香る夢

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1/27/2024, 4:49:22 PM

「てりやきバーガーとチーズバーガー、ベーコンレタスバーガーにポテトのL。ナゲットとストロベリーシェイクとアップルパイください」

まくしたてると、店員が呆気にとられた。
それもそうだろう。なにせ、理穂は一人でこのファーストフード店に来たのだから。
オーダーした品を全て受け取って席に着き、てりやきバーガーの包み紙を勢いよくはがした。

「大食い大会にでも出んのか」
バーガーにかじりついたまま目を上げると、クラスメイトの勇樹が呆れたようにこちらを見ていた。
「かんへいないれひょ」
「ちょっと何言ってるかわかんないすね」
勇樹はさっさと向かいの座席に座ると、チーズバーガーに手をのばした。
「ちょ、泥棒」
「食いきれるつもりか。ったく、失恋してヤケ食いとかサムい真似すんなよ」
「関係ないでしょ」
バレていたのか。
確かに私の好きだった人は、勇樹と仲のいいメンバーのひとりだった。今日告白して、彼女がいると振られたことも知っているのか。

「確かに関係ないけどね。お前があいつのこと好きだったのは知ってるし、まぁ激励でもしてやろうかと思ってさ」
「余計なお世話だわ。いっつも人に絡んできてさ。からかったり邪魔してばっかり。」
ほんとにこいつは嫌がらせばかりしてくる。私が彼に告白するため、ダイエットをしていたときも、毎日毎日購買のパンを机に投げ込んできたり。私の好きなお菓子を、これ見よがしに目の前で食べたり…。思い出すと腹が立ってきた。

「こんなに食ったらさすがに腹壊すだろ。食べる気になったのはいいけどさ…」
そう言いながら、今度はポテトに手をのばしている。
「勝手に食べないでくれる?毎日毎日人のダイエット邪魔してさ。なんだったわけ」
「食うもん食わないで、青い顔してフラフラしてりゃ気にもなんだろ」
確かに私は、最近いつもフラフラしていた。食事を極端に減らしたせいで、貧血ぎみにもなっていた。
…嫌がらせではなくて、心配してくれていたということか?

「それ以上貧相になってどうすんだよ」
「だから余計なお世話だから」
やっぱりカチンとくる。
「ほんとにいっつも意地悪なことばっかり言うよね!」
「そうか?オレけっこう優しいよ」
「どこが!!」
「好きなやつにだけ、だけど」

一瞬の間が空く。
唐突な言動につい勇樹をまじまじと見れば、彼もこちらをまっすぐ見返してくる。
いつものふざけた表情はない。

言葉が出てこずにいると、勇樹はさっさと食べ終わったものの後片付けをはじめた。
「これくらいなら、あと食べられるか?無理すんなよ。ごちそーさま」
「ちょっと待ってよ」
「今度お礼にお前の食べたいものおごるわ。なんか考えといて」
そう言って、勇樹は席を立った。私の分まで綺麗にゴミが片付けられている。

「どこでも付き合うよ。オレ、優しいからさ。お前には」

そう言ってニカッと笑った勇樹の顔は、初めて見る表情だった。
にわかにうるさくなる胸に動揺しつつも、理穂は残りのバーガーを平らげた。

1/27/2024, 3:34:14 AM

夜空に浮かぶオリオン座が一番きれいだ。
オフィスの窓から見える空には、星がない。
少し残念に思いながら、達哉は目前のパソコンに再び視線を戻した。
同僚のミスで、今日は残業を余儀なくされている。時計はもう、真夜中といっても良い時間だった。
「コーヒー飲みますか」
気を遣っているのだろう。こんな夜中までオフィスにいなければならなくなった元凶の同僚が、気まずそうに尋ねてくる。
「…や、いっす」
達哉が答える。コーヒーが飲めないのだ。子どもっぽいかもしれないが、頑張ってもカフェオレが精一杯だ。
気にしなくていいのに。達哉は思う。彼女が一生懸命仕事をしていたことは知っているし、自分はどうせ帰っても一人暮らしだ。帰りが遅くなったところで誰に迷惑をかけるでもない。
一人帰り、ふたり帰り、今はオフィスに達哉と同僚二人だけだ。もう作業の終わりは見えているし、あとはゆっくり確認作業をすればいいだけ。
気が弛み、少しの疲れを感じた。気づけば、頭をかすめた思いが、そのままつぶやきとなって口から漏れでてしまった。

