むかし、東京ぼん太という芸人さんが居た。栃木なまりを売りにした人で、テレビにも出て活躍していた。
唐草模様の風呂敷をトレードマークにし、唐草模様の傘持って、「夢もチボーもない」というフレーズが受けていた。
「希望もない」より「チボーもない」の方が少し軽くていい。
本当に悲惨な状態でも、「チボーもない」と本人がいうことでギャグになったし、周りの人もクスリと笑えるのだ。
だから流行ったのだろう、60歳くらいより上の年代の人にこれをやると今でもニヤリとされる。
「あたり前田のクラッカー」というと今でも反応してくれる人がいるのと似ている。
生きていて希望がないなんて事は、本当はそんなにないような気もする。
視点を変えたり、気の持ちようで解決しそうだと思う。
でも、北朝鮮のニュースを聞いたり読んだりすると、いつも暗澹たる気持ちになる。
あの国で生まれたら、どうしようもない、国家としての機能が失われている。
あれは、滅ぶべき国ではあるまいか?
八方塞がりの金正恩の唯一の希望は、トランプが再選されて、再び首脳会談を行い、支援を受ける事ではなかろうか?
金王国を、これ以上延命させるのは如何なものか?
かの国から逃亡して、日本で暮らしている人の話しはYouTubeで見れるが、ゾッとする。逃げること以外に、希望はなかったであろう。
村上春樹の作品には、意識や無意識が重要な役割をになっている事かよくある。
内面の闇や無意識が作用して、現実とも幻想ともつかない世界へ行ったり、現実世界と幻想世界を行き来したり、過去へ飛んだりするのが特徴ともいえる。
以前、村上春樹がお金を拾うエピソードを少し取りあげたが、あれも村上流に解釈するとそういうものが作用した結果なのかも知れない。
私は夜逃げをして街をさまよった。比喩でもなんでもない、正に現実の話なのだが、本人の意識としては現実だけど、なんだか現実でない世界をうろうろしていた気分であった。
村上春樹の小説みたいに、夜、建物の陰で目をつぶって休んだ時、無意識から異世界へでも抜けてくれたら良いのにと何処かで願っていたかも知れない。ぜんぜんそんな世界へは行けなかったけれども。
懐中の金が尽き、私の考える事は食べ物の事ばかりに占められた。空腹になれば私は原始的な生物と何らかわりはなかった。
人は欲望を意識する。
常識では意識は脳が作り出していると思われているが、近年研究は進んでそんな単純なものでないという説が良く聞かれる。
例えば脳のない生物は消化器官が脳の代わりをする。消化器官と脳は密接な
関係があって、精神的なショックを受けると、腸や胃がやられてしまうのである。
だから人は脳以外にも消化器官でも考えているのだ。
更にいえば、腸内にいる何兆とも知れない微生物も人間の意識に影響を与えているとか、
つまり、「私」というパーソナリティがパイルダーオンしてマジンガーZを動かしているみたいな意識や無意識は違っていて、
人間は脳や消化器官や、その中の微生物や、もっといえば指先で考えたり、おしりで考えたりする場合があって、その集合体が、どうやら「私」らしいのである。
だから、自分でも信じられない行動をとってしまう事が、人間には起こってしまうのは仕方ないのかも知れない。
抑えきれない欲望、衝動は一体どこから湧き上がるものなのか?
