お題:心の健康
「心の健康が悪化する恐れがあります」
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饐えた臭いに鼻を焼き喉を溶かし。もう一歩も動けなかった。指先一つ嘘のように動かなかった。嘔吐にまみれて横たわったとき、私はどこで間違えたのだろうと思った。朦朧とする最中聞こえてきたのは「これで立派な証拠が揃い立派に証明ができるね。おめでとう!」という、実に晴れやかな声だった。
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心の健康について考えられているうちは「増し」とやら。中途半端な場所でぶら下がってるから苦痛なのさ。何にも振り切れない中途半端。
「苦痛なんて通り過ぎた」と話すやつがいるならそいつは苦痛のままさ。「心が壊れた」そいつは壊れてないさ。「もう消えたい」そいつは消えなない。
本当に苦痛なんて通り過ぎたそれくらい心がボロボロだもう本当に消えてしまいたい。
本当にいなくなってしまった場合? そりゃあれだね、わざわざ宣言するかまってちゃんってことやね。
そっか。
いけないこと?
今誰からも見向きもされてないのに、今求めたところで、誰が返答しますか?
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掃いて捨てるほどいる。
死ぬときに靴を脱ぐってあるだろう、あれ創作が元なんだとよ。
人間の心理はエンターテイメントか。
他人のことなんて興味ない。自分が一番 。
影響されやすいのさ。
結局何だったか。
至って正常。どんな反応でも正常な反応。至って。
正常な自分を隠したいがために「心が壊れた」と言いたくなっているだけ。本当は動けるのにね。
本当なんだ!!信じて!!なんでそんなこと言うんだ!!
だって立証できない、証拠もない、証明も不可。
では何がそれになり得るか。
人間は刺されたら死ぬし自動車に跳ねられたら死んでしまう、脆くて呆気ない。
人はね、簡単には死なないんだよ。
心が痛くても辛くても体は動く。ベッドから動けないって思い込んでるだけなんだよ。思い込まそうと。
動くなら生きてる。だからね、ぜ〜ったい 。
目に見える何が信用できる。己の心すら言い訳ばっかりなくせに。
痛いのは嫌だ。
生きていたくない。
死にたくない。
生きていたい。
楽しく笑いたい。
人はね、死ねないんだよ。
誰の言葉だったか。
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随分長い間朦朧としていた。結局嘔吐したくらいで「しんどい」の証拠にも証明にもならないのだと思った。残りカスはゴミ箱の中と排水口に吸い込まれていった。私の残骸みたいだと思った。誰も見向きもしない。私ですら。また吐いた。
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餌付きながら文字を打ち込んでいる。ずっとそうだ。愚かだろう愚かだろう愚かだ。書くことでしか精神を保てない。もう二度と経験したくないと思いながら記憶を掘り起こし荒らしわざわざ書いている。そうしないと整理がつかない。安心を求めて首を絞めている。ずっとそうだ。哀れなだけだ。やり方を知らない、無知な。 もういい。
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私はどこで間違えたのだろう。
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枷に枷を付け重たく縛り続けている。死ぬのは痛いから嫌だ、縄で首を絞めるなんて二度と御免だ。思っている割に自分の首を締め続けている。台を蹴らず縄を外せばいいだけだ。目に見えないからできない。
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どこがおかしいだろう。どこが歪んでいるだろう。
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死んでないでしょ?
ほら生きてるじゃない。
生命活動はできてる。
あなたは生きてる。
文句言ってないで。
「こんなに苦しいんだ」
だからなんだ。
生きてる。
生きてる。
生きてる。
呪いみたいな言葉を自分に吐き続けて生きてきた。
苦しい。
つらい。
つらいよね。
つらいね。
つらい。
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自分のせいでしょ?
自分は正しい間違ってるのは周りだ固定観念に縛られたお固い頭で。
そうじゃない生き方をしている人を見たことがあるのか。
お前も同じだ。
知ってるさ。だからなんだ。
寄り添えない心。
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「かなり危険な状態です。きちんと休んでください」
他人は他人を慰めやすい。
自分に影響がないから。
どうでもいいと影響がないは別。
それは最早どうでもいいに等しい。
自分の人生ではないから。
無責任。簡単。実に呆気なく。呪える。
お優しいのね。
お祝いですか。
保証なんてない。
ここで休んでしまっては二度と社会に出られなくなる!!!!
