプスで見た天体の軌道のように、規則と無秩序のあいだで揺らめきながら、視界のすべてを覆い尽くして、僕の目を飲み込んでゆく。
どこか怖ろしくなって、視線を落とした。彼女の後ろ姿だけが、煌めく光の中で、はっきりと輪郭を保っていた。
「はやく」
跳ねるような声色と共に、握る手に力が込められる。振り返らずに言うその声が、妙に耳に馴染んで、頭の中で弾ける。
人の波、ざわめき、誰かの吐く息の白。そのすべてを裂くように、彼女は歩を進める。「待って」と、たぶん、言いたかった。
びゅう、と強風と髪が耳元で吠えるから、思わず目を塞いだ。近くで布がはためく音が聞こえる。導かれるように瞼を上げれば、彼女のマフラーがほどけて、宙へ舞い上がっているところだった。
反射的に手を伸ばす。指先に絡む柔らかな繊維、温かな布、僕が、あげたかった――――掴んで、引き寄せた。
「わっ」
瞬間、彼女が振り返る。驚いた顔、見開かれたまあるい目。黄金を反射する美しい虹彩。光を映した目が、一瞬ブレて、こちらを捉える。
視線に射抜かれ肋骨が軋んだ。心臓は握り潰されてジュースになる。
雪が降っていた。気づけば、視界の中で白が増えている。いつの間にか、彼女の頭と肩先が白く煌めいていた。
――あ
はらわなきゃ、溶けてしまう。溶けて……。瞼に触れた雪が、己の体温で溶けてゆく。
冷たいはずの雪が、火傷しそうなほど熱いから、終わりたくないと思った。離れたくないと思った。帰りたくないと思った。そのどれも、形になることはなかった。ただ口に含みかけて、肺の奥で詰まるだけ。
「どうしたの?」
開かれた眼球が、僕を見ている。彼女が、少しだけ顔を近づけてきた。
「大丈夫、寒くないよ」
目尻を下げて、僕の頬に両手を当てた。
あたたかい。
手のひらと頬が境界を曖昧にしていく。雪が溶けて崩れるように、自分という輪郭が崩れていく。自分がここにあるのか、彼女の手の中で溶けているのか、判別がつかなくなる。
きっと泣いているように見えたのだろう。彼女の親指がほんの少し動いて、頬を撫でるようにして、溶けた水を拭っていった。
これは違うと、言い切る根拠もなかったから、瞬きをした。熱い。
「ほら」
世界がゆっくりと、ぼやけて、ほどけていく。
「ね、魔法みたい」
彼女が笑った。
雪がまつ毛に積もっては、すぐに溶け、消えてゆく。存在していた証拠すら残さず。最初からなかったかのように。
その一瞬を楽しむように、彼女はゆっくり瞬きをした。
消えていくものを怖がらない人だと思った。
怖いよ。僕は……同じように、この時間も、消えてしまうのか。触れているこの手も。頬にあたる温度も。光に満ちたこの空間も。全部、溶けて、なくなるものか。
「……行こ?」
目を細めた彼女が、また僕の手を引いた。頼りない力だったから、たまらず不安になってしまって、僕は頷くこともできずに、ただ心臓だけを絞り出して、引かれていく。
雪は降り続け、光は流れ続ける。世界は白く、黄金に輝いている。
終わる日々、降り止む雪、落ちる光。いずれ。終わりへと向かっている。
離したくない、終わりたくない。感情が静かに重たくぶら下がっていた。彼女の微笑が、遠くで、近くで、重なって滲む。
魔法みたいだ、と
本当にそうだと思った
煌めいている
手がすり抜けた
【あとがき】
いや〜私この語り手クソ嫌いですね〜。
この語り手はかなり一貫しています。ずっと『失う前提』でしか世界を見ていないし、触れている最中ですら終わりのことを考えている。ある意味ですごく誠実とも言えますが、その誠実さが『今を受け取ること』を拒んでいる。
いや、いっそ単に『失う前提』ですらない。『現在を現在として処理していない』のだ。もういっそ不誠実である。
