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5/23/2024, 3:28:35 PM

“逃れられない”

最初にその目と目があった瞬間、目をそらすことができなくなった。
物心ついた時にはもう事なかれ主義だった。
できれば目立たずひっそりとやり過ごしたいと、15年間波風を立てずに生きてきたはずだった。
なのに、その突き刺す様な冷ややかな目に睨まれた途端に俺の心には暴風が吹き荒れて絶対にこいつには負けてやらない、という強い意地で睨み返していた。

ここは高校の入学式で俺はその新入生で、彼は同じ高校の先輩だったがそんなことは多分彼も気にしちゃいなかった。
彼は在校生代表の原稿を握りしめながらこちらに向かってきたので、俺も負けじと新入生代表の原稿を握りしめて歩み寄る。
彼の事は噂でなんとなく知っていた。
眉目秀麗、文武両道、そしてとてもプライドが高くてすぐ怒る、歩く地雷原なんて呼ばれているらしかった。
去年、歴代トップの成績で首席合格したらしいのだが今年俺がうっかりそれを塗り替えて合格してしまった。
絶対に目をつけられてるぞなんて中学の友人に言われたときはどうにかして逃げてやり過ごそうと思っていたはずだったのに。

その目と目があった瞬間に、逃れられないと悟った。
いや逃げたくない。絶対に負けたくないと思ったのだ。

「お前が今年の首席か?」
「はい」
「ふうん……。まあ、おめでとう」
「ありがとうございます。これからお世話になります」

額と額がぶつかるほどの距離でようやく歩みをとめた彼が差し出す右手を渾身の力で握りしめてやれば、彼はニヤリと笑って同じ様に握り返してくる。

遠巻きに、同じ中学だったやつらが物珍しげにしているのが見えた。あの事なかれ主義の俺がまさかあの歩く地雷原から逃げ出さないなんてというところだろう。
俺だってまさか自分に逃げたくないなんて感情が芽生えるとは思わなかった。

握りあった右手がそろそろ痛い。
だけど絶対コイツからは逃げたくない。

やっかいな高校生活からは逃れられそうにないが、でも想像していたよりずっと楽しい日々になりそうだ。

5/22/2024, 6:31:43 PM

“また明日”

どうしても眠れない夜がある。
例えばイライラしたり、明日が心配だったりで眠れないことがないとは言い切れないが、特に何もないはずなのにどうしても眠りたくなくなるのだ。

少し前まではジョギングしに外へ出たり、適当に映画を見たりして時間を潰していたのだが、その適当に見ていた映画の中で俺と同じ様に眠れない夜を持て余していた男が夜空を眺めながら歌を作るというシーンがあった。
今はそれを真似てベランダに出て星を眺めながらひっそり歌うことにしている。
流石に作曲の技術はないから、ただ覚えてる歌を適当に口ずさむだけだがこれが案外落ち着くのだ。
月明かりと、遠くにぼんやり光る街灯の明かりが照らす夜の街は寂しくて、まるで世界に俺一人になってしまったような気分になることもあったが、いつの間にかこんな夜を共に過ごす人間ができた。
といってもあちらは俺が気づいていることにまだ気づいていないのだろうが。

隣の部屋にすむヤツがいつの間にやら黙って俺の鼻歌を聴いていることに気がついたのは1ヶ月くらい前だっただろうか。
ベランダの仕切りのせいでわかりにくいが、俺が気持ちよく歌っていると隣のカーテンが揺れることが増えた。

最初はうるさいとクレームの一つでも言われるのかと思ったが、そいつはしばらくカーテンを揺らしても窓を開ける気配はないし、翌日顔を合わせてもいつも通りだった。つまりただ俺にバレないように俺の歌を聴いているだけなのだ。
隣通しに住んでいながら顔を合わせれば瞬間に口喧嘩を始める様な文字通りの犬猿の仲であるはずのヤツのそんな不思議な一面を俺は案外気に入っている。


