シュグウツキミツ

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10/28/2025, 11:33:27 AM

信頼と裏切り
救済と破滅


「そんなもの後生大事にして、どうすんだよ」
「いいじゃない、私のなんだから」
聡美がぬいぐるみを抱き寄せた。古びたクマのぬいぐるみ。色はすっかり褪せ、所々ほつれが目立つ。元は茶色でふかふかしていただろう、そのクマは、聡美の腕にすっぽりと収まっていた。
ふん、と鼻を鳴らし、正人は席を立った。
リビングのドアが音を立てて閉まる。
聡美はしばらくそのクマを抱き寄せていた。

聡美はフリーのWEBデザイナーである。5年ほど小さなオフィスで働いて、3年ほど前に独立した。最初の年は顧客の確保に苦労もしたが、今では固定客が安定している。
在宅での業務のため、いつもクマを抱きしめて仕事をしていた。

正人とは学生時代からの付き合いだった。製薬会社の営業として安定した収入が得られている。正人と合わせて月収が五十万円となったのを機に入籍した。それまでも一緒に暮らしていたが、入籍のころにはお互いすっかりと関心を持たなくなっていた。

結局その後、聡美は寝室にはいかず、リビングのソファで夜を明かした。 朝になり正人が出社し、聡美はのろのろとリビングでノートパソコンを開けた。
メールやDMをチェックし、SNSに挙げていただいたサンプル画像の反応を見て、ふと自分がクマを持っていないことに気がついた。
ない、ない、ソファにもテーブルにも床にも、ない。どこを探してもなかった。聡美はもう、仕事どころではなくなっていた。

正人が帰宅すると、雑然とした部屋の中で聡美がへたり込んでいた。部屋中がひっくり返され、一瞬空き巣が入ったかと思うほどだった。
「……どうしたの」
正人が聞くと、聡美は生気のない顔をゆっくりと上げ、
「クマが……いなくなったの」
と消えゆくような声で答えた。
「ああ、やっと!あのクマがいなくなったのか」
正人が晴れやかな声で答えた。
聡美が表情の消えた顔で見つめる。
「よかった、あのクマ。いつの間にか家にはいりこんでさ、君はずっとあのクマにかかりきりだったし、せいせいした」
正人の言葉が終わるか終わらないかのうちに、表情を変えた聡美が掴みかかってきた。信じられないくらいの力だった。どこにそんな力があったのか、と思うくらい。
聡美はしばらく正人の首を揺らし、胸を叩き、喚き、そして泣き出した。
「どうするの、どうするの、やっと仕事が順調になったのに、これから私、どうすればいいの!!」
「……聡美」
聡美に乱された服も髪もそのままに、正人は静かに見下ろしていた。
「もう、やめよう。薬の売人なんてやめるんだ。そんなことで顧客を増やしたって、先はそんなに長くないよ。これでいいんだ。」

正人がクマの中からガサガサとした異音がすることに気がついたのは、一ヶ月前だった。それからクマの体の中から薬包がはみ出ていることに気がついた。ラムネのような、動物の形や花の形をしたものが入っていた。
その中で、見覚えのある形のものを見た。大麻だ。大麻の葉の形のもの。MDMA。
聡美の手から離れる所を待ち、奪い去っていたのは正人だった。
「……まったく、シロートが手を出すなってんだよ。」
正人のスマホに、また入金の通知が入った。

