1990年代のいつだったか、私は初めて中華人民共和国を旅した。社会主義国家というものに、まだ未体験だったから、多少は緊張していた。
私が選んだのは、北京や上海ではなく、桂林(けいりん)だった。
よく水墨画に描かれる神秘的な山の絵は、桂林なのである。
神仙に憧れる私は、インドの旅を経て水墨画の絵の中に行ってみたいと思った訳だ。
いや、その頃は香港へも行った事はなく、ついでに香港も見たかったから、香港→広州→桂林のコースを考えていた。
考えていたと言っても、ほぼ無計画、行き当たりばったりで、とにかく広州駅までたどり着いた。
桂林までは列車でも行ける筈なのだが、駅窓口に殺到する中国人民の数と熱気に「ムリかもしんない」とあきらめ、
急遽、長距離バスで行く事にした。
夕方広州を出発して、翌日の午後くらいに桂林へ着くバスだった。
客は全員中国人。
かと思ったら1人だけ女性のオーストラリア人が居て、彼女は私の隣に座った。
彼女の目的地は、桂林のてまえ陽朔(ヤンショウ)で、そこは白人のバックパッカーが集う場所で、彼女の恋人が長く滞在しているのだという。
バスは夜間はイスがベッドに変わり、寝ることも出来るのだけれど、
何しろ、舗装もされていない道路を高速でぶっ飛ばして走るから、安眠はほぼ望めない。
だから、彼女とずっと話をしていた。旅の話、オーストラリアの話、中国の話。・・・
彼女は昨年も陽朔にバスで来たという
「その時は大雨が降っていて、途中でバスが止まってしまったの。洪水みたいになって、動けなくて3日間も足止めされちゃったわ」
わお!!さすが中国、スケールでかっ。
彼女はとても人懐っこくて、10年来の友のように何でも話してくれた。
バスの旅はとても楽しく、我々以外の人もよく喋っていた。
途中、トイレ休憩があったり、物売りが来たり、風景は真っ暗で良く見えなかったが、退屈する事はなかった。
旅の出逢いは、格別である。
5/6/2024, 4:48:28 AM