中宮雷火

Open App
8/19/2024, 11:20:44 AM

【鳥曇り】

私は駅前に着くと、不意に空を見上げた。
灰色の重い雲が一面を覆い尽くしていた。
鳥曇り。
この前覚えた言葉が頭に浮かんだ。
春の季語らしいので、12月の空にはそぐわない表現だが、
どこか寂しくて褪せたイメージは鳥曇りという言葉で表現するのに十分に思えた。

私の町―田舎の港町は都市に行くには少し遠い場所にあるので、電車で30分以上もかかってしまった。
私の目的は、楽器屋に訪れることだ。
私の町にも、海沿いに古びた楽器屋はあるのだが、店主さん曰く
「実は妻が体調を崩しましてねぇ…、しばらくの間店を閉めようと思うんです。
早ければ春頃には再開できるんですけどね…」
と、いうことだそうだ。

ギターの弦の入手先が無くなって途方に暮れていた私に、お母さんは
「駅前にも楽器屋さんあると思うよ。
ショッピングモールの中にあったような…」
と教えてくれた。
そういうわけで、私は30分以上もかけてここに来たのだ。

ショッピングモールはここから3分のところにある。
道中、店主の奥さんのことを考えていた。
あのお店は夫婦で切り盛りしていると聞いた。
お客さんは少ないけど、とてもアットホームで、居心地の良さを感じる場だ。
店主は寡黙だけど、喋る時は喋る人だ。
楽器の知識が豊富で、私にもいろんなことを教えてくれた。

「ギターにはいろんな種類の指板があって、それぞれ特徴があるんだよ。
例えばメイプルは明るくてキレが良い。
ローズウッドはメイプルよりも暗く落ち着きがある。
その他にもいろんな種類があって、自分が演奏したい曲に合わせて変えると雰囲気が出て良いんだよ。」

店主の奥さんはお喋りで、いつも話しかけてくれる。
ピアノが弾けるらしく 、一回だけ聴かせてもらったことがある。
とても温かくて、元気があって、上手く言語化できないけど、「好きだ!」と思った。
それを話すと、ケラケラと笑って「その言葉を待ってたんだよ!嬉しいねぇ」と言ってくれた。
素敵な人だった。

大丈夫かな。
体調が悪いってことは、怪我とかじゃなくて病気かもしれないってこと?
もし深刻な病気だったら、嫌だな。
店主さんも、絶対落ち込んでるよね…
きっと、オトウサンが病気だった時も、オトウサンは絶対に苦しい思いをしていただろうし、お母さんだって辛かったはずだ。
私には誰の気持ちも全て知ることはできないけど、
でも、そんな思いを他の人に味わってほしくない。
指が刺さりそうになるくらい、拳を握りしめた。

ショッピングモール内の楽器屋は綺麗だった。
店内は明るいし、お客さんも多い。
ただ、そこには「商業」「ビジネス」という文字が見え透いていて、アットホームな空間とは言えなかった。

弦と数枚のピックを買って、外に出た。
本当はもっとお買い物したかったし、ゲームセンターも行きたかったけど、出費が惜しい。
外に出ると、冷たい風が頬を殴った。
最近、やけに寒い。
12月だからか、それとも?

鼻の上に、冷たさを感じた。
「あ、雪降ってきた―!」
誰かがそう言って、私は空を見上げた。
鳥曇りの空から、雪がちらちらと舞い降りてきた。
オトウサンは、こんな風景の中でも温かいものを信じて曲を作っていたのだろうか。

私は駅に向かって歩いた。
次は、クリスマスイルミ観たいな。

8/18/2024, 2:52:18 PM

【鏡】

悩みとは、鏡に似ている。
あることについて悩んで、悩んで、考え込んで、
その過程が増えるごとに鏡が1つ、また1つと置かれる。
そうして360度を鏡に囲まれたとき、
自分しか見られなくなるのだ。
周りに助けを求めることができず、
「信じられるのは自分だけ」と思い込んでしまう。

解決法は、鏡を誰かが割ること。
さて、私の鏡を割るのは誰だろうか。

8/15/2024, 3:11:58 PM

【とける】

夜の海。
きっとここにいては、心配されるだろう。
何をする気だ?と言われそうだ。
個人的に夜の海は自殺の名所になっていそうなイメージだ。
ただ、自分は別に死にたいわけではなく、単純に夜が好きだからここにいる。
逆に言えば、昼は嫌いだ。
あの照りつける太陽をみると、死にたくなる。
だが、不思議なことに夜はそんな希死念慮など消え失せてしまうのだ。
だから、夜は自分が自分でいられる時間。
そう思っている。

