香る夢

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夜空に浮かぶオリオン座が一番きれいだ。
オフィスの窓から見える空には、星がない。
少し残念に思いながら、達哉は目前のパソコンに再び視線を戻した。
同僚のミスで、今日は残業を余儀なくされている。時計はもう、真夜中といっても良い時間だった。
「コーヒー飲みますか」
気を遣っているのだろう。こんな夜中までオフィスにいなければならなくなった元凶の同僚が、気まずそうに尋ねてくる。
「…や、いっす」
達哉が答える。コーヒーが飲めないのだ。子どもっぽいかもしれないが、頑張ってもカフェオレが精一杯だ。
気にしなくていいのに。達哉は思う。彼女が一生懸命仕事をしていたことは知っているし、自分はどうせ帰っても一人暮らしだ。帰りが遅くなったところで誰に迷惑をかけるでもない。
一人帰り、ふたり帰り、今はオフィスに達哉と同僚二人だけだ。もう作業の終わりは見えているし、あとはゆっくり確認作業をすればいいだけ。
気が弛み、少しの疲れを感じた。気づけば、頭をかすめた思いが、そのままつぶやきとなって口から漏れでてしまった。

「…オリオン座が見たいな」
「え?」
思わず聞き返される。仏頂面で有名な達哉が、そんなことを言うとは思わなかったのだろう。恥ずかしくなり、慌てて咳払いをする。忘れてくれたらいいな。今のつぶやき。
話題を変えたくて、下に置いていたビニール袋から、パックジュースを取り出す。
「…これ、二つ買ったんで。よかったら一つどうぞ」
相手の反応を見ずに、半ば押し付けるようにして渡した。

***

やってしまった。

大変なミスをしてしまった。
とても一人では今日中に終わらず、泣きついて謝り倒してできる限り手伝ってもらった。
最後まで付き合ってくれた同僚は、仲間内では仏頂面と評判の彼だった。
文句もいわずずっと黙々と作業してくれているが、ひとことも喋らず正直怖い。きっと、心の中では私のことをめちゃくちゃに罵っているのだろう。泣きそうだ。
「コーヒー飲みますか」
勇気を振り絞って聞いてはみたが、あっさり断られてしまった。やばい、もうどうしていいかわからない。
気まずさが頂点に達して脳内では卒倒しかけていたころ、信じられないつぶやきが聞こえた。
「…オリオン座が見たいな」
なんて?
なんか今、この怖いほどの無表情な人から、やたらメルヘンな単語が聞こえたような。
「え?」
思わず大きめな声で聞き返してしまった。彼の肩が少し揺れた気がする。重ねてやってしまった。
「…これ、二つ買ったんで。よかったら一つどうぞ」
私が固まっていると、彼が机の下から何か取り出し、私に手渡した。
それはパックジュースだった。
かわいいピンク色のパッケージに、うるうるした目の牛のキャラクターがでかでかと描かれ、いちごみるくという文字にはイチゴのマークがあしらわれていた。
信じられない思いで彼の顔を見たが、あっという間にそっぽを向かれた。しかし、耳たぶは真っ赤だった。

私は思い違いをしていたのかもしれない。
彼は本当は、私の思っていたイメージとは似ても似つかない人なのかもしれない。

とりあえず、彼の心に住むオリオン座がどんな綺麗なものなのか、私は見たいと思った。

1/27/2024, 3:34:14 AM