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5/25/2024, 2:40:23 PM

“降り止まない雨”


スマートフォンから軽快な通知音が聞こえてきて、俺は料理をしていた手を止めた。
きっと彼女からのそっけない会社を出たという連絡だろうと思いメッセージアプリを開く。
昨日買ったばかりのかわいいネコのスタンプでも送ってあげようかななんてメッセージを確認すると、そこには『傘を忘れたから、迎えにきて欲しい』との文字が。
はっと外を見るといつから降っていたのか、結構な雨が降っていた。
ジュウジュウというフライパンの音や換気扇の音で全く気が付かなかった。
慌てて火を止めている間にまた彼女からのメッセージが届く。
『忙しかったか?無理なら大丈夫。コンビニで探す』
『いや、大丈夫。駅まででいいよね?すぐ行くよ』

慌ててメッセージを返しながらバタバタと準備をする。
駅の近くにあるコンビニは近くとはいえ、一度外に出なきゃいけないし、せっかくなんだから一緒に歩きたい。
濡れても気にならない様な服にさっと着替えてまたメッセージの確認をする。ありがとうの一言と共に送られてきたスタンプは俺が昨日買ったあのスタンプの別シリーズのネコだった。
やっぱり彼女も買っていたんだなんて少しだけほっこりしながら家を飛び出した。


「……で、なんで私の分の傘がないのよ!」
「ごめん……」

慌てていた俺は彼女分にもう一本持って行かなきゃいけないことをすっかりと忘れていた。
呆れた、とため息をつく彼女はその言葉の割に少し機嫌が良さそうだった。

「しかたないから一緒の傘で帰ろう」
「うん。ほんとごめん」
「いいよ。来てって無理言ったのは私だし」

一人でより二人で濡れた方がマシじゃない。
肩の触れる距離でにこにこと笑う彼女が眩しくみえる。
家にいる時とそんなに距離感が違うわけじゃないのに、不思議とどんどん鼓動が早くなる。
なぜだろう、すごくドキドキしてきて隣にいる彼女にまで聴こえてしまいそうだ。

どうかこのまま家につくまで雨音でこのバカみたいな心音を隠していて欲しい。



5/24/2024, 1:13:11 PM

“あの頃の私へ”

電子レンジのチーンという音で目が覚めた。
いけない、寝ちゃった。
身体を起こすと作りかけの資料が表示されたままのラップトップの画面が目に入る。
スクリーンセーバーが動作するほどは眠っていなかったみたいだと胸を撫で下ろすと、それを見計らっていた様に背後から彼の声がした。

「ただいま」
「……おかえり。ごめん、寝ちゃってた」
「いいよ、待っててくれたんだろ。ありがとう」

さっと資料を保存して、彼の方へ身体を向ける。
思っていた通り、おそらく直前まで温めていたのだろう湯気のたつお皿を両手にした彼が立っていた。
テーブルにはもう飲み物やサラダなんかが用意されていて、後は二人が座るだけというところまで準備されている様だ。
遅くまで仕事をしてきた彼にやらせてしまったことに申し訳なくなったが、まあそれは後片付けで挽回するとしよう。

にこにことやけに上機嫌な彼の向かいに座って、二人で手を合わせる。
こういうなんでもない日常を、本人にはちょっと照れくさくて言えないのだが、大好きな彼と共にこれからもずっと過ごしていけるだなんてなんて幸せなんだろう。

あの頃の、切羽詰まってなりふり構う余裕のなかった私に教えてあげたい。
あなたのその焦りのお陰で今の私はこんなに幸せになれたよ、と。

彼とは高校の時に付き合っていたが、それぞれ違う大学に進学したことがきっかけだったのだろう。いつしか連絡が途絶えて自然消滅してしまった。
何気なく送った『次はいつ会える?』というメッセージに既読こそ付いたが返信がないまま、気づけば数ヶ月が経っていた。
いつもだったら一日返事がないだけでうんざりされる程催促の電話を入れていたけれど、そういうことなのかなと思うと怖くて通話ボタンを押せなかった。

友達に誘われて合コンだとかそういう集まりに顔をだしてみたけど、やはりどんな男と話をしても心のどこかで彼と比べてしまってだめだった。
彼も合コンに行くのだろうか。あまり大人数が得意じゃないはずだけど、行けばモテるのだろうなあ。
寡黙でかっこいい!なんて、人付き合いが苦手なだけなのにそう脚色されてグイグイ押されて、私の知らない女ともう付き合っているんだろうか。
それは、嫌だなあ。
膝を抱えてため息をついたとたんメッセージアプリの通知音がして顔を上げる。
さっきの集まりで連絡先を交換した男のうちの誰かからだろう。深く考えずトーク画面を開いて目を疑った。