出たくない。引き篭もっていたい。
思い込みです。人生はいくらでもやり直せる。あなたはまだ若い。どうして悲観する。自責しなくていい。自己否定もしなくたって。
ロープ、首、締めてますか。
きょうきとなる。
ゴボゴボ。
饐えた臭いがする。
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すべてフィクションです。
すべて夢物語。
すべて信じられない。
「悪化していませんね。健康そうで何よりです」
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おはようございます。
お題:終点
いつかの夜を思い出す。
終点という響きが不気味だからか、何なのか。
パラパラ、傘を叩く雨音と、ぴちょぴちょ、靴底に引っ付いて跳ねる水音と。青い傘を差していた気がする。水色の長靴を履いていた気がする。アスファルトの上を一人歩いていた。雨に濡れた砕石を街灯が照らし、キラキラチカチカ閃くのに釣られしゃがみこんでいた。吸い込まれそうなほど真っ黒なアスファルトをじっと見ていた。こんなに近い所に宝石はあったんだと、心弾ませていた。夜。
「何してるの」
優しい声色だった。声が聞こえたから傘を持ち上げた。そこに、確かにあの人を見た。
「ほうせきがあるから見てる。ほら、ほら、キラキラしてるでしょ」
掴めない物を一生懸命伝えようと、頭を動かし目を動かし。キラキラ、チカチカ、この人の目には宝石が見えているだろうか。こちらばかり見て、ただ、含み笑いをするだけ。
「そうだね、キラキラだね」
優しいあなたがそこにいる。
「ほら、おいで」
パラパラ、雨音がよく響いていた。
付いて行っていたらどうなっていただろう。
あの夜は終点に近い場所だったんだと思う。
終点
――終わりとなる所、終着点
――物事が最後にたどり着く地点
お題:太陽
かつて、ある人を太陽のようだと形容したことがある。相手は心底嫌そうな顔をした。「私は人だ。勝手に空の上の存在にしないでくれ」と言った。勝手に殺すな、と言いたかったわけではないだろうけれど、勝手に距離を置くなとか、勝手に美化して言うなとか、誇張するなとか、そういうことを言いたかったのだろうと受け取った。「対等な立場ではないから太陽と言ってもいいでしょ?」というのは見当違いで「立場がどうのは関係なく、自分は人間なのだ。人間という立場から突き落とさないでくれ」という話だった。
神格化されたのが、異物のように扱われ距離を取られたと受け取ったのか、はたまたただ寂しいから同じ人間なんだよと言いたかったのか、その辺りははっきりしていない。
僕のことを太陽みたいだと形容する人がいた。心底反吐が出そうだった。僕の場合は誇張だったからだ。勝手に神格化されて嫌だった。勝手に僕のことを上にしないでくれ。対等だと思っている人から言われ、それこそ勝手に傷ついて悲しくなっただけだが。
なんとなく人間は太陽を信仰しているような気がする。意識的にも、無意識的にも。「太陽みたいなあなた」と誰かを形容するのは、まるでその人を信仰しているみたいだ。誰だって誰かの支えがないと生きていけない、そんな同じ人間なのだから、あまり神格化しすぎないほうが……と、思ったが、神格化したいからしているのだろう。他者を神様のように扱い崇拝することで己の精神を保っているに過ぎない。
お題:目が覚めるまでに
カラカラ、からから、カラカラから。
引き戸の開閉音が風鈴の役割を果たすようになってしばらくする。もう時期引き戸は枯れ葉の音に変わる頃となった。
なぜここにいるのか、彼は自覚しないまま白いベッドの上で暮らしていた。消毒の匂い、机上一本の造花、レースカーテンに覆われた窓。この生活に十分満足していた。これといって不安もなかった。異質な安定がこの小さな部屋には存在しているから。そして甚く気に入っているものがあるから。枯れぬ花。数十枚の花弁が大きく広がった、淡いオレンジ色。花の名前も知らず、花言葉も知らない。ただ、形と色が好ましいと感じる。
そよ風に揺れるカーテンの影を映し、また、カーテンを開ければ空の色を含み造花は命を宿す。生きていないからつまらないわけではない。その花自体が生きていなくとも、彼はそこに命を見出し、機微を楽しんでいた。何より、その花はただそこにあり続けてくれる。それが彼にとって共感であり、拠り所であり、心であった。己を知らぬ彼にとって、造花だけが心だった。
カラカラ、カラからカら。コツ、コツ。
硬い革靴が床を弾く音が響く。初めて聞いた来客の音。
彼は白いシーツを眺めながらぼんやりとした不安を抱いた。己を知らぬ彼には、どんな人が会いに来たのか、なんの知らせか、なぜこの時期に初めて来客があるのか、見当がつかないから。
コツコツコツ、こツ、こつ。
戸惑ったような靴音にこれまたぼんやりと視線を上げる。茶色い靴、まっすぐ伸びた背筋、まだどこか幼さを残した顔の輪郭、見開かれた目。息を呑む音が聞こえた。見知らぬ青年が目の前で佇んでいる。
「よかっ、た……よかった、です、目が覚めたんですね。本当に、本当に良かった」
詰めていた息を吐いて、青年は胸をなでおろした。
声をかけてくれているのに、この青年が誰なのか分からない申し訳なさと居心地の悪さ。彼はおずおずと眉を下げて尋ねた。
「申し訳ない、忘れてしまって。名を尋ねても?」
「……わすれた?」
ピタリ。青年は瞬きすらしない。ただ、瞳孔だけが左へ行き、右上へ行き、また下がって左。
彼の言葉は青年を酷く動揺させる結果となってしまった。
──忘れたのですか。忘れたのですか、忘れたのですか!
