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8/3/2025, 11:27:26 PM

テーマ:ぬるい炭酸と無口な君

お風呂上がり、冷蔵庫をあける。
中に入っていると思ったコーラが見当たらない。

キッチンの方をみると、半分くらいにまで減った1.5リットルのコカコーラが置かれていた。
コーラに手を当てると、既にぬるくなっており、水滴さえ付いていなかった。
食器棚からガラスのコップを取り出し、コーラを開ける。プシュッと気の抜ける音が弱々しく鳴った。
コップの8分目ほどまで注ぐ。
それに口をつけながら、キッチンからリビングを見た。

リビングでは、寝巻き姿の同居人がソファでくつろぎながら深夜のバラエティ番組を見ていた。
同居人の膝の上にはいつものように猫がのっており、コーラを飲む僕に二つの金の瞳が向けられていた。

コーラはほとんど炭酸が抜け、ただ甘味料の甘さだけが舌の上にべたっと張り付いた。

「なぁ、飲み物を出しっぱなしにするのやめろって」
そう声をかけると、テレビから目を離し、のろのろとこちらを向いた。猫の背を頭から尾にかけてゆるりとなぞると、膝に乗っていた猫はぴょんと飛び降りた。彼の足に体を一度擦り付けると、テレビ横のキャットタワーへ向かった。

彼は悠然とした仕草で立ち上がる。柔道をしていた名残の、がっしりとした体格は何をしても様になった。
何も言わずに俺の横に来ると、キッチンでぬるくなったコーラを手に取って冷蔵庫にいれた。パタンという冷蔵庫の閉まる音がしたが、人の動く気配がなく、ちらっと冷蔵庫をみると、彼は冷蔵庫のそばに立って俺をじっと見ていた。

幼馴染で付き合いは長いが、何を考えているのかよくわからない。共通の友人たちからは、犬っぽいと称されている彼だが、俺的にはなんとなく猫っぽいなと思っている。近づいたら離れるくせに自分からは近づいてくるところとか。彼から目を離し、キャットタワーで寝そべる黒猫を見ながらそんなことを考えていた。

「悪かった」いきなり耳元で声がして、俺は思わずのけぞった。しかし、いつのまにか近づいていたこの男は俺の腰に手を回しており、距離は依然として近いままだった。

表情ひとつ動かさずじっと見てくる彼に落ち着かない気持ちになる。とりあえず離れてほしくて、
「わかったわかった」と腰に回された手をばしばしと叩く。しかしまるで意に返さない様子で、俺の頭に鼻を埋めた。
「悪い」ともう一度言うと、猫の背をなでるように、俺の頭に手をやった後、自分の部屋へ去って行った。

その背をぼんやりと見ていたが、テレビの音でハッとし、「おい、テレビ!」と声をかけたが彼が戻ってくることはなかった。

7/27/2025, 2:29:18 PM

図書委員として本を整理しながら、いつもの席に座る彼をちらっとみる。
彼は、ほとんど毎日のように図書室にやってくる。

彼が本を読むときの表情は、どこか特別だった。
砂漠で水を見つけた旅人のような──
「生き返った」「何より美味しい」
静かに、それでいて心から満たされた顔をする。

「図書室にしか居場所がないのかもしれない」
失礼ながら、そんな勝手な想像をしては、親近感を覚えたりもした。
けれどある日、教室の窓越しに見た彼は、友人たちの中心で屈託なく笑っていた。
その姿を目にした瞬間、私の中の仮説は、乾いた砂のように跡形もなく崩れ落ちた。
なんとなく、遠い存在に感じてしまった。
同じ空間にいても、もう自分とは別の世界の人のようだった。

そんなある日。
図書室へ向かう廊下で、背後から足音が近づいてきた。私は反射的に廊下の端へ寄る。
「あの、」と声がした。
自分にかけられた言葉だと気づくのに、少し時間がかかった。
声のする方を見るとそこには彼がいた。
「図書委員の人だよね? 僕もたまに図書室行っててさ。おすすめの本、あったら教えてほしいんだけど」

