バス停。トタン屋根にバツバツと雨が打ちつける。
幸い、備え付けの椅子はまだ濡れていなかった。
以前このバス停で見知らぬ人に話かけられた時を思い出す。
話の内容はある程度覚えているが、顔はもう覚えてない。
見知らぬ人に話しかける彼の性質や、彼がこれまでに出逢った人達に思いを馳せる。
彼との一瞬の出逢いは同時に彼の背後にいる人たちとの出逢いでもあった。
人の連なりがたまにどうしようもなく恐ろしい。
人間の円環から飛び出てまっさらになりたい。
そこまで考えて自分がどうも憂鬱になっていることに気付き、イヤホンをつけた。
(テーマ:君と出逢って)
ふっと意識が浮上する。ごつごつとした感触。
ホーホーホッホーと鳴く声がやけに鮮明に聞こえる。
そこでよくやく、キャンプに来ていたことを思い出した。
寝袋から出る。銀マットがパリパリと音を立てた。
ジジジとテントを開け、サンダルを履き、外に出る。
ひんやりとした空気が僕を包んだ。
大きく伸びをして、椅子を出す。
このキャンプ場にもこれらのキャンプ道具にも
彼の記憶がついて回る。
やっぱり新しい趣味を見つけるしかないのかも。
タープからぽとりと朝露が落ちた。
「帰りたくもないなぁ」
チクタクチクタクと等間隔で刻む音。胸を掻きむしりたくなるような訳のわからない焦燥感。
隣家の水道の音
遠くで鳴く犬の声
バイクの音
2人の時は耳を澄まさないと聞こえなかった音が1人の部屋にはよく響く。
そこまで考えて
はぁと大きく息を吐き出した。
(テーマ:耳を澄ますと)
十数年の時を埋めるように
僕らは二人で過ごした。
交友関係の広そうな彼の家に行くのは気兼ねされたが、
そんな心配をよそに、彼はいつも招いてくれた。
自分の家より彼の家が心地よく感じられ始めた頃だった。
彼の同僚らしき人が彼のネックレスに触れているのを見たのは。
慌てて踵を返す。俯きながら足早に歩いた。
ネックレスに触れているくらいで大袈裟な、とか、彼のあんな顔初めて見たな、とか、思考が確かな形を持つ前に浮かんでは消え、浮かんでは消える。
重苦しい空気が肺を満たした。喉が焼けるようだ。首元に手をやり、強く爪を立てる。
先程のまんざらでもなさそうな彼の顔を思い出す。わかっているつもりだった。僕の知らない彼の姿があることくらい。
二人で過ごした日々は、僕にとっては夢のような時間だったんだとようやく気付いた。
あのネックレスに指先が触れた瞬間、その魔法が解けた気がした。二人で過ごしたふわふわとした時間が現実に縫い留められる。
その冷たさを自覚すると体の熱も徐々に引いていった。
「帰ろう」ぽつりと呟く。あのネックレスとよく似たデザインのバングルがカチャリと冷たい音を残した。
(テーマ:二人だけの秘密)
「優しさが痛い」
そう言って困ったように笑う彼の顔を思い出す。
あの日から連絡がつかなくなった。
いつもと同じような口ぶりで、いつもと同じ表情だった。
いや、いつもそういう顔をさせていたわけではなくて、そういう顔もするだろうな、という話で…
「わかったわかった、それでどうしたいんだ?」
珈琲を挟んで向いに座る男が、いかにも面倒です、と言わんばかりの態度を見せる。
店内は控えめなジャズと、郊外店舗らしい客層で賑わっていた。
「たまたま再会した小学校の同級生だろ?気にすることもなくね?」
何も言えないでいると、
「何回でも話は聞いてやる」と言って帰り支度を始めてしまった。
店を出てその男と別れた後、
自分はどうしたいんだろうと考える。
しぶる彼に選んでもらった服やアクセサリーを身につけ、
彼に過ごしてもらいやすいよう整えた家へ向かう。
鞄から取り出した家の鍵にはチップのキーホルダーが揺れていた。
(テーマ:優しくしないで)
大学のベンチ。
コンビニで適当に買ったカフェオレとパンを隣に置く。
芝生が見えるここはお気に入りの場所。
今日のように青空が広がっていると
芝生がきらきらと輝いて見え、思わず寝転びたくなる。
スマホが揺れる。
友人は実験にもう少し時間がかかるらしい。
「あと10分で終わるから待ってて!」と猫が土下座して平謝りしているスタンプが一緒に送られてくる。
「先に食べてて」と言わない友人に愛おしさが込み上げる。
了解と一言送ると、
芝生の匂いに眠たくなってくる。
薬品の匂いや、色とりどりの液体が入った試験管を思い浮かべる。
午後からの実験手順を考えながら目を閉じた。
(テーマ:カラフル)