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6/18/2024, 8:25:14 AM

“未来”


子猫を拾った。
厳密に言えば"職場の同僚が通勤途中に子猫を拾った"が正しいのだが、その同僚に何かと言いくるめるられて気づけば俺が子猫を片手に帰宅するはめになっていた。
在宅ワークの彼女がネットワークトラブルで家に転がり込んできた話をついうっかり話してしまった数日前の自分の浅はかさを少し恨む。
猫どころか生き物さえも飼ったことがないと辞退を申し出たが、誰も都合の悪いことは聞き取れないらしい。
飼ったことないなら一緒にお店に行って一式買おうぜ!と皆で仲良く定時退社して買い物をして、今に至る。
インターホンを鳴らすと、ケージの中の子猫もナーと鳴いた。

「にゃあん!」
「おかえー……?」
「ただいま、ごめん猫拾っちゃった」

ドアが開いて彼女が顔を出した途端、俺より彼女より先に子猫が元気よく挨拶をする。
彼女の目線は完全にケージに向いていて、背中に冷や汗が流れる。昔むかし何かの流れで犬派か猫派かって話をしたがその時はたしか彼女は犬派だったんだよなあ。
ドキドキしながら彼女の顔色を伺うと、彼女はスンと澄ました顔をして、とりあえず入れとドアを大きく開けてくれた。

「で、コイツのご飯とかはどうするの?」
「それはさっき一式買ってきたから大丈夫だと思う」
「ふうん……」

しげしげとケージの中を眺める彼女と、一生懸命彼女に向かって話しかけている子猫。……めちゃくちゃ良いな。と早くも俺は子猫との生活に楽しみを見出していた。

「さっさと手洗ってきなよ」
「……あ、うん」

洗面所に向かう俺の後ろで、猫に向かって名前は?とか歳は?とか真面目に聴いてる声がする。子猫も子猫で聴かれるたび律儀にニャアニャアと返事をするのがおかしくてつい笑ってしまう。

このままずっと彼女と子猫と三人で暮らす幸せな未来が見えた気がした。


6/15/2024, 1:24:06 PM

“好きな本”


あ、と声が出そうになった。
すかさずここが図書館であることを思いだし、すんでのところで出しかけた息を飲み込んだ。
目の前には、名前も知らないくせに勝手に俺が好意をよせていた女の子の姿が。彼女もおそらく衝動的だったのだろう、普段は三白眼よりの猫目をまんまるに見開いていた。

ごめん、彼女の口が音をださずにそう動いた。
その唇の薄さと、それからやけにつやつやと光る様子に一瞬見とれて、それから見とれてしまったことにじわじわと恥ずかしさが込み上げてきた。

押し黙ったままの俺をどう解釈したのか、彼女は真横の席に座って自身の持っていた付箋にサラサラと文字を書いている。
座った瞬間にふわりと爽やかな匂いがしてクラクラして、俯いた瞬間に落ちた横髪を耳にかける姿があまりにも綺麗で心臓が爆発しそうなほどドキドキした。

ややあって渡された付箋には『その本、好きなの?』と見本の様な綺麗な文字が書いてある。
じっと見つめてくる彼女に、ロボットみたいにカクつきながら頷いてみせるとその顔がぱっとほころんだ。

『私も大好きなの、その本』
『同じ人に会えて嬉しい、すごく!』

興奮のせいか少し乱れた文字が付箋の下に付け足されていく。
知ってるよ、君がこの本を好きなこと。
初めて君を見た時に、すごく真剣にこの本を読んでいた姿に一目惚れしてしまったのだから。
それから何度か勉強の合間だったりふとした時にこの本を読んでいる様子を見かけて、どうにか話しかけられないだろうかとさっきこの本を手にとったのだから。


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個人的に好きな本は、ミヒャエル・エンデの『モモ』
小学生の低学年の時に読んで、ページの端が破れるくらい読みました
脳みその中の大海原になんど出航したことか
ホットチョコレートのなんと美味しそうなことか
この本を超えるものにはもう一生出会わないと思っています:)

6/14/2024, 1:25:26 PM

“あいまいな空”

行ってきますと踏み出した足を引っ込めて一度家へ戻る。予報では一日中曇だと言っていたが、思いの外空には重たい雲が敷き詰められていた。
こんな日には傘を持っていくに限る。
わざわざ通販で買った少しだけ大きめの折り畳み傘をそっとカバンに忍ばせて、出番があるといいなあと空を見上げた。
ずっと嫌いだった雨をこんなに待ち望む日が来るなんて少し前の俺には考えつかなかっただろうななんて、家から近いというただそれだけの理由で選んだ学校へ向かう。
入学して、隣の席の彼女に一目惚れしてしまわなければ、俺は多分……いや絶対に傘なんて持ち歩かなかった。むしろ傘を持たないことで、傘を持ってる女のコと一緒に帰る口実にしようとさえ思っていた。
いやあ傘、忘れちゃってさ俺んち15分くらいなんだけど入れてくんね?とか言って、さりげなく傘を持ってやって優しいねって言われてぇ!なんて思っていたはずだったんだけどなあ。

参考書やらなにやらで重たいから傘なんて持ってられない!とドシャ降りの中をYシャツ一枚で帰ろうとする彼女を必死に止めて、コンビニで慌てて買った傘に入れてあげた時から、俺はなるべく傘を持ち歩く様になっていた。
彼女はけして、ありがとうとも優しいねぇとも言ってはくれない。まあ俺がむりやり傘に入れてなければずぶ濡れで帰る気マンマンなのだから、むしろなんなの?とでも思っているんじゃないだろうか。

