中宮雷火

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【何も知らない】

私のオトウサンがミュージシャンだったことは聞かされていた。
「お父さんはね、ミュージシャンだったんだよ」という感じで、小さい頃からこの言葉を幾度となく聞いてきた。

小学生の時、参観授業で親の職業を発表したことがある。
みんな「私のお父さんはトラックの運転手です」「僕のお母さんは介護施設で働いています」という具合に発表するのだ。
私は「お母さんは薬剤師をしています」と発表した。
オトウサンのことは、何となく言えなかった。
オトウサンのことなんてほとんど知らないし、ミュージシャンだったことなんて実感できない。
発表することに後ろめたさというか、現実とかけ離れすぎた何かを感じてしまったのだ。

私が母子家庭であることを知っているクラスメートがいた。
恐らくお母さん同士の繋がり(ママ友といわれるやつだ)を介して知っているのだろう。
オトウサントークになったとき、微妙な空気が流れるのだ。
気を遣ってくれているんだ、というのは分かる。
ただ、私はその空気に居心地の悪さを感じてきた。
私自身は母子家庭であることに孤独を抱いたり、新しいオトウサンが欲しいと思ったりしたことはない。
ただ、疎外感はあった。
みんなと違うことが嫌なのではない。
みんなが気にすることが嫌なのだ。

そんなことを学校帰りに考えていた。
こんなことを考えるようになったのは、ギターを練習し始めてからだ。
夏休みに入る前から、私はオトウサンのギターを使うようになった。
いきなり「ギターを弾きたい」と思ったのだ。
そして、誰かに習うわけでもなく独学で練習している。
動画や教則本を頼りに頑張っている。
1ヶ月半ほど頑張って、ようやくFコードが弾けるようになったばかりだ。
指が痛いけど、意外とギターって楽しい。
そんなふうに思い始めた。
一方、オトウサンの演奏を想像し始めるようにもなった。
オトウサンはどんな曲を弾いていたのだろう。
オトウサンが奏でる音と私が奏でる音は、絶対に違うだろう。
オトウサンの演奏を聴いたことがないので、なおさら気になる。
そもそも、私はオトウサンの生い立ちを知らない。
お母さんの生い立ちは何となく知っているのに。
オトウサンがなぜミュージシャンになったのか、オトウサンがなぜ死んだのか、オトウサンの友人関係についてなど。
何も知らないし、お母さんに訊いても教えてくれなかった。
最初は、私の訊き方が悪いのだと思った。
しかし、違った。
お母さんは答えたくないのだ。
なぜ?
思い出したくないから?
お母さんはが口を割ってくれることは無かった。

オトウサンのことを知りたいという気持ちが
沸々と高まる中、私にできることの少なさを感じていた。
オトウサンの奏でる音はどんな音なのだろう。

8/12/2024, 3:02:54 PM