「僕は思うんだ。勝ち負けなんて下らないもの、気にする方が馬鹿だ」
「レースゲーム三連敗の言い訳はそれで終わり?」
君は、人生で一度も敗北なんて経験したことがないような透き通った瞳に僕を映した。
【勝ち負けなんてどうだって】
「違うよ、真剣に言っているんだ。世の中の人がみんな勝ち負けなんて気にしなければ戦争なんて馬鹿なことは起こらない」
「話が壮大になったね」
「勝ち負けの概念がなければ、負けることによって生じる全ての悲しみも生まれずに済むんだ」
「勝つことで生じる喜びも生まれないけどね」
「喜びはいいんだよ、別のことで補填できるから。例えば僕は君と出かけることができれば行き先はゲームセンターじゃなくて映画館でもよかったし、君にゲームで勝つ喜びなんて最初から求めていないんだ」
「そういえばこれ、負け惜しみだったね」
「だから違う!!!」
負けを繰り返した僕はもう君の顔もまともに見られない。恋愛は惚れた方が負け、なんて誰かが言うから。
「本当に勝ち負けが下らないと思うなら、素直に私が好きだって認めればいいのに」
「それも違う!!!」
本当、勝ち負けなんて君が勝ち誇るためだけにあるような厄介な概念、なくなればいいのに!
君に振られたらその瞬間、全部がリセットされればいいのに。
【終わるはずだった、まだ続く物語】
振られることそのものよりも、その後も僕の人生が続いていくことが耐えられない。ゲームだってそうだろう。勇者が敗北した後の、魔王に支配されていく世界なんて誰も見たくない。潔く『game over』とでも表示して、さっさと次の冒険を始めさせてくれりゃいいんだ。
「……それが、君が二日連続で告白してきた理由?」
君は心底鬱陶しそうに言った。
「変かな」
「とりあえず、君が振られたばかりだということを忘れた記憶喪失のヤバい奴ではなくて安心したよ。記憶喪失に強い医者ではなくて、精神障害に強い医者を紹介すれば良さそうだからね」
そういう皮肉っぽいところも僕が好きになった君の一部なので、思わずひゅうと歓声を上げた。「……そういうところが嫌いなんだけど」と苦言を呈されたので「直したら付き合ってくれる?」と返す。舌打ちされた。
「君、こういうのもストーカーだよ」
「でも、僕は君を害さないよ」
「どうだか。ゲームで負け続けた子供は、やがてゲーム機をぶん投げるだろうね」
「僕は冷静にゲーム機を置いて、机に怒りをぶつけるタイプだったよ」
「それもそれで怖いね」
でも、そのおかげか僕のゲーム機は友人のそれがぼろぼろになっていく隣で、ずっと新品同然の輝きを放っていた。自分で言うのもなんだが、僕の持ち物になれたゲーム機は幸運だったと思う。
「そもそも、ゲームに例えるなら負けた後にするべきはレベルアップでしょう。なんで同じレベルのまま同じ敵に挑んでるのよ」
「現実とゲームは違うんだよ」
「君が持ち出した例えでしょうが」
「ゲームと違って、僕のレベルアップには君が不可欠だからね。好感度を上げるために遊園地にデートしたり一緒に映画を見たり……。振ったばかりの相手とそんなこと、君もしたくないでしょ」
「……」
「え、してくれるの?」
「誰を振っても振られても、物語は続いていくものだからね」
「……つまり?」
「振られたらそれで全部終わりだからリセットしようだなんてつまらないこと、考えなくてもいいよってこと」
そういう、こちらに優しく手を差し伸べてくれるところ、僕が大好きな君の一部だ!
