「君が半袖にしてるとこ、初めて見た」
「似合うでしょ」
君の真っ白い腕が、日の光に晒された。
【半袖で隠せない箇所は】
「去年まで一年中長袖だったから、ムダ毛でも気にしてるのかと思った」
「もう少し言い方ってもんがあるでしょ。私は可愛いからムダ毛なんてないの」
「どういう理屈……?」
発言の意味は謎だが、僕に対して肌を露出することを異常に嫌っていたあの頃を思うと、夢みたいな状況だ。それだけ心を許してくれたのだと感慨深い気持ちになる。
「……ところで」
「うん?」
「半袖にしたせいで、リストバンドが見えるようになってしまって、少し目立つね」
「……」
「よければ、君が隠してくれない?」
差し出された君の左手には、リストバンド。お洒落のために着けているわけではないと一目でわかるデザイン。
「いいけど、くっついたら暑くない? せっかく半袖になったのに」
「いいの。君の体温を感じるために、半袖になったんだから」
夏に似つかわしくない厚い布の塊を、世界から覆い隠すみたいにそっと僕の手で包み込んだ。
「もしも過去へと行けるなら、いつに戻って何をする?」
「なかなか夢のある話題だね。いつに戻るにしても、僕は何もしないと思う」
「なかなか夢のない返しだね」
【もしも過去へと行けるなら、行けたとしても】
「だって、僕にとっては君の隣に立っている今こそ夢みたいな状況で、わざわざ変える必要が一切ないからなあ」
「君はまた恥ずかしげもなくそんなことを」
「……あ、でも」
「お、さすがに一つくらい変えたい過去があるか」
「いや、告白が成功した直後に戻って、『よくやった』って過去の僕に言ってあげたい」
「過去に戻る権利をそんな下らないことに使うのは世界で君くらいだろうね」
「だって、本当にそれくらいしか思い浮かばないもん。そういう君は、過去に戻ってやりたいことがあるの?」
「うん、君に会う前の私のところに行って、『大丈夫だよ』って言ってあげたい」
「僕らは真実の愛で繋がってるんだ、決して誰にも引き離せないよ」
「『真実の愛』って、『真実』って付く言葉の中で一番嘘臭いよね」
「ちょっとは乗ってよ」
【過去形True Love】
「君は、真実の愛なんてないと思ってるってこと?」
「『真実だった愛』ならあるんじゃない? 未来がどうなるか分からない、もしかしたら将来君が浮気するかもしれない状況で軽率に真実なんて言えないよ」
「僕はそんなことしないよ」
「どうだか。未来のことを語るとき、人は簡単に嘘つきになれるからね」
「じゃあ、過去の話ならいいの? 僕は今まで、浮気はもちろん君を不安にさせるようなことは一度もしなかった」
「そうだね、それは真実だ」
「そして、今後もしない」
「それは推測、真実じゃない」
「今後もしたくない、と今思っている」
「それは真実かもね。君の気持ちは、間違いなく今君の中にあるものだから」
「もしかして、愛なんて不確かなものを真実にするのは難しいけど、自分の気持ちと行動は真実にできるんじゃないか?」
「そうかもね」
「なら、僕は真実を積み重ねるよ。いつか真実の愛にたどり着くために。墓場で『ほら、僕の言った通り、あれは真実の愛だったでしょ?』って、過去形の真実を言えるように」
「そっか、がんばれ~」
「ちょっと、馬鹿にしてるじゃん」
「馬鹿にはしてないよ。私には君を信じたいという『真実』の気持ちがあって、真実なんてそれ一つで十分だから、頑張らなくてもいいのになあって思っただけ」
「また明日」
と僕が言っても、ひねくれた君は「また明日」とは返してくれない。「うん」とも言ってくれない。
【「またいつか」はいつか必ず】
「私は嘘が嫌いなの。明日会えるかどうかは約束できない。会えなかったら、私は嘘つきになる」
そんなわけで、僕の「また明日」に君は「じゃあね」と返す。それが僕たちの常だった。
「……僕、もう行くから」
「…………うん」
けど、今日だけは別だ。僕はこの町を離れる。新幹線と電車を乗り継いで、遠くに、遠くに行く。往復だけで一日がかり、軽率に「また明日」なんて言えるはずもない。君の言葉じゃないけど、それは守れない約束で、明確に嘘になる。
「じゃあね」
だから、君と同じように、そう言った。初めて、そして最後になるかもしれない、同じ言葉による別れ。……と、思った僕の腕を掴んだ君は、いつもの冷静な表情からは想像もつかない顔で
「……またいつか」
言葉と共に、君の目から涙が零れた。
嘘が嫌いな君が、嘘つきになるリスクを背負って放った言葉。真実にしてやるという強い意思と、気高さを持った言葉。いつ来るのか分からない「いつか」を、絶対にいつか来ると信じさせてくれるまっすぐな言葉。
「うん、またいつか!」
嘘つき未満の二人が、手を離す。
「はあ……」
僕は悩んでいる。ご飯も喉を通らないほど思い詰めている。
高い位置にある太陽を見上げる。
「なあに、夏バテ?」
「そんなんじゃないけど……」
「ふうん……」
ちらり、君は僕を見て、言った。
「暇なら、うち来なよ。君の憂鬱を吹っ飛ばしてあげる」
【星を呼び寄せて追いかけて】
「これ……」
言葉を失う。君の家に着くや否や、庭に誘導された。素直にそちらに向かった僕の目に飛び込んできたのは……。
「ビニールプール……?」
「懐かしいでしょ」
懐かしいというか、子供っぽい。僕たち、もう高校生だよ?
「ねえ」
プールに水を張るためだろう、ホースを右手に持った君が、僕の方を向く。
「太陽を落とす方法、知ってる?」
「へ?」
急な質問。意味が分からず、首を捻る。
「えいっ!」
ぱちゃん、綺麗な放物線を描いて、ホースから水が飛び出す。子供用の小さなプールはあっという間に満たされていく。
「……ほら、落ちてきた」
揺らめく水面。その中心は、太陽の光を抱え込んだみたいにびかびか輝く。
「何それ、とんち?」
「元気になった?」
「子供用のプールで?」
僕もずいぶん舐められたものだ、と思う。
「あちゃー、失敗か」
「逆になんで成功すると思ったの」
「んー……。空を見上げてため息なんてついてたから、太陽に恋でもしたのかと思って」
「何そのトンデモ妄想」
「だから、思ってるより簡単に届くよって教えてあげたくて」
「……」
蝉の声。水面の太陽が、幻みたいにゆらゆら揺れる。
地面を蹴った。どぱん、と派手な音。入れたばかりの水がプールから溢れる。
「え、ちょっと、着替えてからの方がいいんじゃない?」
「もう遅いよ!」
あんなに灼熱の色で燃えていた水は、肌に心地良い冷たさだった。腕を持ち上げれば、指の隙間から太陽色の水が零れる。
こんな的外れな慰めをされるくらいなら、夏バテってことにでもしておけばよかったな。なんて思ってみるが、口許は無意識に緩んでいた。
「……じゃあ、私も!」
「え?」
どぱん、僕の太陽が、僕を追いかけて飛び込んできた。