【またあいましょう】
更に腫れぼったくなってしまった両目も気にせず、おばあちゃんとランチを食べに行くことにした。
「ここ、この店が良い」
しかも酷い鼻声。
それでも、私は笑顔を浮かべている。
私はカレーを、おばあちゃんは日替わり定食を注文した。
注文を待っている間、私はあることをおばあちゃんに訊いてみた。
「ねえ、おばあちゃん」
オトウサンのことを知ることが出来た今、私にはまだ疑問に思っていることがあった。
「なあに?」
「何で、お母さんはオトウサンの話を避けるんだろう?」
いつもそうだった。
お母さんは何も教えてくれなかった。
オトウサンの死の真相、友人関係、全て訊いても教えてくれなかった。
それどころか、私がオトウサンのことを知ろうとするのをあまりよく思っていないようにも感じた。
それなのに、何でオトウサンのギターを渡してくれたのか。
なぜオトウサンの日記や写真はとってあるのか。
私には分からない。
「なんでなんだろう?
考えたけど、よく分からない。」
おばあちゃんはしばらく考え込んだ末、こう答えた。
「きっと、苦しかったんだよ」
思ったよりアバウトな返答で困惑した。
「えっと…、どういうこと?」
「お母さんはね、お父さんのことが好きだった。だからこそ忘れたかった。」
益々意味が分からない。
「好きなのに嫌いなの…?」
「いいや、ずっと好きなんだよ。
だけどね、お父さんが亡くなってしまって、
心に穴が空いたような気分になったんだよ。
それが辛くて忘れようとした。
それに、お父さんが生前言っていたよ。
『自分のことは忘れてくれ』って。」
そういえば、晋也さんが言っていたな。
面会を拒否されたって。
強がりなだけじゃなくて、忘れてほしかったのかな。
「お母さんはなるべくお父さんのことを忘れるようにして次のステップに進もうとした。
だけど、全て忘れることは出来なかったんだよ。
だから、写真もギタ―も全て捨てられなくて、
でも覚えているままでは辛くて、
だからお父さんの話を避けるようになってしまったんだと思うよ。」
そっか。
お母さんはずっと苦しんでたんだ。
忘れるほうが楽なのは分かってるけど、
忘れられない。
だからギターも日記も写真も全部捨てなかった。
いや、捨てられなかった。
オトウサンの話をしようとする度に寂しくなって、
だから私にあんな態度をとってしまったのかもしれない。
そっか、お母さんも辛かったんだ。
今まで、お母さんは「お母さん」という生き物だと思っていた。
だけど違うんだ。
お母さんもれっきとした人間で、
私と同じように苦しんで寂しがって、
そうやって毎日生きているんだ。
最後の謎が解けたような気がした。
喉につっかえてた思いがすっと落ちていった。
午後2時。
タクシーを降りると品川駅が見えた。
私が家出初日に足を踏み入れた場所。
なんだか感慨深い気持ちだ。
「はい、交通費」
おばあちゃんは私の手のひらにお金を置いた。
「え、いいの?」
「自分で貯めたお金は、将来の自分の為に使うんだよ」
おばあちゃんの顔は、とてもたくましかった。
どこまでも強くて頼れるおばあちゃん。
「これから先は一人で行ける?」
「うん、大丈夫。」
「じゃあね、気をつけるんだよ」
「またね、おばあちゃん」
私達はずっと手を振っていた。
おばあちゃんへ、槇原さん夫婦へ、オトウサンへ。
また会いましょうって。
車窓から見える景色は、2日前を巻き戻しているようだった。
あーあ、戻っていく。
満足感と喪失感が同時に襲ってきて、変な気持ちになった。
午後6時。
家の前の玄関。
私は怖かった。
怒られるんじゃないか、
泣かれるんじゃないか。
とてつもなく怖かった。
お母さんは、どんな顔をしているだろうか。
私は深呼吸をした。
大丈夫、私はもう分かってる。
お母さんが今まで抱えてきたもの、
その鱗片を。
私は玄関に鍵を差し込んだ。
こうして、私の家出生活は幕を閉じたのである。
11/13/2024, 10:08:17 AM