たまに、ではないのでは、、、と
思わずそんな心の声が漏れそうになるのをこらえながら、彼がこれまで読んでいた本の背表紙をいくつか思い浮かべる。

「そうですね…それなら」
といくつかのタイトルを伝える。

「今から図書室に行かれますか?よければ先程挙げた本をご用意しますが」
「ほんとう?じゃあお願いしようかな。どれもまだ読んだことないから」
にこりとしたその笑みに心臓がどくんと高鳴る。
窓から差す光と相まってその笑顔はとても眩しく感じた。

テーマ:オアシス

7/26/2025, 1:43:53 PM

止めようとしても溢れ出てくる涙を袖で乱暴に拭ってから、僕はみんなのもとへ戻った。

仲間たちはちらりとこちらを見た。心配そうな目だった。声をかけるかどうか、逡巡しているのが表情からわかる。しかし結局何も言わないことを選んだようだった。僕は最後列でみんなの背中と、パフォーマンスを披露する他のチームの様子をぼんやりと見ていた。

そのとき、背後からトントンと肩を軽く叩かれた。後ろを振り返ると、幼馴染が立っていた。

僕の顔を見た瞬間、彼はぎょっとしたように目を見開き、小さな声で「……お前、ちょっと来い」と言って、僕の腕をつかんだ。強引すぎない、けれど決して拒めない力で引っ張られ、僕は体育館を後にした。

人気のない廊下で、彼は立ち止まり、真っ直ぐに僕を見つめる。
「……何があったんだよ」
「何も……」そう言おうとしたのに、声にならなかった。代わりに、もう枯れたと思っていた涙がまた、音もなくあふれてきた。

彼は何も言わなかった。ただ、ぎゅっと唇を結ぶと、僕の肩を引き寄せ、そのまま抱きしめた。
僕よりひとまわり大きな体が、優しく包む。背中をとんとんと叩く手のひらのあたたかさが、泣き疲れた体に、じんわりとしみ込んでいった。
頭を撫でられながら、僕はようやく呼吸を整えはじめた。言葉よりも先に、安心感が体を満たしていくのを感じた。

テーマ:涙の跡

7/26/2025, 8:52:17 AM

行き交う人々の半袖から伸びる腕。
そこから湯気がたちのぼっているように見える。
アスファルトからも、湯気。
ぐにゃり、とアスファルトが歪む。
ぐにゃぐにゃとしたアスファルト…蜃気楼のような揺らぎ…
次の瞬間、視界は真っ暗になった。全身から力が抜け、
そこで意識は途切れた。

目を覚ますと、見慣れない白い天井。
三方を囲むように引かれた、淡い緑のカーテン。病室だ。
「失礼します」
控えめな声とともに、返事を待たずにカーテンが開く。
俯き加減に入ってきたのは、マッシュヘアに大きなリュックを背負った若い男だった。
大学生くらいだろう。手には丁寧に畳まれたジャケット。
彼はこちらに目もくれず、病室の端にあった丸椅子にそれを置こうとする。
その仕草の途中で、俺は声をかけた。
「すみません、あなたは?」
驚いたように肩を跳ねさせ、男ははっと顔を上げた。
「す、すみません! 起きていらっしゃったんですね……。あの、僕、あなたが倒れたときに後ろを歩いていて……救急車を呼んだんです。このジャケットは、そのときに……救急隊の方に渡しそびれてしまって、それで、社員証が中にあったのを見てしまって……それで病室がわかって……勝手に……すみません」
萎れたように項垂れながら、早口で言う。
「そうだったんですね。救急車、呼んでくださってありがとうございます。ジャケットも……わざわざ、ありがとう」
そう言うと、彼は少し顔を赤らめて、
「あ、いえ……じゃあ、僕はこれで。お大事になさってください」と一礼し、
慌てたように病室を飛び出していった。