なお、意識や無意識はまだまだ研究段階でハッキリした答えは出ていないのである。
だから村上春樹の小説はデタラメを書いている、とは誰も言えないし、それどころか世界中の読者が支持している。
私は夜の街を虚しくさ迷い、1円も拾うことはなかったが、
結局はこうして社会復帰してしまった。村上春樹は幾らかの高額紙幣を拾ったが、
考えてみれば私は数百万円以上を拾ったようなものである。
暗くて寒い、夜の建物の陰で、目をつぶった私は、無意識や意識の力によって幻想のトンネルを抜けて、現在に来ているのかも知れないのだ。
列車に乗っている時間は、それだけで楽しい。
昔、列車に、急行や特急が初めて出来たころ、鈍行より乗車時間が短いのだから、「その分負けろ!」と文句を言った客が居たという。
つまり単なる移動手段ではなくて、誰もが列車に乗っている事に価値を認めていたようだ。
旅に出る時、文庫本の2、3冊も持って出たものだが、列車に乗っている時は本よりも、やはり車窓をぼんやり眺めている時間が長いようだ。
列車は街の中や、海沿いや、山あいを走り抜ける。人家もまばらで田畑はあるが人影は見えない寂しい風景…
柳田國男の説に、妖怪の「隠れ座頭」というものがあるが、これは「かくれ里」という言葉が転じて生まれたイメージだったのではないか?というのがある。
或いは落語の「一眼国」では香具師(やし)が六部(ろくぶ)から1つ目の少女の話しを聞いて「それは良い見せ物になる」と探しに行く、
江戸を出て東へ東へと進んで行くが、そんなものには出くわさない。六部め、騙しやがったなと諦めかけたその時、ふっと生暖かい風が吹いて、
「おじちゃ~ん!!」と呼ぶこどもの声がする、よく見るとそれは1つ目の女の子だった……
なんて空想が広がる。
四国内を列車で移動している時は、弘法大師よりも、屋島の戦いで敗れた平家の落武者の事をぼんやりイメージしていたな。
ああ、列車に乗って、ぼんやりしたい。
遠く、遠く、遠く……
とにかく旅がしたかった。若い時から短い連休でも、出かけて行った。
お金はそれほど持ってなかったが、泊まれるサウナやカブセルホテルも利用した。
昔はJRのワイド周遊券とかミニ周遊券とかあって、例えば近畿一体とか四国一体とかが1週間乗り放題だったりして、安く列車の旅が出来たのだ、フル活用したものだった。
だから、本当にふらりと列車に飛び乗って、気ままな所で下車するのも可能だった。
そんな感じで三重県の、ローカル線に乗っていたら、小学生達がたくさん乗り込んで来て、
軍艦じゃんけんを始めた。
懐かしい、私も子供の頃友だちとよく遊んだものである。
やり方は普通のじゃんけんとほぼ同じなのだが、グーが「軍艦」、パーが「ハワイ」、チョキが「チビス」と呼ばれ、
「軍艦、軍艦、ぐ~んか~ん!!」
だとグーを2回振って最後もグーを出す。
「ハワイ、ハワイ、チ~ビス~!!」だと、パー、パー、チョキだ。優劣はじゃんけんと同じという、他愛ないけど、やってみると結構面白いのだ。
しかし、彼らの掛け声は私の知っているのと少しだけ違っていた。
チョキは「チビス」ではなく「沈没」だった。
驚いた、なるほど、軍艦、ハワイ、沈没でパールハーバーじゃないか!!
意味が繋がる!!!私は『悪魔の子守唄』を解決した時の金田一耕助ばりに衝撃を受けた。
じゃあ、「チビス」ってナニ??
私は髪の毛を掻きむしった。オレが夢中で遊んでいた、あの「チビス」は一体何だったんだ~!!
遠くの街で、心の中で絶叫している私がいた。
チビスってナニ?
現実逃避には、各種方法があるらしい。
合理化とか、投射、否認、退行…この中で、私が使った事がないのは退行かな?
大人なのに急に子供や赤ん坊にまで戻ってしまうやつ。時々マンガで見かけるくらいで、リアルに退行した人を見たことはない。
安全で守られていた幼児の頃にまで戻って、自分の心をガードするという。やった事はないけど、もしかしたら、楽なのかも知れない?見た目はみっともないとしても。
私は落語ファンだが、江戸時代は心中が大流行したと云われる。元禄以降の話だが、究極の現実逃避だろう。
最初は大阪で流行り、京でも流行り、江戸でも流行った。遊女と客の心中がスタンダードだったが、近松門左衛門がそれを芝居にしたらみんな喜んで、うっとりして、辛い現実を生きるより、恋に死ぬ方がステキやん?という事になったようだ。
江戸城の堀で心中するのが流行って時の政府は厳しく取り締まったと、嘘みたいな本当の話があるのである。
日本人って変わってるよね?
私は、精神的に、肉体的に追い込まれたら、ある程度は頑張るべきだけど、逃げるのはありだと思います。
いや、逃げる選択はなかなかベストだと思う。ジョセフ・ジョースターもそうしたみたいに。
私も、実際に逃げた先の人生をこうして送っている。
経験からいえば、精神的に逃げても効果はあまりなく、行動で現実逃避した方が実際的だと思うけれど。
本当に辛い時は誰かに相談しよう。