『欲望』
あと少しだな。
ほとんど設営が終わったイベント会場を見渡して、ホッと息をついた。
今日はあまり遅くならないうちに帰れそうだ。
ちょうど会場の隅のパイプイスに、同期がドカっと音がしそうなくらいの勢いで座り込み、ネクタイを緩める姿が目に入った。
近づいて、隣りのパイプイスに俺も腰をおろした。
「あとは週明けの当日か、、、」
そう言った同期の声が疲れている。
「、、、ああ、そうだな」
返事した自分の声も思っていた以上に疲れて聞こえて、驚いた。
「あ、そういえば、、、」
同期が思い出したように言う。
「なに?」
同期はジッと俺を見て言葉を続けた。
「雪村さんが足りない」
「はっ!?」
耳が熱い、、、
「な、ナニ言って、、、」
「アイツ、夏目が言ってたんだよ」
耳が熱すぎる、、、
ちょうどその時、手にしていたスマホが震えた。
「あ、、、」
「アイツか?確認しろよ」
促されて、メッセージを確認する。
【会いたいです】
嬉しいけど、恥ずかしくなって、あわてて、ジャケットの胸の内ポケットにスマホをしまった。
帰宅はすっかり暗くなっていた。
最寄り駅で電車を降りて、改札に向かって歩いていると、改札の向こうに外に向かう人の流れとは逆にコチラを向いて立っている長身を見つけた。
「夏目、、、」
俺の方を真っ直ぐに見ている男は軽やかに笑った。
「おかえりなさい、雪村さん」
改札をぬけて目の前で立ち止まった俺に、一歩踏み出して、耳元に口を寄せる。
ほんのり香水が漂う。
夏目の香りだ、、、。
「雪村さん、会いたかった」
心地よい低音が耳に入って。
身体が震えた。
『 同情』
今日もあの人はいない。
アドバイス通り、チョコを渡して、あやまった。
が、しかしだ。
先日の出張がキッカケで、イベント開催が決定し、あの人はしばらく忙しくなった。
会社でもすれ違ってばかりだ。
平日はもちろん、週末も会えずじまいが、もう2週間。
同じ部署なのに、あいにく僕は別の班。
今日は午前中に会議があった。
昼前に終わって、部署に戻るために席から立ち上がる。
みんなの後ろをノロノロと歩いて会議室を出たところで声をかけられた。
「おつかれ」
「おつかれさま」
「あ、おつかれさまです、、、」
あの人の同期さんとチョコのアドバイスをくれた女子社員さん。
「今日はコッチなんですか?」
「いや、またこれから向こうに戻る。アイツもあっちだよ。俺よりアイツの方が忙しくて、だいぶ疲れてるっぽいけどな、、、」
資料が入った手提げ紙袋が重そうだ。
「私は今日だけお手伝い」
女子社員さんは、サンプルの入った紙袋を下げていた。
この2人は、仕事とはいえ、あの人に会える。
同じ空間で過ごすんだ、、、。
うらやましい、、、。
気を抜いてしまったんだ。
僕とあの人のコトを多分気付いている2人の前だったから。
「うらやましいです。
雪村さんに会いたい、、、」
2人が苦笑いを浮かべた。
「雪村さんが足りない、、、」
『枯葉』
「あ、そこで停めてください」
昨日からの急な出張もなんとか明るいうちに新幹線で戻るコトができたので、会社に顔を出すコトにした。
一緒に出張に行った同期がタクシーの運転手に声をかける。
会社の前でタクシーを降りたのだけど、悪天候でかなりの強風のため小雨のはずが横殴りの雨になっている。
玄関までたった数メートルなのに、傘も持っていないし、ずぶ濡れになりそうでガックリする。
玄関の自動ドアが開く。
ロビーを横切って歩いてきていたスーツ姿の男が、コチラの姿を見ると小走りで向かってきた。
「お? お前のお迎えだな。うらやましい限りだよ」
「なっ、、、」
コイツ、知ってる、、、?
