『鳥かご』
「すごいね」
この言葉を浴びるために私は生まれてきた。母からそう言われ続け、この言葉を貫くために努力を惜しまなかった。努力した分、周りからの賞賛は絶えなかった。でも、それが呪いだと気づいた時には遅かった。私は、家という鳥かごに閉じ込められた鳥になっていた。
帰り道。いつものように私は歩いて帰った。私は長くなった髪を撫でた。長い髪は母のお気に入りだった。髪を切ったら呪いは解けるかな。そんな叶わない妄想をしながら、私はふと聞こえたピアノの音に耳をすませた。そして吸い込まれるように音の出処を探していた。
音の出処は小さな楽器屋さんのような建物からだった。古びた扉を開けるとピアノを弾いている同い年くらいの男性が顔を上げた。お互いに会釈をすると先に男性が口を開けた。
「いらっしゃいませ。」
[あっ、どうも。]
「なんで来たの?こんなとこ。」
[えっと…あの、ピアノが綺麗で。もっと聞きたくなって。]
「へー…。ピアノ、弾けるんですか?」
[いや、全然。鍵盤に触るのも、初めてです。]
「えっ本当に?」[ほんとです。]
そういうと彼は笑った。
「じゃあさ、俺が教えてあげるよ、ピアノ。ちょーど暇つぶしになりそうだし。座って?」
そう言われ私は彼に言われるがまま椅子に座った。
教えてもらう時は隣に彼が座った。肩が当たってしまうくらいの距離で、鍵盤を押す度に彼の表情は明るくなる。その度に、私は自然と表情が明るくなった。彼と過ごしたのは、ほんの1時間位だったが、私にはたった一瞬にもとてつもなく長い時間にも感じた。
「君、上手いよ。才能ある!そーだ、名前。俺、朝日って言います。よろしく。君は…」
[すいません、もう時間が…]
「…じゃあ、また来てほしい。そんとき教えて。」
そう言った彼は朝日のように笑った。とてもあたかかくて、心地よかった。私は自然と頷いた。
鳥かごからは出られないかもしれないけど、呪いは解けないけれど、彼といるなら、、そんな期待を心に秘めて、私は店を出た。その期待が欲望へと変わるのに時間はかからなかった。
《朝からの使者》Ep.1 出会いと呪い
『私の名前』
私は私の名前が嫌いだ。それ以外にも嫌いなものは沢山あるけれど。私の存在が明確に定義されてるみたいで。
私を誰も知らない場所に行きたい。
そしたら、私は自由になれる気がする。非現実的なことを考えている自分が嫌になったので、私は今日も大学の旧図書室に向かった。本を読むのでは無い。誰もいないこの場所で私は歌うのだ。まるで自分がスターになったみたいに。
歌い終わった時、物音がした。
「誰?」
[あっ、すいません。]
見ると、1人の男の子がこちらを覗いていた。
「うるさかった…かな?」
[いや、そういう訳じゃなくて。とても上手で。なんて曲歌ってたんですか?]
「うーん。頭に浮かぶまんま歌ってたから題名なんてないよ。」
[そうなんだ…あの、お名前は…]
そう聞かれた私は、偽物の名前を口にすることにした。
自分の名前が嫌いだから。ただそれだけの理由だ。
「遥。大学2年。あなたは?」
[真。君と同い年。]
「いいね〜。かっこいい。」
[また来て、歌聞いてもいいかな。]
「是非。多分、ずっとここにいるからさ、」
遥。我ながらいい名前をつけたと思った。今日来てくれたあの子がすごく綺麗だったことは秘密にしておこうと思う。また会えたらいいな。今日は、なんだか空が綺麗に見えた。
『手を取り合って』
セミが現在進行形で泣いている季節。葉書が届いたあの日から、私の時間は止まってしまった。単位は余裕で取れるようにほぼ毎日身を削っていたので、その分私は実家に留まり、自堕落な日々を過ごしていた。
ビデオカメラと葉書は今も、シールがベタベタ貼ってある勉強机の上にある。捨ててしまおうかとも思ったが、どうにも出来なかった。しかし、葉書に書いてあった美しいような苦しい文字は私の脳裏にピッタリと焼き付いていた。彼女と別れを告げる儀式は“海の日”に行われるらしい。休みと平日の境界線があやふやになっているが、私はその日を忘れることは無かった。私は母に喪服を借りることにした。
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どんよりとした灯り。黒装束の人々。海の近い葬式場だったため、潮の匂いが鼻を掠めた。私は人の流れに沿って、前に進もうとした。しかし、扉の向こうに足を踏み入れることは出来なかった。暫くして、高校の頃いつも笑いあっていたあの子が来た。私は咄嗟に話しかけた。
「葉書、届いた?」
[うん。届いたよ。]
それだけ言った彼女は、あの頃のように太陽みたいに笑った。それから、続けてこう言った。
[あのさ、手繋がない?]
