バスに揺られ診断書を見ながら「メリークリスマスもメリークリスマウスもどっちもかわいいなぁ」なんて全く関係のないことをふと思った。
Xmas Xmouse うん、可愛い。
車窓を過ぎっていく木に括り付けられたストリングライトを見ながら今日の出来事を反芻した。クリスマスイブに病院へGoという人生はなかなか愉快だと思う。己の人生を謳歌している感じがする、これぞ我が人生、記念すべきクリスマスイブの夜。
笑えない、いっそ面白い。
早速貰って飲んだ薬の副作用でほぼ意識は後ろに引っ張られていた。コンタクトを付けているからうたた寝したくなかったが、ほとんどこの抵抗は無意味だっただろう。バスの中でぐらぐら頭と視界が揺れていた。
人並みに生きて、人並みに生活して、人並みに会話して、人並みに、どうしてできないんだろう。人並みに、というと「人並みって誰基準?普通って何?」と詰られる。人並みは人並みだよ。学校に行って、勉強して、部活とかサークルとかバイトやって、課題をして、人と関わって喋って、卒業して、就職して、社会の中で生きていく。人並みに、人並みに、人並みに。そうだ、人の波に今日は酔ったんだった。都市部の方まで行ってきたから、右も左もいろんな人でいっぱいだった。喋り声とどこからか流れてくるクリスマスソングが入り混じって、ゴチャゴチャざわざわからモコモコ聞こえだして水中にいるみたいだった。人が生きてる、と思った。
電車の中が暑く感じて、酔ったのもあるのか気持ち悪くなってきたからマフラーを外した。首が詰まるマフラーは苦手だ。緩く巻いても、首に布が触れるだけで苦しくなってしまう。嫌ならつけなければいいが寒さには勝てない。普段感触が気持ち悪くて痒くなるから手袋をしておらず、常に体が冷えしまうから、まだ我慢できるマフラーを身に着けている。それに、クリスマスプレゼントで貰ったふかふかのマフラーだから、ぞんざいに扱ったり破り捨てたくなるような衝動も少ない。大事にしようと思ってる。このマフラーは特別なんだ。きっとこういうマフラーのことを愛情って言うんだと思うから、愛情は、ぞんざいにしない。その方がきっといい。マフラーを大事にしたら愛情のことも大事にできる気がする。
駅地下の売店にクリスマスケーキが陳列されていた。ワンホール、4号くらいだっただろうか、真っ白なクリームにいちごが乗っているものと、チョコレートクリームにいちごが乗っているものが1500円くらいで売られていて、美味しそうだと思った。そう、美味しそうだって、思った。
病院で、やっぱり人が怖かった。性別関係なく、語尾に力が入っているような喋り方をする人がどうも恐ろしく苦手なんだと改めて思った。すぐに「怒られてる、責められてる、きっと嫌われた」と思ってしまうのは長年刷り込んできた癖なんだと思う。きっとそうだ。相手の人は何もこちらを責め立てたりしていないのだから、自分の受け取り方がおかしいのだ。分かっている。つもりでしかない。
人を前にすると固まってしまって、なかなか言葉が出てこず、喉がどんどんしまっていく。どう答えていいかわからない、何をどう言えばいいのかわからない、自分が何を思ってるのか感じてるかも分からなくなっていく。そういえばしばらく忘れていたが、自分という生き物はこんな感じだった。
お薬手帳を忘れた。バインダーに挟まれた紙を渡されて氏名や住所やその他諸々記入していたが、どう書けばよいのか何を訊かれているのか理解できずしばらくにらめっこしていたところ「何かお困りですか」と声を掛けてもらってしまった。一人でできるようにならないといけないのに、相変わらずだと呆れた。あきれた?言葉があっているだろうか。違う気がする。泣きたくなった、不甲斐なく感じた?
