シュグウツキミツ

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3/21/2026, 10:44:30 AM

二人ぼっち

何も見えない。伸ばした手の先も見えないほどの、闇。手を伸ばして周りを探りながら進む。でこぼこの壁、起伏の続く床。。壁伝いに歩いても、何度も足を引っ掛ける。
ゆっくり、ゆっくり、慎重に。
そうして歩いているうちに、ふか、と壁が変わる。
うわ、と手を引っ込める。あれ……この手触り……恐る恐る手を伸ばす……ふか……
なんだか暖かい。指を伸ばすと、根元に向けてところどころ固まっている。
毛足が長い……少し獣の臭い……規則的に動く……
もぞ、と壁が動いた。咄嗟に手を引っ込める。
同じところに手を伸ばしても……なにもない空間を通り……冷たい硬い壁に手が触れた。
さっきの柔らかい壁はもうない。
さっきまで二人ぼっちだったけど、また、一人ぼっちだ。
溜め息をついて、また、歩き始めた。

3/15/2026, 11:59:30 PM

星が溢れる

……そこで、エリテンヌウスは空に器を置きました。星たちを次々に投げ入れる壺を。壺はみるみる星で満ち、やがてはあふれ出していきました。溢れた星は列をなし――やがてそれは天の川と呼ばれるようになりました。

「……へぇ、初めて聞いたな。何の本に書いてあったの?」
「書いてないよ。今私が作ったの」
「……へー……」
望遠鏡の設置を続けながら相槌を打つ。
聡美はいつもこうだ。適当な話をさも本当のように話す。
「じゃあそれは聡美ちゃんが勝手に言ってることで、参考にはならないよね」
レンズもセットし、照準をプロキオンの方に合わせる。冬の大三角の一星だ。
「さてできた。覗いてご覧。接眼レンズの距離は、見やすい広さにするといいよ。ここを回すの」
接眼レンズの横のダイアルを示す。
聡美はしばらく望遠鏡を眺めていた。
「……ねぇ、壺、どこにあると思う?」
「壺?」
ややあってさっきの言葉を思い出す。
「……ああ、さっきの?聡美ちゃんが勝手に作ったんじゃないの?」
「そうだけど、そうじゃないんだよ、あるの、ええと、とても明るい星のそば」
「今の季節で天の川の近くの明るい星っていうと、シリウスだね。どれちょっと」
望遠鏡の向きを少し南東、斜め下に向ける。
「ほら、あのひときわ明るい星、あれがシリウスだよ」
白く光るシリウスに向けて焦点を合わせていると、星が動いているように感じた。
「あれ?今日のこの時間、こんなところに惑星は通らないんじゃ……」
惑星ではない。もっと小さな、キラキラしたものが、シリウスの近くから動いている。まるで、流れているような……
「え、これ」
と振り返ると、いつの間にか聡美がいなかった。
「聡美ちゃん!?」
何度か大声で呼びかけた。辺りも探した。ほんの一瞬、焦点を合わせていた一瞬だった。それほど遠くに行ったはずがない。
「聡美ちゃん、聡美!!」
いくら読んでも聡美は応えなかった。それどころか姿も見えない。
辺りは真っ暗、ライトをつけても届く距離は限られている。
「そうだ、ケータイ……!」
電話をかけても呼び出し音が鳴るばかりで、やがてそれも切れた。SNSで彼女のアカウントにDMで呼びかけても、応答はなかった。

一人で星を見る。あれから何度も冬の大三角を見たが、流れる星も聡美も観ることはなかった。
冬になると毎日覗く望遠鏡。今日も覗く。
あれはプロキオン、あれはベテルギウス、そして……シリウス。
シリウスの近く、流れるように見える小さな星、あれは、まさか……!
慌てて対物レンズを変える。再度焦点を合わせる。シリウスの近く、確かあの辺に……
壺が見えた。壺のように見えた。壺の縁から星が溢れる。溢れた星がキラキラと流れる。流れる元、壺の近く、ああ、あの横顔、あの時のまま。
「聡美……」

1/17/2026, 12:41:46 AM

美しい

『う、つ、く、し、い、そ、……ら』
辿々しくく本を読む声。
『え、……が、お、……の、せ、い、と』
文字を指で辿りながら一音ずつ文字を読む。
『お、と、の……で、……る、え、……ほ、……ん』
真剣な表情で男が呟く。
『か、……み、……な、……り、……の、お、と』
……ふう、と息を吐く。空を見上げる。遠くで乾いた連続音が鳴る。
(今更こんなことしててもどうしようもないのはわかってるんだ)
支給された袋のなかに本が入っていた。子どもの、小学一年生の国語の教科書。使い古されたものらしく、端はささくれ、ページはよれ、所々鉛筆の落書きもされている。
だが、男にとっては文字を習うのに丁度良かった。
乾いた音が続く。
(やっと文字を少し読めるようになったんだけどな)
瓦礫の陰に身を潜めて、続きを読む。
『き、の、……ぼ、……り、……で、き、た』
『く、……る、……ま、……に、ち……ちゅ、う、い』
まだ、読むだけ。書けは、しない。
『け、……ん、……だ、…ま、……』
その時、風を切る音ともに隠れていた瓦礫の端が欠けた。咄嗟に身を屈める。それまで背を向けていた方向に頭を向けると、機関銃を構えた男が立っていた。