今日もしばらく揺れていたカーテンは少し前にきっちりと閉められて動かなくなった。
ヤツは眠ったんだろうか。俺の歌を子守歌にして眠るアイツの姿を想像するとなんだか眠くなってきた。
俺もそろそろ眠れそうだ。

明日もし顔を合わせたら、そしたら言ってみようか。
バレてるぞって。そしたらアイツはどんな顔でどんな言い訳をするんだろうか。明日が楽しみだ。


……また明日。

5/21/2024, 9:33:26 PM

“透明”


「……なんすか、これ」

部屋の隅に置きっぱなしにしていたチェスボードが気になったらしい後輩がしげしげとそれを眺めていた。
けして彼がチェスを知らないわけではなく、そのガラスでできた透明なチェスボードはほぼ半分しかないうえに残っている部分も亀裂が走っているので元を知らなければほとんどの人が彼と同じ反応をするだろうと思う。

元々はチェスボードの下に駒を収納するスペースもあったのだが、当然壊れた時にそこも駒も全てがガラスだったせいで粉々になって捨てた。

「チェスボードだよ。壊れてるけど」
「見りゃ壊れてるのなんてわかりますよ。なんでこんなのを置いてるんすか。あぶないっすよ」

訝しげな顔の後輩がコツコツとチェスボードの無事な面を叩いてる。
そういえば、このチェスボードを壊したやつもよく同じ様な顔をして隅の方をコツコツ叩く癖があったな。
渋い顔だが、あれは勝ち筋が見えた時の顔だった。
こうすれば勝てるが果たして思い通りに動いてくれるだろうかという焦りに近い癖で、俺は結構あのコツコツという繊細で神経質な音を聴くのが好きだった気がする。

「勝ち越しの記念だよ」
「はぁ?」
「俺が勝ち越ししたから、キレたアイツが叩き落したんだ」
「アイツって……同期のあの人っすか」

後輩の顔がひきつる。
後輩どころか先輩からも怖がられている俺の同期の一人はことあるごとに俺との勝敗をつけたがるやっかいな奴だった。
そしてことあるごとに負け続ける彼の、数少ない勝率の高い勝負事がこのチェスだった。
あの日は俺が異動する直前の、最後の日だった。
別れを惜しむなんて微塵も感じられない不遜な様子でチェスボードを持ってきた彼に苦笑いしたら即どつかれた覚えがある。
なんなら俺が異動するなんて知らないんじゃ……とも思ったが、俺が一戦目のチェックメイトを宣言したとたんに勝ち越しなんて許すか!もう一度だ!と叫んでいたから、最後という気持ちはあったらしい。

結局三戦して俺が二勝したところでアイツがキレてチェスボードを叩き割ったのだった。
しかもとんでもないことに、餞別だ!持っていけ!と怒りで顔を真っ赤にして吐き捨てて出ていってしまったのだ。

「餞別だから持っていけって言われてね。せっかくだから飾ってやろうかなって思ってさ」
「……あんたらって仲悪いっすよね」
「そうか?結構仲は良いと思うけどな?」

ただ俺が、アイツの神経を逆撫ですることを楽しんでいてアイツがそれを甘んじて受け入れてキレ散らかしているだけだ。
さて、あの透明なチェスボードの残骸をどう飾ってやればまたアイツを苛つかせられるだろうか。


5/20/2024, 6:10:58 PM

“理想のあなた”


胸はでかい方が好き。
髪は長めで、下の方を軽く巻いた髪型が好き。
髪色には拘りないかな。派手すぎるのは微妙だけど。
身長も拘りないなあ。
俺結構背ぇ高い方だからさ、大抵の女の子は俺よりずっと小さいし、背が高くっても低くってもヒール履いた時いつもより距離が近くなるのすげえ好きなんだよな。
歳下よりは歳上のおねぇさんが好きかも。
余裕のある感じ最高。
目は流し目がえろい子が好き。目尻にほくろあったらやばい。
脚とかもほっそりしてるよりはむちむちが良い。
性格は大人!って感じで自立してる人の方がいいな。
付き合いやすい。
束縛してくるのは好きじゃないんだよなあ。
結構付き合うならドライな方が好きかもしれない。
オアソビならベタベタするのも楽しいんだけどさ、付き合うってなると四六時中束縛されるのはしんどいわ。

