立花涼夏

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5/28/2025, 10:13:29 AM

 ほかほかと湯気の立つコーヒーに、ミルクを一つと角砂糖を二つ。スプーンでくるくるかき混ぜて、一口含む。深みのある香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。相変わらず、ここのコーヒーは飲みやすくていい。
「お待たせしました、ラズベリーのワッフルです」
 落ち着いたクラシックにマスターの声が混じる。机に置かれたワッフルの上には生クリームとベリーのソースがかけられており、その脇にはルビーのように輝くラズベリーがいくつも添えられていた。
「ありがとうございます」
 外はサクサク、中はもちもちのワッフルは、甘みと酸味のバランスが絶妙で何度食べても飽きがこない。先週食べたばかりなのに、誘惑に勝てずにまた来てしまった。
「実はこれ、今日で最後なんですよ」
「えぇ、そうなんですか? とても美味しかったから、残念です」
「そう言ってもらえて嬉しい限りですよ。明日からはレモンのケーキを出すので、よかったらまた食べに来てくださいね」
「もちろんですよ」
 店主は目尻のシワを深めて笑うと、そのまま奥に引っ込んでしまった。レモンのケーキ、魅力的だ。しかし、これが来年まで食べられなくなるのは惜しい。
 生地にナイフを入れ、出来たてのそれを口に入れる。
「あ〜、幸せ」
 せめてもう一回くらい食べたかったなぁ。そんなことを思いながら、サクサクもっちもちのワッフルに舌鼓を打った。

お題:これで最後

3/3/2025, 6:07:20 PM

 ひらり、ひらりと桜が流れ落ちる。雲一つない空を舞うその姿は、まるで水彩画のよう。
 三年間過ごした学び舎は、啜り泣く子どもたちの声を一体何度聞いてきたのだろう。何度送り出してきたのだろう。
「大学生になってもさ、絶対また遊ぼうね」
 目を真っ赤に腫らしながら、あーやはブレることなく私を見つめた。
「うん、絶対だよ。こっちに戻ってきたら連絡してね。会いに行くから」
 私の言葉に、あーやはぽろぽろと涙を流しながら頷いた。あーやは県外の大学に進学する。薬剤師になるという夢を叶えるために。きっと忙しくなるだろう。時間もないだろうし、そう簡単に遊びに行ける距離でもない。今日までのように思い立ったらすぐに連絡して遊びに行く、なんてことはこれからできなくなってしまう。
「いつでも遊びに来てね……! それまでに案内できるようにしておくから……!」
「うん、絶対に行くよ」
 あーやの白い手を握って、私は強く頷いた。ずっとペンを握っていた、努力家の手だ。県外に出なければ彼女の夢は叶わない。だと言うのに、私は彼女がずっとこの町にいればいいのになんて考えてしまう。
 初めてできた親友だった。共通の趣味があるわけじゃない。性格だって全然違う。けれど、あーやと話すのは楽しかった。遊ぶのも、一緒にご飯を食べるのも。ずっと、このままでいたかった。
 ぶわりと風が吹いて、桜が一際強く舞った。ひらり、ひらり。今日で着納めのスカートも、風に合わせて揺れている。
 当たり前に享受していた日常を失うのが寂しい。唯一無二の親友と離れ離れになるのが寂しい。そして何より、この引き裂かれるような胸の痛みさえいつか忘れ、ここで過ごした日々がただの思い出となってしまうのが、どうしようもなく寂しいのだ。

 今日、私の青春は息絶える。

お題:ひらり

1/31/2025, 3:56:50 PM

 少ししなびたナスを見て、あの人は無事に帰れたかしらと思う。何せそそっかしい人だったから、うっかり道に迷っていなければいいけれど。
「もう三年になるのねぇ」
 あの人がお空に旅立ってしまってから、三度目の夏が終わろうとしている。それくらい経てばすっかりあの人のいない生活に慣れてしまって、時折胸の内を風が通り過ぎることはあれど、それでもちゃんと生きていられている。
 お盆とともに遊びに来ていた娘夫婦も、今朝の新幹線で帰ってしまった。きっとあと数時間もすれば家に着くのだろう。あんなお転婆だった子が今では母親だなんて、私もすっかり歳を取るわけだ。
「なおくんはすっかりおしゃべりさんになってたわよ。ばぁば、ばぁばって。子供の成長は早いわねぇ」
 あの人がずぅっと初孫の誕生を楽しみにしていたのを覚えている。あの子が生まれた時なんて、年甲斐もなく大はしゃぎしていた。
「うふふ、案外まだあの子たちと一緒にいたりしてね」
 ナスの牛に乗って新幹線と併走する姿を思い浮かべてしまって、なんだかおかしかった。だって、あの人ならやりかねない。
「ゆっくり現世を楽しんで、また来年会いに来てちょうだいね」
 仏壇で笑うあの人に語りかける。何となく、あの人の軽快な笑い声が聞こえたような気がした。

お題:旅の途中

1/30/2025, 7:42:30 AM

 日傘を差して立っていたら、一匹の猫が足元に擦り寄ってきた。
「あら、こんにちは」
 真っ黒な猫はじぃっとこちらを見つめ、やがてしなやかにその腰を床に落とした。
「今日も暑いわね」
「なぁん」
「近くに日陰でもあったらいいのにねぇ。あなたもそんなに真っ黒じゃあ大変でしょう」
「なぁご」
 分かっているのか、いないのか。人工の影の中で、猫は大きくあくびをした。ゆらりゆらりと大きくしっぽを揺らし、気持ちよさげに目を細めている。
 空をゆっくり流れる雲を、目を細めながら眺めてみる。穏やかな時間が過ぎ去っていく。
「なぁん」
 しばらくして、猫が鳴いた。その目線の先で一匹の白猫が優雅に歩いている。黒猫はたたっ、と素早い動きで影の中から飛び出し、白猫に擦り寄った。
「あらあら、あなたも待ち合わせだったの?」
 黒猫は一度だけこちらを振り返ると、そのまま白猫とともに歩いて行ってしまった。
「ごめんね、待たせちゃって」
 横から友人の声が聞こえた。まだ待ち合わせの時間より早いのに、律儀な人。
「大丈夫よ、お友達が一緒にいてくれたから」
「お友達?」
「ええ、そう。仲良くなったの」
 不思議そうに首を傾げる友人に、一つ忍び笑いを零した。

お題:日陰

9/26/2024, 11:59:01 AM

 ひらひらと舞う赤いもみじに、幼い頃の息子の面影を見た。真っ赤なほっぺを黄色いマフラーで覆い、ふくふくとした、もみじのような手でありったけのどんぐりを集めていたあの子。都会に働きに出たあの子は、元気にしているだろうか。
『こっちはすっかり葉っぱが色づくようになりました。もし時間ができたら、ご飯食べに帰ってきてくださいね』
 なれない手つきでスマートフォンを操作し、鞄にしまい直す。返事は来るだろうか。
 近くのベンチに腰を下ろす。あの子が小さかった時に比べれば、多くの建物が入れ替わっていて、中には潰れて寂れてしまっている場所もある。それでも、この並木道が美しいことに変わりはない。ぼうっと眺めていると、カバンがブルブル震えた。
『週末帰る』
 素っ気ない文言。こんな所まで主人に似なくてもいいのに、とくすくす笑う。
 どうせ不健康な生活をしているのだろう。たんと栄養のあるものを食べさせなくては。
 何を振舞おうかと考えながら、足は自然とスーパーを目指していた。

お題:秋

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