10/25/2025, 4:14:40 PM

無音の中の薄明かり

しん……と雪の中。踏みしめる雪が固まる。雪に足が取られる。歩みを進めるごとに足が重くなる。力を入れて進む。二歩、三歩、四歩。歩き慣れた道だが、日が落ちて夜になると途端に知らない顔を見せる。昼間の記憶を頼りに進む。五歩、六歩、七歩。街灯もなく、車も通らず、すれ違う人もない。道の両脇には畑が広がり、春になれば菜の花が植えられて華やかだが、今は雪の下だ。八歩、九歩、十歩。家はまだだ。確かこの先は田中さんの家だ。私の家はそのさらに先。十一歩、十二歩、十三歩。
……ふう、やれやれ、流石に足が辛いな。少し休もう。
そうは言っても辺りは雪だ。座るわけにもいかない。こうしてのんびりもしていられない。今はまだ平気だが、防寒具だって完璧ではない。
少しだけ立ち止まって、また歩き始める。十四歩、十五歩、十六歩、十七歩、十八歩……
気が付くと足元しか見ていなかった。顔を上げる。あれ?ぼんやりと灯が見える。この先、田中さんのお宅よりさらに向こう。
なんだ?
足を進める。灯がだんだん近づいてきた。
足を止める。道の脇、田中さんのハスカップ畑の入り口だ。暗闇の雪の中、足元にぼんやりと小さな灯が灯っている。ゆらゆらと揺れる光は、火だろうか。
腰を落としてよく見てみる。
すると、雪がすり鉢状に掘られていて、その真ん中に蝋燭が灯っていた。その周りをなにやら小さなものが蠢いている。もう少しよく見よう、と屈み込んだ途端、私は蝋燭の根元にいた。
え、と上を見上げると、上の方でちらちらと火が揺れるのがわかる。日が揺れるたびに影が揺れる。蝋燭の根元が太い。大人が3人くらいで抱え込める太さかな。火の影に交じって、なにやら動く影もある。なにかの気配。
振り返ってみても、何もいない。でも影だけがちらついている。見えないだけで、何かがいる、それも一つや二つじゃない。影を見ればわかる。ざわざわと影は揺れるのに、その影を作り出すものが何一つ見えない。
ここは、どこだ。一体、なんだ。
ふと、寒さも感じていないことに気がついた。雪は?足元もすり鉢状の壁も雪でできている。でも降っていない?歩いているときにはあんなに降っていたのに?これは、どういうこと?でもなにか、そんなこともどうでもいいような気が、し始めた、時だった。
「小夜ちゃん!小夜ちゃん!」
肩を揺すられて気がついた。田中さんのおばさんだ。あれ?ここは?今までの蝋燭は?
「気がついた!びっくりしたよ、こんなところで!!」
辺りを見渡すと、雪道だった。あ、私は倒れていたのか。体の左側が雪だらけだ。
「今救急車を呼んだから!お家の人ももうすぐ着くからね!寝てはダメよ!!」
私は……寝てたのか。あ。
ふと道端を見ると、灯はなかった。見間違い?でも確かに光っていた。あの揺らめきは蝋燭の炎だった。
よく見ると、道の脇にすり鉢状の凹みがあった。
救急車のサイレンが聞こえてきた。

10/24/2025, 2:32:47 PM

レコード

蓄音機から音がする。ぐるぐる回る、レコードの音。ところどころ途切れる中で、なんとか意味が聞き取れる。
……ザ……ザザザ……ザあな……ザザザザ……聞こえ……ザ………
何か言っているようだ。どうも聞き取れない。
ザザザザ………き……ますか……ザザ……です…ザ……は、いま……ます……
「やっぱわかんねぇな」
斎藤が呟く。
中古レコードやでタイトルもないレコードを買った。白いだけで何も書いていないジャケット。試しに蓄音機にかけたんだけど、途切れ途切れで何を言ってるのか葉分からない。
「……斎藤、やっぱこれ、買うのやめたほうがよかったんじゃ……」
「何言ってんの!面白いじゃんこれ!」
目を輝かして応えるの。
ああ……わかってたさ、こういうやつだよ……
…ザ……というわけ……私はその…ザザ……ザ……と疑っている……ザ……
「……なんか今、『疑っ』とか言わなかった?」
……ザザ……ザザ……と……私は思うんですよね……ザ……でもお母さんは………ザ……ザザ……ザザ……どう考えても、オジサンがおかしいって……だ……ザ…んなこと言うわけないんですよ、………ザ…だってお父さんは、お父さんがそんなこと……だなんて……
「……なあ、気になんねぇ?」
気になるも何も、なにも聞こえないじゃないか。
「そんなことないよ、ほらこの断片!『お母さん』とか『お父さん』とか『オジサン』とか、これなんかあったんたまよ、親族関係とか?」
雑音ばかりで聞き取れない。何を分かったというんだ
「いや絶対なんかあったんだよ、家族とか親戚とかの間で、トラブルとか」
レコードから途切れ途切れに聞こえるのは、子供、高校生くらいかな?そんな女の子の声。確かに自分の親族の話をレコードに残しているなんておかしい。

