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6/11/2024, 4:35:56 PM

“街”



着の身着のままたどり着いた見知らぬ街は、いつの間にか慣れ親しんだ故郷になっていた。
生まれ育った街を逃げるように飛び出してきた俺たちはまともに身分を証明することもできず大した金もなく、明らかに異様な"訳あり者"だっただろうに。この街の人たちは何も気づかないふりをして訳ありの余所者二人を受け入れてくれた。
あの頃は何もかもに必死で、気づけなかったけれど色々な場所に街の人たちの優しさが散りばめられている。

今さっき通り過ぎた小さなホテルは、この街にたどり着いてすぐに泊まったホテルだ。今思えば、終電の時間に駆け込んできた荷物の一つも持っていないなんて見るからに怪しげな俺たちにも何も言わずに部屋を用意してくれた。久々の柔らかいベッドに寝過ごしかけた俺たちの部屋にわざわざサービスにない軽食を持ってきてくれたうえ、行く宛がないならしばらく居ても良いと笑って言ってくれた時は安堵やら嬉しさやらで涙が出た。

そこからまずは金を稼がなければと奮い立った俺たちに声をかけてくれたのが、あの角にあるケーキ屋さんのご主人だった。人手が足りなくて猫の手も借りたいんだと笑う彼に肩を抱かれて彼女と向かった店先でまずは味を覚えて欲しいと食べさせてもらったケーキの味を、俺は一生忘れないと思う。
せっかちで細かな作業に手こずる彼女と、それから客とのコミュニケーションが取れない俺を眺めてゲラゲラ笑いながら励ましてくれた。
結局彼女の方はなんとかレジ係になれたが、俺はまともに使えなくて経理だとか事務の仕事をすることになった。
ケーキ屋さんの向かいにある不動産屋さんは、俺たちにアパートの一室を貸してくれた。保証人も緊急連絡先もないまともな職歴もない俺たちに本当に格安で家具付きの部屋を用意してくれた。保証人には私がなりますから安心してくださいと仏頂面で言われた時は少し怖かったが今となってはそれが寡黙な彼の精一杯の優しさだったのだと、同じ口下手として親近感を覚える。

不動産屋さんの先を右に曲がったところにあるスーパーで働くおばさんたちには特に可愛がれて、例えば自炊の仕方だとか節約の仕方だとかを教わり、娘息子のお下がりだといって服なんかも譲ってくれた。
せっかく可愛いんだからもっと可愛くしなきゃだめよ!と彼女の身だしなみにも気を使ってくれて俺と彼女にとっては母親の様な存在だ。

その、ずっと先にある大きな病院には体調を崩した彼女を何度か診てもらった。つい一年前にもお世話になった。

俺はあれから就活をして、今は半リモートで街の外にある会社でソフトエンジニアの職についていた。半リモートとはいえ暫く泊まり込みをするようなこともあって、今日はその泊まり込みからの二日ぶりの帰宅途中だ。
駅についたとたんに、帰ってきたと思える幸せをしみじみと噛み締めながら家への道を急いだ。
早く彼女に会いたくて仕方ない。
ケーキ屋さんで、買ってきたケーキが崩れない様にスーパーの前でおばさんたちにもらってきた色々な彼女へのプレゼントが落ちないように、気にしながらも自然と小走りになっていく。

アパートへの最後の角を曲がると、すぐに『おとおさん!』と舌っ足らずな声がした。

「おかあさん!おとおさんきたあ!」
「お父さんお荷物いっぱい持ってるみたいだから、少し手伝ってあげて」

アパートの前にある公園で遊びながら待っていてくれたらしい愛娘が駆け寄ってくる。その少し後ろで小さな生まれたばかりの赤ちゃんを抱えた彼女に本当によく似ている。
勢いよく飛びついてきた我が子を、なんとか荷物を犠牲にすることなく受け止めてからケーキを手渡す。

「ケーキが入ってるから大事に持ってね」
「ケーキ!はやくたべたい!」

ケーキケーキとはしゃぐ姿に、中のケーキが心配になる。
彼女も多分同じことを思ったのだろう、少し眉をハの字に下げている。腕の中の赤ちゃんも、すでにやっぱり彼女に似ている気がする。


「……おかえり」
「ただいま」


彼女の丸い頬にただいまのキスを送る。
少し前なら恥ずかしがってビンタをお見舞いされていただろうが、最近は人がいなければこうして受け入れてくれるようになった。そういう些細な変化を感じられることが、今はすごく幸せで、この街にたどり着けた幸運をしみじみと噛み締めた。




6/11/2024, 6:05:13 AM

“やりたいこと”