「え、まじ?」
[あん時はさ、手繋げなかったじゃん。照れくさくて。]
「確かに。今なら出来る気がする。」
そう言って私はあの子の手を取った。あの子はやっぱ照れくさいね、と言いながらも固く握り返した。
手を取り合って扉の向こうに進んだ時、私たちは馬鹿みたいに笑っていた頃の自分に、戻っていた気がする。
█後書き█
読んで頂きありがとうございます。
この作品は最近あげた『友達の思い出』と一緒に読むともっと面白くなると思います。もし、時間があるならそちらも手に取って頂けると嬉しいです。
後書きまで読んで頂きありがとうございました。このあとも、素晴らしい作品に出会えることを心よりお祈りしております。
『私の当たり前』
夜。ビルの光がよりいっそう輝き始める頃。学校が終わった私は、大きめのパーカーを着た。私はある町に向かった。東京にあるその町で紅い文字がより一層輝きを増して見える。今日も欲望と理性が入り混じった匂いがした。私がやることは単純。ただひたすら歩くだけである。ここ数年同じことをしているので知りあいも増えてきた。適当に話しながら街をぶらぶらしていると、ネクタイの紐が緩んだ男性が声をかけてきた。
「毎度。何にする?」
[バツ、20g頂戴。]
私は金を貰いラムネのようなカラフルなものを渡した。
今日も私は手を汚してしまった。黒く染った夜のように。それが、私の当たり前なのだ。
『友達の思い出』
今を生きている過半数の人は、人生を友達との思い出で
彩らせてきたのだろう。私も、同様である。ただ、人生の中でたった2人「私の普通」からはみ出た友達がいた。
確か高校の頃だったと思う。
1人はビデオカメラと携帯(まだガラケーだった)をずっと持っていた。目立たないけどすごく綺麗な顔立ちだった。携帯を持ってると言っても、写真を撮ったり、動画を撮ったりすることしか使わなくて。なんか、不思議な雰囲気を持つ子だった。
もう1人はすごく明るくて自由だった。補習がある日でも先生の前で堂々と遊び行こー!なんて笑いながら言ってくるような子だった。周りにはバカにしか見えなかったかもしれないが、私には強かに見えた。
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“ずっと続けばいいのになー。”
“学校でバカみたい笑って、放課後プリクラ行ってつけま貰って。そのまま誰かの家行ってメイクして。1日全部楽しすぎて、卒業が遠く感じるくらい。”
ビデオカメラを持ったあの子が急にこんなことを言った。急な事だったから2人で驚いた。
「急にどうした?ウチらはずーっと一緒だよ。」
私は不思議がりながら反論した。
[プリクラにも書いたじゃん。ズッ友って。]
プリクラを見せたその子はチュッパチャプスを舐めながら言った。
“そっか。そーだよね。じゃあさ、もし葬式やったら来てね。”
[何年後の話してんの?]
“うーん。数億年後?”
「まぁだろうね。ウチらさいきょーだもん。」
そう言って私たちは放課後の教室で、3人だけで笑いあった。
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数年後、私は大学に進学した。上京をする時に、携帯をなくしてしまったのであの2人との連絡は途絶えてしまった。丁度、夏休みで実家に帰省していた時、一つだけ私宛に大きな封筒が届いた。その封筒の中には1つのビデオカメラと訃報と書かれた葉書が入っていた。私はセミの泣き声と同じくらい泣いた。