正直言って、俺が誰かに頼られるなんてそうそうないことだと思っていた。
ましてや、学年トップの王子相手となればなおのこと。
「おわっとストップ! そんな力込めて卵割ろうとすんな!」
「あっごめん」
見るからに力んだ右手を制止して、安堵のため息を吐く。
まさか、あれだけ女子にキャーキャー言われていた王子がこんなに不器用とは知らなかった。
まあ、そもそも。噂で回ってくるこいつの情報に興味がなくて、知ろうともしてこなかったからっていうのもあるけれど。
学年が上がって同じクラスになったものの、クラスメイトとはいえ普段はあまり話もしない。
だから、こうやって家庭科の調理班が一緒になって初めて、王子さまの実際を目の当たりにした訳だが。
危なっかしく調理する奴を前に、普段押し殺していた嫉妬心がめらりと燃え上がる。
――部長、自分はあんなに料理上手いのに。こんな料理へたくそな奴が好きなのかよ!
「ねえ、次は野菜を切れば良いのかな?」
部長の面食い具合を嘆いていれば、すっかり俺を頼りきった恋敵が、これまた危なっかしく包丁を握り込んで指示を待っていた。
「待て。野菜は洗ってからだ。包丁を置け!」
「あ、そっか。そうだね。ありがとう」
従順な王子に調子が狂う。
あーもー! しょうがないな。
料理に関しては俺が上。料理部唯一の男子部員、腕の見せ所だ。
こうなったら王子の面倒見ながら美味いもん作って、部長の目覚まさせてやろうじゃないの。
覚悟しとけよ、二人とも!
(2024/07/13 title:042 優越感、劣等感)
うーあー! やってしまったあああ。
恥ずかしい! 消えてなくなりたいぃ~。
愛用のスマホを握りしめ、収まらない羞恥心を何とか霧散させようとベッドの上でゴロンゴロンとのたうち回る。
けれどもそんなことをしたところで、先程の誤送信が無かったことにはなるはずもない。
あああ、何たる失態!
時を巻き戻せるのなら、十分前に戻りたい!
帰宅して、自分の部屋でのリラックスタイム。
親友とのLINEでの雑談も盛り上がって。
夕飯やお風呂、家族の頼みごとなどを間に挟みながらポチポチと返信を繰り返すうちに、話題はお互いの好きな人の話へ移って行った。
夜も更けて、だんだん強くなる眠気と戦いながらも、それでもメッセージのやり取りは止められなくて。
眠い目を擦りながら、半分寝ぼけていたのがいけなかった。
惚気る親友のノリに釣られて、自分も、
「やっぱり絵を描いてる後ろ姿が大好きかな」
と、LOVE! のスタンプまで添えて送った後のことだった。
送信後、表示されているトーク画面を見て固まった。
親友との、トーク画面じゃ、ない。
「――!?」
しかも相手は、まさに話題に出している私の好きな人。
さあっと体から血の気が引き、続いてぶわっと体温が跳ね上がる。
「えっ何で!」
眠気は瞬時に吹き飛んだ。
慌てて画面をスクロールして確認すると、直前に彼からメッセージが届いていた。
何でもない、美術部の連絡事項に「よろしく!」のスタンプが輝いている。
彼からの送信時間は今からちょっと前。ちょうど同じくらいの時間に友人からも返信が届いている。
キラキラ点滅するスタンプを見て、漸く私は事態を把握した。
しまった。ポップアップで先にメッセージは確認していたから油断した。
親友からの方をタッチしたつもりが、間違えて彼からの通知をタッチしてしまっていたらしい。
訳は分かった。分かったところでどうしようもならない。
堪らない後悔で一杯になり、限界を越えた私はのたうち回り、冒頭の醜態に繋がるわけだ。
「ど、どうしよう」
まだ心臓はバクバクとやかましかったが、少しだけ落ち着きを取り戻した。
メッセージの削除って出来たっけ? と、もたもた操作をしていれば、残酷にも「既読」の文字が画面に追加された。
「う、嘘! 読んじゃったの!」
非情な現実に、再び私はパニックに陥る。
告白の勇気なんてとても持ち合わせていなかったのに。
既読となったまま反応もないのが心に痛い。
画面の向こうの彼も固まってしまっているに違いない。
どう取り繕えば良いのか分からないまま、ぐるぐる目も回り出した頃。
彼の復活の方が私よりも早かった。
しかも情け容赦ない。何と彼はメッセージでの返信ではなく、恐ろしいことに通話を寄越してきたのだ。
「えっえっ! う、嘘でしょ!」
狸寝入りを決め込もうとしても、着信音はいつまで経っても鳴り止まない。
つらい。死刑宣告のような展開だ。
怖くてなかなか心が決まらない。それでも何とかして覚悟を決め、恐る恐る私は通話を取った。緊張で声が震える。
「も、もしもし」
「お。良かった出てくれた。うーん、元気?」
「い、一応?」
彼の意図が分からなくて、言葉尻が疑問になる。
「そ。元気なら良かった」
「う、うん」
どぎまぎしたままの私に、彼はぷっと吹き出した。
「そんな怖がんないでよ。俺も大好きだから」
「へっ」
あまりにもさらっと告げられて、今日一番の間抜けな声が漏れる。
二の句が次げない私に、彼は駄目押しした。
「疑り深いな。だから――」
再度伝えられた言葉に、さらに顔が熱くなる。
私、ドジったショックで眠っちゃったのかな?
