トト

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2/27/2024, 3:02:29 AM

時々思い出す人がいる。

中学時代に親友だったT。

H・T君だ。仲のいい友達は何人かいたが、本当に好きで(恋愛感情とは関係ない)、心から尊敬していた同じ歳のT。

同じ歳ではあったが、全てにおいて私より勝っていた。

当時、『宇宙戦艦ヤマト』が爆発的にヒットし、空前のアニメブームが起こった。

この辺の話をすると長編になってしまうので簡単にまとめるが、

アニメ好きの同級生が集まって、勝手にサークルを作った。その5人の中にTと私が居た訳だ。

2人はそこで知り合ったのだが、あっという間に打ち解けた。

私は漫画やアニメが好きだった(オタクではない、東京にはオタクが居たかも知れないが、まだそんな言葉は市民権を得ていないか、存在していなかった)、その方面の知識なら、かなりなものだったと思うし、作画もまあ上手かった。

しかし、Tはもっと視野が広かった。彼は映画にも詳しく、当時は『スターウォーズ』が封切られたが、制作秘話や耳よりエピソードを何でも知っていた。

SFだけじゃない、当時はブルース・リーの作品や、『エクソシスト』に代表されるオカルトや、『サウンド・オブ・ミュージック』のような名作映画にも詳しかった。

恥ずかしながら、私は漫画以外ほとんど何も知らなかったのである。

Tとは何時間でも話しつづける事が出来た。

『宇宙戦艦ヤマト』は凄まじい人気で、続編『さらば宇宙戦艦ヤマト』が作られた。私は面白く思っていたが、

Tは特に何の感想も述べなかった。彼は『ヤマト』は1作目で十分だったようだ。

それよりも、『未来少年コナン』の方が何十倍も面白いと言っていた。『コナン』の面白さは私も認めている、宮崎駿作品ではNo1だと今も思っている。

Tは、ディズニーの『白雪姫』リマスター版が上映されるから観に行こうと
私を誘ってくれた。すごく嬉しかったし、その作品自体も大変優れていた。不朽の名作である。

盛り上がった2人はディズニーの『ファンタジア』(これもリマスター版)を観に行く計画を立てた。私達の田舎では上映されないので何時間も列車に乗って観に行った…これまたすごい作品だった。旅費をかけて観に行く価値のある作品だった。『白雪姫』と『ファンタジア』を超える作品をディズニーはまだ作ってはいない。

いや、キリが無い、アニメの事と切り離した話しをしたとしても、Tとの思い出、彼の秀でた才能、感性を讃えられるエピソードは幾らでもあるのだ。

しかし、彼はどうなったか?

なんと、キリスト教系の宗教にハマってしまった。

奇特にも読んでくれた方は怪訝に感じたかも知れなが、この頃日本の新興宗教は盛んに起こり、各地で勧誘が活発に行われた。

ラジオ番組で爆笑問題の太田さんが(私と同年代)、ある新興宗教団体に勧誘された話しをしていたが、珍しい話しではなかったのだ。

彼らは若者をターゲットにする。後年、オウム事件など起こり、それらはかなり下火になったが、それらはこの
話しより10年以上後の話しだ。

Tは私をその宗教には誘わなかった。私はTを親友と思っていたのでその団体の事も調べたし、この時キリスト教の事もだいぶ勉強してみた。(そうしなければTの見ている世界が私には理解出来なかったから)

入信する気はなかったが、Tが心配だし、恐る恐る近づいて、その宗教団体の行事や、彼らの自宅にまで招待されて、鍋パーティもご一緒させてもらった。

鍋の中身は貧相で、彼らの暮らしも清貧と言ってよかっただろう。

たぶん、彼らはいい人達に違いあるまい。善男善女に違いない。

けれど私には彼らの教義が、ぜんぜん信じられなかった。話せばとても頭の良い人達なのに、何故こんな馬鹿げた預言とか、予言を信じるのか、理解出来なかった。

実際にその預言だか予言は今のところ全てハズレている、そりゃそうだ、

それを信じない人々は全て滅んだり、地獄行きみたいな事が実際に起こってたまるか。

Tは漫画家になるだろうと、私は思っていたのだが、高校に進学するとともにその宗教に入信して布教活動するようになってしまった。

その団体は今も存在している。

本当に今、君は何をしているのだ?

