シュグウツキミツ

Open App
5/9/2026, 12:28:48 PM

名前を呼ばないでください

足元がジャリジャリする。それだけではない。大小様々なゴミが一面に広がってる。ガラスが割れる感触。グシャッと潰れて硬いものが折れる、飲み物の缶かな。板のようなものが撥ねる。柔らかい感触に足が滑る、布かな。柔らかいものを踏み抜く……鼠か……。一歩一歩、次は何を踏むのか身構える。壁に手をつくと、これもザラつく感触、埃?煤?なにか空から落ちてくる。
前には小さな背中。この足元をスイスイと歩く。何もないかのように。
「……ねぇ、まだなの?」
上からの埃が入らないように、なるべく口を開けないで聞く。
「……」
しかしそんな問いかけなどないかのやうに一言も上げない。
「ねぇ!」
こんなところを歩かせておきながら、何の説明もないなんて!
置いていかれないように足を運ぶ。パリン、とガラスが割れる。
「……」
アキラは少し振り返り、細い目をこちらに向け、また前を向き歩いていく。
「ちょっと、なんなの、いい加減に……」
と言った瞬間、前が明るくなった。両脇の壁がいきなりなくなった。
目が開けられない。
薄く目を開けると、アキラがこちらに目をやった。
「……こちらです」
軽く顎を向けた先には、家並みが広がっていた。
「……ここが……」
黒い瓦が白く縁取られている。薄茶色の土のような壁が柔らかく丸みを帯びた壁。小さな窓にはガラスが嵌め込まれていた。どれも平屋建てで低い塀で区切られている。10棟より多いかな……
「クニムラです」
一瞬遅れて漢字を思い出した。久邇村……依頼を受けた村だ。
「区長には声をかけています」
高く澄ました声。その声に足を踏み出した途端。
「名前は呼ばないでくださいね」
え、と振り向くと、アキラは薄く微笑んでいた。
「それは、どういう……」
「これから会う人の名前を呼んではいけません。私の名前も、ヒトシさんの名前も、そしてあなた自身も」
すっかり立ち止まってしまい、アキラの顔を見る。
「どういうこと?」
「名前を教えると、取り込まれてしまうんですよ」
取り込まれる……?誰に?
「……私は仁志さんを取り戻しに来たんだけど」
「ああ……」
アキラの顔から表情が消えた。
「言ったのに……」
その途端、家の奥から腕が伸びた。私の腕を掴み、引き込もうとする。足を踏ん張り抵抗しようとするが、力が強い。ズリ、ズリと家が近づく。
「いや!やめて!ちょっと、これはどういう!アキラ!ねえちょっと!!」
さっきまで通っていた壁の向こう側で、アキラの声が響く。
「ホラ、また」
なんで!名前を呼んだらこんなことに!!
「だからあなたに名前を教えたんですよ」
含み笑いの声が響く。
黒い手が無数に私を掴む。引き摺られながら、その声を聞いていた。
やられた、やられた!この先には行きたくない!なにか、そんな気持ちがする!

5/1/2026, 9:48:37 AM

楽園

楽園て、もっとキラキラしているものだと思っていた。一面に花が咲き乱れて薄い風に揺れて。苦しみも悲しみも飢えることもなく。
まさかこんなところが楽園だなんて。

私は疲れた身体を引き摺って、岩だらけの土の道を歩いていた。赤茶けた崩れやすい土。疎らな草。木なんてほとんど生えていない。照りつける太陽、乾いた大地。喉が渇くのも通り越して、いつからか汗も殆ど掻かなくなった。道の先はまだ進む。振り返っても道だけが続く。
疲れた。
道の端でとうとう座り込んだ。
暑い。痛い。ヒリヒリする。
見ると右腕の外側が赤く腫れていた。
せめて日陰があればなあ!
リュックを下ろそうとすると、肩紐が皮膚に擦れて痛い。
長袖を着るべきだったか……
覚えているのはそこまでだった。

