ヒロ

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8/4/2024, 10:04:58 AM

――げっ。マジか。

朝起きて、キッチンへ向かう前にリビングへ立ち寄って思わず足を止めた。
俺の方が早起きで一番乗りだと思ったのに。
いや、早起きには違いないのか。
けれども、ソファーの上で大の字に転がって、こちらに向かってニョキっと足を突き出し沈む先客が既に居る。
そろりそろりと近寄れば、思った通り、いびきをかいて眠る親父が居た。
「何で今日に限ってここで寝てるんだよ」
呟かれた文句にも気付かずに、親父はすっかり寝こけている。
昨日の帰りが遅かったのは知っていたが、まさかここでダウンしているとは。
冷蔵庫にとっておいた夕飯を食べた形跡はあるが、それを片付ける気力もなかったようだ。
食べた後の食器もそのままに、ソファー手前のテーブルに放置されていた。
よっぽど疲れていたのだろう。
「しょうがねえな」
極力音を立てずに食器を回収し、入ってきたときと同じようにそろりそろりとその場を離れる。
それから忍び足でキッチンへ向かい、シンクへと静かに食器を運び出した。
今日は日曜日。そして親父の誕生日だ。
サプライズの第一段に、部長直伝のちょっと凝った朝食を披露してやろうと思っていたけれど、仕方がない。
俺が勝手に企んでいたことなのだから、くたびれて帰って来た親父に罪はない。
作っている間に物音で起きてしまうかもしれないが、せっかく揃えた材料もある。
親父の目が覚めるまでに、出来るとこまでやってしまおう。
「まだそのまま寝ててくれよ」
いびきのリズムを聴きながら料理するのも一興だ。
さあ、親父はどの段階で起きるだろうか。
笑いをこらえながら、朝食の準備に取りかかった。


(2024/08/03 title:046 目が覚めるまでに)

7/29/2024, 10:08:10 AM

わたあめにベビーカステラ。
たこ焼きに焼きそば。
これでもか! という勢いでお祭りならではの食べ物を堪能し尽くして。
その後は、腹ごなしにゲーム三昧。
金魚すくいに、水風船。
果てには射的にまでも参戦して、他の客や店主の注目を浴びまくり。
遊び倒した証のように、腕には光るサイリウム・ブレスレット。頭には何かのヒーローのお面も着けた相棒は、上機嫌でいつになくご満悦だ。
しかもヒーヒーと腹を抱えて笑い転げたままなかなか復活して来ない。
この阿呆め。さては俺の知らない間に酒まで飲んだな。

幸か不幸か。ここは主催する神社の前に広がる、門前に構えた大きな広場。即ち、お祭り会場の真っ只中。
騒いでいる連中は他にも大勢いる中での一人なので、俺たちが特に悪目立ちするという訳ではない。
ないのだが、そろそろその馬鹿笑いを止めてくれないだろうか。連れ立っている俺が恥ずかしい。
「いい加減にしろよこの馬鹿」
笑って下がっている頭を軽くはたけば、「ごめんごめん」と言って奴は漸く顔を上げた。その目元には笑い過ぎて溢れた涙が貯まっている。
おいおい。そんなに笑っていたのかよ。

呆れてため息を吐き、まだ肩を震わせている相棒の二の腕を掴んだ。
大の大人が恥ずかしい真似だが、そのまま有無を言わせず歩かせる。
「ほら、もう行くぞ。おまえが行きたいって言うから着いて来たけど、そろそろ限界じゃないのか? 神社なんてお綺麗なところ。普段は避けて通りたい場所だろうに」
人混みの中を縫って歩き、広場の出口を目指す。
ちらりと後ろを振り返れば、引かれるままに、大人しく後ろを歩く相棒と目があった。もう馬鹿みたいに笑ってはいない。
けれども、代わりにきょとんと目を丸く見開いて、「心配してくれてたの?」なんて言うものだから、とうとうカチンと頭に来てしまった。

