中宮雷火

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【私の行き着く先】

起きると、私は駅のベンチに居た。
古ぼけた駅だ、見覚えがないな。
私は辺りをゆっくりと見回した。
他には誰も居ないみたい。
私はため息をついて、天を仰いだ。

はあ、ここどこだろ。
でも、何故か嫌な気持ちはしないな。

青空をぼうっと見るのは何年ぶりだろう。
最近はそんな暇などなかったし、いつしかこの動作に無駄を感じるようになっていた。
学生時代は好きだったんだけどな。
どこまでも続く青天井、そこに浮かぶのは真白な雲。
海を進む船のようで好きだった。
私が美術部に入っていた間、空の景色をよく描いた気がする。
それくらい好きな風景の一部だったのに。
でも、今見るとやっぱり素敵だな。

私はしばらく空を見上げていた。
瞳に映る景色を堪能していた。
清らかな波の音が耳を覆っていた。
久しぶりに身を任せた。

「あらぁ!お若いのに…」
突然、誰かの声が聞こえた。
びっくりして目を開くと、高齢の女性が目の前に居た。
「お若いのに、もったいないわねぇ…」
高齢女性は私の隣に座ってきた。
「あなた、今何歳なの?」
「え、私ですか…?」
いきなり年齢を訊かれて困惑した。
初対面でいきなり年齢を訊くなんて、失礼じゃないか?
「えっと…、26歳です。」
戸惑いつつも一応答えると、高齢女性は一層目を丸くして
「あらぁ、若いじゃないの!ここはねぇ、貴方みたいな若者が来るところじゃないのよ。」
と、悲しそうに言った。
「あの、失礼ですがお名前をうかがっても…?」
このままだと高齢女性の一人芝居になりそうなので、敢えて私のほうから話を切り出してみた。
「私?名を名乗るほどの者ではないわよ。それに、どうせすぐに忘れちゃうし。だって、
ここは死に行く人の為の駅だからね。」
私ははっとした。
そうだ。私は倒れたのだ。
おそらく過労だろう。
そして、そのまま…

あの辛い日々がフラッシュバックした。
「あらあら、涙出てるわよぉ。」
高齢女性はそう言うと、持っている巾着からハンカチを差し出してくれた。
「これで涙拭きなさいな。」
ありがとうございます、と泣きながら受け取って、ハンカチで目を覆った。
「あなたも、辛い人生を過ごしていたのね。」
高齢女性は私の背中を擦りながら、温かい言葉を掛けてくれた。
「…っ、すみませんっ…」
「いいのよ、泣く機会なんてそこそこ無いんだから、泣ける時にちゃんと泣いておかなきゃ。ずっと苦しかったわよね。」

いつからだろう。
私は我慢し続けていた。
子供の時から、私の家庭環境はあまり良くなかった。
母親の過度な教育方針、放任主義の父親。
小学生の時から幾つもの習い事に通い、中学受験もした。
遊ぶ暇なんて無かった。
友達が「学校終わったら遊ぼうよ!」と誘ってくれても、習い事のせいで行けなかった。
そんなことを何度か繰り返すうちに、
「あの子、全然遊んでくれないじゃん。なんなの一体?」
と、陰口を言われるようになってしまった。
やがて容姿のことをいじられたりして、それでも受験に合格すればこの我慢が終わると信じて、受験勉強に精を注いだ。

結果は、不合格だった。

公立中学に進学した私は、勉強にも友人関係にもついて行けず、やがて不登校になった。
そんな私を見て、母親はこう言った。
「最初から期待するんじゃ無かった。」
この頃には、父親は家を出ていた。

通信制高校に通いながらバイトをした。
そして、Fランではあるが大学進学を果たした。
キラキラしたキャンパスライフに憧れつつも、友人関係なんてどうやって築けばよいのか知らなかった。
ただただ孤独だった。

面接でようやく通った会社に就職して1ヶ月も経たないうちに、上司からパワハラを受けるようになった。
なんでこんなこともできないんだ、と。
こんなやつ早くやめちまえばいいのに、と。
毎日のように罵詈雑言を浴び、私の心身は憔悴していた。
毎日100時間以上の残業。
私の手際の悪さ、要領の悪さに腹が立った。
正直、泣きたかった。
もう嫌だよ、辛いよ。
そうやって泣きたかった。
でも、泣いたら強い子になれない。
逃げちゃだめだ、と。
泣く暇さえも許されなくて、ずっと寝不足で、ずっと頭がフラフラしていた。
そんなある日、会社で倒れた。

親は、会社の人たちは、私の死を泣いて悲しむだろうか。
それなら、どんなに良いことか。
誰にも愛されなかった自覚はある。
そんな私が誰かに泣いてもらえるなら、それがいちばんの幸せだ。

涙が乾き始めた頃、列車がやって来た。
「さあ、列車が来たわよ。」
高齢女性は私の手をとってくれた。
「人生の終点にこんな素敵な出会いがあるなんて。やっぱり良い人生だったわ。」
高齢女性はそんなことを言っていた。

人の行き着く先は死だ。
それは決定的な事実。変えられない。
「終わり良ければ全て良し」だなんて思わないけど、確かに私は愛に触れた。
その事実が堪らなく愛おしい。

私は列車に乗った。
死を越えて私が行き着くのは、一体どこだろう。
ずっと考えていた。
さあ、次は何処へ行こうか。
とても楽しみだ。

私はゆっくりと目を閉じた。
列車が動く音がした。

8/10/2024, 1:26:34 PM