「君にとっての夏ってどんな季節?」
嵩ばかり多く見えるかき氷に挑む君に、ふとそんなことを訊いてみたくなった。
「一番かき氷がおいしいのに、一番かき氷が溶けるのが早い季節」
「食い意地の張った返答をどうもありがとう」
【夏が燃え尽きる頃のこと】
「……別に、食い意地だけで言ったわけじゃないよ」
「部分的に食い意地ではあるんだ」
しゃく! 細いストローのスプーン一杯で食べ進められる量はたかが知れていて、確かにこのままだと食べ終わる前に溶けてしまうだろう。
「アイスやかき氷がおいしい。代わりに、すぐ溶ける。すぐ溶けるような暑さだから、おいしい。かき氷の寿命が縮むような環境で、かき氷のおいしさを知る」
「かき氷の寿命とは」
「幸せという薪を燃やして、その温かさを知る。けれど私たちがそれを知るとき、薪は黒い燃えカスになってしまっている。夏って、たぶんそんな季節」
かき氷が溶けて液体となった部分に、提灯の光が降り注ぐ。
「……どういう意味」
「映画に、水族館。スポーツ観戦にプールに、夏祭り。こんなに一気にイベントをこなしてしまって、先はあるのかな」
「……」
「私たち、かき氷を楽しむ傍らで、かき氷の一番おいしい時間を消費してしまったんじゃないかな」
スピーカーからアナウンス。もうすぐ花火が上がるらしい。
「あーあ、やっぱり間に合わなかった」
ほとんど砂糖水になりかけたかき氷。捨てられる場所ないかな、と君が辺りを見回す。
「……それ、ちょうだい」
「え? ただの甘い液体だよ?」
「僕、そういうのも結構好きだよ」
返事も待たずに君の手から容器を奪い、一気に傾ける。まだ冷気の残ったそれが全身に染み渡るような感じがして、やっぱり、そう悪くないじゃないか。
遠くの空に、蝋燭を灯したみたいな花火の光。綺麗だな、と僕らが思う頃には、それは役割を終えている。
僕が君に隠していること:僕が君を愛していること。
君が僕に隠していること:僕が君を愛していることを知っていること。
【隠された真実は暴かずに】
僕にはわかる。君が好きだからわかる。君は僕じゃない別の誰かが好きで、これは僕の片想いで、君はなんにも知らないフリで、僕の気持ちを利用しようとしている。それが真実。隠しきれなかった真実。
「えっウソ、おごってくれるの? ありがとぉ。今月ほんとにピンチでさ、助かったよ」
ベッドに寝そべる裸の男女を、毛布が覆い隠している。その、盛り上がった毛布の形が好きだ。その下に、可愛い猫が寝ているかもしれない。そうでしょ、シュレディンガー。そう想像しながら、毛布の上っ面だけをそっと撫でる。
「こんなことでよければ、いつでも頼ってよ」
「えへへ、嬉しい」
君のへたくそな演技ごと君を愛していることも、間違いなく、隠し通すべき真実だ。
「あ、風鈴」
僕の家に遊びに来た君は、めざとくそれを見つけて言った。
【風鈴の音が聞きたくて】
縁側にぶら下がった風鈴の舌はほとんど垂直の状態から動こうとせず、そのせいかただでさえ不快なべとついた空気は余計に重苦しく感じられて、君はちょっとつまらなそうだった。
「ふーっ!」
「いや何してるの」
君の吐息に対し、風鈴は気まずそうにこつんと固いもの同士がぶつかるような音を立てた。
「違う! 風鈴ならりんと鳴れ! わかったら返事!」
「人ん家の風鈴に指導しないでよ……」
風なんかなくても、君の声は鈴を転がしたような音を通り越して鈴を振り回してるみたいに騒がしい。そして別に涼しくはない。ないけど、君がいれば風鈴なんてならなくてもいいかな、とも思っているよ。絶対言ってあげないけれど。
「あ、そうだ!」
何かを思い付いたような顔で、君は僕に断りもなく風鈴を取り外し、部屋の奥へと向かっていく。
「これでどうだっ!」
りんりんりんりんりんりんりんりん。
まるで、今まで口を開かせてもらえず溜まっていた鬱憤を全部ぶつけるみたいな、風流の欠片もない音。
振り返る。得意気な表情の君と、風鈴。それと、
「扇風機は、反則じゃない……?」
扇風機の前に掲げられた風鈴は依然としてりんりんと騒がしく鳴き喚いている。確かに音は鳴ったが、君はこれで本当にいいのか。
「んー涼しー。やっぱり風鈴の音ってすごいねぇ」
いいらしい。自分が扇風機の正面に立っていることを忘れているのか、髪を床と平行に靡かせながら君は笑う。
「わーれーわーれーはー、ちーきゅーうーじーんーだー」
りんりんりんりんりんりんりんりん。
「いつもの二倍うるさい……」
暑さが裸足で逃げ出しそうなうるささではあるが、風鈴の納涼効果ってそういうことじゃないと思う。
「今私のことうるさいって思ったでしょ」