「…オリオン座が見たいな」
「え?」
思わず聞き返される。仏頂面で有名な達哉が、そんなことを言うとは思わなかったのだろう。恥ずかしくなり、慌てて咳払いをする。忘れてくれたらいいな。今のつぶやき。
話題を変えたくて、下に置いていたビニール袋から、パックジュースを取り出す。
「…これ、二つ買ったんで。よかったら一つどうぞ」
相手の反応を見ずに、半ば押し付けるようにして渡した。

***

やってしまった。

大変なミスをしてしまった。
とても一人では今日中に終わらず、泣きついて謝り倒してできる限り手伝ってもらった。
最後まで付き合ってくれた同僚は、仲間内では仏頂面と評判の彼だった。
文句もいわずずっと黙々と作業してくれているが、ひとことも喋らず正直怖い。きっと、心の中では私のことをめちゃくちゃに罵っているのだろう。泣きそうだ。
「コーヒー飲みますか」
勇気を振り絞って聞いてはみたが、あっさり断られてしまった。やばい、もうどうしていいかわからない。
気まずさが頂点に達して脳内では卒倒しかけていたころ、信じられないつぶやきが聞こえた。
「…オリオン座が見たいな」
なんて?
なんか今、この怖いほどの無表情な人から、やたらメルヘンな単語が聞こえたような。
「え?」
思わず大きめな声で聞き返してしまった。彼の肩が少し揺れた気がする。重ねてやってしまった。
「…これ、二つ買ったんで。よかったら一つどうぞ」
私が固まっていると、彼が机の下から何か取り出し、私に手渡した。
それはパックジュースだった。
かわいいピンク色のパッケージに、うるうるした目の牛のキャラクターがでかでかと描かれ、いちごみるくという文字にはイチゴのマークがあしらわれていた。
信じられない思いで彼の顔を見たが、あっという間にそっぽを向かれた。しかし、耳たぶは真っ赤だった。

私は思い違いをしていたのかもしれない。
彼は本当は、私の思っていたイメージとは似ても似つかない人なのかもしれない。

とりあえず、彼の心に住むオリオン座がどんな綺麗なものなのか、私は見たいと思った。

1/25/2024, 2:28:23 PM

――玄関の鍵、閉めたっけ。
歩き始めてすぐの曲がり角で、私はふと不安になる。
くるりときびすを返し、家に戻る。大丈夫、鍵は閉まっていた。
――お鍋の火、止めた?
横断歩道で思い出し、また、家に戻る。ああよかった、お鍋の火は消してあった。
こんなことを繰り返し、私はいつも待ち合わせに遅れてしまう。だいぶ早く家を出ているのに、だ。

60を過ぎたが、忘れっぽいのは年のせいだとは思わない。なぜなら、昔からこうだからだ。
子どもたちも家を出た。今は旦那とふたりだけで暮らしている。
会話はあまりない。私が何を好きで何が嫌いで、どういう人間かなど、きっともう興味もないのだろう。

待ち合わせ場所に着くと、長年の友達の佳世子がこちらへ手を振った。同級生なので、気心も知れている。今日は佳世子のほうから、折り入って話があると呼び出された。
昼間のレストランは人が混んでいる。壁際の二人席に腰を下ろすと、佳世子はおもむろに話し始めた。
「これを預かってほしいのよ」
差し出されたのは、手のひらにのるほどの大きさの、白い箱だった。鍵がかけられており、中は見えなかった。
「夫や子どもに見つかると、ちょっとまずいのよね。内容については、ごめん。聞かないでくれる?別に厄介なものじゃないのよ、一週間だけでいいから。」
中身が気になったけれど、佳世子の真摯な眼差しに気圧され、なにも聞けないまま結局
預かってきてしまった。持ち上げてしげしげ眺めていると、玄関で呼び鈴が鳴った。
「はいはい」
荷物を受け取りサインをし、ふと気づく。
あの箱はどこに置いた?

