白眼野 りゅー

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5/17/2025, 1:06:39 PM

「あ、これ、彼女に買っていったら喜ぶかな」

 と、ゴマ豆乳プリンのカップを手に取った直後に思い出す。……もう、そんなことをする必要もないのか。


【まだ知らない世界に、一人】


 もう、好きでもないプリンをわざわざ買って帰る必要はないし、知らないアニメとのコラボ商品をわざわざ選ぶ必要もなければ、タバコを買うときに『不健康だ』と怒る君の顔を思い浮かべる必要もないのだ。

 それは、君と出会う前の僕と全く同じ状態に戻っただけのはずで、だから世界が変わったなんて言ったら大袈裟になってしまうのだろう。……けれど驚くべきことに、昨日から、僕は僕の知らない世界に迷い込んでしまったみたいだ。

 そんな冒険、僕は求めていなかったのに。こんな景色を見たいだなんて、いったい誰が願ったというのだろうか。

「……ゴマ豆乳プリンって、どんな味がするんだろう」

 一面見知らぬ景色の中で、少しでも見たいと思える世界を必死で探す。きっと君ならよく知っているだろう景色。僕がもっと早くそれを知っていたなら、こんな見知らぬ世界に迷い込むこともなかったのだろうか。……なんて。

5/17/2025, 6:34:00 AM

「手放す勇気も大切だよ」

 と、僕はあえてなんでもないことのように、軽々しく言った。

「一人の人が抱えられるものの量は、決まってるから」
「そう、だけど……」
「だからさ、もう……」
「いやだ!」
「この辺の洋服は手放そうよ」
「嫌だあああ!」


【引っ越しに手放す勇気は不可欠】


「いや、でも君、どんどん新しい服買ってくじゃん。この辺のやつとか、最近着てるとこ見たことないよ僕」
「そうだけどぉ……」
「全部捨てろとは言わないけど、新居に持ってくやつは厳選しなよ。段ボールが余分に二つくらい増えちゃうよ、このままだと」
「厳選してこれなの!」
「厳選してこれかあ……」

 君が物を捨てられないタイプなのは知っていたが、ここまでひどいともはや呆れを通り越して尊敬の念すら湧いてくる。

「ほら、これとこれとかほぼ同じじゃん。どっちか片方は捨てれば……」
「全然違うよ!」

 何が違うというのか、僕にはさっぱりわからない。

「こっちは君が可愛いって褒めてくれた方で、こっちは君が綺麗だねって喜んでくれた方」
「……え、そうだっけ」
「君、女の子の洋服のことなんて全然わからないくせにいつも私のために言葉を尽くしてくれるから、そのせいで捨てられなくなっちゃってるんだよ」
「……」

 ……そんな風に僕のせいにするのは、さすがに卑怯じゃないか?

「だからさあ、この子たちも新居に連れていかせてよお……。他の物でよければなんでも……できるだけ減らすからさあ……」
「……それでも、手放す勇気は大切なんだよ」
「そんな殺生な!」
「だから、僕もお金を手放す勇気を持つべきだね」
「……!」
「ま、まあ、段ボールがちょっと増えるくらい、引っ越し料金全体からしたら誤差みたいなもんだし、業者を選べばそこまでの金額にはならないと思うし、僕も新居に持っていきたいものあったし、別に君のためじゃないっていうか……」
「じゃあ、前に君がすごいセンスだねって褒めてくれた、私より大きいチョウチンアンコウのぬいぐるみも持っていっていい?」
「それは置いてって」