僕はいつものように夜の海に出向いた。
ここで何をするわけでもなく、ただ眺めるのだ。
だが、今日は違った。
気がつけば、足は海の方に向かっていた。
ピチャっと、足が波を踏む音が鮮明に聞こえた。
手のひらで海水を掬った。
月光に照らされた海水は宝石のように綺麗だった。
綺麗だなあ、本当に綺麗だなあ。
僕はどんどんのめり込んだ。
僕は海の中で揺蕩いながら、「このまま海に溶けたい」と思った。
ああ、どうでもいいや。
このまま、夜の海に閉じ籠もってしまえ。
僕は溶けた。
深海に、ゆっくりとおちていく……


目が覚めた。
10時半の日光。
朝だ。
魔法が解けたことを残念に思いながら、僕は渋々カーテンを開けた。
照りつける太陽を見ると、やっぱり死にたくなる。

8/14/2024, 1:54:02 PM

【逃避行】

自転車でどこまで行けるだろうか。
そんなことを考えて、実践したことがある。
島の環境は閉鎖的で、革新だの変化だのを好まない人達の集まりだ。
昔からある謎の儀式、おかしな習慣、夢すらまともに追えない人生。
もううんざりだった。
自分だって、人間なんだよ。

カゴに大きな鞄を入れ、いざ出発した。
なんとなく東に向かって進んだ。
空は素敵な青天井だった。

やがて教会が見えてきた。
スルーした。
見たくない。

素敵な庭園が見えた。
ここら辺はあまり通らないから、少し気になる。
中に入ってみると、色とりどりの花がお迎えしてくれた。
小鳥の囀りは自由を歌っているようだった。

並木通りをスイスイと通っていく。
夏の厳しい日差しを遮ってくれて助かった。

門に着いた。
この外を出れば、知らない土地だ。
しかし僕は通れなかった。
ここを通ればどうなるか知っていた。
厳しいお仕置きが待ち受けている。
どんな仕打ちをされるか分からない。
そんな本能的恐怖から、僕は立ち竦むことしかできなかった。

引き返した。
並木通りを通り、庭園の前を通り、教会を無視して進んだ。
結局、ここから出られなかった。
やっぱり怖い。
何が、何が逃避行だ。
僕にはそんなの、出来やしなかった。。

家に帰った。
両親はまだ寝ている。
僕はそっと自室に戻って、布団をかぶった。
何だか悲しくなって、枕を濡らしてしまった。

8/12/2024, 3:02:54 PM

【何も知らない】

私のオトウサンがミュージシャンだったことは聞かされていた。
「お父さんはね、ミュージシャンだったんだよ」という感じで、小さい頃からこの言葉を幾度となく聞いてきた。

小学生の時、参観授業で親の職業を発表したことがある。
みんな「私のお父さんはトラックの運転手です」「僕のお母さんは介護施設で働いています」という具合に発表するのだ。
私は「お母さんは薬剤師をしています」と発表した。
オトウサンのことは、何となく言えなかった。
オトウサンのことなんてほとんど知らないし、ミュージシャンだったことなんて実感できない。
発表することに後ろめたさというか、現実とかけ離れすぎた何かを感じてしまったのだ。

私が母子家庭であることを知っているクラスメートがいた。
恐らくお母さん同士の繋がり(ママ友といわれるやつだ)を介して知っているのだろう。
オトウサントークになったとき、微妙な空気が流れるのだ。
気を遣ってくれているんだ、というのは分かる。
ただ、私はその空気に居心地の悪さを感じてきた。
私自身は母子家庭であることに孤独を抱いたり、新しいオトウサンが欲しいと思ったりしたことはない。
ただ、疎外感はあった。
みんなと違うことが嫌なのではない。
みんなが気にすることが嫌なのだ。

そんなことを学校帰りに考えていた。
こんなことを考えるようになったのは、ギターを練習し始めてからだ。
夏休みに入る前から、私はオトウサンのギターを使うようになった。
いきなり「ギターを弾きたい」と思ったのだ。
そして、誰かに習うわけでもなく独学で練習している。
動画や教則本を頼りに頑張っている。
1ヶ月半ほど頑張って、ようやくFコードが弾けるようになったばかりだ。
指が痛いけど、意外とギターって楽しい。
そんなふうに思い始めた。
一方、オトウサンの演奏を想像し始めるようにもなった。
オトウサンはどんな曲を弾いていたのだろう。
オトウサンが奏でる音と私が奏でる音は、絶対に違うだろう。
オトウサンの演奏を聴いたことがないので、なおさら気になる。
そもそも、私はオトウサンの生い立ちを知らない。
お母さんの生い立ちは何となく知っているのに。
オトウサンがなぜミュージシャンになったのか、オトウサンがなぜ死んだのか、オトウサンの友人関係についてなど。
何も知らないし、お母さんに訊いても教えてくれなかった。
最初は、私の訊き方が悪いのだと思った。
しかし、違った。
お母さんは答えたくないのだ。
なぜ?
思い出したくないから?
お母さんはが口を割ってくれることは無かった。

オトウサンのことを知りたいという気持ちが
沸々と高まる中、私にできることの少なさを感じていた。
オトウサンの奏でる音はどんな音なのだろう。

Next