だけどまあ惚れた弱みってやつで、一年も付きまとって傘に入れてやるうちに雨が降り出すと俺の方をチラッと見る様になったことに気づいてからは毎日雨でもいいのに、と思うようになってしまった。

6/13/2024, 2:49:54 PM

“あじさい”

あじさいだぁとはしゃいだ声がして、ふと我に返る。
派手な色のレインコートを着た子供が、派手な色の傘を振り回していた。その横には子供の背丈ほどのあじさいが色とりどりに咲いている。
子供の親らしい女性が、ほら濡れちゃうでしょう!と言葉強めに子供の手を引いていく。

地球は急に雨が降り出すから困る。
頭のてっぺんから足の先までずぶ濡れになりながらも急ぐ気にはなれず俺はぼんやりと歩き続けた。
地球から遥か離れた宇宙にも人類が移り始めてどれくらい経ったのだろうか。少なくとも俺の生きている親戚に地球育ちはいなかった。それくらいは昔の話だ。
俺の生まれ育った惑星は空から太陽から大地まで全てが人工で生み出されており、その全ての天気は完全にコントロールされていた。

あじさいの色でさえ、人間のコントロール下だ。
宇宙に住んでいた頃のことを思い出す。
俺が生まれ育った惑星にも、地球から持ち出したあじさいがあった。色は地球ほどカラフルじゃない。土も人工的に盛られたものだから、酸性とアルカリ性の濃度が均一に保たれすぎてあじさいの色もほとんど同じだった。

雨の帰り道、成り行きで相合い傘をするはめになった隣のクラスの女の子が興味津々にあじさいを眺める横顔が、あまりにも綺麗で全身が心臓になったみたいにドキドキしながら俺はあじさいを見る彼女を見ていた。
彼女が何と言ったのかは覚えていないが、何かを聞かれた俺はドキドキしている自分をどうにか隠そうと、聞かれてもいないことまでベラベラ蘊蓄を語り倒してしまったことだけは覚えている。
ああ、喋りすぎた。気持ち悪いと思われただろうなあと落ち込む俺の横で彼女は小首を傾げて相変わらずあじさいを見つめていた。

「そっか。チキュウのあじさいはもっとカラフルなんだ」
「……うん」
「いいなあ。見てみたいなあ」
「……うん」
「ね、じゃあ一緒に見に行こうね!」
「……えっ!?」

ねえ、約束!と差し出された小さな小指に空いている方の小指を絡ませた。

あの約束は、果たせないままだ。
カラフルなはずのあじさいも、俺一人だけじゃくすんで見える。

6/13/2024, 9:21:17 AM

“好き嫌い”


アイツのことは嫌いだ。大嫌いだ。
顔を合わせれば小言の応酬、口喧嘩にあっちが勝てば憎たらしい笑みを浮かべて腹が立つしこちらが勝てば次は手が出てくるような子供みたいなやつだ。
見た目は触れたらヒビが入りそうだと思うくらいに繊細で薄っぺらなのに、驚くほどガサツでぶっきらぼうで短気で。とにかく俺が苦手な人間像を外見から内面まで全て詰め合わせた様な男だ。
なんでそんなやつと部屋が隣なんだと頭を抱えたこともあったが、アイツは俺の顔さえ見えなければ部屋で癇癪を起こすこともなく案外上手くいっていた。
怒りっぽいわりに怒りが長続きしないヤツなのだろう。
いつまでもネチネチウジウジと一人反省会を繰り返しては自己嫌悪に陥る俺からすると、その一点だけは心の底から羨ましい。
でも嫌いなものは嫌いだ。
そんな嫌いなやつの部屋の真ん中で俺はどうしたら良いかわからずに突っ立っている。
……なぜ。

「何突っ立ってるんだ?座れよ」
「……あ、ああ……?」

立ち尽くしている俺を不思議そうに見上げてくる隣人の手にはなぜか鍋。ホカホカと湯気がたっていて、食欲をそそるいい匂いがする。
……なぜ鍋?

ちゃんと用意されていた鍋敷きの上に、ガサツらしく中の汁が跳ねるほどの勢いで鍋を置いたアイツがキッチンに戻っていく。
何か手伝うべきか?と思ったが、さきほど早く座れと怒られたばかりだしなあと座りなおす。

彼の部屋は思いの外シンプルに纏まっていた。
明度の低い寒色系で揃えられた家具や小物たち、壁一面どころか窓際まで歩けなくなるほど積み上がった書籍と紙の束。シンプルだけど、やっぱりガサツだ。
彼はいったい何の仕事をしているんだろうか。ぱっと見る限り俺の専門分野とはかすりもしない様でさっぱりわからない。
大学の教授とかだろうか。

キッチンからは彼の楽しそうな鼻唄が聞こえてくる。
こんなにご機嫌な彼の姿は初めてだ。
大嫌いなヤツなのに。大嫌いで仕方がないはずなのに。
やっぱり彼の鼻唄だけは好きだなあ。
鼻唄が止んで、湯気越しに彼が顔を出した。
目が合うとちょっとだけ眉間にシワが寄るものの、やっぱり機嫌が良いようで、酒とグラスを二つ手に持って俺の向かいの席に座った。

「酒、飲めるよな?」
「……あぁ。ありがとう」

いただきます。と二人手を合わせて鍋をつつく。
顔を合わせれば喧嘩ばかりの嫌いなやつだけど、やつの歌と一緒に食べる鍋は悪くない。と思う。

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