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「君は、どうしてそんなふうに僕を試すの?」

その端正な顔立ちを、もどかしそうに歪めながら彼が言う。ずいぶん流暢な日本語だが、やはり母国語のように自在に操れるわけではない。けれど、泣き喚く幼児のようにはならず、ちゃんと言葉で話し合おうとする彼の姿勢を、僕は好ましく思っていた。それどころか、少し誇らしくさえあった。

彼の母国語であるイタリア語は、僕も話せる。けれど彼はあえて、日本語を選んでくれる。僕に合わせて、つたない言葉で真剣に感情を伝えようとする。そんなところが、また僕にはたまらなく愛おしかった。

夕暮れ時のカフェの窓際。斜めに差し込む陽光が、彼の彫りの深い顔に光と影の模様を描いている。

僕はカフェオレのカップを手で包み、スプーンでゆっくりとかき混ぜながら言った。

「試してるんじゃない。ただ……全部を渡したくないだけ」

「全部を渡さないで、どうして人を愛せるの?」

すぐには答えられなかった。けれど僕には、それが間違いだとも思えなかった。

「半分愛してください
のこりの半分で
だまって海を見ていたいのです」

頭に浮かんだ詩の一節が、そのまま口をついて出る。彼は少し眉をひそめて目を伏せ、それきり黙ってしまった。

彼は、僕との出会いを「運命」だと口にした。「真実の愛」だとさえ言ってくれた。そして、それを僕に信じさせた。

僕が彼に言った言葉は、自戒のようでもあった。

誰かにすべてを差し出すような愛には、どこか破滅の匂いがする。僕はそれを“真実の愛”だなんて、呼びたくなかった。僕には僕の、彼には彼の、誰にも見えていない部分がある。恋人である前に、ひとりの人間としての彼の輪郭を、忘れたくなかった。……忘れかけていたのかもしれない。彼の愛が、あまりにも献身的だったから。

彼はまだ何かを思案しているようで、黙ったまま僕の分の会計も済ませると、無言で店を出た。

夕日が一層まぶしく彼を照らしていて、逆光の中で彼の姿はほとんど影になっていた。僕はその影のなかで、夕日に取り込まれた彼を見上げていた。

店先でも彼はしばらく考え込んでいたが、ふと僕に視線を向け、それから何かを悟ったように、数回かすかに首肯した。

「……僕は、君のそういうところも好きだったんだ」

猫の毛並みを確かめるように、優しく僕の頭に手を置くと数回撫で付けた。

それは、まるで僕以上に僕を知っているような仕草だった。だけど不思議と、嫌な気持ちはしなかった。むしろ、彼独特の包容力にまた甘えてしまいそうで、僕はそれを誤魔化すように、彼の手にそっと頭を押しつけた。

テーマ:True Love

7/24/2025, 6:01:10 AM