「もちろん、君が諦める気がないならの話だけど」
「魔王討伐を諦める勇者がいるわけないでしょ。手始めに、今日は一緒に帰りませんか?」
「はいはい」
夕日が、明日も完璧なコンディションで僕らの前に顔を出すために、山の向こうへ隠れていく。
「渡り鳥はどうして渡ってくるの?」
と僕は訊く。
「生きるためだよ」
と君は答える。
【生きて生かして渡り鳥】
「道中で死んでしまう個体もいるのに?」
と僕は問いを重ねる。
「同じ地に留まって、凍え死ぬ個体もいるだろうね」
とあっさり返される。
「それなら、渡り鳥はどうして帰ってしまうの?」
と僕は訊く。
「生かすためだろうね」
と君は答える。
「生かすため?」
僕が訊いて、
「子供の餌となる虫なんかは、暖かい時期なら故郷の方が多いからね。そこで繁殖して、寒くなったら暖かい場所へ渡る」
君が解説する。
「……それなら、自分以外の命を生かそうなんて思わなければいいのに」
僕が呟く。
「……」
君が黙る。
「ずっと暖かいところにいればいいのに」
僕は苦しくなる。
「……」
君は笑っている。
「…………じゃあね」
君が渡っていく。故郷へ、子供の元へ、帰っていく。
「君のさらさらとした髪が嫌いだ」
とこぼせば
「珍しい価値観してるね」
と苦笑されてしまった。
【さらさらと流れゆく】
「こんなに美しい彼女を捕まえて、罰当たりだな君は」
質量のなさそうな髪に空気を含ませるみたいにふわりと掻き上げて、呆れたように君は言う。
「この髪で悩殺できない男なんていないと思ってた」
「いや悩殺はされてる」
「されてるんかい」
柔らかい風に緩やかに弄ばれて、君の髪は決まった形を持たないみたいに変幻自在に揺れ動く。僕はそれを見つめる。
手を伸ばす。僕の指は髪のどこにも引っ掛からず、あっさりと毛先まで滑り落ちていく。
「こうしてさらさらと、君の存在ごとどこかに流れていきそう」
形のない水は、岩に引っ掛かることなくさらさらと下流に落ちていくものだから。
「そうなったら、掬い上げてよ。掴むんじゃなくてさ」
一歩。君は笑って僕に近寄る。唇同士が触れ合うより先に、風に舞った君の髪がさらりと僕の首筋に触れる。それをそっと手で掬って、僕も笑った。
「私たち、いがみ合うのはこれで最後にしましょう」
君にそう言われて、ああやっと理解してくれたのか、と思った。
【喧嘩はこれで最後にしよう】
「そうだね。まあ僕にも悪いところがなかったとは言わないよ。ここで手打ちにして、またお互い仲良くやっていこう」
と、僕が差し出した右手を君は不思議そうに見つめる。
「どうしたの? 仲直りの握手だよ」
僕は少し苛立った。付き合い始めてから、喧嘩の絶えなかった僕ら。君は一度言い出したら聞かない性格で、僕が何を言っても自分の意見を曲げたがらなかった。
「いがみ合いは最後にしよう」なんて言うから、ようやく僕といがみ合うなんて不毛で、僕の言う通りにしていれば間違いないと気付いたんだと思った。それなのに。
「何を勘違いしているの? 私は、『いがみ合いをするような関係は、これで最後にしましょう』と言ったの」
毎日小さいことから大きいことまでいちいちいがみ合うこの関係の、最後。……それは。
「それはつまり、いがみ合う関係はやめて、仲良しのカップルになろうって意味だよね」
「……」
「…………まさか、最後って、全部終わらせようって意味じゃないよね?」
否定疑問文が、怯えの色を帯びて口から溢れる。君はゆっくりと顔を上げ、首をかしげ
「どっちだと思う?」
と、微笑んだ。
「……冗談はやめてくれよ」
と、怯えの色が抜けないままの声音で僕は言う。
「そう、冗談」
微笑みを崩さず、君は言う。「なんだ」と、恐怖が安堵で塗り替えられそうになった時、
「だって、どっちでも同じじゃない」
と、色のない声に貫かれた。
「君の言う『仲良しのカップル』って、私が自己主張せず、君の後ろを歩くことでしょう? そんなの、私と別れて人形と付き合うのと、何が違うの?」
君の目はまさしく人形のそれみたいに無機物的な光り方をしていて、ああ、本当にこれで最後なんだ、と思った。