前期の期末テストが終わった。
去年までであればテストが終わった開放感とこれから始まる長期休暇への期待感で盛り上がっていただろうが、高校三年生の夏休みとなるとそうもいかなくなる。
進学校といわれるこの学校では、ほとんどの生徒が大学進学のための受験勉強にこの長い休暇を費やすことになるのだ。

クラスメイトのほとんどが受験勉強漬けの毎日への覚悟を決めた様な顔つきをしている。
対して一足先に指定校推薦がほとんど決まってしまっている私にとっては、どちらかというと今終わった期末テストの方が重要だった。それが問題なく終わったことで、今までにないくらいの開放感をひっそりと味わっていた。

最後の夏休み、何をして過ごそうか。
せっかくだから博物館に通うのもいいな、一人暮らしになるだろうから部屋を片付け始めた方が良いんだろうか。
のんびりと荷物を纏めていると、聞き慣れた声に名前を呼ばれる。声の方を向けば、思った通りの長身が思った通りのヘラヘラした笑みを浮かべながらこちらに手を振っているのが見えた。

「おつかれ、テストどうだったよ」
「……悪くはなかったと思う。そっちは?」
「あー……、まあそこそこかな」

周囲の男子生徒よりも頭一つでかい男は、女子の中でもそれなりに背が高いはずの私でも近づくと見上げなければならなくて首がしんどい。それでもできる限り近くにいたいと思ってしまっていることを、どうか彼にはバレていませんようにと願ってしまう。

「そこそこって、それで大丈夫なわけ?」

相変わらずヘラヘラと笑っている彼は、誰もが名前を知ってるような難関大学の医学関係の学部を狙っていたはずだ。
思わず詰め寄るものの、彼はそれを予想していたかの様に軽くいなして私のカバンを自分の肩にかけた。
いつもいつもそうやってスマートな身のこなしで私を勘違いさせる酷い男だ。

「まあ大丈夫っしょ。この間A判定だったし」

それよりさ、と彼がぐっと顔を寄せてきて心臓が跳ねる。
その距離感は、いけない。勘違いして跳ね上がる心拍数を先程のテストで解けなかった問題を思い出して鎮めていると彼は顔を寄せたまま、海行かね?とウインクをしてきた。
やけにサマになっている顔にむかついて、思い切り頭突きをおみまいしてやった。

「いっっってー!!!」
「自業自得だ!バカッ!」

周りの生徒がチラチラとこちらを見てくるが構っている様な心の余裕はなかった。やつが仰け反って額を押さえているうちに平常心を取り戻さなければいけない。バレないように何度も何度も深呼吸をする。

「受験を控えているのに、のんきに海に行ってる暇ないでしょ!」
「お前はどうせ指定校で受かるだろ」
「あんたの話だって!」
「俺はもうA判定だし、ちょっとやりたいことがあんだよ」

額を押さえていた指の隙間からこちらを覗く目にやけに真剣な色が浮かんでいて、それすらキュンと心を動かしてしまうのだからずるい男だ。どうせ海に行って海の男みたいに肌を焼きたいだとか可愛いお姉さんに声をかけたいだとかそんなところだろうに、悔しい。私ばっかり好きで悔しい。

「やりたいことって何」
「それはまだナイショ」
「……なっ」

手にした靴を強めに投げ落とすと、片方の靴が裏返ってしまった。直そうとしゃがみ込む前に、さっと彼が手を伸ばしてきて直してしまう。そういうところだ。

「受験終わったらもう俺らバラバラになるじゃん?その前にさ、海付き合ってよ」

俺らバラバラじゃん、という彼の言葉が重たくのしかかる。
高校を卒業したら、いやそれどころかきっと彼の受験勉強がもっと本格的に始まったら、もう今までみたいには会えないんだ。

気がつけば私は小さく頷いていた。


6/9/2024, 4:53:57 PM

“朝日の温もり”


眩しくなって目が覚めた。
やっと地獄にでも着いたかと身体を起こすと、そこは見覚えのない小さなボロい一室だった。開けっ放しのカーテンに、燦々と室内まで入り込む太陽の光。
地獄の癖に随分と穏やかな風景だな。
地獄というよりは天国と言われた方がまだそれっぽいけれど、天国にしても庶民的すぎる。
ここが煉獄だとでもいうのだろうか。ここで自分が今までに手をかけてきた人たちへの贖罪をしろとでも言うのだろうか。
そこまでぼんやりと考えたところで人の寝息が聞こえてきて急に思考がクリアになった。視線を下げれば、そこには思い描いていた通りの人物が眠る姿があった。
ここは天国でも地獄でも煉獄でもない。
俺たちの生まれ育った土地からずっとずっと離れた、名前も知らない寂びれた街のホテルの一室だ。


