シュグウツキミツ

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3/18/2025, 12:02:03 AM

待っていた。ついにこの時が来た。
もう来ないと思っていたのに、今こそ。
俺は手を伸ばした。
もう少し、もう少し手を伸ばせば届く。
届くのに。

長らく俺は工場に勤めていた。
職人とか、そういう立派なものではなく、誰でもできる、替えの利く仕事。
いわゆるライン工というやつだ。
決められた作業を決められた分だけやることを望まれる。レベルに至らなければ即クビだし、求められる以上のものをやってもいけない。淡々と来る日も同じ作業を同じ精度でこなす。そうしていれば、長く働ける。
勉強も運動も人並み以下の俺には似合いの仕事だ。仕事が続くだけマシというもの。
そう自分に言い聞かせていた。

そんな俺にも趣味はある。
仲間とバンドを組んでいる。工業高校の友達とか後輩とか、その知り合いとか。四人でハードロックを演奏している。俺はリードギター。演奏はコピーが主だけど、自分たちの持ち歌だって5つはある。ライブハウスなんか、そこそこ人は入るんだぜ。対バンとか単独ライブとか、そこそこ活動もして、名前もぼちぼち売れている。
たまに女の子なんかからもお誘いが来る。

そんな俺達に声がかかった。今度のBroooockのライブのバックをやらないか、というのだ。Broooockは俺らもよく出るライブハウスで演奏していたバンドだ。出始めたと思ったら、あれよあれよとメジャーデビューしていった。
そなバンドと俺達が。もしかしたらどこかのレーベルの目に留まるかもしれない。
俄然やる気になった。

それからの練習にはこれまでになく熱が入った。演奏のレベルも上がったんじゃないか?なんて話をしていた矢先に、
世界中で新しい感染症が広がったのだ。
人から人に感染する病気で、人類にはまだ免疫がない。よく効く薬と予防薬が出来るまでは、感染しないように人と人とを極力接触させないようにしないといけない。
ライブなんてもってのほかだ。
それどころか、外出さえもままならなくなった。
人々が余計な物を買わなくなり、物が売れなくなった。そうなると、企業も余計に生産することも無くなる。
その結果、俺の勤めていた工場が閉鎖された。

仕事もなく、ライブもなく、それどころかバンドのメンバーとの練習だってできやしない。
俺にできることはただ一つ。ひたすらギターを練習するのみだった。

やがて感染症の治療薬も出回り、予防薬も接種されるようになった。これまでの制限も解除され、少しずつ世界が元に戻ってきた。
これで、また、バンドの活動ができる。
そんな矢先、ボーカルの工藤が死んだとの連絡が入った。
感染症によるものではなく、酔って階段から落ちて、当たりどころが悪かったらしい。
俺達の曲は工藤が書いていた。あいつがいなくなったら、新しい曲がもう作れない。
そんななか、Broooockが解散するというニュースが飛び込んできた。感染症が蔓延する中でバンドのメンバー同士の意見が合わなくなり、これ以上は一緒にできないとのことだった。
そんなニュースを、俺はテレビで知った。
もう誰も、俺達との約束なんて覚えていなかったのだ。
バックバンドの話も自然に立ち消えたことを知った。

所詮、叶わぬ夢だったな。
俺は重い腰を上げ、職安へ行くために髪を切った。

3/16/2025, 11:55:06 PM

花の香りと共に奴が来た。
背が高く黒い服、スラリと伸びた脚。
長い黒髪を風に靡かせて歩いてくる。
「やあ、待たせましたかな」
穏やかな低い声。だがその目は笑っていない。
「少しね。君もどうだい?」
椅子を差し、メニューを示す。
奴は音もなく椅子に座り、ウィスキーをオーダーした。
「それにしても、君、いつもに増して香りが濃いね」
奴が入店した途端、バーは花の香でむせ返った。
「これではせっかくのウィスキーも味が分からなくなる」
「悪いですね。季節なもので」
待ち合わせ場所を間違えたか……と少し後悔する。
お互い一杯呑んだあと、店を後にする。柴泊店は客足を遠のかしてしまいそうだ。マスターへの心付を多目にしておいた。
「話というのは他でもない」
歩きながら仕事の話をする。
「君の作品、あれ、一ヶ月後に締め切りでいいかな」
奴は驚いた顔でこちらを見た。身長差があるので見下されてしまう。
「いいのですか。てっきりもっと早いものだと」
「ああ、こちらにも都合があってね」
パーティーは一ヶ月後に決まった。どうしても参加してもらわなければならない人物たちの都合を合わせた結果であった。
「一ヶ月後…というと、春半ばですね。ええと……黄色を基準にするとバリエーションも増えられそうですが」
「それでいい」

その一ヶ月後、予定通りパーティーが開催された。卒業と入学を兼ねた祝いの催しだ。
主催は一族の子供たち。この春中学や高校、大学に入学する。彼らの休みやレジャーの都合上でスケジュールが決められていた。
会場には溢れるばかりの黄色い花。クロッカスや菜の花やチューリップや。奴が言うには、冷蔵や温室で管理をしたので多少の花期のズレを合わせられたという。
奴に近づく。
「ありがとうよ。おかげでいい式になりそうだよ」
「どういたしまして。またご依頼を承りますよ」
黒尽くめの花屋は穏やかに微笑んだ。