2/26/2024, 3:19:33 AM

空を見るのが好きだ、こどもの頃から。

私の生まれたのは港町で、まだよちよち歩きの子供でも、家からまっすぐ歩けばすぐに防波堤までいけたのだ。

よく、1人で防波堤まで行っていた。そこで、空と海と、雲とカモメを飽きずに眺めていた。

今から思えば、かなり危険な行動だったかも知れない。

実際に死ぬ寸前までの危ない記憶がある。

その時は1人ではなく3歳上の姉もいた。

少し物憂げな空だったが、近所のこととていつもの習慣で防波堤まで遊びに行った。

防波堤は階段を降りると砂浜まで降りて行く事も出来た。大きなテトラポットがゴロゴロ置いてあり、

階段つづきのコンクリートの細い通路があって、通路を渡ると砂浜だった。

1人で砂浜までは行かなかったが、その日は姉もいたから砂浜まで降りて遊んでいたのだが、

物憂げと思っていた空が、陰鬱な空へと変わり、やがて風が出で来て小雨さえパラパラ降って来た。

そんな中で遊んでいても楽しくないからそうそうに引き上げたのだが、あっという間に、何だか潮も満ちて来て階段につづく通路まで来ていた。

2人そこを通って帰ったのだが、みるみる変わる風景に怖気付き、私は足がすくんで止まってしまった。

前を見ると姉は白状にも私を置いてスタスタ先を歩いて行ってしまった。通路から足を滑らさせて落ちれば死んでいただろう。

私は慎重にゆっくり歩いたが、通路まで迫る波しぶきの中に、大きなドブネズミの死骸を見た時には泣きそうになった。

私は幼稚園入園の年にその町から引っ越し(そう、入園前の出来事なのだ)、牧場の近くにすむのだが、

海辺の町には祖父と祖母の家があったから頻繁に遊びに行った。

しかし、あの日の急変する海と空の風景は未だに時々思い出す。あれは本当に危なかった。

これが私の原風景なのである。

2/24/2024, 5:51:00 PM

ブッタ(仏陀)はアヒンサー(非暴力)を戒めた。

アヒンサーは五戒の第一戒を不殺生戒として重要だと説いた。

ジャイナ教やヒンドゥー教でもアヒンサーは、他の生き物に対しての暴力や虐待をおこなえば、悪いカルマを蓄積し、転生に影響を与えるであろうと説いている……

だどもさ、

そらムリだべよ。

私は米作りの手伝いをさせてもらった事が少しだけあって、

最初にやらせてもらった仕事らしい仕事はトラクターで大地を耕す事だった。

♫風に逆らう 俺の気持ちを

知っているのか 赤いトラクター

燃える男の イセキトラクター♫

昔、小林旭のCMがあったっけな、かっこいいぜ。

私が運転したのはオレンジ色だったが……、

すると眠りを覚まされた大地の中から、冬眠していたカエルやら何やら無数の小さな命が飛び出して、

無惨にもトラクターの餌食となって行くのである。

ごめ~ん、カエルさん、オケラさん、もしかしてモグラさん、

かんべんな、どうか成仏して、

お米の肥やしとなって下され!!!

我、アヒンサー犯しまくれり。

ああ、生きるって矛盾だなぁ。


2/24/2024, 2:29:33 AM

実際に、肝心の場面では使った記憶がないですね、

I love you ……

ふざけた、冗談めいた時には使うけれども。

漱石が、「I love you」を「月がとてもきれいだね」と訳したとか、しないとか。…

私はテレビを持っていないので良く覚えていないが、この話テレビCMでも使われていたような気がする???

CMで使われるずっと前に、

私がお付き合いしていた人にこの話をしたら、彼女はとても喜んでくれた。

夜中PCに向かっている時や、帰宅する途中、携帯にメールが着て「月がきれいだね!」などと書かれてあったりしたものだ。

その時の満ち足りた気持ちは、外国人に分かるだろうか?

要するに漱石は「私はあなたを愛しています」なんて日本人なら絶対に言わない、使わない、ありえないから「月が…」と訳したのだろう(これは逸話かどうか証拠はありません、念の為)。

いま、外国人に分かるだろうか?などと書いてしまったが、

李白や杜甫は月を詠んだ詩が多くあるし、アンデルセンの『絵のない絵本』は「月から聞いた話」としてオムニバスの物語が綴られている。

でも、最近の人は月を観て喜ぶだろうか?

白州正子のエッセイに、ある月の宴に招かれた話があり、客達はただただ月を眺めて酒を飲んで悦に入っており、同席していた外国人が、日本にこのような慣習がある事に驚き、いたく感銘を受けていた話しが残されている。

それも、もはや今は昔か。

2/23/2024, 3:46:41 AM

今日は祝日、天皇陛下の誕生日だとか。

天皇家の祖神は天照大神で、今もなお、生きて世界を照らし続けて下さっているらしい。ありがたいことである。

私は落語ファンなのだが、桂米朝が大好きだった。(故人です)

その米朝が最も影響を受けた人は誰かという質問に対して「チャップリンです」と答えている。

桂米朝は若手の頃から上方落語界で大事にされていたし、東京の落語家達も大切にし目を掛けられてきた。当時まだそうそうたる名人、上手が生きていたのに、彼らを差し置いてチャップリンと答えたのである。

米朝も、苦しい時、チャップリンを観て笑ったのでしょう。

チャップリンの幼少期は悲惨だったようで、芸人夫婦の間に生まれるが、父はアルコール依存症ですぐに他界し、母も精神病院に収容されるほど消耗していた。

極貧生活の中で、けれどチャップリンは笑いを探し求めた。どんなに過酷な生活にも、笑いがあれば人は救われ、安らげるのである。

チャップリンは喜劇王の称号を得たが、彼の映画は反戦主義だというので国外追放の憂き目に遭う。酷い話しだが、時代の流れは恐しい。

さらに時代が流れて名誉回復したチャップリンは『ライムライト』を作った。

その中の私の好きなセリフは、

「星に何ができる?何もないさ。ただ居座っているだけさ。 そして、太陽、28万マイルの高さから炎を放っている?それがどうした? 資源を無駄遣いしているだけさ。太陽が考えるかい?意識があるかい? ないさ」、だけど君にはあるんだよ。」

チャップリンは太陽のように皆を笑わせ続けた。

でも、太陽に対しては罰当たりな発言をしていたようだ。

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