「思ったんじゃなくて言ったんだよ。口の代わりに耳が退化したの?」
「言っとくけど、私がこんなに喋るの、君の前だけだからね」
室内に設置された扇風機はきっと、縁側での風鈴の様子を知らない。今目の前で絶え間なく音を響かせる姿だけが、彼が知る風鈴の姿だ。
「……風がなくて、オブジェにしかならない風鈴でも、僕は結構好きだよ」
「えっ遠回しに黙ってろって言われてる?」
「そうじゃないよ。人工の風を当ててまで音を出させるのは不自然で、風鈴の本意ではないかもしれない」
自分で言ってから、風鈴の本意ってなんだよ、と思う。彼女も面白かったのか、風に髪をもてあそばれながらくすくすと笑う。
「風鈴は音を出すために生まれてきたし、いろんな人に自分の音を聞いてほしいんだよ! まして、目の前にいるのが大好きな相手ならなおさら!」
それなら、風鈴は扇風機のことが大好きなんだなあ。あるいは、扇風機の方が風鈴の音を聞きたくて、張り切って風を吹かせてるとか。……なんて、馬鹿なことを思う。
君の体が病室のベッドに縛り付けられてから、もう二年になる。
その長い長い眠りの中で、君はどんな夢を見ているのだろう。
【ここから、心だけ、逃避行】
穏やかな顔をしている。ということは、君の心はどこか穏やかな場所、例えば二人でよく行った、木漏れ日が柔らかく降り注ぐ公園にでも行っているのかもしれない。願わくは、その幸福な夢の隣に僕がいたらいいと思う。
たとえ、それが君の産み出した幻でも。本当の僕の心は、この病室に――君の体に縛り付けられているとしても。
自宅とか職場とか、それこそあの公園とか、体だけはどこへだって行けるけれど、心が固定された僕。体は指一本動かないけれど、心は夢の世界を自由に飛び回っている君。
「もう、二人で全部から逃げちゃいたいね」
跪いて目を閉じ、こつん、と君と僕の額を合わせる。そうしている間だけ、僕の心は白く狭い病室から解放されて、君の隣にいられるような気がする。
修学旅行で泊まったホテル。別段面白いものなんてありそうもない、何の変哲もないホテル。消灯時間後にわざわざ部屋を出たところで、先生に見つかったら怒られるリスクがあるだけ。それ以外何もない、はずだった。
「……あれ? こんばんはあ。君も冒険?」
だけど、先客がいた。
【小冒険の目的地】
「よし、前方の安全を確認。そっちは?」
「……あ、えと、後方の安全を確認……?」
「OK! 全速前進!」
何となく、流れで一緒に行動することになった。君が前方の確認担当で、僕が後方。女の子の後ろをついて歩くというのは少し情けない感じもするが、それ以上になんというか……。
多分、これは背徳感だ。同じクラスというだけで、話したことは一度もなかった優等生。目的も何もない冒険に唯一存在していた、背徳感。それが、君という加速装置によって急激に増幅していく。
「……先生に見つかったら、不純異性交遊だと思われちゃうね」
「はあ!?」
なな、何が不純なものか。胸の内の背徳感から目を逸らし、白々しくもそう思う。僕ら、手だって繋いでないじゃないか。
「大声出さないでよ、本当に先生に見つかっちゃう」
だけど君の言う通り、二人でいることで罪が分散して半分になるなんてありえないし、むしろそれは背徳感に比例するように、二倍、三倍と増幅していくだろう。……だったら、どうして君は僕と行動を共にすることを選んだのだろう。というか。
「これ、どこに向かってるの? 君はそもそも、何のためにこんなリスクを負って外に?」
「んー……。そんな質問をしてる暇があったら、後方の安全管理に努めてほしいんだけどなあ」
呆れたような声。踏み込んではいけなかったか、と僕が思った瞬間、君はばっと勢いよくこちらを振り返った。……前方の安全管理に努めてほしい。
「目的は決まってないよ。出た先に自販機があったら後付けでそれが目的だったってことになっただろうし、先生に見つかって怒られたら、反抗が目的だったってことになった。……そして実際は、自販機より先生より先に、君に出くわした」
――つまり、私は君に会うために部屋を飛び出したってことになるね。
君の笑顔は、僕の目的地を決めるのに十分すぎた。きっと僕も、君と並んで歩くために出てきたのだ。ここがゴールだし、この後二人で歩く全部の場所がゴールだ。先生に見つかって不純となじられ、反省文を書かされるのなら、きっと二人でそうするために部屋を出たのだ。
「暗いから、手、繋がない?」
右手を差し出したのは、きっと、僕がそうするためにここにいるからだ。笑いたくなるほどちっぽけな冒険の果ての景色、その一つであるからだ。