翌日、レコードを買った中古レコード屋に行った。対応したボォっとした痩せた店員は。買い取り相手は教えられない、プライバシーの問題とかで、断られてしまった。

「いやこのレコード、大体いつのだかもわかんないじゃん」
斎藤に言うと
「いや、わかる」
とやけに自信満々だ。
「なんでわかるのさ」
「この声……姉ちゃんだ」
驚いた。あんな途切れ途切れの音で。
「わかるさ……姉ちゃん、中学の時に行方不明になったんだ」
ああ……ならば
「そうだよ、あのレコード、姉ちゃんが録音したんだ。自分の声をレコード針で」
ならば、あれは
「そう。あれは姉ちゃんの最後の言葉はだ。何かを伝えようとしている。それを知らなくては」
斎藤、お前……
「……さっきから『斎藤、斎藤』て。お前も斎藤だろ?」
斎藤……斎藤、だったっけ?
「そうだよ、斎藤。斎藤真奈美。俺の姉ちゃんじゃないか」
姉ちゃん……弟……松樹……?
「そえだよ、松樹だよ、ようやく思い出した?姉ちゃん」
ああ……松樹……弟……思い出した。オジサンが……お母さんのお兄ちゃん……が、突然刃物を持って私たちの家に来たんだ、なにかよくわからないことを叫んで。私は……あのとき……
「姉ちゃん、姉ちゃんは俺を庇って!ねえちゃがいなけれぱ俺はいなかった!!」
……そうだった。伯父さんがやってきて……
「なんとかそのことを知らせようと、お姉ちゃん、このレコードに声をいれてたじゃないか、忘れたの?」
ああ……そうだった……レコードの針に声を乗せたんだった。なんとかこのことを誰かに……
「伯父さんは、今朝刑が執行されたよ、姉ちゃんを殺した奴は死んだんだ。だからもう、姉ちゃんも」
そうか……もうここに残ってる意味はなくなったんだ……これでやっと、このまま……
「だからこのレコード、分からないけど、でももういいんだ、大丈夫だよ、俺も」
そうか……もう大丈夫なんだね……松樹……。
「ありがとう、姉ちゃん。俺はもう大丈夫だから。お盆にはまた来いよ」

