白眼野 りゅー

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5/3/2025, 12:43:15 PM

「青を突き詰めると、どうなるのだろう」

 と、僕が何気なくこぼすと、

「黒くなるんだよ」

 と、君は答える。

 ぷしゅっ、と炭酸がペットボトルから解放される音が、二つ重なった。


【青い青い春を煮詰めて】


「黒?」
「うん、黒。暗黒。あるいは、虚無」
「なんでまた」
「だって、このどこまでも続く青空の上には、宇宙が広がっているじゃない」
「なるほど」

 僕は一つ頷いて、理科の教科書で見た絵を頭に描いた。空の青が、上空に向かうに従ってだんだん濃くなってゆき、濃紺を経て宇宙の黒になる。

「あるいは、ブルーハワイのかき氷シロップで想像してもいい。あの液体を鍋に入れて、煮詰める。水分が飛んで、だんだん青い成分が凝縮されていく。そして最後には……」
「鍋の底に、黒が残る」
「そういうこと」

 僕が理解を示したことに満足したのか、君はどこか楽しそうに頷いた。

「……青の先の色は、黒」

 君の言葉を咀嚼するように、僕は呟く。

「じゃあ、青い春はいつか、黒い春になるの?」
「……そうなる前に、私たちは青であることをやめるべきだね」
「そうなる前って、いつ? どこまでが青で、どこからが黒なの?」
「さあ。もしかしたら、今日がその、青でいられる最終日かもしれない」

 こともなげに君は言う。明日の天気の話をしているみたいな、間違いなく自分の生活に関わる話なのにどこか他人事のような響き。

「……それは、二時間目からでも授業に出るという宣言と取っていいの?」
「どうしようね。チャイムが鳴ってから考えるよ」
「それじゃ、いいとこ遅刻止まりだよ」

 分かっている。こうして授業をサボって買い食いすることを安易に「エモい」とラベリングして、青春を謳歌できる時間なんて限られている。そう何度も繰り返していいイベントじゃない。それはたぶん、善悪とは別の次元の話だ。かき氷シロップは、何時間も煮詰めてはいけない。最初のうちは青が濃縮されていくのが楽しいかもしれないが、すぐにその夢のような青も黒く汚されてしまう。

 そういうことに気づかない「青いガキ」の方が、こういう逃避行のお供には向いているのだろうな。それでも、僕の隣にいるのはどうしようもなく濃紺の君で、僕自身もまた、これ以上煮詰めたら危険な藍の色をしている。

「ねえ、学校まで競争しようよ」

 こくん、真っ黒なコーラを一口飲んで、君は僕に笑いかけた。

「先についたほうが、負けね」
「……僕、結構負けず嫌いだよ」
「望むところ」

 僕もコーラに口をつけた。火力を下げて、ゆっくり、ゆっくり。たぶんお互いに、相手が火から下ろしてくれたらな、なんて、甘ったれた子供みたいなことを考えている。

5/2/2025, 11:25:11 AM

「ね、君の人生で一番甘かったものって何?」

 ぱくり。鮮やかな赤色のトマトを口に放り込みながら、君はそんなことを言った。


【主観的sweet memories】


「……急に何?」
「いや、期末の結果がよかったから、どうせなら自分へのご褒美に、とびっきり甘いものが食べたいなって」
「なるほど……」

 弁当箱の中のミートボールを箸でつつきながら、少し考えてみる。スイーツ好きの君と違って、僕はそういうものには詳しくないのだけれど……。

「……あ」
「思い浮かんだ? なになに?」
「これ」

 と、僕はミートボールの隣に納められていた、卵焼きを箸でつまんだ。

「……え」
「君が作ってくれる、世界で一番おいしい卵焼き」
「もう、君はすぐそういうことを……。じゃなくて、いや、その卵焼きは……」
「僕が卵焼きはしょっぱいの派だって伝えたら、自分は甘いの派なのにわざわざ作り方調べてくれた卵焼き」
「……」
「『自分のやつのついでだから』って言うくせに、君の弁当箱に入ってるのとは違う味付けの卵焼き」
「……何のつもり?」

 そんな言い方は心外だ。僕がらしくもなく、こんなキザったらしい……甘い言葉を口にしているというのに。

「…………つまり君は、その卵焼きは口に合わないと言いたいわけだね?」
「え!? いや、そうじゃなくて……」
「君はしょっぱいの派だもんねえ。私が甘い卵焼きしか作れなくて申し訳ないねえ」
「ねえ、意味わかってて言ってるよね?」

