ヒロ

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「人間が好き? 奴らは糧で、時に敵だろう。腑抜けたことを、二度と言うな」

一族の根城を離れる前。父から静かに浴びせられた罵声を、今も時折思い出す。
我が一族の、そして吸血鬼の長であった父の言葉は間違っていない。
人間は、僕たち吸血鬼の糧で、狩りの獲物。
そして逆に、彼らの営みを脅かす化物として忌み嫌われ、僕らもまた排除される。
さらには奇特な者たちのコレクションとして、時には僕らが面白おかしく狩られる立場にもなり得るのだ。
一族の中でも異端なことに、生き血を皆ほど多くは必要とせず。誰よりも力があるのに、争いも好まない。
加えて人間たちと友でありたいと夢想を語る、お人好しで不出来な息子の言葉など、父は耳を傾けたくも無かったに違いない。
僕の思いは、種の性からして強要できることでもない。
理解されないことが悲しくもあった。
されど、皆から疎まれたまま留まれるほどの執着も持ち合わせることは出来なくて。
それから成るようにして、僕は一族を離れて各地を転々とする旅へ出たのだ。

その果てに、今ではこうして日本まで辿り着いた。
この地へと至るまでに、理想と現実の狭間で、何度も苦い思いを味わった。

人間に紛れて暮らそうにも、当然ながら、日の当たる場所には出られない。
夜にしか姿を現さない住人は怪しまれる。
ひっそり隠れて暮らす中、得難い友人を得たとしても、老いの無い姿と寿命の差は縮まらない。
素性を打ち明けて、彼や彼女らの理解と信頼を得られても、怪しい異端者との交流を周りが良しとしなければ、最悪彼らの身までも危険に晒す。ひやりとする場面も幾度か経験した。
昼間姿を現せない身で、自分を守り、友人も守る。残念ながら、それは容易には務まらない。
街に住まうのは諦めて、森や山の奥地へと居を構え。
それでも、人の口に戸は立てられず。
やむを得ず、人外の噂が立つ前に友人たちに別れを告げ、また遠くの地へ移っては身を隠した。

ただ、そうやって引きこもったところで、元来のお人好しな性分と人間好きは変えられない。
困っている者を見かければ放っては置けず。懲りもせずにお節介を焼いては交流を深めてその地に馴染み。
そうして変わらぬ姿に疑念を抱かれる前に、土地を去る。
ずっと、それを繰り返してきた。
こうまでしても、人と関わることを辞められないのは――。

「僕のわがまま、なんだろうなあ」
「ああ? 何だ急に」
「ううん。こっちの話~」
事務所の机に突っ伏して独りごちたのに、この家の主が耳ざとく反応した。
勿論、彼は人間だ。
この街に来てから出来た友人で、根無し草の僕を居候させてくれている大家であり、大事な仕事のパートナー、もといボス。
うっかり吸血鬼とバレた後も怖がらず、悪態を吐きながらも、変わらずあれこれ世話を焼いてくれるお人好しである。
ぶっきらぼうで、表面的な性格は僕と正反対だけれど、根っこのところでは似た者同士。
何だかんだで気も合うし、お陰で今の僕の生活はすっかり快適だ。
今は朝で夜も明ける頃。
日の出の時刻も過ぎ。外は予報通りの快晴で、顔を出した太陽が照り出しているようだったが、この部屋に光は差し込まない。
彼が整えた、二重に仕込んだ遮光カーテンの賜物である。
最近気が付いたことだが、僕と同居し始めてからの彼は食にも気を遣っているようで、好物のにんにくも断ってしまったらしい。
優しいと評すれば酷いしかめっ面を返す癖に、何とも豆な性分だ。
こんなに恵まれた暮らしをさせてもらっているのに、昔を思い返してブルーに浸っていては、バチが当たってしまうに違いない。

もう一つため息を吐いて、沈んだ気持ちに区切りをつけて顔を上げた。
それと入れ替わりにして、机の空いたスペースに、コトリと一つ。カップスイーツが差し出された。
甘党でもない彼が、朝からこんなものを出すとは珍しい。
訝しんでまじまじとカップを見やり、思わず僕は目が点になった。
「――ええっ!」
さっきまでのどんよりとした気持ちはどこへやら。ラベルの屋号を読み取るや否や、驚いて僕は立ち上がった。
「こ、こっこ、こっ!」
カップを鷲掴みにしたまま二の句が次げない。
鶏のようにコしか言えなくなった僕を、相棒が遠慮なく笑い飛ばした。
「びっくりしただろ。してやったりだな」
「こ、これって!」
「店頭販売のみで営業は昼間だけ。取り寄せ通販もないって、おまえ嘆いてたもんな」
「このプリン! どうしたの!」
「依頼人から、謝礼の内だってよ。雑談の中でおまえがぼやいてたのを覚えてたんだと。おまえがかき集めた情報のお陰で助かったって。良かったな」
彼の言葉に胸が熱くなる。
名店の人気ナンバーワンスイーツ。フルーツ盛り沢山の贅沢プリン。
一度食べてみたかったのも本当だけど、それだけじゃなく、依頼人に喜んでもらえたことが何より嬉しい。
勿論、依頼人の彼は僕が吸血鬼だなんて知るはずもない。
けれども、こうして気持ちを形でもらえると、一時だけでも心を通わせられたみたいで、晴れやかな気持ちになって浮かれてしまう。
仕事の頑張りも、人間たちとの関わりも、まだまだ捨てたものじゃないみたい。
「うふふふふ~」
「おい。朝から気持ち悪い笑い方すんなよ」
「えー? やっぱり、君たちと居るのは楽しいね!」

彼とも、いつまで一緒に居られるかは分からない。
叶うなら、彼の老いを見届けるまで。
彼らと手を取り、助け合いながら。
この居心地の良い中に、今少し一緒に居させてもらおうと、小さく願った。


(2024/07/14 title:043 手を取り合って)

7/15/2024, 8:03:46 AM