『昨日はありがとう。明日の午後とかどう?』

これが集まりで出会った男のものなら不思議ではないが、このメッセージの送り主は彼だった。
このメッセージのすぐ上には私が送った『次はいつ会える?』の一文が表示されているから間違いない。
どういうことだ?昨日ってなんだ。直前まで考えていた嫌な想像がまた頭をチラついてゾッとする。
だけど、これは最後のチャンスなのかもしれない。
なりふり構ってる場合じゃないのだ、と震える指で文字を打ち込む。

『明日の午後ね。そっちに行くから"昨日"とやらの話を聞かせてね』

返信がなければ、何か誤魔化されたら、その時はそれまでだ。
直ぐについた既読の文字に吐きそうなほど緊張したあの一瞬は今でもたまに夢にみるくらいだ。

だけど、そんな悪夢に飛び起きた時も隣には彼が当然のように眠っていて、むりやり起こせばむにゃむにゃ言いながらも抱きしめてくれる。

「ごちそうさま。今日のご飯も、すごく美味しかった」
「ありがとう。明日は何が食べたい?」
「……明日は外に食べに行こうよ。復縁記念日だろ?」

やけに上機嫌だったのは、そういうことか。
にこにこ、というよりニヤニヤ笑う彼の足を蹴っ飛ばしてやる。


あの頃の私へ、あなたのおかげで今はすごく幸せです。
あの時勇気を振り絞ってくれて、ありがとう。

(5/15 “後悔”別視点)

5/23/2024, 3:28:35 PM

“逃れられない”

最初にその目と目があった瞬間、目をそらすことができなくなった。
物心ついた時にはもう事なかれ主義だった。
できれば目立たずひっそりとやり過ごしたいと、15年間波風を立てずに生きてきたはずだった。
なのに、その突き刺す様な冷ややかな目に睨まれた途端に俺の心には暴風が吹き荒れて絶対にこいつには負けてやらない、という強い意地で睨み返していた。

ここは高校の入学式で俺はその新入生で、彼は同じ高校の先輩だったがそんなことは多分彼も気にしちゃいなかった。
彼は在校生代表の原稿を握りしめながらこちらに向かってきたので、俺も負けじと新入生代表の原稿を握りしめて歩み寄る。
彼の事は噂でなんとなく知っていた。
眉目秀麗、文武両道、そしてとてもプライドが高くてすぐ怒る、歩く地雷原なんて呼ばれているらしかった。
去年、歴代トップの成績で首席合格したらしいのだが今年俺がうっかりそれを塗り替えて合格してしまった。
絶対に目をつけられてるぞなんて中学の友人に言われたときはどうにかして逃げてやり過ごそうと思っていたはずだったのに。

その目と目があった瞬間に、逃れられないと悟った。
いや逃げたくない。絶対に負けたくないと思ったのだ。

「お前が今年の首席か?」
「はい」
「ふうん……。まあ、おめでとう」
「ありがとうございます。これからお世話になります」

額と額がぶつかるほどの距離でようやく歩みをとめた彼が差し出す右手を渾身の力で握りしめてやれば、彼はニヤリと笑って同じ様に握り返してくる。

遠巻きに、同じ中学だったやつらが物珍しげにしているのが見えた。あの事なかれ主義の俺がまさかあの歩く地雷原から逃げ出さないなんてというところだろう。
俺だってまさか自分に逃げたくないなんて感情が芽生えるとは思わなかった。

握りあった右手がそろそろ痛い。
だけど絶対コイツからは逃げたくない。

やっかいな高校生活からは逃れられそうにないが、でも想像していたよりずっと楽しい日々になりそうだ。

5/22/2024, 6:31:43 PM

“また明日”

どうしても眠れない夜がある。
例えばイライラしたり、明日が心配だったりで眠れないことがないとは言い切れないが、特に何もないはずなのにどうしても眠りたくなくなるのだ。

