私は1人でインドを旅した。
深い理由とか、納得して貰える目的なんてない。
強いてあげるなら、子供の頃に父が読んでくれた『西遊記』だったかも知れない。
とにかくインドは魅力のある国である。あらゆるスケール感が日本人とかけ離れており、それも気楽な旅行者であれば面白い。
インド人は0(ゼロ)を発明したと云われている。
へーー。だからなに?
0とは数値や数学の概念であり、他の数字とは違って特別な値を持つ。0は何もない状態、つまり空っぽの状態を意味する。
てことは「空(くう)」なのである。
「色即是空」とは、この世ものは一切が空だとする考え。物質的な存在や、現実も時間も、この世のものは何もかもが「空」であり、実は存在しないのである。
飛躍すると、この世はすべて仮想的な世界なのだと云うのも有りだろう。
でも、この世は全て幻想だというような考え方は大昔の人は、割とみんな考えていたかも知れない。
例えば、ソクラテスも「洞窟の比喩」なんて事を述べているのだ。
ま、これはおいておいて、
「色即是空」は「空即是色」とそれを反転させて展開するのが『般若心経』である、
ここで『般若心経』語っても仕方ないので気になる方はそちらの本を読んでいただきたい。
ああ、
0の事を考えてると眠れなくなってしまうのである。
他人に対して同情するのは、失礼なのではないかと考えている。
そりゃ、大変な思いをして暮らしている人は多勢いるだろうが、
その人達に同情して欲しいかと質問したらば、大きなお世話だと叱られるような気がするからだ。
私が行った最初の外国旅行はインドだった。もう30年以上前になるが、そこにはトンデモナイくらいの数のルンペンがおり、
中には身体障害者の人達も良く見かけたが、彼らは実にエネルギッシュに活動しており、はっきり言って元気だった。
たぶん、彼の地では消極的だったり、引っ込み思案だと、生きて行けないから、必然的に逞しくなるのだと思う。
彼らは、物乞いだからお金を欲しがったが、同情して欲しいのとは全然ちがっていた。
私がまだ20代だった頃(今は60の一歩手前)東京に引っ越した。それまで埼玉県から東京の職場まで1時間半以上かけて通勤していたが、
落語や映画や芝居にすっかりハマって便利な東京暮らしを選んだ。
引っ越して
3日くらいして、帰宅すると私の部屋のドアの前に1羽の雀の亡骸があったのである。
私の部屋はアパートの角部屋であったが、どういう風向きで飛ばされて来たものだろうか?
私は田舎育ちで(埼玉ではない)、雀の亡骸くらいではまったく動じない。しかし、可哀想に思って雀を埋めてやる事にした。(田舎ではごく普通の行為かな?)
しかし、驚く事に、私の家の近所には、雀1羽すら埋めてやる場所はなかったのである。
近所に公園があればと探したが、公園はあってもあまりに整備された小さな公園で、埋めてあげる事が出来なかった。
そうと分かった時の、私の衝撃、情けなさは何とも名状し難い。
私は、心から雀を哀れに思った。
ただ、これはあくまで引っ越してまだ日も浅い頃の私の思った事である。実際には東京は緑の多いところもかなりある。
ミミズや枯葉の話のつづきみたいになったけれど。
子供の頃は昆虫少年だった。
自然が豊かなところで育ったせいもあるが、愛読書は『ファーブル昆虫記』だったし、近所の野原や森の中で、昆虫を追いかけていた。
ジャン・アンリ・ファーブルは昆虫記で有名だが、子供向けの自然科学の本も書いていた。昆虫だけではなく、その他生き物や自然現象について、優しく詩的な文章で教えてくれた。
子供にとって、森羅万象はおもしろい。
野原や森にスコップを持って行き、少し土を掘れば、訳の分からない小さな生き物たちがウジャウジャ蠢いている。
ミミズが、枯葉を食べて分解する、その排泄物によって無数の微生物が繁殖する、微生物を求めて小さな生き物たちが集まる、さらにそれらを食べようと集まる捕食者たち。
枯葉は偉大だ。
大地は、土壌は、正に枯葉とミミズと微生物が作り出したものなのだ。枯葉がなければ、地球はこんなに美しい星にはなれなかった。
枯葉こそが本当に必要不可欠なものなのではないだろうか?