暗い話はやめよう。せっかくクリスマスなんだ。幸せな話をしよう。幸せを素直に感じるためにこうやって負の感情を先に敷いているのも、面倒くさいと思う話だが、癖であり、心を守るための防衛策なのだ。幸せを感じると相対的に不幸になるのだから、ならば先に不幸を摂取し、最後に幸せを味わえるようにしよう、という、意味不明と言われれば意味不明で、理屈が通っていると言い張れば通っているようなものだ。先に不幸を摂取。幸せを感じると相対的に不幸になるなら、不幸を感じると相対的に幸せになる生き物だと言えるはずだ。
感情とは「差」「落差」といったもので生まれるのだと思う。人間は差を感知することでしか感情を生み出せない。日常が失われたとき初めてその日常と呼んでいたものが幸せだったと気づく、或いは不幸だったと気づく。またそうでなければ人は気づけない、自覚できないものなのだと思う。縛られる日々を送っているから休日がとびきり有難く思える。ずっと生きてきた環境を当たり前だと認識するから、別の環境に身を置くとストレスが溜まる、或いは逆に開放感を味わえる。こういう「差」があるから人間は快、不快や喜怒哀楽といったものを認識できる。もし全てが均一でなんの変化もない世界に生きていたら、人は何も感じないだろう。
幸せな話をしよう。
幸せな話。
幸せ。
楽しかった話、嬉しかった話、心が温まるような。
なるほど、きっと幸せな話のやり方が分からないんだ。どんな口調で、どんな言葉を使って、どんな風に説明すれば……ではなく、説明ではなく、思いの丈を綴ればいいだけなんだろう。けれど、それが分からないから、できない。嬉しかったことをありのまま嬉しい、というだけでいい、と、思っても、その感覚が分からないからできない。
ゲームでフレンドにプレゼントを送った、とか、フレンドからプレゼントを貰った、とか。写真撮影、スクショ、した、とか。着せ替えをしてとても満足できた、とか。クリスマスツリーを飾ってみて、カラフルなライトを飾って、イルミネーションを作って、雪を降らせて、キラキラピカピカ、クリスマスを感じる素敵なBGMを設定して、とても、好みに、えっと、可愛く、デコレーションできた、と、思う。じゃなくて、可愛くできたから、嬉しい。そう、嬉しかった、画面の中で、可愛いアバターが可愛い世界で生きていて、可愛くて、嬉しくて、幸せそうで、じゃなくて、幸せだと、思った。そう、幸せだって思った。素敵なクリスマスだなって。
あの小さなホールケーキが頭にこびりついて剥がれない。
ケーキ、買いたかったんだな。イルミネーション、ぴかぴか、現実世界のキラキラも、素敵だって、感じたかったんだろうな。そっか、本当はクリスマスツリーを飾りたいと思ってるんだ。できればマフラーをして、手袋をつけて、寒い中もこもこになって、暖かい家に帰ってきて、みんなでお肉を食べて、ケーキを食べて、クリスマスを味わいたかったんだろうな。そうなんだ、きっとこんな偏屈な思考せず、普通みたいに、プレゼント交換とか、やりたかったんだろうな。
誰かと身を寄せ合っていたかったのかな。それは嫌だな。普通の、そうだ、あれは、いつかの暖かな記憶だ。クリスマスツリーを飾って、イブの夜に美味しいご飯を食べて、ケーキを食べて、プレゼント交換をして、眠って、25日の朝、プレゼントを見つけて喜んだ。そうだった、普通のクリスマスを過ごした。贅沢で幸せに溢れた、それを普通だと思い、当たり前のように享受していたクリスマス。そっか。幸せだったんだね。夢なら醒めないでほしい、だから眠ってしまいたかったんだ。ずっと、この時期。あの頃に帰りたいんだ。
どうしようか。この診断書くちゃくちゃに丸めて捨ててしまえば無かったことになるか。全てを否定すれば無かったことにならないだろうか。全部。脳も体も。
クリスマウスは可愛いけれど、マウスな自分は可愛くない。できればマウスよりラットになりたい。クリスマウスじゃなくて、クスリラット。語呂悪いなぁ。
12/24/2024, 7:04:47 PM