夢を見てるの?
いや、そんなはずはない。だって目はこんなに冴えている。
突如降ってわいた現実の甘さにクラクラ酔ってしまう。
緊張で、そのまま彼と何を話したかも曖昧で覚えていない。
また馬鹿みたいな失言をしていなければ良いけれど、大丈夫かな。
通話を切った後も何だか夢見心地で、しばらくベッドの上でペタンと呆けてしまった。
「えっと」
ふわふわした頭を何とか働かせて、ふいに親友の顔が思い浮かんだ。
そうだ。まだ彼女ともメッセージは途中だった。
気が付けば彼女から追加のメッセージが届いていた。
迷わず、そして今度は慎重に彼女とのトーク画面を開いて通話を選ぶ。
「あ。ごめん、遅くに。えっと、聞いて!」
しどろもどろになりながら、今あったことを報告すれば、スマホの向こうからたちまち彼女の悲鳴が轟いた。
質問責めに答えながら、漸く緊張も解けて笑顔が戻る。
今日はまだまだ眠れなさそうだ。
(2024/07/11 title:041 1件のLINE)
あっちへウロウロ。こっちへウロウロ。
お惣菜屋さんの前で思案する。
コロッケにメンチカツ。
お店が変わってハンバーグに焼き鳥と、向こうの方には焼売か。
種類にお値段もそうだけど、家族の人数で割り切れるかも重要だ。
去年までは祖母も居たから六の倍数で揃えるのは大変だった。
亡くなってしばらくはよく、おかずを数えて、
「ろく……じゃないか。五でいいんだっけ」
と、お店の前で独りしょんぼりしたものだ。
それから半年もしないうちに、今度は祖父が入院、退院後は施設へと移ってしまい、またもや家にいる家族が減ってしまった。
今では四の倍数と、すっかりご飯のための買い物がしやすくなってしまったのがやっぱり寂しい。
幼い頃から六人家族でずっと過ごしてきたから、最近になって変わっていく日常に上手く付き合い切れないでいるのが否めない。
目ぼしいおかずをかごに揃え、ふと売り場を見れば、みたらし団子とお稲荷さんが残っていた。祖母の好物だ。
立ちはだかる人混みをすり抜け、さっとかごに確保する。
帰ったら仏壇にお供えしよう。
結局、家族を思う気持ちは何だかんだで変わらない。
この際だから、祖父の面会に持っていく手土産も探そうか。
レジへ向けた足を翻し、和菓子コーナーへと狙いを変えた。
祖父の好きな大福セットは残っているだろうか。
売り場が近付き、遠目に目当ての大福が並んでいるのが見て取れた。
よし、あれも買って帰るぞ!
