『上手くいかなくたっていい』
朝日さんとピアノを弾き始めてから1時間ほど経っただろうか。
「じゃあ、合わせてみよ。連弾。」
[はい。]
「あとさ誠、敬語。やめてよ。気使うから。」
[はい、あ。あーっと、うん。]
そう言って朝日さんの方を見ると目が合った。そして互いに笑いあった。また、鍵盤と目を合わせる。黒色と白色の鍵盤は、夕空を反射して輝きを見せていた。
鍵盤を叩き始めるとこの部屋の空気は一変する。
滑らかで、しなやかで、暖かいピアノの音と私の指が、重なる。
[あっ、ん?]
「あーここ、こっちだね。」
間違えてしまった、ここはここだって分かってたのに。
[あぁ。ごめんなさい。演奏止めちゃって、]
「うぅん。いいんだよ、上手くいかなくたって。」
[え。]
「失敗したっていいんだよ。ほい、もっかい。」
[え、あ、うん。]
私の人生、失敗は許されなかった。
失敗したら、母は私を許さない。その事実に脅えて、私は成功し続けた。どれだけの苦労をしても、努力を重ねてでも、成功するためにはそれを厭わなかった。
しかし、朝日さんはそれを受け入れてくれた。
欲しい言葉をくれた気がした。私は、なんとも言えない満足感に胸がいっぱいになった。
「今日はここまでにしよ。」
[うん。ま、また来るね。]「うん。」
[あ、あの。この曲の曲名。教えて欲しい。]
「うーん。じゃあさ、またこんど。この前の仕返し。」
悪戯気味に笑った朝日さんに私は笑うことしか出来なかった。
「じゃ、また。」[また。]
上手くいかなくてもいい。その事実を知れただけで私はこの夕空を飛べるような気がした。
《朝日からの使者》EP.4翼、夕空、悪戯
8/10/2024, 7:43:57 AM