「良いお年を」
そう言って25日に別れたはずなのに……
「お前なんでここにいんだよ」
「んふふ……来ちゃった」
気持ち悪い笑みをながら手を振る友達の姿があった。
今日は今年最後のバイトの日。22時をまわり暗闇の中、ぶかぶかのスーツをだらしなく着た男が街頭に照らされぼんやりと浮かんでいた。
「来ちゃった、じゃねーんだよ。その格好、お前だってバイト終わりだろ。早く帰れ」
「そんなこといって〜、嬉しいくせに」
がしりと抱きつき、ぎゅうぎゅうと体重をかけてくる。
隣の家の黒い大きな犬みたいだ。
「おい、メガネが顔に食い込む。いてーんだよ」
引き離そうともがくと、より一層力をかけてくる。観念して力を抜くと、ようやく体が離れた。
「お前、ほんとどうした」
ズレたメガネを直しながら聞くと、
「んー?鐘つきに行こ」肩に腕を回しながら言う。
「は?お前今日30日だよ、鐘なら明日だろ」
反射的にそう答えると、にやっと笑みを深めて、
「じゃあ明日な、明日お前の家まで迎えに行く」
それだけ言うと、じゃあと走り去って行った。
そのあまりの素早さに呆然と見送ることしかできなかった。
「ほら、あそこ」
強い風に巻き上がる長い髪を押さえながら、もう一方の手で山肌を指さした。
この風で雲も吹き飛ばされているのか、青空が広がり、太陽は真上に差しかかろうとしていた。白く細い指が示す先はちょうど陰になっており、私は目を細めた。
私がその辺りに目をやったのを確認すると、
「まわりと比べて茶色になっている場所があるだろう?あそこまで行く。」
片道3時間といったところだろうか。
斜め前に立つ彼にチラリと目をやる。山に入るにしては軽装すぎる草履と服。取った山菜を入れる竹籠以外、似つかわしくない格好だ。
じっと見下ろしていると、視線に気づいたのか彼は顔を上げ首を傾げた。いっそう強く風が吹き付け、押さえていた薄茶色の髪が彼の顔にかかる。
「どうした?」
私は首を横に振った。
無意識に、事前に渡された鉈の柄をするりと撫でると、
「あそこまでの道は整備されているから心配いらないよ」と彼は軽やかに笑った。
その笑みに縫い付けられたような錯覚を覚える。
春の日差しのようなやわらかさに、つい目を逸らしたくなるというのに。
私は帯に入れていた麻紐を出し、彼の肩を叩いた。
先に行こうとした彼は振り向き、私の手にある麻紐を不思議そうに見やった後、「結んでくれるのか?ありがとう」と私に背を向けた。
その無防備な仕草に、苛立ちに似た翳りを感じ首を傾げる。
私と比べると随分と細身だが、彼のしなやかな身のこなしは彼の生き様をうつしているようで美しい。露わになった彼の細い首元を見ながらそんなことを思った。
(テーマ: やわらかな光)
目が合うと時が止まったように、お互い見つめ合った。
先に彼の方が我に返り、ずんずんと近付いてきた。
「もしかして……ゆう?」
彼は驚きで目を見開きながらそう言った。
彼とは小学校以来だった。
僕の通っていた学校に彼は転校してきた。
黒いランドセルの肩紐をぎゅっと握りしめて彼は笑顔で挨拶をした。
僕の隣の席に座るよう、先生が促した。
彼はランドセルを下ろしながら、よろしくと声を掛けてきた。
「よろしく!何かわからないことがあったら聞いて!」
僕は、慣れない環境で勝手がわからず困るだろう彼を支えようと、誰に頼まれた訳でもない使命に燃えていた。
彼は「うん、ありがとう」と返してきたが、
それから1週間、彼は僕の手を何も借りなかった。
僕は彼の姿を無意識に目を追っていたが、先生に聞いている姿さえ見なかった。彼は慣れた様子ですぐに馴染んで行った。
休憩時間には僕らと遊ぶが、放課後に誘っても彼はのらりくらりと誘いをかわした。そんな時、彼は決まって同じような笑みを浮かべた。その笑みは壁となり、彼が扉を閉めるのが見えるようだった。
僕は彼の内側に入りたくて躍起になった。どこかミステリアスでカリスマ性のある彼に近付けたら、僕も特別になれそうな気がしていた。
彼が登校したら真っ先に声を掛け、目が合ったら手を振り、休憩時間も彼を誘い、放課後も諦めずに誘い続けた。
次第に、一緒に登校するようになり、放課後もたまに遊んでくれるようになった。
相変わらず、1歩引いたような笑みだったが、彼との距離は少しずつ近付いていた。
そう思っていたのに。
いつもより少し遅くまで一緒に遊んだ次の日から彼は学校に来なくなった。
転校した、と告げる先生の声が遠くの方で聞こえた。
(テーマ:突然の別れ)
彼を避けて3ヶ月が過ぎた。
始めは毎日のように来ていたメッセージも、3日置きとなり、1週間置きとなった。
そして今日まで2週間連絡がない。
もう連絡が来るはことないだろう。
スマホを鞄にしまう。
これで良かったんだ。
帰り支度をして会社を出る。外はパラパラと雨が降っていた。
僕はそのまま歩き出した。雨なんてどうでも良かった。
ぽつぽつと雨がかかる。だんだんと勢いが強くなってきた。
流石にまずいかもしれない。
歩みを早めようとしたとき、ふっと影が落ち雨がやんだ。
僅かに遅れて、誰かが傘を差してくれたことに気が付く。
「あ、ありがとうございま…」
そちらを向き、お礼を言おうとした自分の声はすぼみ雨音にかき消された。
「どうして…」
(テーマ:恋物語)
彼を一目見た時から目が離せなかった。胸の高鳴りなんてない。
ただそれ以降も目で追ってしまっていた。動くものをふっと追うようなもの。恋というほどのものでもない。
彼とはよく目があっていた。その度に自分が目で追っていたことに気付き、気まずくなって目を逸らした。
だから、大人になって再会し、
「あの頃、よく目があったよね」
懐かしそう目を細めながら彼がそう言ったとき
血の気がさっと引いた。
自分の中の罪悪感が僕を非難し、視線を落とした。ぬるくなった手元のコーヒーに力がこもる。
「なんか俺、お前のこと目で追っちゃってたかも」
照れくさそうに彼が笑ったとき、一瞬何を言われたかわからなかった。
「え……?」思わず顔を上げた。
(テーマ:初恋の日)