5/16/2025, 7:04:33 AM

 終電を逃してしまったので、君の部屋に泊まることになった。

「……僕は床で寝るよ。この部屋、使って大丈夫?」
「え、でも、私今光るパジャマ着てるよ?」
「は?」


【光輝け、暗闇でこそ】


「えーっと……話の繋がりが見えないんだけど」
「だから、私のパジャマが光るところ、見たくないの?」
「えぇっと……」

 見たい見たくないで言えば、いい年した大人のパジャマが光輝く様はだいぶ見てみたい。

「……遠慮しときます」

 が、そこは理性で踏みとどまった。彼女の部屋に足を踏み入れたときは、まさかこんな理由でどぎまぎする羽目になるとは思っても見なかった。

「えっでも、結構がっつり光るよこれ。見たくないの?」
「この状況で光の強さはあんまりアピールポイントにならないかな……」
「ほら、この、目のところだけがらんらんと光るんだよ!」
「なんでそんな不気味なデザインにしたのかだいぶ気になるけど、遠慮しとく」

 追加のアピールもかわしつづけていると、彼女はややムキになった表情で

「間接照明代わりにもなるよっ!」

 などと、頓珍漢なことを言う。

「……えーっと、だから?」
「あっ、あれっ? その、真っ暗だと、やりづらいのかと思って……」
「…………何が?」
「……」
「やっぱり、そういうことをする目的で僕を寝室に連れ込もうとしてるだろ君! だから行きたくないんだよ! 僕はここの床で寝るから!」
「えー、意気地無し」
「あと、光るパジャマは間接照明代わりにはならない!」
「じゃあ、今度二人で買いに行く?」
「もうそれでいいから僕の腕を引っ張って寝室に行こうとするの止めてもらえる!?」
「え、でも、まだパジャマが光るとこ見せてないし」
「もうそれはいいから!」

5/15/2025, 9:54:26 AM

「映画とかでさ、宇宙船の中で『争い合うのはやめろ、酸素の無駄だ』みたいに窘めるシーンあるじゃん」
「ああ、あるね」
「あれ、私たちの場合だと『惚気合うのはやめろ、酸素の無駄だ』になるのかなあ?」
「君は何を言っているの?」
「なると思う?」
「……ならないんじゃない? 僕らなら、目線だけで会話できるし」
「それもそっか」

5/13/2025, 12:59:34 PM

「君の記憶の海の一番深いところには、なにがあるの?」

 と、君は陽光を跳ね返す水面のような瞳を僕に向けて、言った。


【記憶の海底】


「……何、急に」
「私のはね、小さい頃に家族と遊園地に行った思い出とか、初めて一人で作ったクレープの味とか、親友と誕生日プレゼントを贈りあった記憶とか、そういう綺麗なものがいーっぱい、サンゴ礁みたいにキラキラしてるの」
「…………それは、何より」

 と言うより他に、どう返答すればいいのかわからない。

「……そういえば、君から過去の話ってあんまり聞かないなーって、ふっと思って」
「ああ……」
「ね、君の記憶の海底には、なにがあるの?」

 宝箱の中を覗き込むような、きらめく瞳。……そんな目で見ないでほしい、と思う。

「……海底って、シーラカンスとかダイオウグソクムシとか、結構グロい見た目の生き物も多いって言うよね」
「ちょっと、なんでこの話の流れで言うの」
「日の光が届かない場所だから、人目に晒せないような生き物たちが集まるのかも」
「わ、私の記憶の海は、そういう生き物がいるタイプの海じゃないから!」
「なんだそりゃ」

 ……でも、海底って本来、そういう場所じゃないか。日の光も、人目も届かない場所。ダイオウグソクムシのような、いわゆるキモい見た目をした生き物だって、安心して過ごせる場所。

 僕の記憶の海底は多分、生まれた時の記憶で満たされているのだろう。そして、僕が生まれた時というのはつまり、君に出会った時ということだ。光を通さないほど暗くて、グロくて、キモい記憶。とても人様には見せられない、情けないほど醜い記憶。

「私の海は、海底までキラキラしてるタイプの海だから! サンゴ礁とか……あと、サンゴ礁とかがある系の海だから!」
「イメージあっさ」
「うるさいなあ」

 透明な水でも、注ぎ続ければ割となんだって隠せるのだ。太陽を受ければ光ったりもする。だから、潜って探査しようだなんて、思わなくてもいいじゃないか。足が浸る程度の浅瀬で、こうしてずっとじゃれ合っていようよ。

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