20世紀、
世紀末が迫っていた頃、世界が終わる話が流行していたように思える。村上春樹は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を書いているし、
『北斗の拳』や『未来少年コナン』など1度世界が滅びかけるが、辛うじて人類は細々と生き延びてる設定の作品で、類似の作品は沢山ある。
だから、世界が終わってしまったとしても、その時に自分も死ねるとは、限らない。
もしも、人類の全てが死ぬ前提の話なら、それはそれで悪くない気がする。
だって全員が一律に死ぬのなら、
「赤信号みんなで渡れば怖くない」でそんなに怖くない。
死後の世界があったとしても、「みんなで渡れば怖くない」から安心だろう。
むしろ、数少なく生き残ってしまった方が大変なような気がする。
でも、なぜ世界は終わってしまうのだろう。
核戦争?ウイルス?アトランティスみたいに海に沈没?『寄生獣』みたいな地球外生物による侵略?
1番先に考えてしまうのはやはり核戦争だろうか?
アメリカ合衆国によって開発され、日本に使用されてしまった。あまりの威力にそれ以後は使われていないが、
中学の時、タイトルは覚えていないが、原爆に関する記録映画を授業で観せられた。戦争当時の記録映像や、戦前、戦後のアメリカが行った原爆実験の映像である。
映倫を通過していない、そのままの映像は何より恐ろしい。想像を超えており、1度しか観ていないが、1回で充分脳裏に刻まれる。
恐ろし過ぎる映像だが、やはり日本人として見ておいて良かったと思う。あれを見た後で原爆、水爆に対する認識は変わってしまう。
何がって?あれを使うと人間が、人間でなくなってしまうのだ。どんなに悲惨な戦争だとしても、あれは禁じ手にして当然だ。
けれど、アメリカ人のほとんどは、核に対する認識が甘いと思う。ハリウッド映画で時々核爆弾の描写を見かけるが、子供だましで、核の恐ろしさがてんでわかっちゃいないと分かる。
いや、アメリカ人ですらああなのだから、他の国の人間なら尚更核の威力を知らないのだろうと想像に難くない。
それが、情けない事に、よりによって隣国でも開発されて弄ばれているのである。
隣国の指導者は、信じられないくらい幼い精神年齢らしいので、使われたとしても不思議ではないのだ。
もしも、彼に「明日、撃ち込むから」などと宣告されたら、どうだろう?
たぶん、呆然として何も手に付かなくなるに違いない。
1990年代のいつだったか、私は初めて中華人民共和国を旅した。社会主義国家というものに、まだ未体験だったから、多少は緊張していた。
私が選んだのは、北京や上海ではなく、桂林(けいりん)だった。
よく水墨画に描かれる神秘的な山の絵は、桂林なのである。
神仙に憧れる私は、インドの旅を経て水墨画の絵の中に行ってみたいと思った訳だ。
いや、その頃は香港へも行った事はなく、ついでに香港も見たかったから、香港→広州→桂林のコースを考えていた。
考えていたと言っても、ほぼ無計画、行き当たりばったりで、とにかく広州駅までたどり着いた。
桂林までは列車でも行ける筈なのだが、駅窓口に殺到する中国人民の数と熱気に「ムリかもしんない」とあきらめ、
急遽、長距離バスで行く事にした。
夕方広州を出発して、翌日の午後くらいに桂林へ着くバスだった。
客は全員中国人。
かと思ったら1人だけ女性のオーストラリア人が居て、彼女は私の隣に座った。
彼女の目的地は、桂林のてまえ陽朔(ヤンショウ)で、そこは白人のバックパッカーが集う場所で、彼女の恋人が長く滞在しているのだという。
バスは夜間はイスがベッドに変わり、寝ることも出来るのだけれど、
何しろ、舗装もされていない道路を高速でぶっ飛ばして走るから、安眠はほぼ望めない。
だから、彼女とずっと話をしていた。旅の話、オーストラリアの話、中国の話。・・・
彼女は昨年も陽朔にバスで来たという
「その時は大雨が降っていて、途中でバスが止まってしまったの。洪水みたいになって、動けなくて3日間も足止めされちゃったわ」
わお!!さすが中国、スケールでかっ。
彼女はとても人懐っこくて、10年来の友のように何でも話してくれた。
バスの旅はとても楽しく、我々以外の人もよく喋っていた。
途中、トイレ休憩があったり、物売りが来たり、風景は真っ暗で良く見えなかったが、退屈する事はなかった。
旅の出逢いは、格別である。
ラジオが好きだ。
子供の頃は、テレビっ子で、朝から晩まであらゆる番組を見続けていたくらいだが、
何となく詰まらなく思えて来て、
昭和天皇が崩御された年、たまたまテレビに寿命が来て壊れたが、
同年、手塚治虫も美空ひばりも松田優作も亡くなり、トドメをさされた。完全に心が挫けて新しいテレビを買うのをやめてしまった。
実際、この頃のラジオは面白かった。(もちろん今も面白いが)文化放送の「吉田照美のやる気MANMAN!」もこの頃だし、「大沢悠里のゆうゆうワイド」では永六輔も毒蝮三太夫も内海桂子も大活躍していた。
当時はメールが無くて、リスナーはせっせと葉書を書くか、直接電話していた。
今はスマホがあれば、radikoというアプリで聴けるし、メールも送れるし、ラジオ番組なのにネット配信したり色々便利になったが、
同時に世の中の規制が強くなり過ぎて、少し窮屈に感じてしまう。
テレビで受け取る情報は、右の耳から入って、左の耳から出て行くような感じがする、後に何も残らない。
