【とける】
夜の海。
きっとここにいては、心配されるだろう。
何をする気だ?と言われそうだ。
個人的に夜の海は自殺の名所になっていそうなイメージだ。
ただ、自分は別に死にたいわけではなく、単純に夜が好きだからここにいる。
逆に言えば、昼は嫌いだ。
あの照りつける太陽をみると、死にたくなる。
だが、不思議なことに夜はそんな希死念慮など消え失せてしまうのだ。
だから、夜は自分が自分でいられる時間。
そう思っている。
僕はいつものように夜の海に出向いた。
ここで何をするわけでもなく、ただ眺めるのだ。
だが、今日は違った。
気がつけば、足は海の方に向かっていた。
ピチャっと、足が波を踏む音が鮮明に聞こえた。
手のひらで海水を掬った。
月光に照らされた海水は宝石のように綺麗だった。
綺麗だなあ、本当に綺麗だなあ。
僕はどんどんのめり込んだ。
僕は海の中で揺蕩いながら、「このまま海に溶けたい」と思った。
ああ、どうでもいいや。
このまま、夜の海に閉じ籠もってしまえ。
僕は溶けた。
深海に、ゆっくりとおちていく……
目が覚めた。
10時半の日光。
朝だ。
魔法が解けたことを残念に思いながら、僕は渋々カーテンを開けた。
照りつける太陽を見ると、やっぱり死にたくなる。
【逃避行】
自転車でどこまで行けるだろうか。
そんなことを考えて、実践したことがある。
島の環境は閉鎖的で、革新だの変化だのを好まない人達の集まりだ。
昔からある謎の儀式、おかしな習慣、夢すらまともに追えない人生。
もううんざりだった。
自分だって、人間なんだよ。
カゴに大きな鞄を入れ、いざ出発した。
なんとなく東に向かって進んだ。
空は素敵な青天井だった。
やがて教会が見えてきた。
スルーした。
見たくない。
素敵な庭園が見えた。
ここら辺はあまり通らないから、少し気になる。
中に入ってみると、色とりどりの花がお迎えしてくれた。
小鳥の囀りは自由を歌っているようだった。
並木通りをスイスイと通っていく。
夏の厳しい日差しを遮ってくれて助かった。
門に着いた。
この外を出れば、知らない土地だ。
しかし僕は通れなかった。
ここを通ればどうなるか知っていた。
厳しいお仕置きが待ち受けている。
どんな仕打ちをされるか分からない。
そんな本能的恐怖から、僕は立ち竦むことしかできなかった。
引き返した。
並木通りを通り、庭園の前を通り、教会を無視して進んだ。
結局、ここから出られなかった。
やっぱり怖い。
何が、何が逃避行だ。
僕にはそんなの、出来やしなかった。。
家に帰った。
両親はまだ寝ている。
僕はそっと自室に戻って、布団をかぶった。
何だか悲しくなって、枕を濡らしてしまった。
【何も知らない】
私のオトウサンがミュージシャンだったことは聞かされていた。
「お父さんはね、ミュージシャンだったんだよ」という感じで、小さい頃からこの言葉を幾度となく聞いてきた。
小学生の時、参観授業で親の職業を発表したことがある。
みんな「私のお父さんはトラックの運転手です」「僕のお母さんは介護施設で働いています」という具合に発表するのだ。
私は「お母さんは薬剤師をしています」と発表した。
オトウサンのことは、何となく言えなかった。
オトウサンのことなんてほとんど知らないし、ミュージシャンだったことなんて実感できない。
発表することに後ろめたさというか、現実とかけ離れすぎた何かを感じてしまったのだ。
私が母子家庭であることを知っているクラスメートがいた。
恐らくお母さん同士の繋がり(ママ友といわれるやつだ)を介して知っているのだろう。
オトウサントークになったとき、微妙な空気が流れるのだ。
気を遣ってくれているんだ、というのは分かる。
ただ、私はその空気に居心地の悪さを感じてきた。
私自身は母子家庭であることに孤独を抱いたり、新しいオトウサンが欲しいと思ったりしたことはない。
ただ、疎外感はあった。
みんなと違うことが嫌なのではない。
