いい加減、自慢話にうんざりしていた。
りんご畑で私たちは簡易的な机に向かい合って座っていた。
机には食べやすいサイズにカットされたりんご。
「そんなに言うなら食べなきゃいいじゃん」
つい語気を強めてそう言ってしまった。
彼女の困惑した顔が空気を揺らした。
私は立ち上がると、彼女に背を向けりんごの木へ向かった。
激しい後悔に苛まれていた。
彼女は取り繕うように私の後を追ってきた。
そこには私が初めて見る、彼女の末っ子らしさがあった。いつもの自信に満ちた彼女とは違うその様子に、私は自分の罪と向き合わねばならなかった。
横に並んで歩きながら、言葉を探した。その間にりんご畑は途切れ、変わりに赤や青の明るいネオンで照らされた繁華街に差し掛かった。
いやそんなはずはない。私たちはりんごの食べ放題に行ったのだから、その時間内はずっとりんご畑にいたはずだし、第一、りんご畑と繁華街は電車で数十分はかかる。ふたつの記憶が連続するはずがない。
私はりんごにナイフを当てするすると剥きながら、そんなことを思い出していた。
横に置いたスマホには1つの通知もこない。
暗いままの画面には私の手元を見つめる彼女の姿が映っていた。
(テーマ:楽園)
「なぁ今度旅行にいかないか?」
こちらを伺いながらも幾分か弾んだ口ぶりに
僕は反射的に頷いた。
彼は僕の後ろの席に荷物を置きながらスマホを取り出す。
直に置かれた折りたたみ傘が机を濡らした。
彼は僕の反応に弾みをつけたのか、少し大きくなった声で
「見て。推しが旅のキャンペーンをするらしい。」
スマホの画面には、彼の好きな作家と旅行会社のコラボ企画が表示されていた。
「オリジナルストーリーがあるんだって」
彼の心底楽しそうな声をききながら、雲間から差す陽の光に目を細める。
推しが1番だと公言してはばからない彼。
それを隣で一緒に楽しめる幸福を噛み締めながら
「それは楽しみだな」
と零した。
(テーマ:今日の心模様)
帰り道。最近できた大きな二世帯住宅。
その家からはどこか懐かしい香りがする。
どんな人が住んでいるんだろう。駅近にこんな大きな新築。二世帯ということは親の出資なのか…?
などと下世話なことを思うこともしばしば。
地元を離れ、友人も恋人もいない。噂話に興じるわけではないのだから考えるくらい許して欲しい。
俯き加減歩く帰り道、その家の木は間接照明で明るく照らされている。
歩を緩める。
横を過ぎる人の気配。黒い革靴がコツコツと音を立て、迷いなく進む。
彼が揺らした風に乗って、あの香りが鼻腔をくすぐった。
まさか。
僕はいつのまにか歩みを止めていた。
彼はあの家の前に立つと、スーツを整えインターホンに手を伸ばす。
その時ふと、僕の方を向いた。
目があう。時が止まったかのような間。
徐々に相手の目が見開かれた。
(テーマ:風に乗って)
私は自分の名前が嫌いだった。
お母さんもお父さんもきっと気付いていないんだろうな。
私だって、からかわれるまで気付かなかった。
「え!おまえ、"刹那な身"じゃん!」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
思いのほか響いたその声に、教室が静まり返った。
頭に疑問符を浮かべながら、みんながその子に注目した。
その子もそれを感じたのか、
「だって、お前の名前、世津 七海だろ?ほら!刹那な身じゃん!」
その子はみんなに分かってもらおうと、声を張り上げた。
その子の手には名簿表が握られていた。
膝を打ち
「あー!え!まじじゃん!」
と声を上げながらその子に近づく子と、
興味を失い、
また友達と話し出すグループ内にわかれ、
教室は元の喧騒を取り戻した。
私は、友達と話の続きをしながらも、ずっとその子に言われた言葉が頭を巡っていた。
その日の帰り道も。そして今でも。
名前以上の意味がこの名前に宿っているような気がして、
(テーマ:刹那)
「なんの本読んでるんですか?」
まだ肌寒い夜、バスを待っていると隣から声を掛けられた。
そちらに目をやると、
5分後には忘れていそうな顔。また声を掛けられても分からないだろうな。
このバス停で待っているということは同じ大学だろうか。
「ハイデガー」
咄嗟にタイトルが思い出せなかった。
「あ〜…有名な哲学者ですよね。『存在と時間』ですか?」
まさにその本だった。
「そうそれ。知ってるんだ。」
「タイトルだけですけど」
はにかむようなその笑みに肩の力が抜ける。
ちょうどバスが近づく音が聞こえてきた。
「あのバス?」
「いえ、僕は次のバスです」
「そう、じゃあまた。」
会釈を交わしながらバスに乗り込む。
席に座り、本を開く。
この本の重さが増した気がした。
(テーマ:生きる意味)