列車に乗っている時間は、それだけで楽しい。
昔、列車に、急行や特急が初めて出来たころ、鈍行より乗車時間が短いのだから、「その分負けろ!」と文句を言った客が居たという。
つまり単なる移動手段ではなくて、誰もが列車に乗っている事に価値を認めていたようだ。
旅に出る時、文庫本の2、3冊も持って出たものだが、列車に乗っている時は本よりも、やはり車窓をぼんやり眺めている時間が長いようだ。
列車は街の中や、海沿いや、山あいを走り抜ける。人家もまばらで田畑はあるが人影は見えない寂しい風景…
柳田國男の説に、妖怪の「隠れ座頭」というものがあるが、これは「かくれ里」という言葉が転じて生まれたイメージだったのではないか?というのがある。
或いは落語の「一眼国」では香具師(やし)が六部(ろくぶ)から1つ目の少女の話しを聞いて「それは良い見せ物になる」と探しに行く、
江戸を出て東へ東へと進んで行くが、そんなものには出くわさない。六部め、騙しやがったなと諦めかけたその時、ふっと生暖かい風が吹いて、
「おじちゃ~ん!!」と呼ぶこどもの声がする、よく見るとそれは1つ目の女の子だった……
なんて空想が広がる。
四国内を列車で移動している時は、弘法大師よりも、屋島の戦いで敗れた平家の落武者の事をぼんやりイメージしていたな。
ああ、列車に乗って、ぼんやりしたい。
3/1/2024, 3:09:01 AM