男は先に読んでいた文章を思い出していた。
『あ、か、……る、い、あ、さ、……ひ』
……美しい、そら

12/27/2025, 10:17:22 AM

凍てつく鏡

「さむっ」
板垣京子は思わず呟いた。
『最低気温は-15℃、今季一番の寒さです』出かけに見ていた天気予報のアナウンサーの言葉を思い出していた。
外はまだまだ暗い。冬至から少し経ったとはいえ、日が昇るのは数時間は先だ。
校庭を眺めて一息つく。
水道のホースを伸ばし、蛇口を捻る。勢いよく迸る水を、均等にかかるように撒く。防寒服を着てホースの口からできる限り体を離しているが、それでも水飛沫がかかる。帽子も耳当ても手袋も着けているが、それでも掛かると冷たい。
いや、痛いと言ったほうが実感に近い。
(なんでこんなことをしてるんだろう、私)
板垣京子は音楽が専門である。音楽大学でピアノと声楽を学び、その技術を活かすために教員免許を取った。本当は演奏で生きていきたかった。
(あーあ、指がかじかんじゃう。ピアノ弾く前に温めなけりゃ、これは動かなくなるな)
暫く水を撒き、懐中電灯で校庭を確かめる。
やがて、車に乗り込んで帰っていった。

あくる朝、出勤すると、もう児童たちが登校していた。椅子を押したり、手を繋いだり、自立していたりと、思い思いに滑る子供たち。自分が担当する音楽の授業では聞こえないような笑い声が響く。笑顔が眩しい、と板垣京子は感じていた。
(まあ、この光景を見られただけ、良かったことだ)
ふと水道を見返した。バケツに氷が張ってある。
(凍てつく鏡みたいだな)と覗いた先には、満足そうな自分の顔が写っていた。

12/6/2025, 11:33:02 PM

消えない灯り

横殴りの風。氷の礫が容赦なく身体を叩く。もう寒いとか、そういう次元ではない。痛い。足を踏み込む度にザクザクとした感触が伝わる。膝下まで埋まり、一歩歩くだけで体力が奪われる。辛うじて覆われた程度の顔を腕で覆う。腕越しで前を見ても、白いばかりで何もわからない。
降り積もった雪と降ってくる雪とで視界は真っ白である。
だが歩くしかない。一歩、また一歩と、雪から足を引き抜いて降ろし、また片方の足を雪から引き抜いては降ろす。疲れた。痛い。しかし休むわけにはいかない。

そうして進むうちに、視界の先で赤いチロチロと揺れるものが見えた。炎の動きだ。とすると、誰かがいるのかもしれない。あそこまで行けば、この疲労から解放される。
心做しか、雪から足を引き抜くのが楽になったような気がした。

ザク、ザクと氷と雪でできた地面に足を入れる。どれくらい経ったのだろう、そうしているうちに炎が段々大きく見えてきた。近付くと、それが二本の篝火だということがわかってきた。篝火の間を覗くと、宴会が繰り広げられていた。灯りに照らされた明るい宴会場。皆酒や食べ物を楽しみ、歓談している。フラフラと入ろう、とした時に、入り口で止められた。
「いらっしゃい。あらまぁ、そんな雪まみれで。取り敢えず身体の雪をお払いなさい」
見ると細長い顔の目の細い男のようだった。柔らかな口調で話す。
雪を払うと、男は目を丸くした。
「まぁまぁ、そんな格好でこんなところまで。さぞお疲れでしょう、席にお座りなさい」
促されるまま、空いた席に腰を降ろす。
長い食卓にズラリと料理が並ぶ。あちこちで湯気が立つ。美味しそうな匂い。その時初めて自分の腹が減ったことがわかった。ぐう、と腹が鳴る。目の前の料理に箸を伸ばした、時だった。
傍らから伸びた手に掴まれた。
厶、と睨むと、傍らの女が、無言で首を横に振る。その真剣な表情に、思わず我に返る。
そうだ、俺は吹雪の中を歩いていたんだった。あんなに酷かった雪も風もここでは吹いてない。宴会なのに誰も音を発していない。そういえば、あの灯りはあの風雪の中消えることもなかった。は、と周りを見ると、みな笑顔なのに言葉を発していない。傍らの女を振り返ると、そこは、ただ白い世界だった。

「ああ、良かった、わかりますか、もう大丈夫ですからね」
雪の中から引き出される。外が眩しい。力が出ない。
見上げた空が青かった。

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