昨日、俺と彼女は死んだ。
戦争中は英雄だった俺たちは、平和な世界では生きていけないだろうと、それならばいっそ二人きりで死んでしまおうと思い立ち、コンビニで適当に買った最後の晩餐と、お互いを殺すための銃を一つずつ握りしめ三日月の僅かな光を頼りに、二人のお気に入りの場所へ向かった。
そこは海が一望できる崖の上だった。
まだ時間はあるからと、座って話をしているうちに段々とお互いの口数が減っていく。
死ぬのが怖いわけじゃない。ただもう彼女に会えなくなることが死ぬほどつらい。そう思ってその身体を抱き寄せようとした時、彼女が銃の形にした手を俺の額に当ててドン!と囁いた。
何なんだ?と訳がわからないまま彼女の目を見ると彼女はいつの間にか泣いていて、顎を伝って落ちていく涙がやけにキラキラと輝いているように見えた。

「……どこか、誰も私達を知らないところへ行こう。私とお前は今ここで死んだ。そういうことにしてさ、どこか遠くへ行こう」

俺の額に当てていた手を、今度は自分のこめかみに当てた彼女が、片方の口角をキュッとあげて言った。
目からはずっと涙が流れたままなのに、彼女は勝ち誇った様に笑っていて、俺の大好きな彼女の笑顔に涙腺が弛む。
俺も多分彼女とおんなじくらいに泣きながら、彼女を抱きしめた。

俺たちは今日、ここで死んだのだ。
それっぽい跡を遺して、俺たちは人目を盗むように生まれ育ったこの土地から逃げ出した。そのままずっと赴くままに移動し続けて、ようやくこのホテルにたどり着いたのだった。
時刻は午前8時。疲れ果てて寝落ちしたわりに早く目が覚めてしまったみたいだった。
起こそうかどうしようかと少し悩みながら髪を梳いていると眉間にギュッと力が入ってから彼女の目がゆっくりと開く。
俺を見るなり彼女が笑って抱きついてくるものだからバランスを崩し、慌てて彼女を押し潰さないようにとベッドに横たわると彼女が耳元に口を寄せてきた。

「……好き」
「えっ!?」

寝起きだからか掠れてはいたが、聞き間違うはずがない。
思わず顔を覗き込んだら思いの外その顔が真っ赤になっていて、つられて俺も熱くなってしまった。
朝日の温もりと、腕の中の彼女の熱と自分の熱とで身体も心も温まっていく。


「俺も好きだよ」
「……知ってる」


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世界の終わりに君との続き
推敲誤字脱字チェックなどはそのうち……





6/7/2024, 5:09:33 PM

“世界の終わりに君と”



戦争ばかりが続いていた世界がついに平和への第一歩を踏み出した。テレビのニュースは大国と大国とが和平交渉を始めただの停戦が終戦になっただの、明るい話題で埋め尽くされている。
そんなニュースを見ながら朝食の準備をしていると彼女がもそりと寝室から出てきて、俺をみるなりあくびをした。
なんて平和な朝だろう。
お互い昨日脱ぎ捨てた軍服はそのまま床に転がっていて、きっと明日にはゴミ収集の業者に連れて行かれてサヨウナラだ。
今までは決まった時間に跳ね起きて端末を確認したものだが、軍用の端末はもう軍に返却して呼び出されることもない。
彼女も俺もだらしのない寝間着のままふらふらと椅子に座ってのんびりとコーヒーを啜った。

「昼はどうしようか」
「あー……前に美味しいっていってたレストランは?」
「あそこはこの間ミサイルで吹っ飛んだって聞いたよ」
「……じゃあ良く行ってたパン屋」
「あっちはご主人が戦死で閉店」
「……なんならあるんだ」

個人用の端末で開いている店を調べる。
せっかく世界が平和になったのだから良いものを食べなければもったいない。向かいの彼女が出来合いのデザートをスプーンでつついて遊んでいるのを横目にスイーツの有名な店を何個かピックアップする。
どこも一度も行ったことのない店だがまあしかたない。
彼女に端末を渡して、彼女が食べ残したデザートを口にする。パサパサで美味しくない。昼には美味しいスイーツを食べさせてあげよう。
彼女が選んだお店までのルートを確認して、ついでに予約も済ませてしまう。

「夜はどうする?」
「夜は……適当にコンビニで買えば良いだろ」
「そんなもん?」
「そんなもんでしょ。最後の晩餐期待してた?」
「……いや、別に」

お互いそこまで食には煩くない。
美味しいものを食べたいと漠然と思ってはいるものの、戦場での携帯食に舌が慣れているものだから、正直コンビニ飯でもご馳走みたいなものだ。
彼女もそこまで拘っている様子もなく、目線はすうっとテレビに移った。