10/23/2025, 11:22:11 AM

無人島に行くならば

「ねぇ、もし無人島に行くとして」
「え、ちょっと待って、いまそれを聞くの?」
「いいじゃん、もしもだよ」
「もしも……ねぇ……」
今井の言うことはいつも突飛である。しかし今この状況で聞くことかね?
「でさ、無人島に行くとして、何を持って行くといいと思う?」
「え……ええと」
しばし考える。
「水……かなぁ?」
ちょっとは気晴らしになるだろう。
「そうだね……水、必要だったね……」
いや急に現実に戻るなよ。
「じゃあお前は何がいいと思うんだよ」
「そうだねぇ、本、かな」
「本!?」
本が何の役に立つと言うんだ。
「……炊き出しに役に立つ、とか?」
「嫌だなあ、なんでそんな現実的なんだよ」
いや、現実的にならざるを得ないだろ。
俺達は船に乗っていた。そういう話は船に乗り込む前にすべきなのでは?
「でもさ、ちょっとは夢を見たっていいんじゃない?」
今井はいつもそうだ。クラスでも話し合いにはいつも現実離れしたことを言っていた。
文化祭の出し物も、いきなり
「デス・ゲームがいいんじゃない?」
とか突拍子もないことを言い出した。だがその発想のお陰でバトルポイゲームという、なかなか盛り上がる出し物が出せた。こいつの突拍子もなさが新しいことを生み出すことも多かったのは事実だ。職場でもこいつの発想がイノベーションに繋がることもどれだけあったか。
しかし、今はそれとは違う。
「……なあ、そんなこと聞いてもなんともならないだろ?」
「だからだよ、だから今そういうことを考えるんだよ」
その時初めて今井の息が上がっているのに気がついた。
「今井……」
見ると出血がひどい。慌ててどこからのものか調べようとすると、
「……でも、お前と一緒でよかったよ」
「何言ってんだよ、もう話すな、ちょっと待ってろ、今なにか」
「何かを探そうと立ち上がろう、とした俺の服を、今井が掴む」
「……ごめんよ、僕がクルーズなんかに誘うから」
「謝るなよ、お前のせいじゃないだろ!」
しかし、今井の声はなかった。なかったんだ…
無人島にいくならば、なんて例え話ではない。やっと辿り着いたのが、この、無人島だったんだ。折角ここまで辿り着いたのに、今井、お前……

10/22/2025, 9:16:12 AM

予感

「どうしてわかったの?」
春日くんが尋ねてきた。
……そう聞かれても、僕にもわからなかった。
「えと……なんとなく……」
その答えは望んでいたものではなかったらしく、不思議そうな顔で去っていった。
また一人。
クラスのざわめきが水の中から効いている音のようだ。
俯いて、足をぶらぶらと揺らす。あとどのくらいで昼休みが終わるだろうか。

さっき、花瓶をどかしたんだ。教卓にある、ミルク色したガラスの花瓶。その場所になにかがくる気がして、隣の棚の上に置いた。
その時だった。
前川くんが蹴飛ばした誰かの上履きが飛んできた。
上履きは、さっきまで花瓶があった場所を通り過ぎて行った。

僕にはたまにこういうことがある。なにかがはっきりと見えるとか、そういうことではないんだ。
ただ、予感がする。
なにかが来る、と。

ホームルームが終わって帰ろうと教室を出た時だった。
春日くんが立っていた。友達と一緒じゃないのか。
「ねえ、教えて。さっきどうやってわかったの?」
「そう言われても……さっき答えたのと同じだよ」
なんとなく。本当にそうとしか言えないんだ。
「ふぅん、ねぇ、ちょっと一緒に来てよ」

春日くんに着いていくと、校舎の裏のビオトープの所まで来た。
「どうしてこんなとこに連れてきたの?」
「誰にも見られたくなかったんだよ」
さっきまでの声とは違う。低くて、なんだか大人のような声。
「春日くん……?」
思わず一歩下がる。
目も、なんだか鋭く冷たい光。
「まだ思い出さないの?君には役割があるだろう?」
何を言っているんだろう。
「これを 見ても」
と春日くんがポケットから取り出した。
青く光る、石。ゴツゴツした石の表面にに光が当たるとキラキラする。
「綺麗だね、どうしたの、それ」
すると、スッと表情が消えて、しばらく黙った。
「まだか」
と呟いて、そのまま行ってしまった。

やれやれ、気づかれ始めたようだ。この格好もこれまでか。
僕は「皮」を脱いだ。透明な手足が出る。窮屈な身体だったが、それもこれまでだ。
誰にも見つからないように、足早にその場を去る。
こんなところで「石」を取り出すなんて、まだまだヒヨっ子だな。そんなんじゃ、僕は捕まらないよ。

「スミマセン、逃がしました……てっきり僕らの見方だと思って……ハイ、ハイ、わかっています……ハイ…次こそは。ええ、タイムパトロールの名に賭けて」

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