白眼野 りゅー

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5/7/2025, 10:25:57 AM

「熱っ……」

 後頭部に当たる直射日光に思わず顔をしかめた。やっぱり、日光は木漏れ日程度の、ほどほどに弱められたものに限る。


【木漏れ日で育つ】


 太陽は嫌いだ。肌が弱いのか、昔からちょっと日差しの強い日に外出しただけで赤くなってしまう。そのくせ、暗いのも寒いのも嫌だった。だから、家のすぐそばにある山に、僕は頻繁に足を運んだ。

 太陽の本来の光は、ほとんど頭上に生い茂る木の葉が吸ってしまっている。僕にはそれがちょうどよかった。強すぎる光は、樹木と半分こ。ずっと、そうやって生きてきた。

 僕の足元、木陰になって少し湿った地面に広がる苔たちが、友人のようなものだった。

「あっおはよう! ねえ聞いてよ、今日さあ」

 だから別に、何も問題なんてないのだ。

「……それであいつ、また私のお金あてにしてて」

 あいつ。僕じゃない誰か。君の光を、僕より先に受け取る男。

 僕は、僕の人生はこれでいいのだ。だって君の笑顔はきっと、僕が浴びるには眩しすぎる。

「話聞いてもらえてすっきりした! ありがとう!」

 この木漏れ日のような微笑みだけで、僕には十分なのだ。

5/6/2025, 11:09:42 AM

「ねえねえ、この曲さあ」

 と、君がイヤホンの片方を断りもなく僕の耳に突っ込んだ。右耳から、今流行りのラブソングが流れ込んでくる。

「まるで私たちのことを歌ってるみたいじゃない?」
「君、ラブソング聞くたびにそれ言うよね」


【未来まで響けラブソング】


「いや、これはホントにそうだって! ほら、ここの歌詞とか」
「そりゃ、いろんな人に共感してもらえるように作られた歌詞なんだから当然でしょ」
「冷めてるなあ」

 逆に、君はどうしてそんな熱量ではしゃげるんだ。

「君、もしかしてあんまりラブソング好きじゃない? こういうとき、いつも微妙そうな顔してるから」
「いや、単に君のテンションについていけないだけ」
「ぶー。こんなにいい曲なのに」
「だからだよ」
「?」

 間違いなく、これはいい曲だと思う。一時のブームではなく、数年後、もしかしたら数十年後まで語り継がれるような名曲と言っていい。……だから、嫌なのだ。

「君と別れたら、聞けなくなっちゃうじゃないか」

 一度でも、この歌詞に僕と君を重ねてしまったら。僕はきっと、その先が怖いのだ。

「……え、別れなきゃいいじゃん」
「簡単に言ってくれるね。大人になれば、考え方も感性も変わるんだよ」
「それでいいじゃん。大人になって、この曲に共感できなくなるくらい感性が変わって、『君、この曲聞いて泣いてたよね』『そんなこともあったなあ』なんて言い合って……。そうなるように、数十年後もその先もずっと一緒にいればいいじゃん」
「いや僕泣いてないし。何しれっと歴史改変しようとしてるんだよ未来の君」
「てへへ」

 照れくさそうに君は笑う。その笑顔が僕にもたらす名状しがたい感情が、抱えきれない愛情が、ちょうど聞いているラブソングの歌詞と重なった。

「お互いしわくちゃの老夫婦になっても、こんなふうに二人でラブソングを聞いて、『これ完全に私たちのことを歌ってるじゃん!』って言い合おうよ」
「老夫婦向けのラブソングなんてあるかなあ……」
「理想は、『苔のむすまで』に共感できる夫婦だね」
「君が代はラブソングだった……?」

 イヤホンから流れる曲が途切れた。「もう一つ、君に聞かせたい曲が……」なんてスマホをいじる君の横顔を見つめながら、こんな日々が千代に八千代に続けばいいのになあ、と思う。

5/5/2025, 12:08:18 PM

 僕の名前が宛名に書かれた、君からの手紙。愛らしい白い手紙を開くと……

 雪国であった。


【手紙を開くと広がる雪国】


 もちろん今のは比喩だが、そう言いたくなるほどに、手紙の中の世界は真っ白だった。文字はもちろん絵や写真、何かを書こうとした痕跡すらない。これは一体どういうことだ。

[なにこれ]

 真っ白な手紙の写真を撮り、LINEで君に送りつける。返信はすぐにきた。

[あ、届いた?]
[届いた。これはどういうつもり?]
[どういうつもりもなにも、どう見ても手紙でしょ]
[どう見ても白紙だからLINEしたんだけど]

 もう一度君からの手紙を見つめる。白紙の向こうに僕を惑わせてしたり顔の君が見えた気がして、それをぽいと放った。

[君は「炙り出し」って知ってる?]