は、と目が開いた。
あれ、屋根だ。あれ、ベッドだ。あれ?あれ?あの道は?
シーツに擦れて腕が痛い。痛い。
あの時の日焼け。ならばあの道は夢じゃなかったのか。
手首のあたりに何か巻かれている。針、管、辿ると、点滴……?病院……?にしては室内が雑多だ。カラフルなまちまちの色の壁に、カラーボックスがある。カーテンも襞が伸びて所々擦り切れている。ここは……どこだろ……?
しばらくして、カーテンが開いた。
浅黒くて目が大きな女の人だ。
「〜〜〜〜」
知らない言葉で話しかける。
「  」
声を出そうとして、気がついた。
あの言葉は、なんだ?私はどんな言葉を発すればいいんだ?あれ、声が出ないぞ?
「あ……あ、あ……あ……」
口を開いて声にならない声を出す私を見て、険しい顔で女の人が引っ込んだ。
あれ?なんか、おかしくないか?
やがて、カーテンが開き、恰幅のいい女の人が顔を出した。白い服に首から聴診器、ドクターかな?
「あ…あー、あー……あ……」
あれ、口の端からなんか出た。
涎……?と思って拭った手に違和感があったんだ。涎って、液体だよね、水分だよね、ならばこの、硬くてツルツルしたこれは、モゾモゾ動く、この正体は。
あー……あー……あー………

もうね、どうでもよくなったんだ。私はこの木の汁を吸ってさえいれば、もう満足なんだから。フックの効いたこの腕と、硬い殻があれば、例え暑くても耐えられる。硬いこの羽を広げれば、ほら、中に薄い羽根が。これでどこまでも跳んで行けるんだから。

「−−−木下涼子 日本国長野県出身、ブルキナファソにて熱中症で意識不明のところを発見、入院中に逃走、医師と看護師とによれば甲虫に変身したとの報告、現在彼らは入院中、本人は行方不明」

4/15/2026, 9:36:26 PM

水藻祭礼


祭礼が開かれていた。あれは祭礼だったのか?

俺は確かに水の中にいたんだ。
丹生池では金が採れるともっぱらの噂だった。実際、近所の田中ん家の親爺がそこで金を採ったらしい。やけに羽振りがよくなって、車を買い替えたと思ったら引っ越していきやがった。
俺は、金が欲しかった。金さえあれば、こんなつまらない仕事をさっと辞めてやれる。こんな、職場と家を往復するだけの毎日なんて。夜明け前から3交代でクタクタになって家に帰る。休みなんて疲れてなにもできやしない。
金が採れれば、田中ん家の親爺のように、いい車が持てるし、ないより当分は仕事もしないで済む。
丹生池は、そんな近所の噂を信じて集まったやつらで一杯だった。
俺は、有給を使って職場を休み、誰もいない平日の昼間に潜ることにした。

淡水がこんなに潜りにくいなんて思わなかった。海ならば、もっと楽に浮かべるのに!
誰にも気づかれずに、俺は一人、池の底へ沈んでいったんだ。

祭礼が開かれていた。色とりどりの提灯が下がる。ガキの頃に行った近所の祭と似ているが、違う。提灯に書かれている文字が読めない。何か、字、らしきものがあるが、それがなにを意味しているのかがわからない。俺の知っている字ではない。
提灯も、色がやけに鮮やかだ。こんな、ショッキングピンクだのビビットなレッドだの、見たこともない色合いだ。
屋台が並ぶが、並ぶ商品も……これはなんだ?丸く渦を巻いていたり、長くて周りに突起があったり、湯気が立っているが……食い物か?ふと屋台の奥に目をやると、なにか霞がかったようなものがいる。売り子はどこにいる?売り子?あれ?
気が付いた。やけに静かじゃないか。
こんなに屋台が出ているのに、何も鳴っていない。人の声もしない。なにより、物音一つしていないじゃないか。
慌てて周りを見渡すと……なにか、影のような、なにかがたくさん揺らめいている。
なんだここ……おれはどうしたんだ、そうだ、確か、俺は。
自分の体を見回してみる。ダイビングスーツも、酸素ボンベも、池に入った時に身に着けていたものが、ない。なんだこの浴衣は。着古したような、色褪せた赤の三角模様の浴衣。やけに体に馴染む。どこかで見た柄だな、とは思ったんだ、その時は。
だが、それよりも、なぜ俺がここでこんなことしているんだ。たしか、俺は。
……池に沈んだのではないか?ならばここは……池の底ではないのか?
恐る恐る、屋台の天幕に手を伸ばす。
触れる、感触がある。だが、濡れていない……そうだ、俺もこんな格好で全く違和感もなく歩いていたではないか。体も髪も濡れていない。それどころか、息だってできている。
息をしている……ならば俺は生きているのか。死んだわけではないのだな。
ここは、ここは一体何なんだ。
この、やたらと明るい祭礼の場が、急に恐ろしく感じて、俺はその外に向かった。道の両脇には延々と屋台が並ぶ。普通の祭ならこれだけ歩けばすぐに途絶えるはずなのに。同じ屋台は二つとなく、ならばこれらはみな違う。あるけどあるけど先はあり、人か影かもわからぬものが、我の周りにゆらめくのみ。行けども行けども先はのび、やがては、きんぎょになりにけり。