子供のころ、オタマジャクシをカエルになるまで飼い続けた事はないだろうか?その後は逃がしてしまいましたか?
小さなカエルにエサを与えるのは難しい。カエルは生き餌しか食べないが、サイズが小さ過ぎるカエルにそれより更に小さな生き物を探すのは大変だろう?
けれど私は簡単に解決出来た。プラケースを森に持って行って、微生物ごと土を入れた。極小さな虫も入っている。
後は小さなカエルを入れて、スプレーで適当な水分を保てば、案の定カエルは生きる事か出来た。(キリがないのである程度大きくなったら逃がしました)
大地は生きているのである。ファーブルと、ダーウィンから教えてもらったことである。
今日にさよなら?つまりは明日!?
あしたは、どっちだ?
『あしたのジョー』の主題歌はなんとあの寺山修司が作詞したのである。(ちなみに私は歌詞カードなしで3番まで歌えます)寺山修司も大好きですね、嘘つきでどうしようもない人なのだが。
だけど、ルルルル、ルルル、ルルルル…
あしたは きっと何かある
あしたは、どっちだ
尾藤イサオの歌唱力にも唸らせられます。彼の生歌は新宿コマ劇場で『三木のり平雪之丞変化』に出演されていたので聞いているのだ。調べてみると昭和45年の作品だ(漫画連載はその2年前の1968年)
名作というか、社会現象を巻き起こした作品で、力石徹が死んだ時はファンが集い葬儀を行った。
いや、一部のファンに留まらず、幅広い層から支持を受け、大人も子供もインテリ達もこぞって読んだという。
日本でここまで漫画やアニメが隆盛を誇るようになったのは、手塚治虫の存在は大きいが、ジョーの功績も少なからずあったであろう。
以前は大人の雑誌で漫画の人気投票企画をやると、『あしたのジョー』がぶっちぎりの1位だった。大人が平気な顔して電車の中でマンガを読むような文化はこうして根付いた。
ちばてつやは、井上靖の『あした来る人』を読んでインスピレーションを受け、『あしたのジョー』というタイトルを思い付いた。
実に良いタイトルだ、
作中でも「あしたのためのその1 」なんて、わくわくするフレーズがたまらなかった。
あ、もう、こんな時間た
今日にさよなら、
だけど、ルルルル…
あしたは、どっちだ
お気に入りの物は、何もかも捨ててしまった。
家ごと捨てたのだから。
けれど、その時はそれで良いと思った。というか、それどころですらなかったのだ。
そんな私が心の拠り所にしていたのは、とある公園だったのかも知れない。
誰の設計なのかは知らないが、見晴らしの良い、広さのある美しい公園で、昼間はそこでしばしの安らぎをえていた。
夜もそこで過ごせれば良かったのだが、夜間は門に錠をかられてしまった。どこかに隠れていれば、居られたのかも知れないが、見つかった場合、出入り禁止にでもされてしまった日には、取り返しがつかないではないか?
近くのコンビニで、淹れたての珈琲を買い、公園の椅子に座ってそれを飲むのが、私の最高の贅沢なのであった。
私は酒好きで、あらゆる酒を好んで飲んだものだが、コロナで酒量は大きく減った。何ヶ月かは一滴も飲まなかった。
もともと珈琲はかなり好きだったが、酒の方が上だとずっと信じていた。
けれど珈琲の方が上だったのである。自分でも意外だったが、酒は辞められるが、珈琲は辞めたくない。
その公園から、私はある種のエネルギーを感じていた。大地と空から気を分けてもらっていたのだと思う。そして1杯の珈琲と。
少しだけ、しあわせだった。