今日、世界が平和になって俺たちは世界から不要になる。明日になれば今度はきっと世界は俺たち人殺しに厳しくなるだろう。なにせ俺と彼女は英雄だった。英雄ってことは誰よりも人を殺したってことだ。
平和な世界に英雄はもう要らない。
誰かの手でバラバラに殺されるのであればいっそ、お互いの腕の中でお互いに殺されたい。
だから俺たちは今日、二人の思い出の場所で終わりにすることに決めていた。

「ねえ、来世でも会えるかな」
「……どうだろうな」
「好きだよ、きっと来世でもずっと」
「……そう」
「君は?好きって言ってよ、最後くらい」

テレビを見ていたはずの彼女がこちらを向いた。
てっきり照れているのかと思っていたが、思いの外強気な笑みを浮かべていて面食らった。

「まだ、最後じゃない。最後の最後になったら言ってあげる」

片方の口角がキュッと持ち上がる。
その勝ち誇った様な顔は俺が一目惚れをしたときの彼女の顔で、死ぬ間際だというのに俺はまた彼女を好きになってしまうのだった。


6/6/2024, 6:53:09 AM

“誰にも言えない秘密”


締め切りまで余裕があるとどうしても集中力が保たないもので、俺は早々に自室で課題をこなすことを諦め寮生用の自習室に移ることにした。
少し遠いのだが、気分転換も兼ねてのんびりと歩く。
つい先日、最上級生たちが卒業を縣けた大事な課題に取り組んでいたせいかピリピリとしていた寮内も提出期限が過ぎたからか随分と穏やかになった。
俺が集中できないのはきっとこの上級生たちの開放感に感化されたせいだな、と思ったところで自習室にたどり着いた。

中にはあまり人がいる気配もなく、これならば集中できるだろうと中に入る。個室という程ではないが数席ごとに衝立があり、利用人数が少なければほとんど個室の様になる。
入口付近と人がいるところを避けて席を探していると、奥の方に見覚えのある後頭部が衝立の上にはみ出ているのが見えた。
げぇっと心の中で悪態をつく。その後頭部の持ち主は俺がなんとなく苦手としている先輩で、俺はさりげなく彼の死角になりそうな席を選んだ。
テスト勉強なんて授業を聞いていたらわかるだろう、と平然と言ってのける様な典型的な天才様であるあの先輩がなぜこんな休日の日中から自習室なんかにいるんだろう?
筆記用具を取り出しながらさりげなく覗いていると彼の隣にもう一人誰かがいる様だった。
よく見るとその人は眠ってしまっているみたいだった。
一体どういう状況なんだ?とつい眺めていると、先輩が寝ている人の髪を撫でて、そしてその横顔に顔を寄せるのが見えてしまって俺は慌てて頭を引っ込めた。

……見てはいけないものを、見てしまったのではないか?普段は近寄りがたさを感じるような無表情がちな先輩が浮かべた、愛おしい物を見るように緩んだ表情が頭にこびり付いて離れない。
ドキドキする心臓の音が静かな自習室に響いてしまいそうで俺は両手で押さえつけた。
俺は何も見ていない。ふうふうと深呼吸をしているとふいに目の前を人が通った気がした。顔をあげるとあの先輩と目があってまた心臓が跳ね上がる。

先輩は先程の蕩けるような顔のまま口に人差し指を当ててそのまま自習室を出ていった。

『誰にも秘密な』

そう声に出さず動く口元と表情と全てがキャパオーバーだ。
もう今日は課題なんてできそうにない。
さっき出したばかりの筆記用具をいそいそしまい立ち上がると先程まで寝ていたはずの人物が顔を上げ、今度はこっちと目が合ってしまう。
いやでもこの人は寝ていたはずだから、と軽く会釈をする。
寝ていた人物は先程の先輩より一つ上であの先輩とはよくくだらないことで喧嘩をしているいわゆる犬猿の仲と言われるような人だった。
デリカシーのない、感情の起伏の少ない先輩がいけ好かない様で良く突っかかっているのを見ることがあったがまさか。
絶対にこの人にはバレちゃいけない。そそくさ出ていこうとすると彼はニンマリ笑って、やっぱり口に人差し指をあてて声にはださずに唇を動かした。

『誰にも言うなよ』

そしてまた彼はパタリと頭を伏せて寝たフリをしだした。
こんなこと、いったい誰に言えるっていうんだ。
俺はもう二度と自習室は使わない、と誓をたてて自室に駆け込んだ。
いつの間にやら同室のクラスメイトが戻ってきていて俺の勢いに目をまるくしていたが何も言う気になれず俺は体調不良とだけジェスチャーで伝えてベッドに潜り込んだ。


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