少し前まではジョギングしに外へ出たり、適当に映画を見たりして時間を潰していたのだが、その適当に見ていた映画の中で俺と同じ様に眠れない夜を持て余していた男が夜空を眺めながら歌を作るというシーンがあった。
今はそれを真似てベランダに出て星を眺めながらひっそり歌うことにしている。
流石に作曲の技術はないから、ただ覚えてる歌を適当に口ずさむだけだがこれが案外落ち着くのだ。
月明かりと、遠くにぼんやり光る街灯の明かりが照らす夜の街は寂しくて、まるで世界に俺一人になってしまったような気分になることもあったが、いつの間にかこんな夜を共に過ごす人間ができた。
といってもあちらは俺が気づいていることにまだ気づいていないのだろうが。

隣の部屋にすむヤツがいつの間にやら黙って俺の鼻歌を聴いていることに気がついたのは1ヶ月くらい前だっただろうか。
ベランダの仕切りのせいでわかりにくいが、俺が気持ちよく歌っていると隣のカーテンが揺れることが増えた。

最初はうるさいとクレームの一つでも言われるのかと思ったが、そいつはしばらくカーテンを揺らしても窓を開ける気配はないし、翌日顔を合わせてもいつも通りだった。つまりただ俺にバレないように俺の歌を聴いているだけなのだ。
隣通しに住んでいながら顔を合わせれば瞬間に口喧嘩を始める様な文字通りの犬猿の仲であるはずのヤツのそんな不思議な一面を俺は案外気に入っている。


今日もしばらく揺れていたカーテンは少し前にきっちりと閉められて動かなくなった。
ヤツは眠ったんだろうか。俺の歌を子守歌にして眠るアイツの姿を想像するとなんだか眠くなってきた。
俺もそろそろ眠れそうだ。

明日もし顔を合わせたら、そしたら言ってみようか。
バレてるぞって。そしたらアイツはどんな顔でどんな言い訳をするんだろうか。明日が楽しみだ。


……また明日。

5/21/2024, 9:33:26 PM

“透明”


「……なんすか、これ」

部屋の隅に置きっぱなしにしていたチェスボードが気になったらしい後輩がしげしげとそれを眺めていた。
けして彼がチェスを知らないわけではなく、そのガラスでできた透明なチェスボードはほぼ半分しかないうえに残っている部分も亀裂が走っているので元を知らなければほとんどの人が彼と同じ反応をするだろうと思う。

元々はチェスボードの下に駒を収納するスペースもあったのだが、当然壊れた時にそこも駒も全てがガラスだったせいで粉々になって捨てた。

「チェスボードだよ。壊れてるけど」
「見りゃ壊れてるのなんてわかりますよ。なんでこんなのを置いてるんすか。あぶないっすよ」

訝しげな顔の後輩がコツコツとチェスボードの無事な面を叩いてる。
そういえば、このチェスボードを壊したやつもよく同じ様な顔をして隅の方をコツコツ叩く癖があったな。
渋い顔だが、あれは勝ち筋が見えた時の顔だった。
こうすれば勝てるが果たして思い通りに動いてくれるだろうかという焦りに近い癖で、俺は結構あのコツコツという繊細で神経質な音を聴くのが好きだった気がする。

「勝ち越しの記念だよ」
「はぁ?」
「俺が勝ち越ししたから、キレたアイツが叩き落したんだ」
「アイツって……同期のあの人っすか」

後輩の顔がひきつる。
後輩どころか先輩からも怖がられている俺の同期の一人はことあるごとに俺との勝敗をつけたがるやっかいな奴だった。
そしてことあるごとに負け続ける彼の、数少ない勝率の高い勝負事がこのチェスだった。
あの日は俺が異動する直前の、最後の日だった。
別れを惜しむなんて微塵も感じられない不遜な様子でチェスボードを持ってきた彼に苦笑いしたら即どつかれた覚えがある。
なんなら俺が異動するなんて知らないんじゃ……とも思ったが、俺が一戦目のチェックメイトを宣言したとたんに勝ち越しなんて許すか!もう一度だ!と叫んでいたから、最後という気持ちはあったらしい。

結局三戦して俺が二勝したところでアイツがキレてチェスボードを叩き割ったのだった。
しかもとんでもないことに、餞別だ!持っていけ!と怒りで顔を真っ赤にして吐き捨てて出ていってしまったのだ。

「餞別だから持っていけって言われてね。せっかくだから飾ってやろうかなって思ってさ」
「……あんたらって仲悪いっすよね」
「そうか?結構仲は良いと思うけどな?」

ただ俺が、アイツの神経を逆撫ですることを楽しんでいてアイツがそれを甘んじて受け入れてキレ散らかしているだけだ。
さて、あの透明なチェスボードの残骸をどう飾ってやればまたアイツを苛つかせられるだろうか。


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