楽しみに待っててね、おじいちゃん。
(2024/06/22 title:040 日常)
「書く習慣アプリ」なんてものに手を出しているくらいなのだから、昔から読書は大好きである。
好みのジャンルを読み漁った末に「自分も書いてみよう」と、ペンを取るなり、パソコンやスマホで執筆するようになったのは、皆似たような経緯ではなかろうか。
近頃は疲労が貯まるばかりで。小説にしろ漫画にしろ、ビニールカバーを剥いてすらいない積ん読が増えていくのが悲しいところである。
本を広げたまま居眠りしてしまうなんて昔は無かったのになあ。
通勤時間の合間だけじゃなく、腰を据えて、寝食忘れて夢中に読み進められる時間と体力が欲しいものだ。
さて、「好きな本」か。浮かんでくるものが多くて絞り切れない。どの本のことを話そうか。
うーむ。
こうやって文字を打っているくせに、先に浮かぶのが漫画で申し訳ないが、やはり田村由美先生の「BASARA」は外せないバイブルの一つだ。
私の世代が読むには少し一昔前となる作品で、多分自分の興味だけでは出会うことは無かった作品だ。
切っ掛けは、知り合いのお姉さんがオタク卒業を機に、断捨離のように大量に譲ってくれた古い漫画本の中に入っていたのを見付けたところからだった。
後の「7SEEDS」やその他の短編にも共通するように、様々な登場人物たちが織り成す群像劇はとても魅力的で。
段ボールから取り出しては、目が離せないストーリー展開に夢中になったものだ。
そうして最終巻だと思い、覚悟して読み進めた十五巻。何とそれは超気になるところで終わる物語の転換部で。
驚いて段ボール内を探すもその続きは入っておらず。
続きが読めない事態にショックを受けたのを今でも覚えている。
当時はまだ単行本からの文庫版化もされておらず、電子書籍版で読むという手段もない頃で。
連載が終了して旬を過ぎた作品の続刊を書店で買い集めることは難しく、その先を読み進めることを一度は泣く泣く諦めた。
しかしながら、その後に奇跡が起きた。
ぽろっとその事を友人に漏らしたところ、何と友人の姉が全巻持っているという巡り合わせがあったのだ。
友人と通う大学は別だったものの、通学で一緒になる最寄駅で示し合わせては貸し借りをして。
無事最後まで読破をした思い出が懐かしい。
そんな思い入れもあり。晴れて文庫版も発売された現在は、ばっちり買い揃えて本棚に収まっている大事な本である。
近年は「ミステリと言う勿れ」のドラマ化や映画化で話題となり、大好きな先生の作品が注目されて、ファンとしても嬉しい限りだった。
それだけに、ドラマ化に際しての改変は物申したいところがあって残念である。
ただ、そうは言っても、菅田将暉扮する整くんの活躍をもっと見たいとも思っているので、映画化記念の単発ドラマのように、いつかまた続きを製作してもらえたらな、と期待している。
(2024/06/15 title:039 好きな本)
中学最後に応募した作品展で、俺が描いた絵が入賞した。
表彰後、入賞者の絵は市内のショッピングモールで飾られると聞かされて。
いつもならそんな展示に興味はないけれど。
同世代の他の人たちは、一体どんな絵を描いたのか。
気紛れに、何故だかふと気になって。
家族との買い物ついでに、展示会場へもふらりと立ち寄った。
その時だ。
俺の隣に飾られた君の絵に、思わず目を奪われたのは。
黄色に緑という優しい色使いは、俺と同じテーマのはずなのにまた違う雰囲気で。
こんな描き方もあったのか、と目から鱗ですっかり魅せられた。
その絵を描いた女の子の名前は印象深く覚えていて。
季節は巡って受験も終わり、無事に入学した高校での初日。
昇降口に貼り出されたクラス分け一覧の中に、あの子の名前を見付けたときはとても驚いた。
残念ながら、彼女と俺は違うクラスで。
同姓同名の別人の可能性も考えると、わざわざ声をかける勇気は出せなかった。
入部した美術部にも彼女は現れなかったから、ただ同じ名前の人違いかも、と。その時は接点を持つ機会を諦めた。
それでも、やっぱり。
彼女の存在は何となくずっと気にかかり。
高校ではもう絵を描かないのか、とか。
趣味と部活は別にしたいのかも、だとかの勝手な想像は膨らんで。
一度は知り合いに尋ねて、彼女がどの子か教えてもらったりもしたけれど。
廊下からちらりと覗いた件の彼女は、遠目にも分かるほどに大人しそうな女の子で。
俺なんかがうっかり勢いで声をかけでもしたら怖がらせてしまいそうな印象に、結局話しかけることはしなかった。
そんな感じに踏ん切りのつかない思いを何度か繰り返して。
彼女のことを頭の片隅に残したまま、そうこうしている内に季節は移り変わって秋となった。
俺が入った美術部は、あまり活発な活動はしておらず。
そもそも、四月に入部した時点で部員は三年生しか残っていなかったのだ。
受験を控えた先輩たちは殆ど部活には顔を出さない上に、悲しいことに俺以外の新入部員も入らなかったから、放課後はほぼ一人でひたすら絵を描く毎日。
おかげで文化祭を飾る作品の数には困らなかったけれど、流石に俺一人で展示スペースの切り盛りは出来なくて。