バーで出会って、ワンナイトして結構相性良いじゃん、から付き合うのとか良いよな。しばらくはセフレで、ふとした時にねえ俺ら付き合わね?って言って付き合うくらいのドライなのが良いわ。

デート行くならやっぱ海でしょ。
俺サーフィン好きだし。
黒い際どいビキニとか着てもらってドギマギしてえ。


理想がきもい?
いいだろ、理想なんてほぼ妄想なんだから。


まあ今付き合ってるやつは胸にもケツにも脚にも肉がついてないないガリガリだし、ヒールはうるさいとかいって履かないし、髪はドストレートのボブで派手に染めてるし、歳下の癖にやたらと偉そうに見下してくるし、すぐにカッとなるし目つきは悪いし、束縛ってほどじゃないが自分以外を優先すると機嫌悪くなるガキだし、アウトドアも海も絶対に好きじゃなくて休みの日はすぐ積んであった本を読み出して俺に構ってくれねえし。
絶対にビキニなんか着てくれねえ。日焼け嫌いだから絶対にラッシュガード着てくる。まあそれ以前に絶対に海になんて行かないだろう。
酒好きじゃないからバーで出会うなんて不可能だし。


理想の真逆のはずなのに、なのにこれだけ好きなんだからやっぱり理想なんてただの妄想でしかないんだよ。
結局のところ、俺の理想はアイツってことなんじゃない?



5/19/2024, 4:06:50 PM

“突然の別れ”


別れの言葉は突然だった。
突然も突然、ついさっきまで愛を確かめあっていたベッドの中で余韻に浸りながら近づけた唇が突然そう告げた。

「え?」
「だから、もうやめるって言ってるの」
「何を」
「この関係」

さっきまでの甘い空気はどこへやら。
いつものクールな姿にもどった彼女は僕の腕をあっさりと払いのけてさっさと帰り支度を始めていた。
その薄っぺらい僕のつけたキスマークだらけの白い背中をぼんやりと眺めるしかできなかった。
僕は一体何を間違ってしまったんだろう。
引き止めたいけど、そもそも僕なんかと彼女が付き合っていた方がおかしかったんだと思うと思うように体が動かない。

数ヶ月前、同じ学部のいわゆる"高嶺の花"と称される彼女が突然僕の隣の席に座ってきた時には目眩がするほど驚いた。
特別彼女に好意を寄せていたわけじゃないが、ずば抜けて容姿の良い彼女は目の保養だった。
そんな彼女がなぜ会話もしたことのない僕の隣に?とドギマギしたが、彼女が僕の隣に座った理由はしごく単純で、朴念仁の彼氏に嫉妬をさせたかったらしい。
その嫉妬をさせたい彼氏というのが、たまたま別の学部に在籍している僕の幼馴染で、たまたまその講義だけ被るからそれだけで僕が選ばれたのだ。
そこからなんとなく彼女とは話す様になって、幼馴染の愚痴なんかを聴いたり話したりする仲になり気づけば深い仲になってしまっていた。

頭が良くて運動もできてなんでもそつなくこなすうえに、やたらと立ち振る舞いがスマートに見えて(実際は他人との関わりを避けているだけの陰キャだと言うのに)異常にモテる幼馴染が自慢でもあり少しだけ妬ましかった。
だから、その彼女と夜を共にした翌日はあまりにも気分が良かった。生まれて初めて、あの完璧な幼馴染に勝てたんだ。
おそらく流れを知ってしまったのだろう幼馴染が気まずそうに僕を見る姿に気づかないふりをしながら心の中で何度ガッツポーズをしたかわからない。
彼女は幼馴染ではなく、僕を選んだんだ!

……と思ったのに。
別れは突然やってきて、僕はまだ温もりの残るベッドで僕には一体何が残ったのかを必死に考えていた。

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