よあけ。

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9/5/2025, 4:49:18 PM

信号

歌が上手くなった。 なんとなく録音してみたことがきっかけだった。あまりに酷いものだからいっそ面白くて、研究してみようと思った。カラオケのキーを変えるということを初めてした。歌いやすくなってびっくりした。滑舌が悪い音があるなとか、ここの癖うざいなとか、ここひでぇなとか。そこを一つ一つ潰していく。でも好きな癖は残して。そうやって歌っていく。前より幾分か歌うのが楽しくなった。調子に乗るとまた変な歌い方してるから、また研究して。綺麗に歌えるように。赤の他人の声に聞こえるから、不思議と恥ずかしさはない。誰かをプロデュースしている気分で録音を聞いて修正点をメモして、それを歌うときの自分が見る。二人三脚。

信号を見てる。 青に変わる瞬間を考えてる。みんなじっとしてた。片足でリズムを刻む。足りなくて肩を揺らす。頭が揺れてる。きっとメトロノーム。出遅れてる。横断歩道に乗り上げて考える。誰か突っ込んでこないかなって。今しか見えない向こうの景色を見てる。

元気になった。 よく笑って、よく食べて、よく出歩いて、よく買い物をして。皆が私を見てにっこりする。調子がいい、こんなに物事を前向きに受け止められる、考えられる、元気になってる。普通の日常を歩んでる。

3時間ぶっ通しカラオケをした。すごく楽しかった。数週間の間にいろんな人と色んなところに行った。すごく楽しかった。ふらっと隣町のショッピングモールへも行った、カフェへも行った。ふらっと何度も郵便局に行って発送もしてきた。こんなに回復してきてるみたい。みたい?みたい?みたい?みたい?みたい?みたい????

泣き叫んだ。 喉が震えるほど泣き叫んだ。「ぶっ殺してやる」「のうのうと生きやがって」って誰かを呪ってた。「ヘラヘラしやがって」「使えねぇな」取り繕ってる自分に。「なんの効果もねぇじゃねぇか」「役に立たねぇな」「なんだよそれ」薬に対して、診察時の自分に対して。

相変わらずだと思った。それどころか昔よりもっとおかしくなってるんじゃないかって。本当に良くなってきてるはずなら、こんなに泣き叫ぶわけないじゃないか。

高所恐怖症になった。 50m下へぐちゃりと押しつぶされるんだろうか。それを願ってここまで来たのに。何を当たり前なことを。まあるい夕日が赤信号みたいだった。待ってた。青信号になるのを。じっとできなくて片足が揺れる。上半身が揺れる。「赤ん坊の人生に幸多からんことを」。スマホをギュッと握りしめて覚悟を決めた。気がする。

上手に書けなくなっちゃった。脳みそ、壊れちゃった。

8/26/2025, 5:04:14 PM

外部記憶媒体

 言葉も記憶も感情もすべて消耗品だから、なるべく長く保存しておきたいよ。だから冷凍保存するんだ。
 あの時の柔らかく刺された台詞、あの時の世界が煌めいて見えた視界、あの時の甘い涙の味、あの時の濁流の痛み。何度も使っているうちに言葉は価値が落ちるし、記憶は擦り減っていく。毎日消費していれば、いずれ最初の感覚が何だったのか忘れてしまう。
 ならそのまま冷凍保存してしまえばいい。いつか解凍された時、当時の感覚がそのまま蘇ってくれるはずだ。すべて冷凍して、全部忘れて、鍵となるものだけを棚の奥にしまっておく。部屋を片付けているときにたまたま触れる程度の場所に。
 忘れられることは幸せだ。長く味わっていられるのだから。

 好きだったゲーム、好きだった物語、好きだった人。意識していないものはすべて忘却される。この脳はすぐ記憶喪失になる。そして何度もそのゲームをしては感動してのめり込み、何度もその物語に触れてたその度に噛み締めて、何度も同じに人を好きになっては、そうやって過去を何度も再生する。過去を再生していたってその時感じる感覚はすべて「初めて」だ。何度だって好きになる。
 私は私の脳みそが好きだ。大して役に立たない残念な脳みそが、こうして言葉を書き残すことを選んだ。価値を瓶に詰めたいと願ったあの頃から、私はずっと価値を瓶詰めする作業をし続けてきた。君の脳に欠陥があったからだよ。何も覚えていられないことを嘆いた君がいたからだよ。
 この価値を詰めた瓶は冷凍されて、いずれ解凍される。この意味が君にはちゃんとわかるはずだ。
 君の脳に欠陥があるからだ。だから冷凍保存できる。忘れちゃうのが悲しいなら、鍵だけどこかに隠しちゃえばいいんだ。文章でも、音楽でも、写真でも、絵でもいい。記憶はものに宿る。脳みそじゃなくたっていいよ。全部覚えてなくたっていい。