猛烈な怒りを左手に握りしめ半ば睨みつけるような視線に、彼もまた、困惑していた。そして奥歯を噛み締め覚悟した。その左手で殴られることを。しかしその拳はゆるゆると解けていき、ストン、と指は垂れた。
青年は大量に溜まった涙を拭うこともせず、取り戻した瞬きでぼたぼたと床へ落とし。
「忘れたのですか、せんせい」
震え掠れた声で、先生、ともう一度。
分からなかった。
ふわり、ふわり、カーテンが膨らんでいる。
「……すみません、取り乱してしまって。年甲斐もなく八つ当たりだなんて、まだまだ子どもですよね」
しょうかしきれない。隠しきれずありありとそう示しているにも関わらず、それでもなんとか微笑む青年はとても理性的に見える。どうすることもできない彼にとってとても有り難い人物だった。なぜなら彼は何も分からないから。
「花瓶、借りますね」
青年は花を持っていた。
枯れぬ花。数十枚の花弁が大きく広がった、淡いオレンジ色。
「あなたが好きだと言っていた花ですよ。色、は……あなたに似合うと思って、僕が選んだんです」
花を見ながら柔らかく微笑む青年。
好きだと言っていた花。似合う色。造花。取り替え。水。ぞうか。違う。これは、生花だ。
「キミが」
「はい、先生」
ぼたぼた、カラカラ、からから、カラカラから、コツコツコツ、こツ、こつ、ぼた。ぼた。ぶちり。キラ、きら、こつ。
いつからここにいるのか。もう随分長い間いたような気もするし、たった数日のような気もする。
彼は揺れるシーソーの恐怖を思い出していた。跳ね上がり、宙に浮き、落下する。ぞわぞわ、ストン。何かが抜け落ちていく感覚。空洞。
「はい、先生」
青年は花を持っていた。寂しそうに、哀しそうに、懐かしむように、慈しむように。
「せんせい」
ぼた、ぼた、入り交じった感情で微笑んで「せんせい」と、空洞に水を注ぐように。
青年にとって大切なものを己は忘れているのだと自覚した。不安と期待を中途半端にぶら下げ惑わしているのが己だと自覚した。応えたいと思った。
彼は知った。待っていた。造花だけが心だった。
青年は花を持っている。
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水を、入れ替えなければならない。ここのところ、ずっと、行っていないから。あなたが慈しむ、花を、持っていかなければならないと、思っているから。あなたの心を、育てたいから。あなたはこれを、造花だと思っていること、人伝てに聞きました。その造花は、ちゃんと生きていて、あなたが愛した、ダリアです。先生、せんせい、あなたもちゃんと、生きて、いて。けれど僕は、未だ、信じられていないのです。あなたの目に映ってしまう、僕が、どうにかなってしまいそうで、怖くてしかた、ありません。だから、あなたが眠るその頃に、花を生けて、いるのです。あなたの目が、覚めるまでに、僕は、あなたのいる場所へ、赴いて、花を、あなたが愛した花を。せんせい、僕は、怖くて、嬉しくて、怒り狂いそうで、幸せで、心がいっぱいで、あなたになんと言えば良いのか、見つけられずにいるのです。わがままな僕を、あなたは、きっと、受け入れることも、知っているのに。すみません、先生、泣き止み、そうに、ありません。今日、あなたの目が、覚めるまでに、間に合いそうに、ありません。
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花を目に映し、息を吹き返すあなたを見て、ベッドに手を付き、身を乗り出そうとするあなたを見て、僕は今日、間に合わなくてよかったと、何度思ったことか。
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それはそれは慈愛に満ちた表情で、せんせい、と呼び掛ける。
「愛情のハグも、親愛のキスも、いらないんです。僕は手を握れるだけで」
彼の両手をすくい上げ、手のひらから指先までするすると滑らせ、なぞる。
「いいえ、僕達の関係は、こうして向かい合って、指先に触れるだけで、十分なんです」
そっと、そっと呟いた。囁く声は願いか、祈りか。
この青年を抱きしめてやらねば、とは、不思議と思わなかった。指先だけで十分だと、この青年の慈しみだけで十分だと、いやというほど伝わってくるから。それに応えたいと思う。
彼はそっと指を曲げた。
お題:明日、もし晴れたら
明日、もし晴れたら、頭痛も治まってるだろうから、きっと体調も良くなって、鬱々している気分もなくなって、少しは元気になっていて、映像を見ても気分は悪くならないだろうから、楽しくゲームなんてできたりしちゃって、それから映画なんて見ちゃったりして、たまには外に出られるかもしれないから、チケットなんて取っちゃおうか。
晴れていたところで頭痛は治まらない。体調も良くならない。鬱々した気分は消えやしない。元気にはならない。映像なんて見れやしない。したいゲームも見たい映画も無い。外になんて出られない。チケット購入なんてできやしない。
知っている。経験済みだ。目的はそれじゃない。
今の恐怖から目を逸らし
明日晴れたらの言い訳を重ね
先延ばしの夢を見させて