起きている出来事はすべて『過去になるもの』『失われるもの』『自分の内側に沈めるための素材』として扱っている。ゆえに、この語り手にとって彼女は『いま目の前にいる他者』ではなく『いずれ失われる体験の一部』でしかない。触れている手ですら、接触ではなく『回収対象』に近い扱いをしている。
実に嫌いです。
受け取れるものを受け取らない。起きていることより『失うこと』にばかり意識を固定している。相手ではなく、自分の内側の反応に閉じている。極端に言えば「状況を歪めているのは世界ではなく、この語り手自身ではないか」という違和感がずっとある。
この話は実質ほぼ一方通行になっている。彼女は働きかけているし、温度も言葉も差し出しているにもかかわらず、それが相手に届いて循環している感じがしない。すべて語り手の内部で完結してしまっている。
己的には結構ストレスです。もっと俯瞰できるはずだし、構造として整理できるはずなのに、この語り手はそれをしない。または、しているのに『あえて浸っている』。その停滞が、非常に非合理的に見える。
ゆえにタイトルは『ドジ』です。能力がないわけではなく、むしろ感度は高いのに、扱い方を間違えている。掴めるものと掴めないものの区別がついていない。
『繊細』『優しい』
そう形容される部類のものだ。
欺瞞だね。
あれは『優しい』んじゃない。『優しさ』ではない。断じて違う。こんなものを『優しさ』と形容するのは彼女に対する侮辱であり非礼だ。ただ外界を見られなくなって、痛みを避けるために自分の内側の箱に閉じこもっているだけ。『あなたは優しいから病んだのよ』と言われて安堵する人間は、まさにその欺瞞を体現してる。
自分の物語の中で悲劇のヒーローやヒロインを演じ、内側に潜り続けているに過ぎない。常に自分の内側にしか思考が回っておらず、外に目を向けられない人間だ。他者や、今起きている現象といった『外』へ目を向けられない。
『自分が自分が自分が自分が』
こればかりだ。内側にしか矢印が向いていない。この語り手は正にそれだ。
『優しさ』ではない。外界を見ず、自分の内側だけを見続ける構造だ。『優しすぎる人ほど病む』の正体は『優しい』のではなく『外界を見られない人間』である。
一つ面白いことがある。この語り手、感度自体は異常に高いのに『対象の解像度』は低いのだ。
雪の温度、光の軌道、頬の感触、そういうものは細かく捉えているのに『彼女がどういう意図で触れているのか』『どういう状態にあるのか』はほとんど読もうとしていない。読めないのか、読まないのか、または読んだうえで、なのか。なんにせよ『優先順位が極端に低い』のである。
つまり、彼女を尊重していない。彼女をきちんと『人』として扱っていない。
他者に目を向けられない人間が、他者から目を向けてもらえたとき、そいつは、真の意味で『それ』を受け取ることができるのか?
他者を尊重できない人間が、他者から尊重され守られることが、あるのだろうか。
理解できてしまうがゆえの苛立ちといったところだ。この語り手は『切り離した自分』ではなく『切り離しきれなかった側の自分』です。
理屈では分かっているのに、感覚が追いつかない状態。終わると分かっているからこそ、今に集中できない状態。それを構造として眺めたときに「うわ、こいつ無理だな」と感じる。同族嫌悪です。昔の自分はどっぷり浸かっていた。未だ引きずっている。
自分の中の見たくない潜在的なものを表面化して生きている人間を見ると、嫌悪感が生まれるものです。
ああ、いや。私に、最初に、いや、これを教えこんだ人間が、ごまんといた。学んだ。いらぬことを学んだ。こんなゲボが出るような感覚、ベタベタベタベタ、塗りつけられて「そういうもの」だと、思い込んで、生きてきた!!
