行き交う人々の半袖から伸びる腕。
そこから湯気がたちのぼっているように見える。
アスファルトからも、湯気。
ぐにゃり、とアスファルトが歪む。
ぐにゃぐにゃとしたアスファルト…蜃気楼のような揺らぎ…
次の瞬間、視界は真っ暗になった。全身から力が抜け、
そこで意識は途切れた。
目を覚ますと、見慣れない白い天井。
三方を囲むように引かれた、淡い緑のカーテン。病室だ。
「失礼します」
控えめな声とともに、返事を待たずにカーテンが開く。
俯き加減に入ってきたのは、マッシュヘアに大きなリュックを背負った若い男だった。
大学生くらいだろう。手には丁寧に畳まれたジャケット。
彼はこちらに目もくれず、病室の端にあった丸椅子にそれを置こうとする。
その仕草の途中で、俺は声をかけた。
「すみません、あなたは?」
驚いたように肩を跳ねさせ、男ははっと顔を上げた。
「す、すみません! 起きていらっしゃったんですね……。あの、僕、あなたが倒れたときに後ろを歩いていて……救急車を呼んだんです。このジャケットは、そのときに……救急隊の方に渡しそびれてしまって、それで、社員証が中にあったのを見てしまって……それで病室がわかって……勝手に……すみません」
萎れたように項垂れながら、早口で言う。
「そうだったんですね。救急車、呼んでくださってありがとうございます。ジャケットも……わざわざ、ありがとう」
そう言うと、彼は少し顔を赤らめて、
「あ、いえ……じゃあ、僕はこれで。お大事になさってください」と一礼し、
慌てたように病室を飛び出していった。
数日後、駅前のドラッグストアで買い物をしていると、レジに彼の姿を見つけた。
制服のポロシャツに、あの日と同じ黒いリュックを背負っている。
見た目こそ今どきの若者という感じだが、
おじさんのジャケットを律儀に届けに来るような彼に、軽薄さは感じない。
列に並びながら様子をうかがうと、彼は笑顔でハキハキと接客し、きちんとした働きぶりだった。
彼のレジが空いたので、そこへ進む。
「この前は、本当にありがとう。助かったよ」
営業用の笑みが一瞬だけ消え、訝しげな表情。
次の瞬間、思い出したようにぱっと顔を明るくする。
「あの時の!よかった、元気そうで……!」
少し照れたように笑って、レジを通す。
「お礼がしたいんだけど。今日は仕事、何時まで?」
「えっ、あ、いえ……ほんと、大丈夫です。そんな……」
彼は戸惑いながらも、レジの後ろの混雑を気にしている。
俺が引く気配を見せないと、ついに観念したように言った。
「……あと10分くらいで上がりです」
ドラッグストアの前で待っていると彼が現れた。
「まさか……」という顔をして、驚いたように小走りで寄ってくる。
黒の無地の半袖Tシャツに黒の長ズボン、やっぱり大きなリュック。
「お疲れ様。さっきは急に声をかけてごめんね」
そう言うと、彼は勢いよく首を横に振った。
「あ、いえ……その……ほんとにお礼とか、大丈夫なんですけど……」
小さな声でそう付け足す。
「でも、あの時は本当に助かった。近くに美味しい焼肉屋があるんだ。もし嫌いじゃなければ、ぜひ」
ちょっと強めに言ってみる。
彼の表情がわずかに揺れたあと、おずおずと頷いた。
テーマ:半袖
7/26/2025, 8:52:17 AM