 あっ、と思って手紙を拾い上げる。なるほど、それなら君が一見白紙に見えるものをわざわざ送ってきた理由も説明がつく。まあ、わざわざそんな面倒な方法でメッセージを送ってくる理由は謎だが。

 ライターを取り出し、手紙に火がつかないよう慎重に炙る。二分ほどそうしたところで、君から

[まあこれは全然そういうのじゃないんだけど]

 と届いたので

[時間返せ]

 と送った。

[君って意外と素直なところあるよね]
[僕を困らせて何が楽しいんだ]

 焦げ目のついた紙の向こうに、やっぱり君のしたり顔が見える。

[君は楽しくないの?私とこうしてLINEのやり取りするの]

 ……返答に窮してしまった。

[きっかけはなんだっていいんだよ]
[それこそ、白紙の手紙でも]
[内容なんかスカスカでも]
[私はただ、君とこうしていたい]
[君、全然LINEくれないんだもん]

 立て続けのメッセージ。しばらく、お互い新たなメッセージを打ち込まなかった。先に沈黙を破ったのは、僕だった。

[そんなに毎日、送るようなことなんてないし]
[何でもいいんだって。君が、私と話したいって意思を示してくれたら、それで]

 なるほど、そういうものかもしれない。白紙の手紙が僕をうろたえさせたように、何かを送るというアクションそのものが、相手のリアクションを引き出し、そうしてコミュニケーションになる。

[……善処する]

 と打ち込むと、

[あー、それ何もしない人の常套句じゃん]
[この前もさあ]

 と、まだ話を続けたそうに画面上で文字が踊った。

 ――後日、彼女のLINEにスペースキーを連打しただけのメッセージを送ったら「そういうことじゃない」と怒られたのは、また別の話。

5/5/2025, 4:26:21 AM

「この服、君に似合うと思うなあ」

 と、君が僕に言うとき、君の瞳は僕じゃない誰かを見つめている。


【すれ違う二対の瞳】


「黒系の服ってあんまり着ないなあ」
「嘘ぉ。その顔立ちなら絶対似合うってぇ」

 「その顔立ちなら」。君が僕の背後に見ている、僕じゃない誰か。僕の知らない、君が本当に好きな誰かとよく似ている、この顔立ちなら。

「迷惑じゃなければ私が買ってプレゼントするよ?」

 まっすぐに僕の顔を見て、君は言う。こういうとき、僕は僕の体がまるで幽霊みたいに透明になって、君の瞳に映っていない、なんて妄想をする。

「……いいよ、僕もこういう服、着てみたいと思ってたし。自分で買う」
「君のそういう優しいとこ、大好きっ!」

 と、「僕に向かって」笑いかけてくれる、君の幻影を瞳に映す。

5/3/2025, 12:43:15 PM

「青を突き詰めると、どうなるのだろう」

 と、僕が何気なくこぼすと、

「黒くなるんだよ」

 と、君は答える。

 ぷしゅっ、と炭酸がペットボトルから解放される音が、二つ重なった。


【青い青い春を煮詰めて】


「黒?」
「うん、黒。暗黒。あるいは、虚無」
「なんでまた」
「だって、このどこまでも続く青空の上には、宇宙が広がっているじゃない」
「なるほど」

 僕は一つ頷いて、理科の教科書で見た絵を頭に描いた。空の青が、上空に向かうに従ってだんだん濃くなってゆき、濃紺を経て宇宙の黒になる。

「あるいは、ブルーハワイのかき氷シロップで想像してもいい。あの液体を鍋に入れて、煮詰める。水分が飛んで、だんだん青い成分が凝縮されていく。そして最後には……」
「鍋の底に、黒が残る」
「そういうこと」

 僕が理解を示したことに満足したのか、君はどこか楽しそうに頷いた。

「……青の先の色は、黒」

 君の言葉を咀嚼するように、僕は呟く。

「じゃあ、青い春はいつか、黒い春になるの?」
「……そうなる前に、私たちは青であることをやめるべきだね」
「そうなる前って、いつ? どこまでが青で、どこからが黒なの?」
「さあ。もしかしたら、今日がその、青でいられる最終日かもしれない」

 こともなげに君は言う。明日の天気の話をしているみたいな、間違いなく自分の生活に関わる話なのにどこか他人事のような響き。

「……それは、二時間目からでも授業に出るという宣言と取っていいの?」
「どうしようね。チャイムが鳴ってから考えるよ」
「それじゃ、いいとこ遅刻止まりだよ」

 分かっている。こうして授業をサボって買い食いすることを安易に「エモい」とラベリングして、青春を謳歌できる時間なんて限られている。そう何度も繰り返していいイベントじゃない。それはたぶん、善悪とは別の次元の話だ。かき氷シロップは、何時間も煮詰めてはいけない。最初のうちは青が濃縮されていくのが楽しいかもしれないが、すぐにその夢のような青も黒く汚されてしまう。

 そういうことに気づかない「青いガキ」の方が、こういう逃避行のお供には向いているのだろうな。それでも、僕の隣にいるのはどうしようもなく濃紺の君で、僕自身もまた、これ以上煮詰めたら危険な藍の色をしている。

「ねえ、学校まで競争しようよ」

 こくん、真っ黒なコーラを一口飲んで、君は僕に笑いかけた。

「先についたほうが、負けね」
「……僕、結構負けず嫌いだよ」
「望むところ」

 僕もコーラに口をつけた。火力を下げて、ゆっくり、ゆっくり。たぶんお互いに、相手が火から下ろしてくれたらな、なんて、甘ったれた子供みたいなことを考えている。

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