みんなが気にすることが嫌なのだ。
そんなことを学校帰りに考えていた。
こんなことを考えるようになったのは、ギターを練習し始めてからだ。
夏休みに入る前から、私はオトウサンのギターを使うようになった。
いきなり「ギターを弾きたい」と思ったのだ。
そして、誰かに習うわけでもなく独学で練習している。
動画や教則本を頼りに頑張っている。
1ヶ月半ほど頑張って、ようやくFコードが弾けるようになったばかりだ。
指が痛いけど、意外とギターって楽しい。
そんなふうに思い始めた。
一方、オトウサンの演奏を想像し始めるようにもなった。
オトウサンはどんな曲を弾いていたのだろう。
オトウサンが奏でる音と私が奏でる音は、絶対に違うだろう。
オトウサンの演奏を聴いたことがないので、なおさら気になる。
そもそも、私はオトウサンの生い立ちを知らない。
お母さんの生い立ちは何となく知っているのに。
オトウサンがなぜミュージシャンになったのか、オトウサンがなぜ死んだのか、オトウサンの友人関係についてなど。
何も知らないし、お母さんに訊いても教えてくれなかった。
最初は、私の訊き方が悪いのだと思った。
しかし、違った。
お母さんは答えたくないのだ。
なぜ?
思い出したくないから?
お母さんはが口を割ってくれることは無かった。
オトウサンのことを知りたいという気持ちが
沸々と高まる中、私にできることの少なさを感じていた。
オトウサンの奏でる音はどんな音なのだろう。
【記憶】
買ってもらった麦わら帽子を被り、オトウサンの背に乗って散歩をした。
踏切を渡るとトウモロコシ畑が見えた。
オトウサンはトウモロコシ畑の間の道を通った。
だいぶ大きなトウモロコシだ。
トウモロコシ畑を抜けてしばらく歩くと、古びた小さなお店が見えてきた。
駄菓子屋だ。
中に入ると、色とりどりのお菓子が目を引いた。
黄色くて小さいジェラートを1つ買ってもらった。
オトウサンに手を繋がれ、ジェラートを食べながら、しばらく歩いた。
誰もいない道。
ただただ田園風景が広がっていた。
ひまわり畑に着いた。
「好きなように遊んでこい」
オトウサンの手を離れた私は、ひまわり畑の中に飛び込んで走り回った。
キャッキャとはしゃぐ私を見つめるオトウサンの眼差しが温かく感じた。
「次は此処でギター弾いてあげるからな」
オトウサンがそんなことを言っていたような気がする。
しばらくして私達は帰路に着いた。
幼い私に空の青さが降っていた。
これが、私が物心つく前の話だ。
「思い出」ではなく「記憶」が蓄積していたときの話だ。
オトウサンに関する記憶は、これしかない。
その年の冬だっただろうか、
オトウサンは亡くなった。
【私の行き着く先】
起きると、私は駅のベンチに居た。
古ぼけた駅だ、見覚えがないな。
私は辺りをゆっくりと見回した。
他には誰も居ないみたい。
私はため息をついて、天を仰いだ。
はあ、ここどこだろ。
でも、何故か嫌な気持ちはしないな。
青空をぼうっと見るのは何年ぶりだろう。
最近はそんな暇などなかったし、いつしかこの動作に無駄を感じるようになっていた。
学生時代は好きだったんだけどな。
どこまでも続く青天井、そこに浮かぶのは真白な雲。
海を進む船のようで好きだった。
私が美術部に入っていた間、空の景色をよく描いた気がする。
それくらい好きな風景の一部だったのに。
でも、今見るとやっぱり素敵だな。
私はしばらく空を見上げていた。
瞳に映る景色を堪能していた。
清らかな波の音が耳を覆っていた。
久しぶりに身を任せた。
「あらぁ!お若いのに…」
突然、誰かの声が聞こえた。
びっくりして目を開くと、高齢の女性が目の前に居た。
「お若いのに、もったいないわねぇ…」
高齢女性は私の隣に座ってきた。
「あなた、今何歳なの?」
「え、私ですか…?」
いきなり年齢を訊かれて困惑した。
初対面でいきなり年齢を訊くなんて、失礼じゃないか?