「アイツ、隠してるつもりが隠しきれてねーぞ。コッチが心配になるわ、、、」
同期は呆れた顔をする。
「おかえりなさい」
目の前に到着したアイツが声をかけてきた瞬間。
半分閉まっていた自動ドアの空いた隙間から突風が吹き込んだ。
「うわっっ!!」
ビックリした声を出して、目をギュッと閉じたアイツの頭が乱れて、柔らかい髪の毛に外から風と共に入りこんだ枯葉がくっついた。
しかも、3枚も、、、。
「ブッ!!なんだよ、その頭!!」
同期が吹き出した。
ツボに入ったらしい。
「え?え?なんですか?」
訳がわからないという顔をするアイツに少し笑って声をかけた。
「枯葉くっついてる。取ってやるから頭コッチ向けて。夏目」
「今日にさよなら」
半分くらい埋まってる社員食堂。
席の一つに腰をおろして、蕎麦をすする。
今日は少し食欲がない。
夕べ、あの人とちょっとケンカした。
僕が悪い。
ヤキモチをやいて、それでいろいろ言った。
あの人も今回は引かなかった。
あやまればよかったのに。
ちゃんとあやまらずに僕は家に帰った。
あの人、傷ついた顔してた。
今日は今日で、あの人、急な出張でいない。
戻るのは明日。
「どうしたの?元気ない?」
そんな声に顔をあげると、同じ部署の一年先輩の女子社員さんが前の席に座るところだった。
「そう見えますか、、、?」
「そうだねェ。
仕事は問題なくこなしてるみたいだけど、なんとなく心ここに在らず、、、みたいな感じ。
ケンカでもした?あの人と」
「え、あの人って、、、?」
なんてことないふりを装って答える。
「その胸ポケットのボールペンの元の持ち主さん」
僕が答えずにいると、少し肩をすくめてさらに続ける。
「私がたまたま気づいただけだよ」
暗に他の人は気づいていないと言いたいのだろう。
女の人は鋭い。
いや、この人が特別鋭いだけかもしれない。
「夕べ、ケンカしました」
知られてしまったのに、変な安心感。
この人にならいっか、、、な気分。
いや、気づいてるのはあの人の同期の人もだ。
「明日帰ってくるでしょ?」
「はい」
「うーん、、、そうだなー。
少し過ぎちゃったけど、バレンタインのチョコを渡しながらあやまっちゃうのは?
何かクッションがあるとあやまりやすいかも。
明日は明日の風が吹く。
なんとかなるって」
ね?と、覗きこむようにして、無言で頷いた僕に満足したのか、女子社員さんは席を立った。
そうだな。
明日は明日の風が吹く。
帰りにあの人が好きそうなチョコ買いに行くか。
あれで、意外に甘いモノ好きだし。
「お気に入り」
指先でボールペンをクルクルと回していると、隣りの席の女子社員が声をかけてきた。
「そのキャラクター好きなんですか?」
「あ、コレ?
もらったんだ」
少し笑いながらそう返すと、意外そうな顔をされた。
「てっきり、スゴくお気に入りなのかと思ってました。
だって、時々、スゴく愛おしそうな顔して見てるので」
手にしているボールペンには、猫のキャラクターのイラストが描かれている。
大人の男が持つにはかわいすぎるモノだというコトは理解している。
でも、意外に書きやすい。
そう、書きやすいんだ。
決して、アイツにもらったから、、、とかではない。
-なんとなく似てるな、、、と思って買っちゃいました。
そう言いながら、アイツは渡してくると
-その代わり、それと交換してください。
俺が愛用していたボールペンを奪っていった。
「顔」
女子社員が突然そう言った。
「え?」
「顔、ゆるんでますよ?」
一瞬にして自分の顔が赤くなったのがわかった。