 君は素足のまま歩いたっていい。僕は僕の脳みそが好きだ。

8/18/2025, 3:07:49 PM

足音

人生ずっと悔い改めて生きていきたい

もっと大事にすればよかったって、もっとあの時間とあの場所とあの関係性をちゃんと大切にすればよかったって

喋り方、言葉遣い、表情筋の動かし方、手の動かし方、歩き方、立ち居振る舞い全部改めて

そうして「別人みたいだね」って言われたら
私は「そうかな」って笑ってみせる

貴方が望むように振る舞いたい
貴方が望むように振る舞いたかった

どんな風にすれば貴方の好みか知ってる

ねえこの喋り方が好きなんでしょ
ねえこんな言葉のチョイスが好きなんだよね
ねえこの笑い方が好きなんでしょ
ねえこんな仕草が好きなんだよね
ねえこの足音が好きなんでしょ
ねえ私が好きなんだよね

ねえもっと、今ならもっと理想通りになれる
私の理想通りになれる

人生ずっと悔い改めて生きていきたい

■■

 私のことを推しだと言い出した人がいる。同い年で同性の子。「癒やし」「世界一かわいい」「天使」だって、オタク特有の誇張表現をしてくる。ベタベタに甘やかしてくる。その子と話しているときその子は私と握手会でもしてるのかと思えてくるくらいには私のオタクをしてた。
 その時のことを思い出した。
 何度も考えた。なんでそんなに好かれてるのか分からない、そういう不信感が積もって酷く吐きそうだった。そんな内心とは矛盾するように脳内では「どうやったらあの子の好みにもっと近づけるだろう」「どうやって振る舞おう」「どんな喋り方をしよう、どんな言葉遣いをしよう」と考えていた。
 なんで、って言われても分からない。好かれたかった?嫌われたくなかった?幻滅されたくなかった?本当の自分を隠して「好きだ」と言うやつを見下したかった?当時も今も分からない。
 どうせ短期間の付き合いだ、そのうち飽きる。そう思ってから、もう何年もその子と付き合いがある。そしてその子の前での私を見た他の友達から「別人みたいだね」と言われるのだ。
 しばいてやろうか。二度と口にするなよ。お前に何が分かる!!
 そんな気持ちを飲み込んで「そうかな」って曖昧に笑った。「人って誰でもAさんの前での自分、Bさんの前での自分って違うからさぁ、ペルソナってやつだよ」とそれっぽいことを言う。分かっている。私でも私の正体がつかめない。まるで別人だ。ペルソナというにはあまりにも
 あの子が私を「まだ全然推し」「好き」「日に日にオタク加速していく」というのは当然だ。だって、だって、だって、ずっと悔い改めてきたから。どうやったらもっと好みになれるか考えてきた。そうやって振る舞ってきた。そうやって喋ってきた。「こうやって言ったらこの子にはウケがいいはず」と思って自分の意見みたいなものを述べて。そりゃあ、私のことを好きでいてくれないと、私が足りてないってことになってしまう。
 で、それで私は本当に友達っていいんだろうか。なんて悩むことがないから、余計厄介なのかもしれない。

8/17/2025, 6:21:37 AM

遠くの空へ

 なんの特徴もないしなんの個性もないしなんの能力もないしなんの才能もないしなんにもできないけど、嘆いたり、もうしないからね。

 ガチャガチャって何が出るかわからないギャンブルが醍醐味なわけじゃないですか。ガチャに限らずランダム商品とかクジとか。
 でも目当てのものが出す求めてないものばかり出続けると「いらね〜〜〜〜〜〜これならフリマで買ったほうが安いし早いしつか最初から単品これ狙いならフリマで買ったほうが良かったのでは?そのほうが合理的では?」って思考が出てくる。ほんとつまらないと思います。
 違うじゃないですか。何出るか分からない中目当てのものが出たときの喜び、延々求めてないグッズがダブるわ欲しいのは出んわってときに目当てのものが出てきて脳汁ドパドパ出るのがいいからガチャを回すわけです。中古で買ったほうが安く済む場合もあるけど、中古で探せば買えるとか手に入れられるとかそういうことではない。
 そしてフリマで買ったほうが安いと分かっていながら回すガチャが最高だったりする。ギャンブルは楽しい。