掴んでいた腕を払って向かい合う。
「当ったり前だろうが! おまえ、自分だってお節介の癖に、俺からの」
「わーっ! ごめんごめん! 僕の言い方が悪かった! 大丈夫、大丈夫だから!」
皆まで文句を言う前に遮られ、突き出されたわたあめで詰め寄る勢いを制された。
まったく。格好のつかない阿呆である。
怒りを削がれて鎮まれば、ほっと息を吐いた相棒が近寄って耳打ちした。
「気を遣ってくれてありがとう。でも本当に大丈夫だから。出掛ける前にも言ったけれど、うーん何て言うのかな。こういう清浄な気のところは苦手だけれど、僕の力が強い分、すぐには死んだりしないから安心してよ。浄化されて即死とかないからさ」
そう言って、「ね!」などと笑ってウインクするものだから、張り合う気も失せて脱力してしまう。
「阿呆。そんなすぐ死ぬレベルだったら全力で止めてるわ」
「あっはっは! だよね~」
バシバシと肩を叩いて笑う姿はいっそ清々しい。
相棒の陽気、いや呑気さに着いていけず、本日何度目かのため息を吐き出した。

何を隠そう、この馬鹿たれは吸血鬼なのだ。
普段は用心深いくせに、楽しいことには敏感で。
時折こうして羽目を外すものだから、仕事のパートナーとしては気が気じゃない。
魔物の癖に、神社の縁日に行こうだなんて。
万一神社の者に気付かれて、祓われでもしたらどうするつもりか。
とぼけたようで、いざとなれば頭が切れる。凄い奴なことは承知している。
けれども同時に、こいつの大丈夫は時々当てにならないことも知っている。
何せ過去に、その大丈夫のせいでうっかり俺に正体がバレているのだから笑えない。

ジト目で見返す俺の腕を、今度は相棒が引いて歩き出した。
「うーん。本当に、僕は大丈夫なんだけどね。君の気が休まらないなら、そろそろお開きにして帰ろうか」
「是非ともそうしてくれ……」
「オッケー!」
返事はとても素直なのに、どこまでも能天気な相棒だ。隣でヒヤヒヤさせられる身になってみろってんだ。
前を行く、奴が腰に下げた水風船が、歩調に合わせてリズムよく弾んでいる。
平和な絵面に、やれやれとまたもやため息が漏れて出た。

一回くらい、清められて出直してくればいいのに、と。
少しだけ疎ましく思ってしまったが、それくらいの恨み節、きっとかまやしないだろう。
神様も許してくれるに違いない。
背後の鳥居を振り返り、賑やかな神社を後にした。


(2024/07/28 title:045 お祭り)

7/28/2024, 10:02:51 AM

迷い込んだ森で出会った男は美しく、そして何より強かった。

羽ばたく音と共に空から現れたかと思うや否や、あんなにしつこく追いかけてきていた野犬の群れをあっという間に圧倒してしまったのだ。
殺すこと無く脅しを効かせ、まるでサーカスの猛獣使いのような手際で追い払う。
いや、華麗に蹴散らすその様は、戦場に舞い降りた軍神さながらと言うべきか。
泣いて転んで。助けを呼びながら逃げていた先ほどまでのことが嘘のよう。瞬く間に形勢は逆転し、狂暴だった犬たちが、恐れをなして散っていく。
最後の一匹が逃げていくのを見届けると、男は安堵のため息を吐いてこちらを振り返った。
「大丈夫?」
振り向き様に、 彼の長いシルバーブロンドの髪がしなり、月明かりを受けてきらりと輝いた。

「――神様?」
薄暗い中、徐々に浮かび上がる。神々しさまで放つその美貌に、思わず見惚れて呟けば、男は一瞬、罰の悪い表情を見せて固まった。
躊躇った後、ゆっくりと跪いて、転んだまま立ち上がれずにいる私に目線を近付ける。そうして困った顔で微笑んだ。
「ごめんね。神様じゃなくて、僕、吸血鬼なんだ」

風に雲が流れて、月明かりが彼の姿の全貌を照らし出した。
夜空を背に大きく広がる翼は黒々とし、私を見つめる瞳はルビーのように深くて赤い。
人間離れした、絵に描いたような美しさを持つ異形は、悲しそうに囁いた。

