『心の健康』
助けて。辛い。1人になりたい。苦しい。息が詰まる。
ほっといて。幸せだから。ひとりにしないで。楽しい。
そんなことを思ってても、覆い隠すように言う。
いつの間にか上手になった笑顔を作って。
『はい、元気です。』
『終点』
《あと1年です。余命。》
真面目そうな先生に受けたこの言葉がじわじわと私の脳を駆け巡った。目の前にいる大切な人よりも鮮明に。
彼は、今も目の前のテレビを見てゲラゲラとお腹を抱えて笑っている。笑いすぎて泣きそうになっているくらいだ。
変な顔を見しては行けないとおもったからお茶汲むっていうテイで離れては見たけど。それにしても笑いすぎじゃ?ってぐらいに大爆笑。笑っている彼を見たら、この世界の全部が明るく見えて。愛おしくて。現実逃避なのかな、これ。
そんな感じでじっと見てたら目が合って、なによ?ってこっちに近づいてきた。
あたし、今上手く笑えてるかな。大丈夫かな。お茶をお盆に置いて(ついでにお茶菓子も)あたし達はまたテレビの液晶画面に目を向けた。
言わなきゃいけないよね。今日。でも、言いたくないな。どうせなら、もっと傷つけない方法で言いたかったな。矛盾してるけど、あたしは彼に声をかけた。いつも通り。
[ねぇ、]
「ん?どーした急に。」
お茶菓子をバクバク食べてる彼に、あたしはなるべく感情を持たないようにして言った。
[別れよ。]
「え、なんで?笑いすぎておかしくなった?」
[うぅん。本気。]
[好きな人が出来たの。キミよりも。だから、、別れよ]
「え、あ、ちょ」
[ここにある私のモノ、全部捨てていいから]
「ちょっとまってよ、」
私は、ぼやけた視界を服で拭った。顔を見られないように。絶対に、彼を見ないようにして。
[元気でね。]
またねって言いたかったな。閉じてしまった扉を背に、あたしは涙が止まらなかった。それでも前に進んだ。彼に見られてしまうから。
これが、あたし達の終点。
『上手くいかなくたっていい』
朝日さんとピアノを弾き始めてから1時間ほど経っただろうか。
「じゃあ、合わせてみよ。連弾。」
[はい。]
「あとさ誠、敬語。やめてよ。気使うから。」
[はい、あ。あーっと、うん。]
そう言って朝日さんの方を見ると目が合った。そして互いに笑いあった。また、鍵盤と目を合わせる。黒色と白色の鍵盤は、夕空を反射して輝きを見せていた。
鍵盤を叩き始めるとこの部屋の空気は一変する。
滑らかで、しなやかで、暖かいピアノの音と私の指が、重なる。
[あっ、ん?]
「あーここ、こっちだね。」
間違えてしまった、ここはここだって分かってたのに。
[あぁ。ごめんなさい。演奏止めちゃって、]
「うぅん。いいんだよ、上手くいかなくたって。」
[え。]
「失敗したっていいんだよ。ほい、もっかい。」
[え、あ、うん。]
私の人生、失敗は許されなかった。
失敗したら、母は私を許さない。その事実に脅えて、私は成功し続けた。どれだけの苦労をしても、努力を重ねてでも、成功するためにはそれを厭わなかった。
しかし、朝日さんはそれを受け入れてくれた。
欲しい言葉をくれた気がした。私は、なんとも言えない満足感に胸がいっぱいになった。
「今日はここまでにしよ。」
[うん。ま、また来るね。]「うん。」
[あ、あの。この曲の曲名。教えて欲しい。]
「うーん。じゃあさ、またこんど。この前の仕返し。」
悪戯気味に笑った朝日さんに私は笑うことしか出来なかった。
「じゃ、また。」[また。]
上手くいかなくてもいい。その事実を知れただけで私はこの夕空を飛べるような気がした。
《朝日からの使者》EP.4翼、夕空、悪戯
『太陽』
さっきから顔が熱い。本当に発火してしまいそうだ。
どうしていいかも分からず、私は話題を逸らすしか無かった。
[あっあの、もっかい弾いてください。]
「え?あー、あの曲?」
[はい。初めて来た時も弾いてましたよね。]
「そーだったっけ?よく覚えてるね。」
微笑んだ朝日さんは、何か思いついたようだ。
「じゃあさ、弾き方教えてあげるよ。あの曲の。」
[え?でも…]「そういう約束だったでしょ。」
[覚えてるじゃないですか。初めて来た日のこと。]
「今思い出した。」
狡いなと思いながらも、私の胸は高鳴っていた。
はい、座った座ったと急かされ私は朝日さんとピアノの前に座った。
「初めはここからね。俺の真似して。」
そう言って鍵盤に触れた瞬間、時間が歪んだように感じた。ゆっくりゆっくり時間が通り過ぎていく。
「あーっと、ここはね、こう。」
そう言って朝日さんの手が、私の手に近づく。理解している振りをしているが、意識は手に集中するばかりだ。
離れて欲しいけど、離れて欲しくない。そう思いながら、懸命に鍵盤を指で押した。
私が帰らなければいけないのは、太陽が沈む少し前。
もう少しだけ、明るく照らしてください。私はゆったりと進む時間の中で、太陽にそう願った。
《朝からの使者》EP.3太陽と朝日
『つまらないことでも』
目が覚めた。私の意識は自然と窓に向いた。硝子の向こうには雲ひとつ無い青空があった。私は少しだけ口角が上がった。何故か、まだ学校にも向かっていないのに、私は放課後のことばかりを考えていた。
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
チャイムの音で私はハッとした。いつの間にか学校が終わっていた。教室を出た私はいつもの道を少し早く歩いていた。
いつもは、英単語を詰め込むための道でしかないこの道。ただ歩いているだけなのに、歩く音は軽快なリズムに。車がすぎていく音は、それにスパイスを加えていた。こんなにも帰り道が充実しているのは人生の中でも初めてかもしれない。いつもはつまらないことでも、今日は足どりが軽かった。
気づくと、ピアノの音が聞こえてくる。私は音に案内されるように、あの場所へ向かった。
[こんにちは、、]
「いらっしゃーい。あ、この前の。」
そう言って迎えてくれた朝日さんは、ピアノと向き合うように座っていた。
「今日、めちゃくちゃ天気いいね。快晴って感じする。」
[そうですね。あ、覚えててくれてたんですね。]
[この前言い忘れてたんですけど、、誠です。名前。]
「へぇー。かっけー。あぁ、やだった…かな。」
[いいんです。今までも、言われてきたんで。]
[朝日の方がよっぽどいい名前だと思います。とても似合っています。]
「そんなこと言ったら、君もだよ。」
[え。]
そう言って顔を上げると、朝日さんと目が合った。目を丸くした朝日さんはまっすぐそう言った。
名前を褒められただけなのに。ただそれだけ。
朝日さんといる時間が、私にはこの時間が輝いて見えた。
《朝からの使者》EP.2 青空と輝き