 フリマで買ったほうが合理的と言うなら、わざわざガチャを回しているのが不合理というんだろうかと考えたんです。考えた末に行き着いたのが、合理的快楽主義。どうすればこの理不尽な世界を最も楽しく生き抜けるかを合理的に考えた結果の快楽主義。
 人生所謂「無駄」を楽しんでなんぼだと思うんです。僕は無駄だとはこれっぽっちも思っていないが便宜上「無駄」と表記させていただく。
 ゲームは無駄だと言われていることがありました。「ゲームなんてして何になるんだ」と。そういう「こんなのやって/買って何になるんだ?」という無駄、特に何にもならなくていいじゃないか、と僕は思う。ただ自分が嬉しくて満たされるだけ。それでいいじゃん、その時楽しけりゃそんでいいの。でそのうちそれが思い出とかになってまた幸せになれる。お得だよね。そういう合理的快楽主義。
 「無駄」なんて言い出したらキリがないよ。言おうと思えばいくらでも言えるさ。ゲームもアニメも映画も舞台観劇も音楽も旅行も無駄だ。人付き合いもコミュニケーションも無駄だしそもそも人間どうせ死ぬんだから息を吸ってることすら無駄だ。
 でもそんなわけないじゃないか。無駄を味わって人は豊かになれる。無駄か無駄じゃないかは「その人にとって必要か不要か」ということでしかない。僕にはギャンブルが必要。へへ、ガチャだけど。
 自己正当化?自己正当化でいいじゃないか。人生は積極的に自己正当化していくほうがいい。

 合理的快楽主義、無駄を楽しむ。そこで考えたのが「ではこの『無駄』な脳みそも存在してていいんじゃないか」ということ。
 何をするにも覚えが悪く、容量が悪く、努力という言葉には「人並みになること」が内包されているような人間が生きていたって何の役にも立たず、誰の役にも立たず、社会からのはみ出し者のゴミでしかない。どう転んでも批判しかされないような人間だ。ならさっさと死んでしまいたいと思っていた。あったところで無駄な脳みそ。
 でも僕はガチャという無駄が好きだ。ゲームも好きだし音楽も好きだ。無駄が好き。無駄は存在してていいと思う。なら僕だって別に存在してていいんじゃないかな。
 「不要」な人にとっては僕は邪魔でしかないと思うけど、僕に限らず「邪魔」は世の中溢れまくってると思う。僕は煙草が不要な人間だから煙草は邪魔だし、なんならさっさと消滅してしまえと思ってる。一人一人「不要だ」と思うことやものはそれぞれあるだろうけど、そういう「不要」が溢れて成り立ってるのが社会だ。
 僕に死ねと言ってくる人を想像してみる。すると僕は「そんなこと言ってくるやつがそれこそ僕にとって不要な存在だからお前が死ねや」と思った。なんだ。意外とちっぽけなのかもしれない。
 僕が消滅する必要があるというなら世の中の要らないものも全部消滅する必要がある。みんなの要らないものを全部消していこう。そのうち社会が滅びて国が滅びて人類滅亡してると思うよ。いや、そもそも僕が人類は不要だと思ってるから、みんなの不要なものを消していくことになったら、僕の不要なものを消すことになったら、全員が死ぬことになる。
 人間がそもそも無駄だ。無駄なのにみんな生きてる。僕は自分の存在を無駄だと思っている。でも人間がそもそも無駄で、無駄なのにみんな生きてて、なら、別に無駄な僕が生きているのは当たり前なことのかもしれない。

 今日も空が青い。

6/16/2025, 5:21:10 PM

僕はこの社会から、この世界から、この人生から、逃げ果せる。死にたいと藻掻く奴らよさようなら!僕は一足先にゆるされるのだ。僕の勝ちだ!

と思った。思っていたのに、今こうしてベッドに寝そべっている。そういう意識がある。ということは、死んでいない。

目覚めて飯食ってクソして薬飲んで寝る目覚めて飯食ってクソして薬飲んで寝る目覚めてクソして飯食って薬飲んで寝る目覚めて

あーーーーーーーーーーーーーーー

ゆるされたい。もうゆるされたい。

生きるというのは罰みたいなものだ。僕は今尚罰を受け続けている。死というのは救済で、生からの解放。だから死にたいと喚き自死を実行する。というのに、僕は尚生きている。

もうゆるされたい。ゆるされたい。ゆるされてしまいたい。生地獄から解放されたい。ゆるされたい。人生からゆるされたい。生きるということからゆるされたい。

ゆるされたい。ゆるされたかったのに。

天井が見える。心臓が動いている。
僕は生きてる。生きてる。生きてる。

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