――君も怖いなら、逃げると良い。

その声はとても小さくて。吹いた風が運んでくれなければ、聞き逃すほどに弱々しいものだった。
「ま、待って!」
背を向け飛び立とうとする彼を、慌てて呼び止めた。
「じゃあ、貴方が、おばあちゃんが言っていた森の吸血鬼? 医者より物知りで、命の恩人だって教えてくれた!」
一気に捲し立てれば、彼はぎくりと動きを止めて留まった。
振り返って私を見下ろす彼は、先ほどまでとは打って代わり、信じられないものを見る面持ちで私を見つめている。
這って彼ににじり寄り、服の裾を掴んで先を続ける。
「私、貴方を探してここまで来たの。お願い、弟を助けて! 熱が出たまま三日も目を覚まさないの。街のお医者様もお手上げで。もう、どうしたら良いのか分からない。私の血でも命でも、何でもあげるから、だから――」
「血なんて、要らないよ」
言い募る私を遮って、膝を折ってしゃがみこむ。そうして足元を掴む私の手をそっと振りほどくと、転がる私を抱き起こして座らせた。
「おばあちゃんは、今は?」
土埃を払いながら静かに問う。服の汚れをはたく彼の手は優しくて。
不安に押し潰されて昂っていた私の気持ちも、釣られて落ち着きを取り戻していく。まるで魔法の掌だ。
鼻を啜って、彼の問いに答えた。
「五年前に亡くなったわ。大往生よ。孫の顔も見られる歳まで長らえたのは貴方のおかげだって、よく話してくれていたの」
「そっかあ」
そう言って彼は俯くと、「もう一度、会いに行けたら良かったな」と呟いた。
しかしそんな落ち込みを見せたのも一瞬だった。
きりりと表情を正し。再び顔を上げた彼は「ごめんね」と私に一言謝ると、あの優しい掌で私の視界を覆い隠した。反射で思わず身動げば、反対の手でもがっしりと肩を掴まれ固定される。
「ちょっと気持ち悪いだろうけれど我慢して。君の記憶を、見させてもらうよ」
「え」
私の驚きと抵抗を待たずして。
彼が何かを唱えた途端。閉じた目蓋の裏で、これまでの出来事が目まぐるしく一気に映し出された。

在りし日のおばあちゃんとの思い出。
家で倒れた弟。弟を診て首を振る医者。
助けてくれない大人たち。
藁にもすがる思いで飛び込んだ森の奥地。
迷って追われることになった野犬の群れ。
そして、颯爽と現れた吸血鬼の青年。

「ありがとう。もういいよ」
無理やり扉をこじ開けるようにして、次から次に切り替わる記憶の波に吐き気を覚えた頃。
漸く彼が手を放して、不思議な術から解放された。
頭がふわふわして気持ち悪い。
まずい、と思った直後。ぐらりと傾いた体を、彼が優しく抱き止めてくれた。
赤子をあやすようにして、肩をぽんぽんと叩かれたり、時にはさすったり。その度に気持ち悪さが引いていく。これも何かのまじないなのだろうか。
申し訳なさそうにして彼が言う。
「ごめんね、気持ち悪いよね。でも、許して欲しい。時々、嘘で誘き出して狩りのような真似をする輩もいるものだから。僕のようなはみ出し者は、用心深くもないと暮らしていけないんだ。疑いたくはなかったけれど、ごめんね」
「わ、分かったわ」
私の顔色が戻るのを確認すると、私を抱えたまま彼はすくっと立ち上がった。
高くなった視界に驚いて、思わず彼の首に腕を回してしがみつけば、端整な彼の顔が間近に迫る。
顔を赤くする私には構わずして。嫌がりもせずに、彼はにこりと微笑んだ。
「僕を頼ってくれて、ありがとう」
笑う彼の頬には静かに涙が伝う。月明かりに光るそれは宝石のようで。顎を伝って落ちた雫が見上げる私の頬も優しく濡らした。温かい。
涙の訳は分からない。おばあちゃんを偲ぶ涙なのか、それとも――。

私がひっそりと彼の気持ちに思いを馳せている間にも、彼は着々と飛び立つ体勢を整えていた。
腕の中の私に負担がかからないように抱え直し、閉じていた翼を広げて羽ばたき始める。
「君の家は――うん。あっちから来たんだったよね」
彼が見据える先は、まさしく私が走ってきた方角だ。
さっき見た記憶を辿っているのだろう。今も何かの術を使っているのか、彼の瞳は赤から金に変わっていた。
「夜が明ける前に急ごう。飛んでいくから、しっかり掴まって! 君の怪我も、あとでちゃんと手当てしようね」