3/21/2026, 10:44:30 AM

二人ぼっち

何も見えない。伸ばした手の先も見えないほどの、闇。手を伸ばして周りを探りながら進む。でこぼこの壁、起伏の続く床。。壁伝いに歩いても、何度も足を引っ掛ける。
ゆっくり、ゆっくり、慎重に。
そうして歩いているうちに、ふか、と壁が変わる。
うわ、と手を引っ込める。あれ……この手触り……恐る恐る手を伸ばす……ふか……
なんだか暖かい。指を伸ばすと、根元に向けてところどころ固まっている。
毛足が長い……少し獣の臭い……規則的に動く……
もぞ、と壁が動いた。咄嗟に手を引っ込める。
同じところに手を伸ばしても……なにもない空間を通り……冷たい硬い壁に手が触れた。
さっきの柔らかい壁はもうない。
さっきまで二人ぼっちだったけど、また、一人ぼっちだ。
溜め息をついて、また、歩き始めた。

3/15/2026, 11:59:30 PM

星が溢れる

……そこで、エリテンヌウスは空に器を置きました。星たちを次々に投げ入れる壺を。壺はみるみる星で満ち、やがてはあふれ出していきました。溢れた星は列をなし――やがてそれは天の川と呼ばれるようになりました。

「……へぇ、初めて聞いたな。何の本に書いてあったの?」
「書いてないよ。今私が作ったの」
「……へー……」
望遠鏡の設置を続けながら相槌を打つ。
聡美はいつもこうだ。適当な話をさも本当のように話す。
「じゃあそれは聡美ちゃんが勝手に言ってることで、参考にはならないよね」
レンズもセットし、照準をプロキオンの方に合わせる。冬の大三角の一星だ。
「さてできた。覗いてご覧。接眼レンズの距離は、見やすい広さにするといいよ。ここを回すの」
接眼レンズの横のダイアルを示す。
聡美はしばらく望遠鏡を眺めていた。
「……ねぇ、壺、どこにあると思う?」
「壺?」
ややあってさっきの言葉を思い出す。
「……ああ、さっきの?聡美ちゃんが勝手に作ったんじゃないの?」
「そうだけど、そうじゃないんだよ、あるの、ええと、とても明るい星のそば」
「今の季節で天の川の近くの明るい星っていうと、シリウスだね。どれちょっと」
望遠鏡の向きを少し南東、斜め下に向ける。
「ほら、あのひときわ明るい星、あれがシリウスだよ」
白く光るシリウスに向けて焦点を合わせていると、星が動いているように感じた。
「あれ?今日のこの時間、こんなところに惑星は通らないんじゃ……」
惑星ではない。もっと小さな、キラキラしたものが、シリウスの近くから動いている。まるで、流れているような……
「え、これ」
と振り返ると、いつの間にか聡美がいなかった。
「聡美ちゃん!?」
何度か大声で呼びかけた。辺りも探した。ほんの一瞬、焦点を合わせていた一瞬だった。それほど遠くに行ったはずがない。
「聡美ちゃん、聡美!!」
いくら読んでも聡美は応えなかった。それどころか姿も見えない。
辺りは真っ暗、ライトをつけても届く距離は限られている。
「そうだ、ケータイ……!」
電話をかけても呼び出し音が鳴るばかりで、やがてそれも切れた。SNSで彼女のアカウントにDMで呼びかけても、応答はなかった。

一人で星を見る。あれから何度も冬の大三角を見たが、流れる星も聡美も観ることはなかった。
冬になると毎日覗く望遠鏡。今日も覗く。
あれはプロキオン、あれはベテルギウス、そして……シリウス。
シリウスの近く、流れるように見える小さな星、あれは、まさか……!
慌てて対物レンズを変える。再度焦点を合わせる。シリウスの近く、確かあの辺に……
壺が見えた。壺のように見えた。壺の縁から星が溢れる。溢れた星がキラキラと流れる。流れる元、壺の近く、ああ、あの横顔、あの時のまま。
「聡美……」

Next