失恋をした。僕の好きな人には、好きな人がいたんだって。
「好きだよーっ!」
海に向かって、叫ぶ。君と君の好きな人にも、この声が届いてしまえ。そして、全部壊してしまえ。
【君の背中にどうか届いて……】
「……何してるんだろ」
せめて山で叫んでいれば、山びこが返ってきたりして、それなりに手応えがあったのかもしれない。海は、僕の叫びを吸い込んでしまったみたいに静かで、当然君に僕の声は届かないし、君からの返事だってあるはずもない。
「大好きーっ!」
僕の想いは届かなくてもいい、と思ったから、君と距離を取った。今更届いてほしいだなんて、あまりに虫がよすぎる。
「愛してるよーーー!!」
それでも、届いて……! と、思う。君を愛している人は、確かにここにいるんだよ。だから、君は大丈夫だよ。
君の好きな人にこっぴどく振られたからって、屋上から飛び降りなくてもよかったんだよ。
「何があっても、僕は君の味方だよ! 無価値なんかじゃないよ! 目を覚ましていいんだよ……!」
君から離れて、友人ですらなくなった僕では、病室にも入れない。それでも、海沿いのあの部屋まで届くように叫ぶよ。
君に選ばれなかった僕は君の正面じゃなくて、後ろから言葉をかけてあげればよかったんだ。こんなことになる前に。後悔もガソリンみたいに燃やして、また叫ぶ。
「付き合ってください!」
と僕が君に頼み込んだ場所は、夜景が綺麗な橋の上だった。
だから、プロポーズもその場所がいいと思って、わざわざ君を呼び出した。……のに。
「ここからの景色って、こんな感じだったっけ」
「まあ、数年あれば街も変わるからねえ」
あの日の景色は、どこにもなかった。
【探しても、あの日の景色は見つからない】
「え、本当にここだったっけ」
「うん、間違いないと思う」
あの日の美しい景色の中でプロポーズしたいという僕の思惑が打ち砕かれたことなど、君には知る由もない。
「あの日の景色は、もっと光に溢れていた」
「そうだねえ」
「それに、空だってもっと星が瞬いていた」
「今日も、天気はそこそこいいけどね」
「っていうか、この橋ってこんな低い位置にあったっけ。もっと高いところから見下ろしていた記憶があるんだけど」
「さすがに気のせいじゃない? 橋の高さは変わんないでしょ」
ショックを受ける僕と違い、君はあっけらかんとした様子だ。そもそも、あの日の景色を美しいと思っていたのは、僕だけだったのかもしれない。少し、寂しい。
「でも、私は嬉しいよ。あの日、君に告白してもらえた思い出が、ここにはある。またここに連れてきてくれて、ありがとうっ!」
君が笑う。世界が、あの日の景色と同じ色で輝きだす。……ああ、そうか。
君の前に広がる景色を輝かせるのは、世界じゃなくて、僕の役目なんだ。
「……ねえ」
跪いた。取り出した小箱の中に、あの日以上の景色が広がっている。と、信じたい。
願い事ひとつ教えておくれ。憐れな僕に教えておくれ。
そしたら、一緒に願ってあげる。
【願い事ひとつ空の向こうへ】
『家族みんなが幸せに過ごせますように』
『世界から戦争がなくなりますように』
『あの人の病気が治りますように』
今年も大豊作だなあ、と他人事のように思う。そもそもこの紙切れは、誰宛てなんだろう。
少なくとも、神に願ってはいけないよ。あれは愚か者に鉄槌を下すことはできても、正直者を救う力なんてありはしない。
『大切な人と、ずっと一緒にいられますように』
……それでも、自分にはどうにもならないことを、一縷の望みに賭けてみたいと夜空を見上げながら思うのなら、僕が一緒に願ってあげよう。
みんなの願い事を一つ一つ大切に読み上げて、心からその成就を願おう。僕の願いは、最後で構わない。
――せめて年に二回くらいは、君と逢えますように。
ひどく空しい恋をしている。と、時折思う。
見上げた空は、面白味のない灰色をしていた。
【遥か遠くの空に恋して】
空を見上げ、君のことを考える。僕が愛の言葉を伝えても、返事もくれない君のことを。
「君は太陽より明るくて、虹よりも繊細で、ううん……」
君が思わず無視できなくなるような口説き文句を考える。思い浮かんだ言葉を空にぶつけてみる。傍目からは、空に告白してる人みたいに映っているのだろうか。
「とにかく、愛しているよ。気が向いたら、お返事ちょうだい」
無意味な呼びかけだとわかっている。君は僕が何を言おうと、返事なんて寄越さない。
……だって、空の上まで僕の言葉は届かないから。遥か天の国と地上を繋ぐ言葉なんて、どこにもありはしないのだから。
「……雨」
これが、君の答えかい?
そう信じるより他に、空の先への無謀な恋を肯定する方法がわからなかった。
「貝殻に耳を当てると波の音が聞こえるって、よく言うよね」
君はそう笑って、僕の耳にぴとりと貝殻を当てた。ざあと耳の中で海が広がる。
【波音に耳を澄ませてみて】
「……騙されないよ」
僕はにやりと笑った。
「これは波の音じゃなくて、自分の血流が貝の中で反響してるだけ」
「ぐぬ……」
少し悔しそうにした君が
「ほ、本当にそうかな? もっとよく耳を澄ませてみなよ。ちゃんと波の音だから」
「冷静に考えて、貝殻から音が出るわけないじゃないか」
と呆れながらも、真剣な様子の君に根負けして目を閉じ、耳に意識を集中する。どおどおと何かが流れるような音はやっぱり僕の体の音が増幅されているだけで、波の音なんてデマ、誰が最初に流したんだろうと思う。
「好きだよ」
「!?」
「……聞こえた? 波の音」
「君さあ……」
波の音が激しくなった気がして、慌てて耳から貝殻を離す。最初に貝殻から波音が聞こえると言い出した人も、もしかしたら本当に耳を澄ませてほしかったのは、貝殻に対してでも波音に対してでもなかったのかもしれない。