「えっと…、26歳です。」
戸惑いつつも一応答えると、高齢女性は一層目を丸くして
「あらぁ、若いじゃないの!ここはねぇ、貴方みたいな若者が来るところじゃないのよ。」
と、悲しそうに言った。
「あの、失礼ですがお名前をうかがっても…?」
このままだと高齢女性の一人芝居になりそうなので、敢えて私のほうから話を切り出してみた。
「私?名を名乗るほどの者ではないわよ。それに、どうせすぐに忘れちゃうし。だって、
ここは死に行く人の為の駅だからね。」
私ははっとした。
そうだ。私は倒れたのだ。
おそらく過労だろう。
そして、そのまま…
あの辛い日々がフラッシュバックした。
「あらあら、涙出てるわよぉ。」
高齢女性はそう言うと、持っている巾着からハンカチを差し出してくれた。
「これで涙拭きなさいな。」
ありがとうございます、と泣きながら受け取って、ハンカチで目を覆った。
「あなたも、辛い人生を過ごしていたのね。」
高齢女性は私の背中を擦りながら、温かい言葉を掛けてくれた。
「…っ、すみませんっ…」
「いいのよ、泣く機会なんてそこそこ無いんだから、泣ける時にちゃんと泣いておかなきゃ。ずっと苦しかったわよね。」
いつからだろう。
私は我慢し続けていた。
子供の時から、私の家庭環境はあまり良くなかった。
母親の過度な教育方針、放任主義の父親。
小学生の時から幾つもの習い事に通い、中学受験もした。
遊ぶ暇なんて無かった。
友達が「学校終わったら遊ぼうよ!」と誘ってくれても、習い事のせいで行けなかった。
そんなことを何度か繰り返すうちに、
「あの子、全然遊んでくれないじゃん。なんなの一体?」
と、陰口を言われるようになってしまった。
やがて容姿のことをいじられたりして、それでも受験に合格すればこの我慢が終わると信じて、受験勉強に精を注いだ。
結果は、不合格だった。
公立中学に進学した私は、勉強にも友人関係にもついて行けず、やがて不登校になった。
そんな私を見て、母親はこう言った。
「最初から期待するんじゃ無かった。」
この頃には、父親は家を出ていた。
通信制高校に通いながらバイトをした。
そして、Fランではあるが大学進学を果たした。
キラキラしたキャンパスライフに憧れつつも、友人関係なんてどうやって築けばよいのか知らなかった。
ただただ孤独だった。
面接でようやく通った会社に就職して1ヶ月も経たないうちに、上司からパワハラを受けるようになった。
なんでこんなこともできないんだ、と。
こんなやつ早くやめちまえばいいのに、と。
毎日のように罵詈雑言を浴び、私の心身は憔悴していた。
毎日100時間以上の残業。
私の手際の悪さ、要領の悪さに腹が立った。
正直、泣きたかった。
もう嫌だよ、辛いよ。
そうやって泣きたかった。
でも、泣いたら強い子になれない。
逃げちゃだめだ、と。
泣く暇さえも許されなくて、ずっと寝不足で、ずっと頭がフラフラしていた。
そんなある日、会社で倒れた。
親は、会社の人たちは、私の死を泣いて悲しむだろうか。
それなら、どんなに良いことか。
誰にも愛されなかった自覚はある。
そんな私が誰かに泣いてもらえるなら、それがいちばんの幸せだ。
涙が乾き始めた頃、列車がやって来た。
「さあ、列車が来たわよ。」
高齢女性は私の手をとってくれた。
「人生の終点にこんな素敵な出会いがあるなんて。やっぱり良い人生だったわ。」
高齢女性はそんなことを言っていた。
人の行き着く先は死だ。
それは決定的な事実。変えられない。
「終わり良ければ全て良し」だなんて思わないけど、確かに私は愛に触れた。
その事実が堪らなく愛おしい。
私は列車に乗った。
死を越えて私が行き着くのは、一体どこだろう。
ずっと考えていた。
さあ、次は何処へ行こうか。
とても楽しみだ。
私はゆっくりと目を閉じた。
列車が動く音がした。