3/11/2025, 11:38:59 PM



見上げると星空だった。暗いはずの夜の空が嘘のように明るい。
ああ、こんなに輝いていたのか。それに気づかなかったのか。
「牡丹くん」
低く呼ぶ声に振り向く。
「ああ、導火さん。見てくださいよ、あの空」
「そうたな」
と導火さんは見もせずに言う。星の明かりに背を向けて、暗がりに蹲ってごそごそと何かをしている。
「見ないんですか。ほら、あんなにも……」
「君はそんなにお喋りだったか」
こちらを振り返りもしない。
しばらくそうやって何かをしていたが、やがて立ち上がった。
「終わったんですか」
「ああ。……いや、まだだ」
「ならば見てくださいよ、空。すごいですよ」
諦めて振り返って空を見上げた導火さんの表情が忘れられない。みるみると目を見開いていき、瞳の中に満面の星空を映す。
「ああ、こんなにも、美しかったのか……」
しばらく呆然と空を見上げ、やがて振り向いた。
「牡丹くん、最後にいいものを見たな」
「ええ」
本当に、美しかった。空も、導火さんも。

「始まりました、今宵の夜空を彩る花火大会です。まず打ち上がりますは、加藤煙火店によります、牡丹花火です……」

1/5/2025, 11:59:49 PM

空気が張り詰めているような朝。冷気が肌を刺す。足元には霜柱。ザクザクと音を立てながら進む。
ふ、と空を見上げると、雲一つない青い空が広がっていた。空色が少し薄い。冬晴れである。
「コラ、そこ、何をよそ見している!」
すかさず怒鳴り声が上がる。よろよろと前を向いて進む。足に着けられた重りが重い。

捕らえられてここにきて、もう何ヶ月にもなる。あのころは台風がよくきていたのに、今は冬空になってしまった。
「鉄道を作るんだと」
同じく囚人の仲間が教えてくれた。針葉樹の広がる森を、ひたすら開拓している。太い木を斬り倒し、岩がゴロゴロと混じる土を慣らす日々。
「なあ、逃げないか?」
囚人同士の会話は禁止されている。だが、監視の目が届かない場所では別だ。藪の中に入った一人一人を常に監視することはできない。
「逃げるって、どうやって」
宿舎では監視の目が鋭いし、周りは原生林が広がるし、だいたい足に繋がれているこの鎖は外せない。
「藪の中では目が届かないだろ。この隙にそっと抜け出すのさ。足は、ほら、これで」
缶の切れ端。支給されたものを密かに隠していたという。
「ここ5日ほど同じところで作業してただろ。その間に、見張りの位置を確かめて、経路を見つけたんだ。お前もどうだ」
もちろん、こんな所からは一刻も早くおさらばしたい。だが、見つかったら半殺しにされてしまう。そうなると、解放される日まで生き残れるか不安だ。
だが。
「やる。俺も交ぜてくれ」

そうときまれば、と男は缶の切れ端を鎖に宛てがい、支給されている斧の刃の付け根を打ち付ける。二度、三度、五度ほど打ち付けて鎖が千切れた。
「味噌汁とかスープとか、支給されたものを少しずつ鎖に付けてたのさ。錆びないかって」
次は俺の番。今度は九度ほど打ち付けてようやく切れた。

藪に身を潜めて進む。森の中、開発しているルートと直角に進む。
「お前ら!」
見つかった!監視が声を上げると、男は俺を突き飛ばして転ばせた。そうして、自分は走った。
俺を誘ったのはこれが目的か。囮だ。
くそ、思い通りになるものかよ。
必死に立ち上がり、男を追う。凍った地面が滑る。
ようやく落ち着いた襟を掴み、思い切り引く。後頭部を打ち付けてのたうつ男を尻目に、走る。走る。

そうして辿り着いたのが山小屋だった。どのくらい走ったろうか。もう足が動かない。
扉を開けて中に入ると、暖炉に火がかけられていた。暖かい。久し振りに感じる暖かさだ。竈には大きな鍋がかけられていて、グツグツと音を立てている。美味そうな匂い、腹が鳴る。
フラフラと鍋に近づいたところ、扉を開けて入ってきた者がいた。大きな犬のような顔をした生き物だった。だが、二本足で立っている。
「これはこれは……お客様でしたかな?ようこそ」
流暢に話す。俺の国の言葉だ。どういうことだ。
「あの」と話そうとしたところで、思い切り腹が鳴った。
目を丸くした生き物は、すぐに微笑んで鍋の中のスープを出してくれた。
美味い。暖かい食べ物なんて、何ヶ月ぶりだろう。夢中で食べた。
一息いれていると、生き物が話しかけてきた。
「見たところ、どこかに捕らえられていたようですね。他の国の方のようだ。もしよろしければ私の手伝いをしていただけますか。お食事と寝るところ、服だって用意します」
通報されてもおかしくない状況だというのに、願ってもない条件を提示される。
話がうますぎないか、と疑念が過るが、提示された話を飲む以外に俺には道はない。
「なんの手伝いだ」
「なに、簡単です。あなたは私が外に出ている間、家の中の用事をしてくださるだけでいいのです。掃除して、食事を作って、暖炉に薪を焚べて。そうしていただくと、私の仕事も捗るので」
「仕事、とは、なんだ」
「大したものではありません。この国の在り方を変えようと思っているだけで。ただ、そうすると今までのように人間の皆さんだけの世界ではなくなってしまいますが」
驚いて生き物の顔を見る。穏やか笑みを浮かべるが、目の奥の表情は知れない。
「……いいだろう、手伝うよ」
どのみち、俺もこの国を変えようとして捕まったんだ。少し違う変え方だろうが、目的は同じだ。
囚人をあんな扱いする国なんて滅びてしまえ。少しはマトモになるだろう。

