少し目をこすりながらポケットから片手でティッシュを取り出す。
若干冷えた切り株にティッシュを広げて腰を下ろした。
まだ寝静まった空気の響きを感じながら
私はホットコーヒーの入った紙コップを両手でそっと包む。
夜景を見るために外に出ることが多くなった。
インドアな私がこうして外でコーヒーを飲むようになるなんて誰が想像できただろうか。
…これも彼のせいだ。
外出は好きじゃないと言っているのに、彼は執拗に私を外へ連れ出そうとした。これが原因で喧嘩したこともある。
今となれば、いや、あの時もわかっていた。
彼なりの優しさ、彼なりの気遣いだったということ。
出会った頃の私は酷く落ちていた。彼はそれに良くも悪くも惹かれたらしい。よく「君が思慮深いのはいろんな経験をしたからなんだね」と言った。そして「それを尊敬もしているが、心配でもある」とも。
考えすぎてしまう私を外へ連れ出すのには思考から抜け出させるためだったのだろう。
本当なら彼の性格からすれば、街中へ行き買い物をしたり、映画を見たり、食事をしたり、なんてことがしたかったはず。
だが私は外へ行きたがらなかった。
だからその折衷案として、深夜にドライブしてコンビニで買ったコーヒーを片手に、ひと気のない山でカシスオレンジのように変わっていく空を見上げるようになった。
徐々に心がほぐれる感覚と、口から滑り出る本音。
この時間があったから、今少し前を向けてるのだと思う。
ついさっき、私は彼と別れ話をした。
どちらからともなく話が始まり、互いに離れる選択をした。
こんなに考えも価値観も違う、合わなくて当然だったんだ。
互いに合わせようと意見を擦り合わせるにはあまりにも違いすぎた。
このまま互いをすり減らす必要はない、と。
だから別に、ここに来なくてもよかった。
わざわざ性に合わないことをする必要なんてなかった。
初めて運転する山道。
意外と道を覚えてるもので、思いの外到着に時間はかからなかった。
助手席に座って見る景色とほんの少しズレているだけで、また違った見え方をするものだ。
…彼には、どう見えていたのだろうか。
この時間をどう感じていたのだろうか。
もうその答えは返ってこないというのに。
「やっぱり来なければよかった。」
適温に冷めたコーヒーを口に含む。
履き古したスニーカーは朝露で少し濡れていた。
徐々に目覚め始める遠くの街を見ながら、なんとなく明日は晴れる気がした。
【夜明け前】2024/09/14