私の兄は猫になったらしい。
私には本当は兄がいたのだという。
母が急に子猫を連れて帰ってきた日のことだった。
「なんとなく、直感でしかないんだけどね。
あ、この子私の子だと思ったのよ。」
どうやらこの子は捨て猫らしい。
残念な話だが、この辺りは何故か捨て猫がよく保護される。
今までも何度か保護してボランティア団体に引き渡したことがある。
かわいいけど飼うのはちょっとね、とよく母が言うのは、幼少期に飼っていたインコとの別れが相当トラウマだったかららしい。
だから今回も同じだと思っていた。
「この子は家族として迎えたい。」
「えっ?」
「直感だけど、私の中では確信してるの。
この子はお兄ちゃんの生まれ変わりだって。」
「…えっ?」
「あなたが生まれるずっと前、実はね」
母は思ったよりサクサクと話を進めた。
25年以上経って傷が大分癒えていたことと、母の中では姿形を変えて戻ってきたと思っているから悲観的にならなかったのだろう。
何度も猫を保護していたので最低限のものは揃っていたので、あっという間にこの子は家族になった。
カイと名付けられた猫は、
今日も私の部屋に来ては出窓に居座った。
カイというのは私が男の子だったらつけられる予定だった名前だと聞いていたが、恐らくお兄ちゃんの名前候補だったのだろう。
すっかりおとなになったカイは時折私のことを歳下だと思っているような行動を取った。
朝時間になると枕元で鳴いて起こしにくるし、
抱っこされるのは苦手で抵抗するくせに、私が手を伸ばすと嫌そうにしながらも抱っこ待ちしてくれる。
玄関まで送り迎えするし、お風呂がいつもより長いと扉越しに大声で鳴く。
母はもうカイを兄と重ねた発言はしなくなっていたが、
まるで世話焼きな兄のような行動をするカイが本当に兄の生まれ変わりのような気がしていた。
猫の色覚は赤を見分けることができず、青は見分けることができるのだという。
ここ数日で兄のように感じていたカイと見えている世界が違うかもしれないと知って、ほんの少し寂しく思えた。
ふと出窓に目線をやると、カイは静まった外をじっと眺めていた。そういえば夕方より日が沈んでから出窓に来ることが多い。
もしかして、カイにとって夜はとても神秘的な美しさで見えているのかもしれない。
小さい頃から当たり前で感動すらなかった景色。
猫の目を通して兄も見ているのだ。
きっと、私が見ているよりずっと綺麗に。
【夜景】2024/09/18
2年ぶりの帰省。
とはいえ、特に盆でも正月でもないから家族は出払っていて家にはいない。
あまりに暇なので少し車を走らせて、母方の祖父母の家へ向かう。
祖父母の家は相変わらずポーチュラカが植えてあった。
祖母は、ロッテンマイヤーのような人だった。
姿勢が悪いとビシッと背中を叩く、
箸の持ち方には目を光らせ、言葉遣いにもチクチク指摘して来る。
そんな祖母が認知症初期だと聞いた時は驚いたものだった。
コトッと最小限の音を立てて置かれたティーカップは、紅茶の色をよく引き立てた。
「久しぶりねぇ」
そう言われて少しホッとする。
まだ私のことを忘れているわけではないようだった。
ただ、会話をしていると
あの厳しかった祖母とは思えないくらい随分柔らかい印象になっていて、ほんの少しだけ寂しい気もする。
ついさっき言ったこともすぐに忘れてしまう様子に、本当にボケてきているのだと実感してしまった。
寂しさを紛らわすように、
部屋の隅にあるピアノを指さして「弾いてもいい?」と話を逸らした。
自慢ではないが、私はピアノ歴1年のど素人だ。
しかも習っていたのは小学一年生の時だけで、今まともに弾けるのは猫ふんじゃったくらいである。
このピアノは母のためのものだったらしい。
母方の家系は芸術に長けている人が多く、曽祖父は活動弁士(無声映画にその場で声を当てたりする職業らしい。今で言う声優に近いのだろうか。)母は絶対音感持ち、祖父は写真家、祖母は美術を嗜んでいた。
その血筋なのか、まともに習ってないにも関わらず
それっぽい雰囲気の曲を弾けるのが私の特技だった。
鍵盤を叩くとビーンと若干ノイズが混じっている。
「調律、長いことしてないのよ」と少し困り眉で祖母が言う。
そりゃあ、弾く人がいないのだから調律はしてなくて当然だろうが、祖母はキッチリしておきたい性分だからメンテナンスできないことがどうやら恥らしい。
そっとピアノから手を引き、「久々に来たから、思い出のものとか色々みたいな」とまた私は話を逸らした。
思い出話はどうやら祖母にとって楽しいみたいだ。
母の小さい頃の写真や従兄弟の手作りプレゼント、祖母の弟からのお土産などエピソード付きでどんどん見せてくる。
一人につき一箱キッチリ揃えているのがなんとも祖母らしい。
次に祖母が持ってきたのは私の名前が書かれた箱だった。
私は祖母にとっては初孫で、
ほぼ間違い探しな赤ちゃんの頃の写真や、
ほぼゴミであるチラシで作った王冠など、
要らないんじゃない?と言いたくなるほど色々な物をとっていてくれたようだ。
なんだかむず痒い気がしながらも、箱から色々取り出していると、幼稚園から小学生の頃に習っていた芸術教室の作品がひとつだけでてきた。
習い事の作品は基本実家に置いてあるはずだから何故ここに?と疑問に思ったがすぐに思い出した。