バサリ、バサリ。
一層強く羽ばたいた後。
地面を蹴って、私たちの体はふわりと宙へ舞い上がった。
暗い森の上空へ飛び出し、私の家を目指して一目散に空を飛ぶ。
時折私を気遣って、頼もしく笑う彼は恐ろしい吸血鬼などではない。
私たち家族にとって、紛れもない。
美しく強い、神様だった。


(2024/07/27 title:044 神様が舞いおりてきて、こう言った)

7/15/2024, 8:03:46 AM

「人間が好き? 奴らは糧で、時に敵だろう。腑抜けたことを、二度と言うな」

一族の根城を離れる前。父から静かに浴びせられた罵声を、今も時折思い出す。
我が一族の、そして吸血鬼の長であった父の言葉は間違っていない。
人間は、僕たち吸血鬼の糧で、狩りの獲物。
そして逆に、彼らの営みを脅かす化物として忌み嫌われ、僕らもまた排除される。
さらには奇特な者たちのコレクションとして、時には僕らが面白おかしく狩られる立場にもなり得るのだ。
一族の中でも異端なことに、生き血を皆ほど多くは必要とせず。誰よりも力があるのに、争いも好まない。
加えて人間たちと友でありたいと夢想を語る、お人好しで不出来な息子の言葉など、父は耳を傾けたくも無かったに違いない。
僕の思いは、種の性からして強要できることでもない。
理解されないことが悲しくもあった。
されど、皆から疎まれたまま留まれるほどの執着も持ち合わせることは出来なくて。
それから成るようにして、僕は一族を離れて各地を転々とする旅へ出たのだ。

その果てに、今ではこうして日本まで辿り着いた。
この地へと至るまでに、理想と現実の狭間で、何度も苦い思いを味わった。

人間に紛れて暮らそうにも、当然ながら、日の当たる場所には出られない。
夜にしか姿を現さない住人は怪しまれる。
ひっそり隠れて暮らす中、得難い友人を得たとしても、老いの無い姿と寿命の差は縮まらない。
素性を打ち明けて、彼や彼女らの理解と信頼を得られても、怪しい異端者との交流を周りが良しとしなければ、最悪彼らの身までも危険に晒す。ひやりとする場面も幾度か経験した。
昼間姿を現せない身で、自分を守り、友人も守る。残念ながら、それは容易には務まらない。
街に住まうのは諦めて、森や山の奥地へと居を構え。
それでも、人の口に戸は立てられず。
やむを得ず、人外の噂が立つ前に友人たちに別れを告げ、また遠くの地へ移っては身を隠した。

ただ、そうやって引きこもったところで、元来のお人好しな性分と人間好きは変えられない。
困っている者を見かければ放っては置けず。懲りもせずにお節介を焼いては交流を深めてその地に馴染み。
そうして変わらぬ姿に疑念を抱かれる前に、土地を去る。
ずっと、それを繰り返してきた。
こうまでしても、人と関わることを辞められないのは――。

「僕のわがまま、なんだろうなあ」
「ああ? 何だ急に」
「ううん。こっちの話~」
事務所の机に突っ伏して独りごちたのに、この家の主が耳ざとく反応した。
勿論、彼は人間だ。
この街に来てから出来た友人で、根無し草の僕を居候させてくれている大家であり、大事な仕事のパートナー、もといボス。
うっかり吸血鬼とバレた後も怖がらず、悪態を吐きながらも、変わらずあれこれ世話を焼いてくれるお人好しである。
ぶっきらぼうで、表面的な性格は僕と正反対だけれど、根っこのところでは似た者同士。
何だかんだで気も合うし、お陰で今の僕の生活はすっかり快適だ。
今は朝で夜も明ける頃。
日の出の時刻も過ぎ。外は予報通りの快晴で、顔を出した太陽が照り出しているようだったが、この部屋に光は差し込まない。
彼が整えた、二重に仕込んだ遮光カーテンの賜物である。
最近気が付いたことだが、僕と同居し始めてからの彼は食にも気を遣っているようで、好物のにんにくも断ってしまったらしい。
優しいと評すれば酷いしかめっ面を返す癖に、何とも豆な性分だ。
こんなに恵まれた暮らしをさせてもらっているのに、昔を思い返してブルーに浸っていては、バチが当たってしまうに違いない。