数日後、駅前のドラッグストアで買い物をしていると、レジに彼の姿を見つけた。
制服のポロシャツに、あの日と同じ黒いリュックを背負っている。
見た目こそ今どきの若者という感じだが、
おじさんのジャケットを律儀に届けに来るような彼に、軽薄さは感じない。
列に並びながら様子をうかがうと、彼は笑顔でハキハキと接客し、きちんとした働きぶりだった。
彼のレジが空いたので、そこへ進む。
「この前は、本当にありがとう。助かったよ」
営業用の笑みが一瞬だけ消え、訝しげな表情。
次の瞬間、思い出したようにぱっと顔を明るくする。
「あの時の!よかった、元気そうで……!」
少し照れたように笑って、レジを通す。
「お礼がしたいんだけど。今日は仕事、何時まで?」
「えっ、あ、いえ……ほんと、大丈夫です。そんな……」
彼は戸惑いながらも、レジの後ろの混雑を気にしている。
俺が引く気配を見せないと、ついに観念したように言った。
「……あと10分くらいで上がりです」

ドラッグストアの前で待っていると彼が現れた。
「まさか……」という顔をして、驚いたように小走りで寄ってくる。
黒の無地の半袖Tシャツに黒の長ズボン、やっぱり大きなリュック。
「お疲れ様。さっきは急に声をかけてごめんね」
そう言うと、彼は勢いよく首を横に振った。
「あ、いえ……その……ほんとにお礼とか、大丈夫なんですけど……」
小さな声でそう付け足す。
「でも、あの時は本当に助かった。近くに美味しい焼肉屋があるんだ。もし嫌いじゃなければ、ぜひ」
ちょっと強めに言ってみる。
彼の表情がわずかに揺れたあと、おずおずと頷いた。

テーマ:半袖

7/24/2025, 6:01:10 AM

「君は、どうしてそんなふうに僕を試すの?」

その端正な顔立ちを、もどかしそうに歪めながら彼が言う。ずいぶん流暢な日本語だが、やはり母国語のように自在に操れるわけではない。けれど、泣き喚く幼児のようにはならず、ちゃんと言葉で話し合おうとする彼の姿勢を、僕は好ましく思っていた。それどころか、少し誇らしくさえあった。

彼の母国語であるイタリア語は、僕も話せる。けれど彼はあえて、日本語を選んでくれる。僕に合わせて、つたない言葉で真剣に感情を伝えようとする。そんなところが、また僕にはたまらなく愛おしかった。

夕暮れ時のカフェの窓際。斜めに差し込む陽光が、彼の彫りの深い顔に光と影の模様を描いている。

僕はカフェオレのカップを手で包み、スプーンでゆっくりとかき混ぜながら言った。

「試してるんじゃない。ただ……全部を渡したくないだけ」

「全部を渡さないで、どうして人を愛せるの?」

すぐには答えられなかった。けれど僕には、それが間違いだとも思えなかった。

「半分愛してください
のこりの半分で
だまって海を見ていたいのです」

頭に浮かんだ詩の一節が、そのまま口をついて出る。彼は少し眉をひそめて目を伏せ、それきり黙ってしまった。

彼は、僕との出会いを「運命」だと口にした。「真実の愛」だとさえ言ってくれた。そして、それを僕に信じさせた。

僕が彼に言った言葉は、自戒のようでもあった。

誰かにすべてを差し出すような愛には、どこか破滅の匂いがする。僕はそれを“真実の愛”だなんて、呼びたくなかった。僕には僕の、彼には彼の、誰にも見えていない部分がある。恋人である前に、ひとりの人間としての彼の輪郭を、忘れたくなかった。……忘れかけていたのかもしれない。彼の愛が、あまりにも献身的だったから。

彼はまだ何かを思案しているようで、黙ったまま僕の分の会計も済ませると、無言で店を出た。

夕日が一層まぶしく彼を照らしていて、逆光の中で彼の姿はほとんど影になっていた。僕はその影のなかで、夕日に取り込まれた彼を見上げていた。

店先でも彼はしばらく考え込んでいたが、ふと僕に視線を向け、それから何かを悟ったように、数回かすかに首肯した。

「……僕は、君のそういうところも好きだったんだ」

猫の毛並みを確かめるように、優しく僕の頭に手を置くと数回撫で付けた。

それは、まるで僕以上に僕を知っているような仕草だった。だけど不思議と、嫌な気持ちはしなかった。むしろ、彼独特の包容力にまた甘えてしまいそうで、僕はそれを誤魔化すように、彼の手にそっと頭を押しつけた。

テーマ:True Love

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