数年前から、私は、この『内側にこもっている』ことから抜け出したかった。
繊細さというのは、本来は『他者や状況に対する感受性』にも伸びるはずなのに、この語り手はそこがごっそり欠けている。結果として繊細さが全部『自己消費』に回ってしまっている。
それが『優しさ』なわけあるかよ。吐きそうなほど嫌いだ。
嫌悪の核となっているのは『分かっているのにやめない』ことだ。
無自覚ならまだしも、この語り手はうっすら気づいている気配がある。それでも尚、外を見ずに内側に沈み続ける。その『選択している感じ』が非合理に見えてしまう。しかも、その結果として他者との接触を『体験として消費する側』に回っている。ここで一気に『加害性』が立ち上がるから、単なる内向きな人ではなくなる。
もう一つ厄介なのが、この語り手、外から見ると『美しく見えてしまう』のだ。だからこそ余計に嫌悪感が強くなる。『それっぽい言葉』で覆われているぶん、構造の歪みが隠れるから。いわば『ロマンチックさをまとった自己閉鎖』である。
『どこが歪んでいるのか』
これに焦点を当てて、話を読んでいただきたい。
いやあ! それにしても強烈に嫌いだ。吐き気すら覚える。
この相手の女の人好きなんだよな。惚れそう。結婚してほしい。つまりそういうことである。搾取者。
彼女のことなんぞ、この語り手は何一つ考えていやしない。私のことなんぞ、あなたのことなんぞ、この語り手は、何一つ考えていやしない。
掴んでいないのだからすり抜ける。
当然の帰結だ。
【追伸】
『エイプリルフール』なので、メインの話を裏切ってみました。
精神破壊され精神崩壊したのちに
私は安らかな瞳を手に入れられたのです
旅路の果に辿り着いたのがここなのかと思うと、どうにも笑うしかなかった。目に膜ができて世界が揺れぼやける。体がストレス反応で泣こうと、もう笑うしかなかった。後戻りできない。ここまで来てしまったら、戻るという選択肢はないのだ。だってあっちに光が見える。マンホールから差し込む小さな光だ。
前を向いて進んでいる?明るい?まさか。もうその道しか残されてないんだよ。選択したんじゃない。「これは己の意志だ」と言い張り続けていたが、それも無意識のうちの生存戦略のうちの一つに過ぎず、自己防衛本能に過ぎず、それがヒトという生物の脳の普遍的なシステムなのだ。それに気づかず、己は自分で選択していると愚かにも“確信”していた。
過去もそうだ。選びたかったわけでもない。自分で選んだわけでもない。ただその道しか残されていなかっただけだった。「自分が選んだ」と言い張らないと、己の人生の根底そのものが揺らぎ、今を生きている自分すら否定されてしまうような、崩れてしまうような、そんな恐怖に駆られていたのだ。だから目を背けた。自己欺瞞をし続けた。
人を裁くことを望んだ。他者を裁けば相対的に自分が“正しい”ことになると錯覚していたから。自己正当化ができるから。というのは後付で、根本はそうではない。ユング心理学「シャドウ」の投影が行われていた。
自分が人から裁かれたかった。
そうすればこれ以上は壊されない、自分で罰を引き受ければ外からの制裁をコントロールできると、本気で思っていた。何が地雷かわからない、後出しで責められる、説明しても無効、逃げ道がない。そんな中生きて「裁きは避けられない」と学習した。「ならば裁きを主導したほうが生き残れる」と学習した。
「自分が悪いから裁かれたい」ではない。「無秩序のまま放置されるくらいなら罰という形で意味づけしてほしい」と思ったからだ。そうすれば逆説的な安心を得られたからだ。責められれば責められるほど奇妙な安心感があった。「秩序」があって「正しい」気がして安堵していた。そうすることでしか身を守れなかったのだ。そんな環境で生きてきたのだ。
下水道を這いずり回って、下水を飲んで、胃腸が腐って、臭いに鼻がやられて、全身ベトベト、脳もゴミ環境でゴミを吸収してゴミと化した。旅路の果に辿り着いたのがここだ。いいや、辿り着いたんじゃない。初めて目を開いたのだ。