もう一つため息を吐いて、沈んだ気持ちに区切りをつけて顔を上げた。
それと入れ替わりにして、机の空いたスペースに、コトリと一つ。カップスイーツが差し出された。
甘党でもない彼が、朝からこんなものを出すとは珍しい。
訝しんでまじまじとカップを見やり、思わず僕は目が点になった。
「――ええっ!」
さっきまでのどんよりとした気持ちはどこへやら。ラベルの屋号を読み取るや否や、驚いて僕は立ち上がった。
「こ、こっこ、こっ!」
カップを鷲掴みにしたまま二の句が次げない。
鶏のようにコしか言えなくなった僕を、相棒が遠慮なく笑い飛ばした。
「びっくりしただろ。してやったりだな」
「こ、これって!」
「店頭販売のみで営業は昼間だけ。取り寄せ通販もないって、おまえ嘆いてたもんな」
「このプリン! どうしたの!」
「依頼人から、謝礼の内だってよ。雑談の中でおまえがぼやいてたのを覚えてたんだと。おまえがかき集めた情報のお陰で助かったって。良かったな」
彼の言葉に胸が熱くなる。
名店の人気ナンバーワンスイーツ。フルーツ盛り沢山の贅沢プリン。
一度食べてみたかったのも本当だけど、それだけじゃなく、依頼人に喜んでもらえたことが何より嬉しい。
勿論、依頼人の彼は僕が吸血鬼だなんて知るはずもない。
けれども、こうして気持ちを形でもらえると、一時だけでも心を通わせられたみたいで、晴れやかな気持ちになって浮かれてしまう。
仕事の頑張りも、人間たちとの関わりも、まだまだ捨てたものじゃないみたい。
「うふふふふ~」
「おい。朝から気持ち悪い笑い方すんなよ」
「えー? やっぱり、君たちと居るのは楽しいね!」

彼とも、いつまで一緒に居られるかは分からない。
叶うなら、彼の老いを見届けるまで。
彼らと手を取り、助け合いながら。
この居心地の良い中に、今少し一緒に居させてもらおうと、小さく願った。


(2024/07/14 title:043 手を取り合って)

7/14/2024, 10:10:40 AM

正直言って、俺が誰かに頼られるなんてそうそうないことだと思っていた。
ましてや、学年トップの王子相手となればなおのこと。

「おわっとストップ! そんな力込めて卵割ろうとすんな!」
「あっごめん」
見るからに力んだ右手を制止して、安堵のため息を吐く。
まさか、あれだけ女子にキャーキャー言われていた王子がこんなに不器用とは知らなかった。
まあ、そもそも。噂で回ってくるこいつの情報に興味がなくて、知ろうともしてこなかったからっていうのもあるけれど。
学年が上がって同じクラスになったものの、クラスメイトとはいえ普段はあまり話もしない。
だから、こうやって家庭科の調理班が一緒になって初めて、王子さまの実際を目の当たりにした訳だが。
危なっかしく調理する奴を前に、普段押し殺していた嫉妬心がめらりと燃え上がる。
――部長、自分はあんなに料理上手いのに。こんな料理へたくそな奴が好きなのかよ!

「ねえ、次は野菜を切れば良いのかな?」
部長の面食い具合を嘆いていれば、すっかり俺を頼りきった恋敵が、これまた危なっかしく包丁を握り込んで指示を待っていた。
「待て。野菜は洗ってからだ。包丁を置け!」
「あ、そっか。そうだね。ありがとう」
従順な王子に調子が狂う。
あーもー! しょうがないな。
料理に関しては俺が上。料理部唯一の男子部員、腕の見せ所だ。
こうなったら王子の面倒見ながら美味いもん作って、部長の目覚まさせてやろうじゃないの。
覚悟しとけよ、二人とも!


(2024/07/13 title:042 優越感、劣等感)

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