「冬といえば?」と訊いてみたら、
「鍋」と返ってきた。
あったかい。
【金木犀】
昨日、友達と他愛もない話をしながら帰った。
流行りの曲とか、明日の授業のこととか。
やがて分かれ道になり、私達は手を振って別れた。
「じゃあねー」と言って手を振って去っていく友達を見送りながら、
私は去年のことを思い返していた。
―――――――――――――――――――――
去年の今頃、私は別の友達と帰っていた。
今の友達と同じく、とても明るい子だった。
ちょうど受験期だから、話題はいつも受験のことだった。
「金木犀の匂いがする」
そういえば、いつもそんなことを言っていた。
好きな匂い、と。
秋風が冷たく当たる午後5時、友達との時間はいつも温かいものだった。
晴れて受験に合格した後も、私達の交流は続いた。
一緒に帰ることは無くなったものの、一緒にいる時間は長かった。
しかし、いつしか友達に嫌われてしまい、
話す機会も無くなってしまった。
私の言動が悪かったのかもしれない。
あるいは、もっと他に理由があるのかもしれない。
私の知らないところで、第三者が絡む事情があるのかもしれない。
私達の仲は冷めきってしまった。
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友達と別れた後、しばらく一本道を進んだ。
冷たい秋風がビュウッと吹いて、甘い匂いが辺りに立ち込めた。
あ、金木犀。
「金木犀の匂いがする」
そう君は言っていた。
あの言葉から1年後、まさかこんなことになっているなんて。
1年前の私がこの事を知れば、きっと泣いてしまうだろうな。
1年後、私の隣にいるのは誰なんだろうね。
【またあいましょう】
更に腫れぼったくなってしまった両目も気にせず、おばあちゃんとランチを食べに行くことにした。
「ここ、この店が良い」
しかも酷い鼻声。
それでも、私は笑顔を浮かべている。
私はカレーを、おばあちゃんは日替わり定食を注文した。
注文を待っている間、私はあることをおばあちゃんに訊いてみた。
「ねえ、おばあちゃん」
オトウサンのことを知ることが出来た今、私にはまだ疑問に思っていることがあった。
「なあに?」
「何で、お母さんはオトウサンの話を避けるんだろう?」
いつもそうだった。
お母さんは何も教えてくれなかった。
オトウサンの死の真相、友人関係、全て訊いても教えてくれなかった。
それどころか、私がオトウサンのことを知ろうとするのをあまりよく思っていないようにも感じた。
それなのに、何でオトウサンのギターを渡してくれたのか。
なぜオトウサンの日記や写真はとってあるのか。
私には分からない。
「なんでなんだろう?
考えたけど、よく分からない。」
おばあちゃんはしばらく考え込んだ末、こう答えた。
「きっと、苦しかったんだよ」
思ったよりアバウトな返答で困惑した。
「えっと…、どういうこと?」
「お母さんはね、お父さんのことが好きだった。だからこそ忘れたかった。」
益々意味が分からない。
「好きなのに嫌いなの…?」
「いいや、ずっと好きなんだよ。
だけどね、お父さんが亡くなってしまって、
心に穴が空いたような気分になったんだよ。
それが辛くて忘れようとした。
それに、お父さんが生前言っていたよ。
『自分のことは忘れてくれ』って。」
そういえば、晋也さんが言っていたな。
面会を拒否されたって。
強がりなだけじゃなくて、忘れてほしかったのかな。
「お母さんはなるべくお父さんのことを忘れるようにして次のステップに進もうとした。
だけど、全て忘れることは出来なかったんだよ。
だから、写真もギタ―も全て捨てられなくて、
でも覚えているままでは辛くて、
だからお父さんの話を避けるようになってしまったんだと思うよ。」
そっか。
お母さんはずっと苦しんでたんだ。
忘れるほうが楽なのは分かってるけど、
忘れられない。
だからギターも日記も写真も全部捨てなかった。
いや、捨てられなかった。
オトウサンの話をしようとする度に寂しくなって、
だから私にあんな態度をとってしまったのかもしれない。
そっか、お母さんも辛かったんだ。
今まで、お母さんは「お母さん」という生き物だと思っていた。
だけど違うんだ。
お母さんもれっきとした人間で、
私と同じように苦しんで寂しがって、
そうやって毎日生きているんだ。
最後の謎が解けたような気がした。
喉につっかえてた思いがすっと落ちていった。
午後2時。