12/24/2024, 11:59:05 PM

イブの夜

しんしんと雪が降り積もる。近くの街路樹には電飾が光り、行き交う人々のざわめきが響く。
今はクリスマスイブの夜だそうだ。
しかしその子犬には知る由もない。
ただただ寒さが体に滲みる。脂っこいが美味しそうな匂いのものが、いつもより多く捨てられているので辛うじて腹は膨れた。
フラフラと子犬がこの場所に辿り着いたのは3日ほど前のことである。このあたりには小さな飲食店が多い。烏やネズミ、猫やハクビシンといったライバルも多いが、餌には困らない。たどり着いた当初よりは少し身体もしっかりしてきたようだ。
これからどうするか。
他の場所に行っても今のように餌に不自由しない保証はない。この場所に逗まるか。
そう考え始めた矢先のクリスマスイブである。
「それにしても寒いなぁ」
子犬は呟いた。親や兄弟のことを探すのはとうに諦めている。乳離れしていたのは幸いだった。
空腹を感じたので、いつものように餌を探そう、と歩き始めた時だった。
「やい、お前。いつまでいる気だ」
隻眼の猫が話しかけてきた。大きな顔の大柄な雄の猫だった。
「なんであなたは犬の言葉が話せるのです?」
子犬が尋ねた。種の違う者同士は話ができない。体の構造が違うから発音が異なるし、なにより話す文法も全く違う。だがこの大猫は、子犬にもわかる言葉を話した。
「ふぅん、それがわかるのか。大したもんだな、お前」
大猫は少し面白そうな目で子犬の値踏みを始めた。
「賢い奴は好きだぜ。生き抜く力が持てる。着いて来な」
大猫が歩き始めた。子犬も後を着ける。どのみちこのままだと後の生命も保証はないし、逗まる意味も特にない。なにより、子犬は出会ったばかりのこの大猫が、なぜだか信頼に足るものだと感じていた。
なぜそんなことを感じたのかはわからない。
大猫は店の裏道を通り抜け、塀を歩き、空き地を貫いた。子犬にとっては少し難しい行程だったが、なんとか着いて行った。
やがて、二匹は広場に着いた。周囲の木々にはキラキラとした電飾が施された、眩しさに目眩を起こしかけた。
子犬は、その中心に人間がいることに気が付いた。あの大猫は人間の側にいた。
人間は子犬にとって危険な存在だった。見つかると追い回され、危うく捕まりそうになったこともある。身を捩って暴れ、その時には逃げおおせた。
だが今向き合っている人間には、不思議と危険は感じなかった。それよりも生きているものかどうかすら危うかった。人間が放つ匂いが感じられない。
人間の周りには他にも色々な動物がいた。見たことがある種類も、見たことがない種類もいた。
やがて人間は口を開いた。
「ようこそ、君たち。よく今まで生きてこられたね。今日は特別、プレゼントだ」
そう言ったかと思うと、あたりはさらに眩い光が広がっていった。
気付くと光の中だった。他の動物たちもいる。光の中で、子犬は幻を見た。山の中、知らない犬たちと共に駆けている。互いに鳴きかわし、匂いを嗅ぎ、喧嘩したりジャレたり怒られたりもしている。
こうあるべきだ、と体の底から思いが湧き上がる。僕はこうありたい。
やがて光が収縮した。元の広場の中心だった。電飾も動物たちも人間もかわらずいた。
動物たちは皆呆然としていた。
「君たち、希望を見ただろう。君たちならば可能だろう。今見た希望に向けて行きたまえ」
この人間も自分たちにわかる言葉で話している。子犬だけでなく、ここに集まっている様々な動物たちに向けて。果たして、言葉を話しているのか。そもそも本当に人間なのか。
「今日は私の産まれた日だからね。君たちにささやかなプレゼントだよ。グッドラック。メリークリスマス」

その後、犬は都市を抜けて森へ向かった。あの時見た幻想によく似た風景。山の中の野犬の群れに出会い、仲間入りした。仲間と共に狩りをし、遊び、群れの掟に従う日々。こうあるべきと願った通りに。
今でも森を駆けている。

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