ラジオだと、しっかり聞かないと訳が分からなくなるので、頭の中でイメージしなくてはならないから、似たようなニュースでも記憶に留まるような気がする。
と、言っても、
聞き慣れた人なら空気のように、水のように、ラジオの音がすっと身体に入って来て、イメージするのは簡単だ。
そういえば、文化放送では「焚き火特番」なんて企画もあるのだ。
これは、ノルウェーのテレビ局が、ただの焚き火が燃えているだけの映像を流したら、
意外に高視聴率を取ったので、それを真似して、焚き火が燃える「パチ、…パチ…」なんて地味な音だけを、(深夜帯に)90分流した。
やっぱりこれも好評だったらしい。寝ながら聴くなら安らげるかも知れない。おそらく今もYouTubeで聴けるだろう。
寄せては返す波の音なんてのも、海辺で寝転がって聞くのは、幸せな気分になれる。
私がよく行く温泉では、寝転がって背中だけ温泉に浸かれる「寝転び湯」みたいなものがあって、
そこは天井がないので、今日のように(2024/5/5)晴れた日は快適なのだが、ときどき高い空をヘリコプターが飛んでパタパタと行き過ぎる音が聞こえるのも心地よい。
かえって静けさを感じてしまう。
私は大恋愛の経験があるので、2人だけの秘密に関してはいくらでもエピソードがあるのだが、
やっぱり、まだそれを書こうとは思わない。あくまで相手との共有のものを、勝手に書いて良いとは思えない。
もし、書いたとしても、多分それを彼女が読む確率はほとんど無いに等しいけれど、
分からない、そういう事だって世の中起こるのだから、書けない。いや、そもそも私が今は書きたくない。
私達の関係は、2人だけの秘密だったが、
携帯メールやPCメールでも頻繁なやり取りがあった。
私は文章を書くのが好きだったし、恋愛感情が燃え盛っている時であれば、言葉は泉のように溢れてくる。
言葉を探す必要はなく、むしろ溢れ出す気持ちを抑えるのが難しかった。
それを文章にして、少しは気持ちのはけ口にしていたのかも知れないが、書かずには居られなかったと表現した方が当たっている。
私の熱量に、彼女が引くのではないかと危惧したくらいだったが、
彼女は彼女で私と同じだったようだ。もともと彼女も文章を書くのが好きで、読むのも大好きな人であったから、
私と同じか、それ以上の熱量と、文字数で返信を送って来た。
もちろん、実際にも何度も会っていたし、電話もしたが、文章のやり取りは濃厚であった。
このやり取りは、2人以外、誰も知らない。
けれど、後々彼女自身が語った所によると、仕事中でも家事をしている時も、私からの返信メールが気になって、何度もメールボックスを覗いたという。
そして、返信の来るのが遅いと、すごく落ち込んで、思わず「ダメだ…」と呟いてしまったらしい。
彼女は彼女で、私が引いてしまうのを恐ていたらしい。
なので、2人の秘密というが、彼女の周囲の人達には、何となく何かを勘づかれていた可能性があるという。
そう言われてみれば、私の方も彼女を笑えないかも知れなかった。こちらはこちらで何度もメールボックスを確認していたのだから、
周りの同僚には何をしていたのかバレバレだったのかも知れない。
厳しく追求してくる同僚や、上司が居たら、困った立場になっていたかも知れない。
恋を秘密するのは、難しいのである。
中学の時観た、劇場版『銀河鉄道999』の挿入歌に「やさしくしないで」というのがあった。
これは、『999』を軸にして、実は松本零士ワールド全開の映画だったので、当時のファンは大喜びした。どこがと言うより、全編ずっと面白かったのだが、
「やさしくしないで」は、リューズという、酒場の歌手(美しい女性)がギター抱えて歌うのだが、
西部劇と、昭和の新宿ゴールデン街を足したようなディープな雰囲気の暗い酒場で、藤圭子(宇多田ヒカルの母)みたいに歌うのだ。
私はこの曲がとても気に入って、シングルレコードを買ったくらいである。言っておくが、私はレコードなんか滅多に買わない男だったのだ。
歌詞が素晴らしかった、
特に2番、
🎶何が欲しいと 言うの
私 それとも愛
疲れ果てた 心には
やさしくしないで させないで
誰でも昔ばなし ひとつやふたつ
大事そうに 語るけれど
それで どうなるの 🎶
映画では、もう酒場に朽ち果ててしまったような客やホステス達が、
リューズの歌にみんな涙している。
機械の身体で永遠の命を手に入れて居るのに、みんなが遠い昔を思い出し、泣かずには居られなくなるのだ。
リューズは、敵の機械伯爵の愛人という設定だが、そんなの関係なくいわゆる大人の「イイ女」なのである。
こんなのを見て、当時14か15歳の少年が胸打たれたのである。その歳で既に私は老成していたのか?
いや、もちろん違う。けれど、良い詩は、幼い者にもだいたい全てが伝わってしまうのである。
この頃ちょうど、漢詩を習っていて、
王翰の「涼州の詩」も読んでいた。
葡萄美酒夜光杯 (ブドウの酒を、月に輝くこの杯で飲もう)
欲飮琵琶馬上催 ( 馬上で鳴らす琵琶の音につられ、つい飲みすぎて)
醉臥沙場君莫笑 (酔うて砂の上に寝転がっていても、 君よ、どうか笑うなよ)
古來征戰幾人回 (昔から、大勢の人が戦いに赴いた、でもそこから、幾人も帰っては来れないのだ)
これもやっぱり理解出来た。
理解できるだろうと考えるから学校でも教えたのだろうが、
まあ、分からない人には分からないかも知れないが、
分かる人には分かるのである、子供だとしても。
>疲れ果てた 心には
やさしくしないで させないで
ああ、そうなんだな。