 ……慣れないことをするものではないな。

「ちなみにね」

 一足先に弁当を食べ終えた君が立ち上がり、こちらを振り返って言った。

「私の人生で一番甘かったのはね、部活や委員会なんかで学校を出るのが遅れる君を待ちながらカフェで飲む、ブラックのホットコーヒー」

 君は笑う。とびきり甘い笑顔で。

「……それは、人の金で飲むコーヒーは蜜の味ってこと?」
「え!?」
「そっかあ。僕を待ってくれてるんだからお代くらいはって今まで思ってたけど、そういうことを言うんなら今度からはやめにしようかな」
「……慣れないことをするものではないね」

 僕も弁当を食べ終え、立ち上がって君の隣に並んだ。

「やっぱり甘いものは口に入れるものであって、口から出すものじゃないね」
「同感。私、あのカフェでパフェ食べようかな」
「いいんじゃない?」

 二人横並びで、昇降口へと歩き出す。

5/1/2025, 1:10:50 PM

「学校遅刻しちゃう、急ごうっ!」

 君に手を引かれる。足をもつれさせながら走る。風と踊っているみたいだ、と思う。


【風と踊って踊らされて】


「お母さんすっごい怒ってる、逃げようっ!」

 君の背中越しに見る世界が好きだった。君が右、左と体を動かすのにぴったりついていけば、まるで世界の方が君に道を開けるみたいに、君のことを恐れているみたいに右に左に避けていくのだ。

「先生に捕まったら補習参加させられる、走ろうっ!」

 君の背中越しに頬を撫でる風が好きだった。生ぬるい風とすれ違うとき、僕らも彼らの仲間であるような気分になれるのだ。

「上司に見つかったら残業命じられるよ、行こうっ!」

 君の背中越しに届く声が好きだった。君が空間に置き去りにした声に直接頭を突っ込んでいるみたいで、お互い静止した状態で普通に会話するのでは聞けない声のような気がしたのだ。

「警察の人来ちゃうよ、進もうっ!」

 びゅう、と風が鳴いた。追い風だ、と思った直後、ばきりと嫌な音。風に翻弄されていた木の枝がとうとう折れて、僕の足元まで流れてきたのだ。

「朝になっちゃうよ、急ごうっ!」

 差し出された君の手を取った。

5/1/2025, 3:13:48 AM

 僕は想像する。君がその小さな足で雪原を歩いたら、どんな軌跡を描くだろうか。

 ――二つ並んだマグカップの、大きい方を手に取った。


【シュレディンガーの軌跡】


 例えばそんな愛らしい足跡の隊列の隣に、一回り大きな足跡がもう一列、並んでいたとする。人々は想像する。寄り添って歩く、仲睦まじい男女を。

 ――マグカップに牛乳を注いだ。

 足跡の大きさは全く違うのに、その歩幅は変わらない。人々は想像する。男から女に対する溢れんばかりの慈しみ、愛情を。

 ――マグカップを電子レンジにかけた。

 そうして雪解けと共に、二列の足跡は同じように消える。人々は想像する。足跡が消えても、決して消えない二人の愛が、今日もどこかで育まれていることを。

 ――マグカップの中の温まりきらなかった液体を、飲み干した。

 実際に、本当にその二つの足跡が同じタイミングで付けられたかどうかなんて、きっと誰も気にはしない。

 ――ざあ、と水を出して、さっきまで使っていたマグカップをスポンジで洗う。

 僕は想像する。雪原にまっすぐに、どこまでも伸びていく君の歩みの証を。僕は想像する。その軌跡を辿るように、雪原に同じように跡を付けていく、僕自身のことを。

 ――君が使っていたマグカップの隣に、一回り大きな自分のマグカップを置いた。

4/30/2025, 6:40:29 AM

「好きだよっ!」
「ああ、はいはい」

 こういうとき、素直に好きだよと返せない自分のことを、あまり好きになれない。


【好きになれない僕と、嫌いになれない君の好きな人】


「ちょっと何さその気のない返事! 好きでしょ! 好きって言えー!」

 悪いとは思っている。

「ここまで言っても好きって返してくれないとか、君、心ってもんがないの?」

 心があるからこそ、言えないこともあるんだよ。言えない代わりに、別の思いを伝えよう。

「……世界で一番可愛くて、愛しいと思ってるよ」
「え! じゃあつまり君は私の事が……?」
「……」
「す……?」
「…………」
「なんでここまで来て黙るのさ! なんで好きは言えなくて、そんな気恥ずかしいことは言えるのさ!」

 言いたくないのだ。僕が僕のことすら好きになれないうちは、軽率に好きだなんて言葉を。

「まあ君のそういう素直じゃないとこ、嫌いじゃないけどさ」
「……僕も」
「同意のタイミングおかしくない!? 私が『好き』って言った時に言うんだよ、そういうことは」

 ……僕も、君が愛してくれているというその一点のために、自分を嫌いになれずにとどまれているよ。

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