確かこの作品は、祖母にあげたくて作った物だ。
母方の家系に比べて父方の家系は文武両道を重んじる家系で、父は私の作品を褒めてはくれるものの理解はできてないのだろうと感じることが多かった。
兄弟も私以外はスポーツに入魂していて、母も音楽には強いが美術系には疎かった。
そんな中、私の作品をしっかり受け止めてくれるのは祖母だった。祖母が作品に対して質問してくるときの着眼点がとても好きだった。
自分なりにこだわったり、意味を込めているところを見抜いて私に話をさせてくれていた。
厳しかった祖母との共通項だった。
厳密に言えば、絵画を専攻していた祖母と造形を好んでいた私では趣味が共通していたとは言えないのかもしれない。
“植物”をテーマに作品をつくることになったときに祖母の顔が浮かんだのは、“一致する好きなもの”だから心の底から喜んでくれるかも、なんて期待からだった気がする。
いつも使う画用紙くらいのサイズのベニヤ板に粘土で作った花をめいいっぱいに載せて、ど真ん中にピンクのドレスを着たプリンセスを鎮座させている。
「チューリップにクレマチス、コスモスと季節がチグハグだねえ。」
祖母がいたずらっ子のようにクスクス笑う。
あまりにも楽しそうに笑うのでつられて笑うと、でも、と祖母が口を開いた。
「そうやって言ったら、違う季節の好きな花を同時に見れるなんて夢みたいな世界でしょ?ってプレゼントしてくれたのよねぇ」
「…そうだったっけ?」
「そうよぉ。まあ、季節が違うって知らなかったのを誤魔化したのかもしれないけどねぇ。
何より孫が私のことを考えて作ってくれたことが嬉しくて嬉しくて。本当に好きな花ばかりだったから。」
そうそう、と立ち上がると祖母は大切そうに指輪ケースを持ってきた。
「これ、何かわかる?」
いや、と口ごもると祖母は丁寧に蓋を上げた。
「ポーチュラカの指輪。あなたが、1番本物にそっくりに作れたからって指輪にしてプレゼントしてくれたのよ。本当に綺麗だったからおじいちゃんがくれた指輪のケースに移しておいたの。」
おじいちゃんがくれた指輪はサイズが合わなくてネックレスにしたから空いてたのよ、と説明を添えて指輪を私の手に置いた。
「おばあちゃんはちょっと忘れんぼになっちゃったけどね、こういう昔のことはよく覚えてるの。
ポーチュラカみたいに身体だけでも元気でいなくちゃね。」
そう無邪気に笑う祖母に、
目が潤むのを堪えて
「そうだね」
と応えるので精一杯だった。
【花畑】2024/09/17
担任だったわけでも、印象深いわけでもないが
とある国語教師の一言がやたら鮮明に残っている。
「天気の描写は感情を表すことが多い」
早めに教室に来て時間になるまで読書をする、
まさに本の虫な国語に生きる先生だった。
生徒思いの教育熱心な感じではなく、義務的に授業をこなす淡々とした話し方。
友人らはよく彼の授業をつまらないと評した。
かくいう私も眠気に勝てないなんてこともあった。
正直、ノートに落書きもよくしていた。
日直の日、私はクラス全員の国語の課題を職員室まで届けにいくことになった。
なんとなく受験を意識し始めた頃だったから、
ついでに何気ない質問をしてみた。
「書かなくてもストーリーは進むはずなのに、なぜ天気の描写ってあるんですか。」
この答えが冒頭の一言だった。
正直、私は無理難題を言ってるつもりだった。
意味なんてないと思っていたから。
だから妙に覚えているんだろう。
あれから10年。
雨が降るたびに思う。
今日の雨は誰のストーリーの描写だろうか、と。
最近はなかなかの幸運続きだったので、どうやら私の感情描写ではないらしい。
「ママ!おもちゃ取られたぁ!」
頬をびちゃびちゃに濡らした娘が走って来る。
一生懸命に訴える主人公に、フフッと笑みが溢れた。
【空が泣く】2024/09/16
ビューラーは思っているようにまつ毛をあげてくれないし、
リップは気が付けば血色皆無になっているし、
散々苦労した前髪も変な分け目になっている。
自分の最大値を常に出すのはとても困難。
iPhoneの画面を暗くしてはチェックし修正を繰り返すが、次見たときには合格点を下回っている。
こんなに頻繁に確認するなら鏡を持ち歩けばいいのだが、あまりに鮮明に写されると余計落ち込むから画面の反射くらいがちょうどいい。
結局、自分と向き合うのが怖いのだから期待するだけ無理な話なのだ。
でも、
ほんの僅かの希望であっても、
いつお誘いが来てもいいように
少しでも、前を向ける自分でいたいんだ。
あの人の隣を歩けることを想像して。
まだ震えぬiPhoneを鏡がわりにして、
今日も私は淡い期待をしている。
【君からのLINE】2024/09/15
お腹の奥底が熱い。
全身が震えて足に力が入らない。
あぁ、生きているのだなと実感するのは命が惜しいからだろうか。
いざ直面するとこんなにも恐ろしいのかと、
こんなものに立ち向かっていたのかと心を挫かれそうになる。
世界平和だとか、誰かを守る為だとか、
そんな大義名分はいらない。
自分が生きていた証を残すためだけの自己顕示欲。
今足を動かす理由は
ただ、それだけだ。
【命が燃え尽きるまで】2024/09/15