仕方がないから先輩たちと相談して、当日は交代の当番制で会場の番をすることで落ち着いた。
先輩たちの絵はほんの少しで、残りの殆どが俺が描いた作品たち。
先輩たちにも許可を得て、俺の作風に合わせて、宇宙空間のような装いに飾り付けたスペースはまるで俺の個展会場のような様相で。
作品もデコレーションも満足のいく仕上がりとなり、文化祭当日がちょっと楽しみになっていた。
ただし、そうは言っても。美術部員の数からもお察しのように、この高校の生徒は美術分野への関心は薄いようで。
ある程度予想出来ていたとは云え、美術部のスペースを訪れる人数はとても少なかった。
先輩と当番を交代した午後の時間。
展示した作品に悪戯をする者が居ないかを見張りつつ。
時折質問をして来る同級生や先生の相手も一段落して、同じようなやり取りの繰り返しに飽きてあくびが出だした頃、転機が訪れた。
あの、ずっともやもやと気にかかっていた女の子が独りスペースを訪れたんだ。
この間までの臆病はどこへやら。
願ってもない大チャンスに、すぐにでも声をかけようと受付の椅子から腰を浮かせたが、真剣に俺の絵を見て回る彼女の姿に、邪魔をしてはいけないと我に返った。
でも、その我慢も長くは続かなくて。
わざわざ興味を持って展示を見に来てくれたのだから、もう去年の絵の主で確定だろ、とか。
絵のことで何か尋ねてくれやしないだろうか、とか。
うずうずと沸き上がる好奇心を持て余し、会場を一巡りする頃合いを見計らって声をかけてみた。
「気に入ってもらえた?」
しかしながら、早速初手からアプローチを間違えた。
後ろから声をかけたせいもあって、彼女をとても驚かせてしまったようだ。
振り向いた彼女と目が合うのも束の間に、俺を見るなり、みるみる内に顔を真っ赤に縮こまってしまったのだ。
ああ、やってしまったよ。
これじゃあ、折角話しかけたところでゆっくり話も出来やしない。
何かお詫びになるものを、と考えるも、やはり俺から返せるものは絵くらいしか思い浮かばず。
彼女の側を離れて、思い付きのままに受付テーブルの方へと引き返した。
少数だが物販の品として、今回の展示品をポストカード化したものが幾つかある。
「どの絵が気に入ったの?」
簡単に質問を重ねて、彼女の好みを探ってみる。
彼女の焦りも徐々に落ち着いて。
教室をぐるりと見回して、指差しで俺の質問に答えてくれたから、それと同じ絵のポストカードを用意した。
さらさらとペンを動かして、彼女が好きだと答えたキャラクターを描き加える。
吹き出しで「ごめんね」と、謝罪の言葉も忘れずに。
少し迷ったけれど、アルファベットで小さく俺の名前もちゃっかり書き添えた。
それを持って、彼女が待つ壁際まですぐに戻ったんだ。
とっさの思い付きだったけれど、即席のメッセージカードは効果抜群で。
立ち尽くす彼女へ手渡せば、たちまち彼女は顔を綻ばせた。
驚きながらも、嬉しそうに俺とカードを見比べる様に、こちらまで笑顔がこぼれてしまう。
良かった。喜んでもらえたならば何よりだ。
――だからね、うっかり油断してしまったんだ。
「折角なら、描いているところも近くで見させてもらえば良かったな」
彼女の警戒も解けただろう。と、俺まで安堵したところに、そんなぽつりとした呟きが耳に入ったものだから。
「え。いいよ?」
嬉しい一言に、思わずこちらも反応した。
「描いてるところ、見たいんでしょ? 俺、描いてるとき周りの視線とか気にならないから構わないよ。ほら、こっちにどうぞ」
急いで受付の机まで戻り、避けてあった椅子ももう一脚用意して手招きした。
そんなお節介が過ぎたのかな。
さっきまで笑ってくれていたのに、彼女の顔は真っ赤に逆戻り。
「し、失礼しました!」
一言叫んで教室を飛び出した彼女は速かった。
慌ててその後を追うも、既に廊下に彼女の姿は見えなくて。遠くの階段を、バタバタと駆け降りる足音だけが反響していた。
「ま、マジで~」
予想外の展開に戸口にへたりと座り込んだ。
いや、予想外という訳でもないか。
大人しそうな雰囲気は以前から感じ取っていたのだから、このくらいのことは想定しておくべきだったかもしれない。
折角の機会を不意にして、ああすれば良かったなどと今更ながらに後悔の念が渦巻いた。
「どうすっかなあ」
直ぐにでも追いかけたいところだけれど、残念ながら今それは出来ない。
文化祭が終わるまでは、このスペースを離れられないからだ。
だから、次のチャンスは明日以降。
幸い、彼女のクラスは知っている。
ここまで来たら、彼女としっかり話をしたい。
もう俺のことは知ってもらえたのだから、こうなったらあとはもう当たって砕けろだ。
彼女のクラスへ向かったら、まずは何から話そうか。
何度も驚かせてしまった謝罪をして。
そして、今度こそ去年から知りたかったことを聞いてみたい。
ねえ、あの時の絵は君が描いたの?
絵を描くことが好きだったら、美術部に興味はありませんか?
もし。もしも答えがイエスなら、俺は君を歓迎するよ。
(2024/05/29 title:038 「ごめんね」)