タクシーを降りると品川駅が見えた。
私が家出初日に足を踏み入れた場所。
なんだか感慨深い気持ちだ。
「はい、交通費」
おばあちゃんは私の手のひらにお金を置いた。
「え、いいの?」
「自分で貯めたお金は、将来の自分の為に使うんだよ」
おばあちゃんの顔は、とてもたくましかった。
どこまでも強くて頼れるおばあちゃん。
「これから先は一人で行ける?」
「うん、大丈夫。」
「じゃあね、気をつけるんだよ」
「またね、おばあちゃん」
私達はずっと手を振っていた。
おばあちゃんへ、槇原さん夫婦へ、オトウサンへ。
また会いましょうって。
車窓から見える景色は、2日前を巻き戻しているようだった。
あーあ、戻っていく。
満足感と喪失感が同時に襲ってきて、変な気持ちになった。
午後6時。
家の前の玄関。
私は怖かった。
怒られるんじゃないか、
泣かれるんじゃないか。
とてつもなく怖かった。
お母さんは、どんな顔をしているだろうか。
私は深呼吸をした。
大丈夫、私はもう分かってる。
お母さんが今まで抱えてきたもの、
その鱗片を。
私は玄関に鍵を差し込んだ。
こうして、私の家出生活は幕を閉じたのである。
【飛べない翼】
2010/9/27
最近は小児患者が増えてきたらしい。
今朝、看護師さんから聞いた。
だから子どもの笑い声がよく聴こえるようになったのか。
前は、まだ元気だった頃は、中庭で弾き語りをすることもあった。
今はといえば、体が重くてそんなことできない。
ああ、自由に歩きたい、
「空を飛べたらいいのに」という願いは、前にも増して夢のまた夢となってしまった。
今は歩くことさえも、夢となってしまったのだから。
2010/10/22
僕は今日、死のうと思った。
僕の病気は進行していくばかりで、ある日急に病気が治ったら、そのカーテンが少しでも翻ったならば、なんて考えていた。
だけど、もうそんなことを考えても無駄なところまで来てしまった。
だから僕は決めた。
もう死のう。
全て終わらせようって。
屋上から飛び降りて、何もかも無かったことにしようって。
あの日の歌も、ギターも、全て僕には関係なかった。
あの日の喜びは、僕にとって何の糧にもならなかった。
それで屋上に向かった。
少しだけ高い所に立って、手を広げると鳥になったような気分がして良かった。
あとは身を委ねて前に倒れるだけだった。
だけど、急に誰かに呼ばれたような気がして振り返った。
だめ、やめて、消えないで、って。
だけど、誰もいなかった。
きっと空耳、気の所為だ。
だけれど、不思議と「今日は死ぬの延期にしよう」なんて思ってしまって、それでこんな日記を書いているんだよ。
2010/10/25
今日も死のうとしたけど、どうしてもからだが動かなくてできなかった。
曇天の空に枯れ葉が舞うのを眺めながら、「今日も駄目だった」と無気力な脳はかんじていた。
なにもできない無力感、
翼はあるのにとべないなんて。
僕には足がついていて、
あるくこともはしることも、
屋上から身を投げることだってできるのに。
あと一歩のところで、どうしても出来ないのだ。
飛べない翼なんて、無意味だと思う。
【十五夜】
2008/09/14
晋也がススキを持ってお見舞いに来てくれた。
「ここに置いとけば月見できるだろ?」って。
そしたら母さんまでススキを持ってきたもんだから、笑っちゃった。
なんか、こうやっていろんな人と笑えるって良いな。
入院生活も、案外悪くないかもしれない。
2009/10/03
遥と海愛がススキを持ってお見舞いに来てくれた。
そういえば、去年は晋也が持ってきてくれたな。
あの時は母さんもススキを持ってきたもんだから、みんなで腹を抱えて笑ったっけ。
今年の中秋の名月は遅めだ。
「ほら、ついでにカボチャのランタンも持ってきたよ」って、先取りハロウィンまでしちゃって。
笑いながら、「次は無いな」と思った。
2010/9/22
誰もススキをもってくることはない。
それもそのはず、面会謝絶を要求したからだ。
母さんも、妻も、娘も、友達も、「もうくるな」と突き放した。
だから、来るわけない。
でも、「面会謝絶なんかまもってられるか」と言って、ドアを蹴破ってやってきてほしいと考える自分もいる。
手にはススキが握られていて、「はやく元気になってね」って言って笑顔を見せるのだ。
ああ、なんで突き放したんだろう。
結局自分が孤独になるだけなのに。
やっぱり僕はバカだ。
もう、消えてしまいたい。