「ない、ない」
蒼白になって探していると、ソファで新聞を読んでいた夫が、のっそりと立ち上がった。
そしてつかの間消えたかと思うと、その手にあの箱を持って戻ってきた。
「え、どこにあったの」 
仰天して尋ねると、夫はこう言った。
「居間の引き出しの上だよ。お前、大事なものは、たいていあのまわりに置くだろう」
「え?」
「なんかさっきからやたらじろじろ見てたから。大事なもんなんだろ」
知らなかった。
自分が無意識に、大事なものをそこに置く癖があることは。
「それから、鍋の火止めておいたぞ。夢中になると、すぐ忘れるんだからな」
忘れていた。火をつけたままだった。

この人はわかっていたのだ。私が白い箱を見ていたことも、それが大事なものであることも。それをどこに置くのかも。忘れっぽい私のことを、ちゃんと見ていたのだ。

私、このひとと結婚していて、良かったかもしれない。
これからまた同じようなことばかりミスして生きていっても、大丈夫かもしれない――
思いがけず安らかな気持ちになって、私はひとり微笑んだ。

そしてふと思う。
ところで、この箱の中身はなんなのだ。
顔の前に持ってきて眺めていると、中からかすかにカサリ、と音がした気がする。
その瞬間、私のなかでいくつもの疑問が湧いてでた。
これは何?まさか今音がした?なぜ見つかってはいけないの?まさか―――

言い様のない不安が、私を支配した。

1/24/2024, 2:43:08 PM

「ママぁ。上靴どこ?」
「その袋の中に入ってるよ。忘れないで持っていきなさい」
新学期の始業日は慌ただしい。持ち物も多く、両手に大きな袋を下げた娘の背中で、ランドセルが揺れている。
「遅刻しないでね」
玄関で娘を見送ると、依子は軽くこめかみを揉んだ。四十を過ぎたばかりとはいえ、このところ疲れが目立っている。
鏡のなかで、すっと引かれた目頭のシワにため息がでた。
「洗濯物を畳まなくっちゃ」
そう独りごちて、洗濯かごの横に座った。窓から眩しいくらいに日が射している。カーテンを引こうとして、ふいに頭をかすめた出来事があった。

あの日も眩しかった。目がくらむほどに。
私は真っ直ぐ見つめていた。彼の顔を。
彼もこちらを向いていた。夕陽が彼の輪郭を金色に縁取っていく。彼の背中でオレンジ色と金色が混ぜ合わさって、不思議な色味を帯びていた。光が輝けば輝くほど、彼の姿は黒く染まった。まるで昼と夜みたいに。
彼の表情を伺い知ることはできない。
「さようなら」
そう言って私は、その場をあとにした。彼は追わなかった。ただひとつの恋が、当たり前に終わっただけだった。

でも今になって思うのだ。あのとき彼は、どんな表情をしていたのだろう、と。
それを思うとき、私の心は風のない湖面のように凪いでいる。何か感情がうまれるわけではない。ただ時おり、思い出すときがある。

朝食を作る、まだ誰も起きてこない朝。家族がそれぞれ出掛けたあと。スーパーで買い物をしているとき。ひとり、夜に入る湯船。

そんななんでもない日常のなかに、ほのかに蘇る想い出が、私にもある。



1/24/2024, 3:44:53 AM

こんな夢を見た。
君が隣で本を読む傍ら、僕がぼんやり窓の外を見ている。
外は冬。赤い南天の実が、重そうに雪の帽子をかぶっている。
空は灰色で、通りには人がまばらだ。道が滑るのか、みな慎重に歩いている。
こんなふうに、ぼうっと外を見ているのが、僕は好きだ。
ふと気づくと、僕の目の前に香ばしい香りの珈琲の入ったカップが置かれている。
隣を見れば、いたずらっぽく笑う君が、長い黒髪をもてあそびながら僕を見ている。
『飲まないの』
そう言って、彼女は自分のカップを持ち上げた。
僕も自分のカップを持ち上げ、飲もうとした。珈琲の香りを楽しもうと、そっと目を閉じたそのときに、とつぜん電子音が鳴った。
ピピピピ。
その電子音に驚いて目を開ければ、そこは今までいた場所ではなかった。
僕はベッドに寝ており、窓の外は爽やかな新緑が広がっていた。隣には誰もいない。
そこで思い出した。あれは僕の若い頃の、いつかの日常であったときだった。
ゆっくりと起き出して視線をめぐらすと、サイドテーブルにカップが置かれている。
そこからは、あたたかな湯気と、珈琲の香ばしい香りが立ちのぼっていた。
「飲まないの」
あのときと同じ口調で、しわぶいた手をそっとカップにのばす女性がそばに立った。
僕はゆっくりと微笑み、感謝をしながらカップをとった。

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